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黒の商人と代償の生贄

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黒の商人と代償の生贄

リアクション

●5:黒の商人

 ようやく機晶姫たちの輪が崩れはじめた。
「よし……行くでヤンス!」
 まず飛び出していくのは、アンゲロ・ザルーガ(あんげろ・ざるーが)だ。
 パートナーのケーニッヒ・ファウスト(けーにっひ・ふぁうすと)達が黒の商人のもとへたどり着ける様、残っている機晶姫たちをひきつける役を買って出る。
 アンゲロは一歩前に出ると、残っている機晶姫たちに、立て続けに雷術を浴びせる。
 数体の機晶姫が、反撃せんと一気にアンゲロの方へ向かってくる。
 してやったり、といった顔で、アンゲロは、今度はわざと派手に逃げ回る。先ほどルーシェリア・クレセントが見せたのと同じ戦略だ。
 一方、アンゲロが飛び出していくのと同時に、ケーニッヒのもう一人のパートナー、天津 麻衣(あまつ・まい)が、自らの銃型コンピューターを式神の術で式神化する。
 するとコンピューターはぴょこんっと麻衣の手から飛び降り、自らの意志で行動を始める。
「黒の商人と、アンリの様子を偵察に行って」
 麻衣の指示に、式神化されたコンピューターは体をぐにゃりと歪めた。どうやら頷きたかったらしい。

 とてとてと飛び跳ねるような移動方法からは想像もつかないような俊足で、式神は黒の商人のもとを目指す。まだ届かないが、内蔵カメラの映像はケーニッヒのハンドヘルドコンピューターに転送されるようにしてある。
「行きましょう!」
 アンゲロが数体の機晶姫をまとめて連れて行ってくれたおかげで、道が開けた。
 その道を、エリザ・ファルファクス(えりざ・ふぁるふぁくす)が先陣を切って駆けだす。後にはグレイ・リベルス(ぐれい・りべるす)も続いた。
「あちらの方角にむかったようです」
 商人の背中はもう見えない。しかしエリザは、商人の去った方角を頼りにそれを追う。
 枝道が無いではないが、水源を目指していたことは間違いない。持ち前の方向感覚で、水源へと向かう。
 アンリを取り戻すべく待機していた数人も、その後について走り出した。
 長いような、短いような追跡。
 洞窟内はいよいよ湿気が増してきて、水源が近いことを思わせる。淀んだ水のにおいがした。
 こちらで間違いない。エリザは確信を持って、走る速度を上げる。
 と。
 突然、ぱっと視界が開けた。
 先ほど戦っていた場所よりも、さらに広さがある。天井も高い。どこかからわずかに光が差し込んでいる――天井のない部分もあるようだ。高すぎて肉眼では確認できないが。かなり地下深くまで下りてきていたらしい。
 ホール状になっている空間の、奥半分ほどが抉れ、窪んでいる。さらにその半分ほどには水が溜まっていることを考えると、本来はこの窪んでいる部分が水で満たされ、巨大な地底湖を形成しているのだろう。今は枯れているようだが。
 そして、湖の最奥部分の壁には、さらに奥へと続く穴が開いている。しかし、ほとんど水没していて、泳ぐか、飛ぶか、船でもなければ進めそうにない。全容は知れないが、少なくとも水面に出ている部分は、人が一人通れるかどうかという高さで、横幅だけが広い。あの奥が水源なのだろう。
 ヒュドラの影はない。
 いたのは、黒い影がひとつ。
 そして、その後ろには女性の影がふたつ。一人はアンリ。もう一人は佐倉 紅音(さくら・あかね)だ。
――紅音は、生贄の代りを志願して商人と行動を共にしている。
「アンリさんを、返してもらいます!」
 商人の姿を見つけたエリザは、鋭く叫んだ。
 おやおや、と商人は尊大な動作で振り返る。
「ご到着ですか――契約者たちも、思ったより役に立ちませんでしたね」
 ひょい、と肩をすくめるが、口調ほど困った様子は見えない。
 まるですべてが予定調和であるような。
「エリザ、多少の怪我は我が治してやろう。……慎重にな」
 グレイの言葉に、エリザは小さく頷いて見せる。
 アンリは黒の商人の後ろで、困ったような顔をして立ち尽くしている。
 意を決し、エリザは駆けだした。
 手にしたハルバードを振りかざし、ランスバレストの構えで突撃する。
 しかし、商人は余裕さえ感じさせる笑みを浮かべ、ひょい、と身を躱す。
 エリザはそれでも、振り向きざまにハルバードを振るう。
 続けざまに突きを繰り出す。しかし商人の動きを捉えることができない。
 ふわり、と商人がコートの裾を翻した。
 ――次の瞬間、衝撃がエリザを襲う。
 布がわずかに触れただけのような感触だったにもかかわらず、小さなエリザの体はひょう、と宙を舞った。
「エリザ!」
 だん、と地面に叩きつけられたエリザの体を、グレイが慌てて抱き上げる。
「まだまだ未熟ですね」
 ふふ、と余裕の笑みを見せる商人を、グレイがキッと睨む。
「もう少し力をつけて、おいでなさい……おっと」
 突然、商人がスッと身を引く。
 と同時に、ひゅ、と音を立てて空間が切り裂かれた。
「こちらは、なかなかやるようだ」
 商人は些かの驚きを込めた口調で言うと、腕を上げ、ひょいと何かを引っ掛けるような動きを見せた。
 すると、騎沙良 詩穂(きさら・しほ)が纏っていたベルフラマントが剥がれ、詩穂の姿が露わになる。
「ッ……!!」
 しまった、という表情を見せる詩穂だが、すぐに両手を振るうとナラカの蜘蛛糸を手繰り寄せ、商人に向かって放つ。
「アンリさんを返してください!」
「それは致しかねます。契約ですから」
 詩穂の振るう蜘蛛の糸を器用に回避しながら、商人は帽子のつばに手を掛ける。
 武器が仕込まれているかもしれない。詩穂は咄嗟に飛ぶと、長い脚で商人の手目がけて回し蹴りを入れる。
 それを避けるように、商人の手が帽子から離れた。
 そこへ。
「今回の契約は、どうぞお引き取りくださいませ!」
 セネシャルとして上品さは決して忘れずに、しかし主人を守るときのように断固とした態度で、詩穂は商人に渾身の一撃をお見舞いする。
 商人の顔から少し余裕の色が消え、その場を飛び退く。
 残されたのは。
「う、うわわわっ!」
 アンリに攻撃が当たりそうになり、詩穂は慌てて手を止める。
 その一瞬、商人は再びコートの裾を翻すと、アンリを浚って再び距離を取る。
「あっ……!」
 距離を取られ、詩穂は歯噛みする。
 と、その時、ようやく後続の一団が追いついた。
「小鹿ちゃんを離してもらうぜ!」
 アルフ・シュライアが飛び出した。商人がアンリを抱え込むようにして身構える。
 が、駆けだしたのはあくまでも陽動。本命はヒュプノシスを掛けることだ。
 口の中で小さく術を唱える。そして、商人に届く直前、足を止めてそれを放つ。
「ほう……作戦は悪くありませんね」
 しかし、商人は涼しい顔だ。むしろその腕の中のアンリの方が眠り込んでしまった。
「クソッ……」
 腕の中にアンリがいる以上、範囲攻撃であるサンダークラップは使えない。次の手を封じられ、アルフは悔しげに商人を睨みつける。