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第二章 地獄のクッキングファイト 7

「ったたた……どうやら俺の負けのようだ」
 そう言って、エースは静かに剣を収めた。
「そうか」
 それに応じて、朝霧 垂(あさぎり・しづり)もまた、仕込み竹箒の刃を収める。
「では、これを食べてもらおう」
 そう言いながら垂が持ってきたのは、何の変哲もない……どころか、見事に形が整った三角形のおにぎりであった。
 ご承知の通り、おにぎりというのは極めてシンプルな料理であり、謎料理に発展する危険性など本来そうそうあるものではない。
 加えて、垂が用意した食材は最高級のお米に天然塩、お米を研いだり炊いたりする水にまで天然のミネラルウォーターを使用し、具材も梅干しや鮭といったメジャーどころを、全て厳選して用意してある。
 その上、垂は何ら特別なことをせず、ごくごく普通におにぎりを握っているのである。
 これで完成するおにぎりがおいしくないはずがない。普通ならそう思うだろう。

 だが、彼女のパートナーであるライゼ・エンブ(らいぜ・えんぶ)に言わせると、「その思い込みこそが危険」なのだそうである。
「見た目が変、材料がおかしい、調理法が間違っている……そんなのまだまだ序の口なんだよね」
 言われてみると、ここまでに登場した謎料理のほぼ全てが、これらの特徴のどれか一つ以上には当てはまっている。
「こっちは見た目は普通だし、何も特別なことはしていない。それなのに出来上がった料理の味は……」
 気の毒そうに見つめるライゼの目の前で、見た目に騙されたエースが無警戒におにぎりを口にしてしまった。

 一口食べた瞬間に気が遠くなるのを、エースはすんでのところで持ちこたえた。
 見た目は普通、においもそうおかしいところはない。
 なのに、味だけが致命的におかしく……言ってしまえば、この世のものではない。
 これ以上食べ進むのは危険すぎると冷徹な理性が警鐘を鳴らすが、エースにも男のプライドがある。
(女性が作った料理なら、完食するのは男の務めだ……!)
 一口ごとに、頭の中と腹の中に重くどす黒い何かがたまっていくような気もするが、ここで退くわけにはいかない。
 と、その様子を見かねてエオリアが駆け寄ってきた。
「エース、僕も半分もらっていいかな?」
 それはエースを気遣っての懸命な助け船。
 しかしその直後、エオリアは「泥沼」という言葉の意味を知ることになる。
「なんだ、それならもう一つある」
 垂が笑顔で差し出したおにぎりをうまく受け取らずにすませる言い訳は、エオリアにも思いつかず……かくして、犠牲者は二人となった。
 このおにぎりがどうしてこんな味になっているのか、それは料理人であるエオリアをもってしてもわからない。
 素材の足し算に失敗しているわけでもなく、さりとて調理法がおかしいわけでもなく。
 例えて言うならミダース王の手で触れられたものがすべて黄金に変わったように、垂の手に触れただけで何らかの変化が起こるとか、そういった意味不明なファクターの存在を仮定しなければ、こればかりはどうにも説明がつかなかった。

「……これこそがパラミタ七大怪奇の1つとも言える垂の料理の腕だ……!」
 ライゼと、そして垂の見守る中で、二人の紳士は無事におにぎりを完食し、それぞれのプライドを貫き通した。
 だが、まだこれで終わりではない。完食した直後に倒れるようなことがあっては、やはり女性に恥をかかせてしまうことになるからだ。
「……おいしかったよ。ありがとう」
 褒めるところを探したが見つけようがないので、もう漠然とした褒め言葉になるが、垂はそれに気を良くしたようだった。
「そうか。もしよければも」
「それでは、僕たちはこれで失礼します」
 女性の言葉を遮るのもマナー違反かもしれないが、「もう一つ」は明らかな死刑宣告にも等しいのだから、それくらいは勘弁してもらいたいところである。
 そうして、二人は支えあうようにしてステージの端まで向かい……ひっそりと、そこで力つきたのだった。
 ああ、本当の意味で紳士たるとは、かくも辛く厳しいことなのである。
 二人の勇敢な紳士達に敬礼! 無茶しやがって……!!





 さて、確かに垂の料理の腕は明らかに七大怪奇レベルではあるのだが、仮に彼女の腕前を七大怪奇の一つに指定するとすると、全く同系統の能力を保持する郁乃の料理の腕もまた七大怪奇の二つ目に指定されてもおかしくないレベルであろう。
 しかしこれは料理大会であると同時に武闘会であり、まず戦って勝たないことには相手に料理を食べさせるところまでたどり着けないのだ。
「行くよっ、荀灌!」
「はいっ!」
 二人で呼吸を合わせ、目の前の相手に挑みかかる。
 ……が。
「……っ!?」
 相手の動きの速さは、こちらの想像を遥かに超えていた。
 挟み撃ちにしたはずが、いつの間にか後ろをとられている。
 さらに、振り向く間もなく背後から強烈な一撃を叩き込まれ、前にいた灌まで巻き込むようにして吹っ飛ばされる。
「……ぅぅ……」
 郁乃たちがよろよろと起き上がると、すでに目の前には先ほどの相手――志方 綾乃(しかた・あやの)が、ビールジョッキ並みの容器一杯に山盛りになった真っ白なパフェを持って立っていた。
「ほら、私一人ですから。どうしても一撃必殺を狙うとなるとうまく加減できなくて……まあ、志方ないですよね」
 ことここに至っては、すでに勝敗は明白である。
 二人にとって唯一の救いなのは、綾乃の持ってきた料理が至極まともそうに見える、ということだろうか。
「ええと、これは?」
「ホワイトパフェです。素材からこだわって作った自信作ですよ」
 真っ白なパフェの中身は、ホワイトチョコレートとバニラアイス、そして生クリームがメイン。
 ところどころにフロスティングが施されていたり、角砂糖が飾られていたりもする、見た目にも綺麗な一品である。
「これは……おいしそう、かも」
「……ですね」
「さ、遠慮しないで食べてくださいな」
 ご機嫌な綾乃からスプーンを受け取り、ちょっと期待しつつ二人はパフェを口に運び……。
 口に入れた瞬間、揃って固まり……二人同時に派手にむせた。

 一見完璧に見える綾乃のホワイトパフェ。
 しかし彼女は制作時にたった一つだけミスを犯していた。
「砂糖と塩を間違える」という、これ以上ないほどベタベタなミスを。
 だが、そのミスがこのホワイトパフェで、しかも徹頭徹尾発生し続けていたとすると、他の料理の比ではないほどの大惨事になるのはおわかりいただけるだろうか?
 まず、そもそもパフェは「甘い」ものであるから、使われるはずの砂糖の量は必然的に多くなる。
 そのすべてが塩で置き換えられているとなれば、壮絶にしょっぱい「パフェのようなもの」が出来上がるのは言うまでもない。
 さらに材料から「同じミスに気づかぬまま」手作りした上、白にこだわってフルーツ類も一切トッピングしていないので、ホワイトチョコも、バニラアイスも、生クリームも、全てがしょっぱくて逃げ場がないのである。

 かくして、二人は「しょっぱくないところ」を探しては裏切られてますますしょっぱい目に遭う、という流砂ならぬ流塩の蟻地獄に見事にはまり込んでしまい、最後の希望を託して口に含んだ角砂糖までが塩の塊だったところで、まさに「青菜に塩」のごとくぐったりとなってしまったのである。
「……え? え? え?」
 ただ一人、全く事態を飲み込めない綾乃だけが怪訝な顔でその場に立ち尽くしていたのであった。