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【八 正面突破】

 マレンディは相当に疲労が溜まっているらしく、ただ立っているだけでもかなり辛そうな様子を見せた。
 ブルーズと羅儀が慌てて簡易座椅子と携帯用流動食などを用意し、マレンディが事情説明に耐えられる環境をやっとのことで揃えてやった。
「すみません、色々、お手数をおかけして……」
 心底申し訳無さそうに頭を下げるマレンディだが、ブルーズと羅儀は揃って穏やかに笑い、気にするなとかぶりを振った
「こんなもん、労働のうちにも入らんさ」
「それに、また新たな綺麗どころをお迎えすることが出来て、オレとしては寧ろ嬉しいぐらいだよ」
 ブルーズと羅儀の言葉に、マレンディは安心した様子で笑顔を見せた。笑顔に力が無いのは、見た目以上に衰弱が激しいことを物語っている。
 これは油断ならない――ジェライザ・ローズとクナイがマレンディの左右に張りつき、出来る限りのサポートを心がけようと待機した。
 マレンディの消耗は予想以上に重度であるようだが、しかし今は、彼女の知り得る情報を引き出さないことには、今後の救助活動にも大きな影響を与えかねない。
 天音と白竜、そして北都の三人は申し訳無く思いつつも、マレンディからの聞き取り調査を強行する段取りを整えた。
 直接マレンディから情報を聞き出すのは天音が担当し、白竜と北都が、得られた情報を持参した端末に入力して、他のデータと照合を取りながら確認を進める作業を担当する。
 ひと通りの準備が整ったところで、マレンディの正面に座る天音が、穏やかな口調で問いかけた。
「ではお聞かせ願おう……このヴァダンチェラ要塞遺跡で、君達の身に何が起きたんだい?」
「私達は、スキンリパーという怪人とその仲間達に襲われて……私を含む大勢のコントラクターが人質になり、そして人質を取られたパートナー達は、非人道的な拷問に耐えるか、それとも人質に取られたパートナーの命を見捨てるか、選択を迫られました」
 選択の結果、ある者は己の肉体を犠牲にしてパートナーを救ったが、ある者は自分可愛さにパートナーの命を見捨て、拷問から逃れた、というのである。
 ジェイデンは、マレンディを見捨てて拷問から逃れはしたが、その代わりマレンディは命を落とした――そしてマレンディの死が引き金となって、ジェイデンはパートナーロスト状態に陥った、というのである。
 しかし、ではどうしてマレンディは生きてるのか?
 この共通した疑問に対し、当のマレンディ自身もよく分からない、というのである。
「私は確かに、全身を鋼糸に引きちぎられて死んだ筈、なのですが……気付いたら、傷ひとつ無い状態で、遺跡の中で倒れていたのです」
「……同じだ、私と」
 不意に、マレンディの傍らでジェライザ・ローズが小さく唸った。
 矢張り彼女の場合も、意識を失う前は右脚を糸鋸で切断するという肉体の損傷を被っていたが、気を失って再び目覚めた時には、最初から何事も無かったかの如く、無傷の状態に回復していたのである。
 ここで、天音と白竜はふむ、と頷き合って何かを確信した様子を見せた。
「キーワードは、脳波。それも意識がある状態で、己の肉体状態を認識すること……」
「気を失って認識が途切れると、従前の肉体情報がリセットされ、何事も無かったかのように全てが元通りとなる……そういうことですか」
 その時突然、美羽、セレンフィリティ、セレアナ、理沙、セレスティアの五人があっと驚きの声をあげた。
 天音は座椅子を蹴って立ち上がり、五人の傍へ駆け寄る。
 見ると、ジェイデンが意識を回復しそうになっているのだが、しかし五人の女性達はいずれもジェイデンではなく、その周辺の床や天井、或いは第一班の面々に対して、次々と視線を巡らせ続けているのである。
 この五人が、いずれもオブジェクティブ・オポウネントの認証コードを持っているという事実を、天音は知っている。彼は口早に、五人のダブルオー資格者達に問いかけた。
「どうしたんだい? 何が、見えるんだい?」
 五人はしばし混乱状態に陥っているようであったが、しかし程無くして、落ち着きを取り戻し始めた。
 応じたのは、セレンフィリティである。
「ここ……全部、電子データで構築されてる仮想世界だわ……」
「……矢張り、そうだったのか」
 天音は、溜息混じりに相槌を打った。
 このヴァダンチェラ要塞遺跡は、その内部が全て、オブジェクティブによって構築された仮想空間に置き換えられていたのである。
 白竜も慌てて駆け寄ってきて、理沙に問いかけた。
「電子データで構築されているのは、構造物だけですか? 私達は、どうなっていますか?」
 すると理沙は、一瞬の躊躇の後、驚くべきひとことを白竜に返した。
「気を悪くしないでね……ここに居る皆、ひとり残らず電子データになってる……つまり私も含めて、全員が電子結合映像体になっちゃってるよ……」
「成る程、そういうことですか……恐らくジェイデンさんが意識を回復しようとした為、一時的に途切れていた彼の脳波との再リンクを実施する為に、この場を構築する電子データの一部がリセットされようとしているのでしょう」
 白竜は淡々と推論を述べてみたが、しかしその内容は想像を絶するものであった。

     * * *

 第一班の側で、恐るべき事実が次々と解き明かされている最中、第二班は七人の悪魔を名乗るオブジェクティブ達との死闘を展開していた。
 裂殺房では、ヴォーパルクローを相手に廻して、カイ、ルカルカ、カルキノス、淵、加夜といった面々が、圧倒的な戦力で勝利をほぼ、手中に収めようとしていた。
「どうした……それで終わりか!」
 右手に黒刀、そして左手に光条兵器の太刀を構えて仁王立ちになっているカイの前で、凶悪な面構えの老婆姿というヴォーパルクローは、獰猛な唸りを発した。
 単なるデジタル映像の怪物が、こうまで生物的な反応を示すのかと、カイは内心でおかしみを覚えていたのであるが、しかし今はまだ戦闘中である。
 余裕めいた態度で隙を見せれば、相手に逆転を許しかねないとあって、カイは依然として、緊張した面持ちのままヴォーパルクローとの対峙を続けていた。
「ねぇカイさん。ここはもう、お任せしちゃって良いかな? ルカ達はラムラダさんが心配だから、ひと足先に合流しよっかなって思ってるんだけど」
 ルカルカがカイの勝利を確信して、その広い背中に陽気な声を投げかけてきた。
「あ、勿論カルキノスと淵は残していくから、後の始末で人手が要りそうなら、このふたりを顎で使ってくれて構わないからね〜」
 余りにも適当な物いいに、流石にカルキノスと淵は腹を立てたのか、戦闘中という緊迫した場面であるにも関わらず、ルカルカに向けて盛大なブーイングを投げつけた。
「おいおい、そりゃなかろう。せめて戦闘補助、ぐらいはいえんのか」
「くそぅ。後でダリルにいいつけてやるからな」
 そんな彼らのやり取りを、苦笑混じりに聞き流すだけのゆとりがカイにはあったが、しかしその鋭い眼光は相変わらず、ヴォーパルクローの醜悪な容貌にじっと据えられたままである。
「あぁ、構わん。先に行って、ラムラダを助けてやってくれ」
 カイから許可が下りたので、ルカルカは加夜の手を引いてカイとヴォーパルクローの脇を大胆にすり抜けて行く。その際、加夜が幾分申し訳無さそうな面持ちで、カイに会釈を贈ってきた。
「それじゃ……お先に失礼します。向こうで待ってますね」
 しかし、カイは答えない。
 ヴォーパルクローが次なる攻撃に入ろうとしていた為、既に全神経が正面の敵に集中されてしまっていたのである。
(……来るか)
 次の一撃で、とどめを刺す――既にカイの頭の中では、ヴォーパルクローを仕留める為の算段が出来上がっていた。
 一方、圧殺房パイルファングに立ち向かっていたロア、レヴィシュタール、グラキエス、ゴルガイス、エルデネスト、キースの六人も、勝利はまず間違い無いといったところにまで、こぎつけていた。
「あの馬鹿でかい口は、まともに噛み付かれたら相当に厄介だと思ったが……案外、どうにかなるもんだな」
 グラキエスが、どこか拍子抜けしたような調子で得物を構えたまま小首を傾げると、その傍らでロアが、妙に胸を張って高らかに笑った。
「そりゃそうだ。同じ食いつくなら、俺はしょっちゅうグラキエスにがぶがぶやってんだ。食いつきの年季が違うってもんだ!」
「あのな……自慢していうことではないぞ」
 レヴィシュタールがこめかみに小さな青筋を浮かべて、やれやれとかぶりを振った。
 まだ戦いが終わっていないというのに、この有様である。仮に、人工解魔房が期待通りのものであったとしても、果たしてどこまで効果があるのか、疑問を覚えてしまうという始末であった。
「しかしまぁ、こいつを倒さん限りは前には進めん。グラキエスは、もう下がってくれ。不要な戦いにこれ以上魔力を解放する必要も無いからな」
 ゴルガイスの指示を受けて、グラキエスは素直に後方へと退いた。
「グラキエス様……下がってしまうのですか。少し、勿体無いような気も致しますが……」
 後方へと移動してゆくグラキエスに一瞥を送りながら、エルデネストが心底残念そうな面持ちを浮かべていたのだが、しかしゴルガイスは敢えて気付かない風を装って、キースともども最後の突撃を敢行する為の指示を放った。
「いくぞ!」
「了解です、アラバンディット!」
 ゴルガイスとキースの連携は巧みであったが、エルデネストだけが妙にタイミングのずれが発生していた。
 最早、いっても聞かぬか――ゴルガイスは軽い頭痛を覚えるようになっていた。

 刺殺房でスカイブラッドを撃退したザカコ、ヘル、コウ、朱鷺、葛、ダイア、ヴァルベリトの七人は、房を抜けた先の回廊で、全身を濡らす大量の鮮血に辟易していた。
「うぅ……気持ち悪い……」
 葛が涙目で、自身の髪や衣服、そして肌にまでこびりつく半乾きの血糊を必死に拭い取ろうとするのだが、拭いても拭いてもただ広がるばかりで、全く拭い取れそうな気配が無い。
 ダイアも白銀の美しい毛並みがどす黒い紅に染まって相当に気落ちしているし、ヴァルベリトに至っては、大事な商売道具である風呂敷が血まみれとなってしまい、どうにもならない程の脱力感に襲われていた。
「……オレなんて、これで二度目だぞ」
 全身にこびりつく血糊を拭おうともせず、コウは憮然とした表情でその場に仁王立ちとなっていた。
 一方、朱鷺は案外さばさばした性格なのか、全身血まみれでも然程に気にした様子を見せず、安穏とした表情で他の面々の困惑した様を何とは無しに眺めている。
「あなたは、血まみれになっても気にならないのですか?」
「えぇ、まぁ……研究していると、実験用の血糊で全身真っ赤になることなんて、ざらですから」
 ザカコの問いに飄々と答える朱鷺だが、そんな朱鷺の台詞を聞いて、ヘルがうへぇと、変な声を出して悶えていた。
「しかし……これで少しは、奴らの研究成果とやらを消去したことになるのか……?」
 コウがやや不安げな面持ちで、ザカコに問いかけてきた。
 この場にいる面子の中では、オブジェクティブに最も詳しいのがザカコである。訊かれたザカコは、腕を組んで小さく唸った。
「まぁ……奴らは存在自体がデータの塊でして、脳波研究の結果もデータとして保持しています。ですから、奴らを倒すことがそのまま、データや研究結果を破棄させた、ともいえるのですが……」
 しかし、オブジェクティブはまだ他に、何体か存在しているのも事実である。
 カイの応えを聞いて、コウは複雑そうな面持ちで頭を掻いた。
「そうか……では、まだ道半ば、ということか。こればっかりは、どうしようもないな」
 その時、別の房の出口扉が盛大な音を立てて押し開かれた。
 血まみれの七人が一斉に視線を転じると、ハーティオンの巨躯が幾分よろけて飛び出してきた後、ラブと鈿女が疲れ切った様子で脱出を果たしてきた。
 三人は血まみれ七人衆の姿を認め、一瞬ぎょっとした表情を浮かべたが、しかしすぐに第二班の面子であると理解したのか、いささかばつの悪そうな笑顔で手を振ってきた。
「無事に、突破出来たようですね」
 朱鷺が穏やかな笑みでハーティオン達を出迎えたが、しかし雷殺房を突破してきた三人は、顔色があまり冴えない。
 話を聞いてみると、どうやらフェイスプランダーを取り逃がした、ということらしい。
「最初に雷撃の拷問に耐えたのだが、そこで受けたダメージが回復しないまま、奴との交戦に入ってしまってな……正直、回復不足だったよ」
 悔しそうに奥歯をぎりりと鳴らすハーティオンであったが、しかし突破出来ただけでも上出来というべきであろう。
「きっとまた、そのうちリベンジの機会が訪れますよ」
 朱鷺が慰めのつもりでいったのだが、しかしハーティオンはともかく、鈿女とラブはあからさまに嫌そうな顔を向けてきた。
「いや……もう結構。二度と会いたくないわ」
「……右に同じぃ」
 余程、酷い目に遭ったのだろう。
 思い出すのも忌々しいといった様子で、ふたりは何度も頭を左右に大きく振っていた。
 ここで更に、別の出口扉が開いた。現れたのは、ローザマリア、菊媛、フィーグムンドの三人である。彼女達はどういう訳か、全身汗びっしょりで回廊に飛び出してきた。
「何だか……凄い汗、ですね……」
 葛が心底驚いた様子で目を丸くしていると、ローザマリア達は妙に満足した様子で、晴れやかな笑みを浮かべた。
「いやぁ、何ていうかね……自分でいうのも何だけど、もしかしたら、今年始まっていきなりのベストバウト達成かも知れないなぁ」
 ローザマリアのいわんとしていることが、葛にはよく分からない。
 そもそも、理解出来る年齢ですらなかった。