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【八 覚醒への序曲】

 正子とフリューネが率いる一団が、UBFの大型輸送トレーラーを駆ってフィクショナル・リバースに到着したのは、イーライ達の本隊突入から数えて、およそ三十分後のことであった。
 付近の草原は、そこかしこに戦闘の痕跡が残されており、その数の多さから見て、レックスフットの集団規模が如何に大きなものであるのかが、容易に想像出来た。
「でも……これだけ激しい戦いの跡があるというのに、屍骸はひとつも見当たらないのね」
「オブジェクティブってのはもともとはコンピュータウィルスで、その正体は電子データの塊であるから、倒されれば空間中に雲散霧消してしまうものなのだよ」
 降り立った地の風景に疑問を投げかけたフリューネに、コア・ハーティオンが手短に解説を加えた。
 だがフリューネは未だに、電子結合映像体の何たるかが今ひとつぴんときていないらしく、コア・ハーティオンの説明を受けても、完全には理解出来ていない様子であった。
 そのコア・ハーティオンはというと、式神を使役してフィクショナル・リバース内に先行突入しているイーライ達の部隊と連絡が取れないか試そうとしていたが、ドラゴ・ハーティオンのプラモから作り出した式神は、電子データで構築された空間には、どうやら入れそうにはなかった。
「うぅむ、駄目か……先行部隊の状況を先んじて知りたかったのだが……」
 悔しげに呟いてから、その視線を肩先にちょこんと乗っかっているラブに向ける。
 するとラブは、物凄い勢いで首を左右に激しく振りながら、慌ててコア・ハーティオンの肩から飛び上がって距離を取った。
「だだだ駄目よ! ああああああたしは、絶対行かないからね!」
 咄嗟に相手の意図を察し、機先を制するラブ。
 出鼻を挫かれたコア・ハーティオンは、渋い表情でうむ、と頷くしかなかった。
 ここで、菊がずいっと身を乗り出し、フィクショナル・リバースが構築されている遺跡発掘現場方向を遠目に眺めながら、ふんと鼻を鳴らした。
「レックスフットってぇのは、オブジェクティブの中でも格段に弱いんだろ? じゃあ、このお菊さんが顔繋ぎに行ってやろうじゃないの。手始めにそいつらを河童巻きに仕上げて、オブジェクティブ戦デビューを華々しく飾ってやるってのも、悪くないさね」
 すると、菊に触発されたという訳でもないのだろうが、正子がその巨躯を菊の隣に寄せて、丸太の様に太い腕を組ませたまま、ひとつ大きく頷いた。
「相変わらず無謀な奴よ。だがその突撃精神は評価する。わしも行こう」
「正子も来るのか。んじゃあ河童巻きなんてケチなこたぁいわず、ちゃんこぐらい作ってやらねぇとな」
 菊と正子の料理人コンビが率先して突入へと向かおうとする姿が、レンの決心に追い風となったのかどうか――彼は慌ててふたりの後に続き、愛用のサングラスの奥から意味ありげな視線を送りつけてきた。
「丁度良い。ものは相談なんだが、事が成就した暁には、おふたりさんに祝いの料理を振る舞って貰えないだろうか? 聞けば、マダム厚子も相当な料理自慢だというじゃないか」
 この、半ば挑戦状を叩きつけたに等しい申し出に、菊と正子は見るからに興味を掻き立てられた様子で、ゆっくりと振り返った。
「へぇ……そりゃまた、面白い話じゃないか。あたしは乗った。正子は?」
「聞くまでもなかろう」
 レンの思惑では慰労パーティーというのが基本であったが、ちゃんこ大会も悪くない。
 いつの間にか、フリューネが三人の傍らに歩を寄せていた。空賊の英雄も、本場のちゃんこは試したことが無かったらしく、どんなものなのかと興味津々といった按排であった。
「はいはいはい! フリューネさんは、ちゃんこをご所望なのですね!? そういうことなら、食材調達はあたしにお任せ〜!」
 未沙が、弾丸のような勢いで割り込んできた。
 しかし正直なところ、菊と正子が手掛けようとしているちゃんこのレシピについては、未沙はよく知らない。そこで彼女は早速メモとペンを取り出し、ふたりの戦う料理人に聞き取り調査の嵐を仕掛けてきた。
「それで、一体何を揃えれば良いかしら!?」
「いや……普通にちゃんこだよ。味噌ベースと醤油ベースで用意してくれりゃ良いさ」
 流石の菊も、未沙の勢いには若干気圧されたらしく、どこか引き気味な様子で応対する。
「締めはうどんと雑炊で良かろう」
 正子が思案顔で応じると、未沙は早速真剣な表情でメモに書き留めてゆく。その傍らから、フリューネが未沙のメモを覗き込んできた。
「へぇ……色々なものを一度に煮込む料理なのね」
「体力増強と同時に、太る為の料理でもあるからな」
 正子の応えに、未沙のみならず、リネンも一瞬、渋い表情を浮かべた。
 ちゃんこを味見したがっているフリューネには申し訳ないが、太られても困る、という思いがふたりの中にあったのかも知れない。

 チェバン家組もフィクショナル・リバースに到達していたことは既に述べた通りだが、ブランダルと共に仮想世界に突入を試みようとしていたのは、既に突入しているリカインを除くと、理沙、セレスティア、天音、ブルーズ、そしてブランダルの五人だけであり、残りの面子は外で待機しておこう、という話になっていた。
「こっちは圧倒的に戦力が少ないからね……下手に対オブジェクティブ戦の未経験者を大勢連れて歩くと、却って危なくなるから、ここで待っててくれないかな」
 天音のこの説明に、優希、アレクセイ、呼雪、ヘル、そしてリナリエッタといった面々は、幾分残念そうな面持ちではあったが、強硬に異を唱えるだけの材料も無く、渋々ながら従うことになった。
 尤も、そういう天音自身、対オブジェクティブ戦に於いて戦力になり得るかといえばそうでもなく、辛うじてレックスフットと互角に戦える、という程度に過ぎない。
 それは、ブルーズも同じであった。
「まぁ大丈夫、大丈夫。私とセレスティアが居れば、何とかなるから」
 理沙の言葉に、嘘は無い。
 事実、彼女とセレスティアはダブルオー資格者であり、ふたりが一緒に居れば、少なくとも手も足も出せずに惨敗するというような事態は避けられるのである。
 但しひとつ不安材料があるとすれば、バティスティーナ・エフェクトの認証コードを持っている者が、この場にひとりも居ない、というところであろう。
 つまり、レックスフット以外のオブジェクティブが出現した場合、逃げることは出来ても打倒するのは難しいというのが、今回のメンバー編成であった。
「折角、決闘のステージ演出も考えてあるんだから、ちゃんと生きて帰ってきてね〜ん」
 リナリエッタが、本気とも冗談ともつかぬエールを送る。
 これには天音とブルーズも、苦笑で応じる以外に無い。だがふたりはすぐに表情を改め、ひとつ気合を入れてから、いよいよ突入態勢へ入ろうとした。
 ところが。
「おや、これは皆さん、お揃いで」
 ヴィゼントが、別方向から声をかけてきた。
 その場の全員が振り向くと、声の主であるヴィゼントだけではなく、別の人影が同行している。その人物はヴィゼントと同様、黒っぽい色合いのスーツに長身を包み込み、サングラスで目元を隠している。
 優希とアレクセイ、そして呼雪やヘルといった辺りはきょとんとした表情でふたりの登場を眺めていたが、天音とリナリエッタはすぐにぴんときたらしい。
 尤も、理沙とセレスティアはその人物の正体を知ってはいたのだが。
「あらま、ギブソンさんじゃない。わざわざどうしたの?」
 理沙の指摘に、その人物、エージェント・ギブソンは慇懃な態度で軽く頭を下げてきた。
 天音は思わぬところで顔繋ぎが出来たと内心で喜んでいたが、リナリエッタは違う。
 彼女は、エージェント・ギブソンが話に聞いていた通りの渋いイケメンであったことに、黄色い嬌声を上げて心底嬉しそうであった。
「きゃぁん! やっとお会い出来ましたわぁ〜! 噂に違わぬイケメンじゃないのぉ!」
「これはこれは、恐縮です……ミス五十嵐、出来れば皆様をご紹介頂けると嬉しいのですが」
 じきじきに指名を受けた為、内心面倒臭いと思いつつ、理沙はひとりひとり、簡単な紹介を加えていった。但しリナリエッタだけは、自分から猛烈に売り込むような格好で自己紹介していたのだが。
「矢張り今回も、フィクショナル・リバースへの措置を施されに?」
 セレスティアの問いに、エージェント・ギブソンは曖昧に頷いた。どうやら、他に目的があるようである。
「いや、まぁ、それもあるのですが……実は、トライアル・ヴェロシティ反応がそろそろ出そうな雰囲気でしたのでね」
 聞きなれない名称に、セレスティアのみならず、理沙も思わず小首を傾げた。
 すると天音が、如何にも興味を掻き立てられたといった様子で、僅かに意気込んで質問を投げかける。
「それは一体、どのようなものなのかな?」
「そうですね……まぁ簡単にいえば、コントラクターが自ら創り出した、オブジェクティブ・オポウネントとバティスティーナ・エフェクトの複合機能、といったところでしょうか」
 曰く、一部のコントラクター、それもオブジェクティブと遭遇して一年以上が経過し、且つオブジェクティブ・オポウネントやバティスティーナ・エフェクトの認証コードを受けていない者が、対オブジェクティブ戦の経験の中で自らの脳波を、我知らずのうちにオブジェクティブレベルにまで引き上げる現象のことを指す、というのである。
 つまりオブジェクティブの電子波動に呼応して、自らを対オブジェクティブ戦に最適化する能力に目覚める現象を、トライアル・ヴェロシティ反応と呼ぶらしい。
 それが、そろそろ出現しそうだというのである。
「もしかして……あなた方がイーライさんに接触して情報を流したのは……」
「はい。トライアル・ヴェロシティ反応が出そうな方に、ご自身の意思で来て頂く為に敢えて流しました」
 優希の問いかけに、エージェント・ギブソンはさも当然だといわんばかりの自然さで、しれっと答えた。

 フィクショナル・リバース内は、一見すればただの昭和初期の街並み、という光景であったが、一度その内部に足を踏み入れると、そこかしこからレックスフットの河童姿が休む間もなく、次々と襲いかかってくる。
 ほとんど全てのコントラクター達が、半ば追い立てられるようにしてフィクショナル・リバース内を右往左往するかのように駆け巡り、当初組んでいた陣形など、ほとんど意味がなくなってしまっている。
「そぉいえば……初めてレックスフットと遭遇した時も、こんな感じでしたっけねぇ?」
 一年以上前の皿一文字事件をぼんやりと思い出す一方で、レティシアはもう何体目のレックスフットを打ち倒したのか、自分でもよく分からなくなっていた。
 あの当時も十分互角に戦えたが、今は更に力を得て、単体のレックスフットならほとんど一撃で仕留められるようになっている。
 それは美羽も同様であったが、オブジェクティブ・オポウネントを駆使する今は、レックスフットなど単なる雑魚に等しい。
 コハクともども、まるで無人の野を行くが如きであったが、しかしただ敵を倒す数を重ねていくだけでは意味が無い。本来の目的は、メリンダのネックレスを奪還するところにあるのである。
「もう良い加減、飽きてきたよね……目的のネックレスは、どこにあるんだろ?」
 美羽の精神的な疲労を思わせるひと言を放った時、不意にコハクとミスティが、背後にただならぬ気配を感じて咄嗟に振り向いた。
「うっ……何だい、こいつは……?」
「もしかして……新手のオブジェクティブ?」
 ふたりの緊張に満ちた声に、美羽とレティシアが慌ててその方角に視線を巡らせ、そして喉の奥で声を詰まらせた。
 異様な姿が、四人の前に出現していた。
 薄汚れた麻のシャツと革ズボンを着用している長身のスキンヘッド、といういでたちだけなら、然程に驚くこともない。
 しかし問題は、首から上であった。
 目、耳、鼻といった本来そこに在るべき筈のパーツが、まるで見当たらないのであるが、どういう訳か口だけはある。
 だが口は、ひとつだけではなかった。
 頬、額、頭部、首筋など、あらゆる個所に幾つもの口が、無造作に並んでいるのである。
 それらの口がいずれも、ぬめるような粘液性の唾液で唇を濡らしていた。
 と、そこへ。
「居ました! あそこです!」
 輝が息せき切って駆けつけてきたが、そのすぐ後ろに、真鈴、唯斗、ザインハルトといった顔ぶれが、続けて姿を見せた。
 どうやらこの四人は、この口だらけの魔人を追ってきたようである。
 輝と唯斗が前衛に立ち、真鈴とザインハルトを若干後ろに退がらせる形で、四人は瞬時に戦闘陣形を完成させた。
「そいつは、マーシィリップス! さっき、連絡があった!」
 ザインハルトの呼びかけに、美羽やレティシア達は、この不気味な魔人が新手のオブジェクティブである事実をようやく、認識した。
 しかし正体が分かったのは良いが、マーシィリップスがどのような能力を持ち、如何なる攻撃手段を用いてくるのかは、まるで謎である。
 レックスフットを蹴散らしていた時とは、状況がまるで一変していた。
 不意に、マーシィリップスが身構える輝へと突進してきた。
 輝は慌てて身を翻そうとしたが、敵の圧倒的なスピードにまるで反応出来ておらず、確実に一撃を食らおうとしていた。
 ところが――。
「あぁ、マスター! 大丈夫ですか!?」
 真鈴が驚きと、そして幾分の安堵の色が折り重なった声を上げた。
 輝は無事に、マーシィリップスの攻撃から逃れていたが、しかし自力でかわした訳ではない。
 唯斗が、信じられない程の超速反応を見せて、一瞬にして輝を右手の戸板付近にまで引きずって移動していたのである。
 そしてこの反応速度と高速回避に、実は唯斗自身が一番、驚いていた。
(はて……奴の動きが、はっきりと見えた……いや、読めたというべきかな……それにこの速さ……まるで、自分が自分ではないような……)
 この時、唯斗は気づいていない。
 彼の中で、トライアル・ヴェロシティ反応が発現していたという、その事実に。