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【第一話】動き出す“蛍”

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【第一話】動き出す“蛍”

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 もうすぐだ。
 もうじき、千載一遇のチャンスがやって来る。
 そしてそれは、最後のチャンスでもある。
 圧倒的な性能差を誇る、難攻不落の大敵。
 その大敵を討つことができる、最初で最後のチャンス。
 現在の風速は20mに迫る勢い。風向きは強烈な横っ風。
 強風によって砂塵が大量に巻き上げられ、赤土のカーテンで視界は最悪の部類。
 友軍機が敵機を押し出してくれるおかげで距離は縮まっているものの、せいぜい敵機の姿が砂粒から豆粒になった程度の違い。ざっと目算して3200ヤード強……およそ3kmの彼方というところだろう。ライフルの有効射程と比して実に十倍の距離。狙撃の世界記録と比しても実に500m以上多い。
 現在のグレイゴースト?は尻餅をついた状態から、かろうじて残った膝頭にスナイパーライフルを乗せ、仰向けのまま首を起こして両腕を伸ばすという恰好でライフルを構えている状態だ。狙撃姿勢としても最低なら、依託射撃としても最低。これならまだ、縁日の射的よろしく無造作にライフルを持って片手撃ちした方がマシだろう。
 そして、残された弾は一発。どちらにせよ、一度でも撃てばかろうじて維持できていたこの不格好な狙撃体勢も崩れ、盛大に転倒したグレイゴースト?はもう自力で起き上がることすらできないだろうから、実際の所は残弾などもはや関係ないに等しいが。
 ローザマリアはフラットな精神状態を保ちつつ、不安に乱れそうになる自分の心を鼓舞していく。
 ――強風が何だというのだ?
 ――視界が何だというのだ?
 ――距離が何だというのだ?
 ――体勢が何だというのだ?
 ――残弾が何だというのだ?
 ローザマリアは毅然とした態度で自らに問いかけていく。
 ――横っ風の風速など、たった20mに過ぎない。
 ――視界の問題など、たかが大量の砂塵が巻き上がっているに過ぎない。
 ――彼我の距離が離れているとはいえ、たかだか豆粒程度にしか見えないというだけだ。それに距離そのものとて、たった3km程度に過ぎない。自分はかつて3000ヤードの彼方への狙撃を成し遂げたのだ。ならば、この距離の狙撃とて成し遂げられるに違いない。
 ――姿勢に関してもそうだ。狙撃銃が構えられていて、トリガーを引ける以上は、さしたる問題ではない。
 ――残されたチャンスは一発のみだからといって、そんなもの何の問題にもならない。そもそも狙撃とはチャンスは一度きり、一度外せば次はない……それが当然なのだ。
 留まることなく研ぎ澄まされていく集中の中、ローザマリアは自らに語りかけた。
 ――そう……たったそれだけのことなのだ。たかがそんな些事に過ぎないことがいくら束になった所で、ローザマリア・クライツァールという一人の人間が学び、鍛え、その身に叩き込んできた狙撃の技術が後れを取る?
 ――否、断じて否――!
 ――幾多の修羅場を乗り越え、血を吐くような思いでその身に叩き込み、刻み込んだ狙撃の技の前には数々の問題など、所詮はその程度でしかない。
 更に自らを鼓舞するように、ローザマリアは自らの胸中で、他ならぬ自らに向けて宣言する。
 ――重火器型の癖に狙撃? 此方は狙撃一本。重火器型は重火器型らしくミサイルとバルカンで戦っていればいい。
 ――ならば教えてやろう。俄か狙撃を僭称する重火器型に、本当の狙撃がどういうものかを。
 ――俄かとはいえ狙撃銃を持っていながら、敵の視線に対して無知無策にも姿を晒すあの機体に。
 ――まるで躾のなっていない子供がはしゃぎまわるように騒がしい動作と発砲で暴れまわるあの機体に。
 ――狙撃とは似ても似つかなければ、正確さのかけらもなく、ただ弾薬をばら撒くことしか能のないあの機体に。
 ――今こことで教えてやろう。本当の狙撃というものが、どれだけ恐ろしいかを。
 もうじき、千載一遇のタイミングがやって来る。
 どこまでも落ち着いていながら、どこまでも燃え立っている心。
 何一つ迷いも焦りもない正確無比な判断と、何一つ恐怖も諦めもない意気軒昂な闘志。
 冷静でありながら、同時に激昂するという離れ業をやってのけたローザマリアは今まさに、集中というものにおける一つの究極系へと至っていた。
 千載一遇のタイミングの到来と足並みを揃えるかのように、友軍機に押し出された敵機も迫ってくる。
 110m、120m、130m、140m……押し出された距離が150mに達した瞬間、敵機が突然に転倒してバランスを崩し、更には下半身が突然消えて動きも停止する。
 敵機は随伴歩兵として同行していたハインリヒとその相棒である亜衣が仕掛けたワイヤートラップに引っかかったのだ。ワイヤートラップに用いられているのは『戦場の絆』の名で呼ばれる特殊な紐――それは決して断たれる事がない。
 それだけではない。ローザマリアの仲間であり、彼女とフィーグムンドとは別行動を取っていた菊とエリシュカの二人が幻獣――『ランドアンバー』に深さ6〜7mの小さな穴を無数に掘らせ、その穴同士を横に繋げて蟻の巣状の坑道を作って貰うことで作った複合型の落とし穴もすぐ側に仕込まれていた。
 ワイヤートラップと落とし穴。二つの原始的な罠によって敵機は動きを完全に封じられた。
 じたばたともがいてはいるものの、下半身が完全に埋まってしまった敵機はその場から1mとして動けない。
 これこそが千載一遇のタイミングで訪れた、たった一度のチャンス。
 集中の究極系へと至ったローザマリアが覗き込んだスコープの中でレティクルと敵機の胴体が重なる。
 だが、ここではまだトリガーを引くべきではない。
 横合いから吹く強風と彼我の間に開いた長い距離による弾道のブレを意識し、レティクルの位置を脳内で再計算する。
 コクピットシステムが大破してコンピュータによる観測も補正もない今、それらを自らの感覚で行わなければならない。
 今まで培ってきたスナイパーとしての知識と技術そして経験を総動員し、最大限の感度まで研ぎ澄ました五感――否、六感から送られてくるあらゆる情報を超高速にして超精密に処理する。
「誤差修正。レティクルの位置を二時方向へと2.62mm移動。照準完了。発射(ファイア)――」
 まさに文字通りの微調整を加えるべく、レティクルの位置を意図的にずらしたローザマリアはもはや無我の境地にすら達した精神状態でトリガーに添えた指に力を込める。
「これが私の極大射程。せめて神の御許に召されんことを――」
 レティクルの位置が敵機の胴体から僅かにずれた場所と完全に重なった瞬間、ローザマリアはトリガーを引いた。
 イコン用サイズのスナイパーライフルが撃発されたことによる強大な反動は不安定な体勢でいたグレイゴースト?の身体を大きく揺さぶり、力任せに張り倒すように転倒させる。
 トリガーを引き終えた瞬間に緊張の糸が切れたのに加え、ローザマリアはコクピットの中で揺さぶられ、跳ねまわされて気絶したのだった。