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絶望の禁書迷宮  追跡編

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絶望の禁書迷宮  追跡編

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第8章 物語のない本

 一見書斎のようなその部屋は、まさに「本の森」といった感じだった。
「あぁ、これ、続き物なのに中が抜けちゃってるんだ。……他の人の所にあるのかなぁ。あるといいんだけど。……うわぁ、薄い装丁だなぁ。どんな印刷所で作るんだろ、こういうのは……。うわ、分厚い詩集!」
 魔道書『キカミ』は、それらの本を一冊一冊手に取って眺めながら、ぶつぶつ呟いていた。『爺さん』は、片隅のダイニングテーブルの一番奥の椅子に座り、テーブルに両肘をついて両手を組み合わせ、そこに額をついた前屈みの姿勢で、目を閉じ、じっとしている。沈思黙考といった風情だが、微動だにしないので置物のようだ。
「ねえ、お爺さん、この本、お爺さんとどっちが分厚……、!!!」
 わらわらと入ってきた契約者たちに、驚いたキカミはとっさに、積み上げられた本の山の向こうに隠れた。

「凄い量の本だな! これは」
 “本の森”の中に分け入った、という形の夜月 鴉(やづき・からす)は、真っ直ぐにその本の山に向かっていった。
「よし、全部読んでやるぞ!」
 嬉々として本に手を伸ばす鴉に、本の山の裏から「マジですか」という視線を向けていたキカミだったが、
「そっちはどうか知らないけど、初めまして。グラルダ・アマティー(ぐらるだ・あまてぃー)よ」
 脇からのっと現れて自己紹介をしてきたグラルダ・アマティーに、今度はびっくりして一歩下がった。
「と、扉が、開いたの……?」
 呆然と呟きながら、後ろに積まれた物々しい百科事典の一冊を、細い腕に似合わず軽々と胸まで持ち上げて顔を隠しそうにする。
「あぁ、あたしらが怖いって言うなら、そこにいていいわよ。知らない者同士だものね。
 人を恐れ警戒する。アンタ達の思考は正しい」
 戸惑うキカミに、断定するような強い口調でグラルダは言って、彼女の困惑には構わない様子で本の山を一瞬見た。

「おぉ〜、色んな本が一杯だ♪」
 本だらけの部屋の様子に、アニス・パラス(あにす・ぱらす)ははしゃいだ声を上げる。
 見たところ、蔵書の種類に統一感はなさそうだ。大きさも装丁もばらばらだ。
「あ、これなら読める♪ 面白そう〜」
 一冊を引っ張り出して、座り込んで読み始めたアニスに、佐野 和輝(さの・かずき)は苦笑して、それから禁書 『ダンタリオンの書』(きしょ・だんたりおんのしょ)の方を向いた。
「さて、どうする?」
「ふむ、することは悩むまでもない。依頼されているのは、“彼ら”の保護と回収なのだろう。私はその約束を守るさ」
 口調こそクールに抑えているが、蔵書の山を見ているダンタリオンの目が、うずうずと輝いているのに気付かぬ和輝ではなかった。
「大した量だ……しかし、我が書庫ならちょろいものよ」
「いやいやいやいや」
 我が書庫ってそもそも俺の家の書庫だろう勝手に迎え入れる気になってるけど、とツッコみたいところをぐっと抑えて、和輝は書庫の拡張を考え始めた。

「ただ、怖いからといって引きこもるのは間違いね」
 大きく目を瞠って自分を見るキカミに、グラルダはゆっくりと、語りかける。
「見えないもの、理解し得ないものは誰だって恐怖よ」
 言葉を突きつけるように、しかし同時に意図的に文脈を区切り、相手に考える余地を与えるように。
「恐ろしい相手だからこそ、知る必要があるの。
 ――それが、アンタ達に圧倒的に足りない部分」
 キカミは目をぱちくりさせて、その言葉を受け取った。
「……はぁ。仰る通り……ですね」
 しばし、二人の間に沈黙が落ちた。と、
「んでさっ」
 突然雰囲気の一変したグラルダが、目をキラキラさせて、キカミに向かって身を乗り出す。
「話は変わるけど、此処にある本読んでいい? 絶対に折り目つけないから! ね?」
「……あぁ、ど、どうぞ……」
 気圧されたように頷くキカミだった。

「……」
 しばらくすると、キカミは本の山の裏から出てきた。グラルダの言葉を反芻して実行する気になったのか、取り敢えず、すぐそばで本を読んでいる鴉をじっと見つめる。
 その視線に気づき、鴉は読んでいた本から目を上げると、キカミと目が合った。
 しばらく、どちらも言葉がなかった。キカミはちょっと焦っているよう見えたが、
「やあ。ここは本が沢山あっていいな。俺は本が大好きなんだ!
 もしかしたら魔道書にこんなこと訊くのは変かもしれないけど、君は本が好きか?」
 鴉は思い切って、伝えたいことを真正面から切り出してみた。
「……私も、本が好き。物語のある本は、とても魅力的だと、思う」
 キカミの言葉は、真っ直ぐだったがどこか、何か引っかかるものがあった。二人のすぐそばで、何やら古い装丁の本のページを開いていたグラルダはそれに気づき、ちょっと顔を上げた。鴉ももちろんそれには気づいたが、今言葉を交わしたばかりでそこをすぐ突っ込んで訊くのはどうかと思われたので、問いただすよりも先にまず自分のことを打ち明ける方を選んだ。
「生きていく上で必要な事とか、楽しいこととか。そんな色んな事を教えてくれたのが本だった。
 本は俺にとって大切な存在なんだ。
 だから、俺は本が好きだ!!愛していると言っても良い!!
 ……と、半分冗談、というか、大袈裟な言葉は置いといて。
 ホント、ただ純粋に好きだから君たちを助けたいし、仲良くなりたい」
「……助ける?」
「どうやら、話を詳しくは知らんようじゃな」
 横からダンタリオンが現れた。
「貴様は本の素晴しさを理解しているようだな。しかし、だからこそ貴様に現状を話し、選択を迫ろう」
 そして、ダンタリオンはキカミに話した。灰の司書のことを、そしてパレットの指示のことを。

「パレットが……リピカに、そんなことを!?」
 話を聞き、キカミの顔は青ざめた。
 白いワンピースのキカミの上体と二の腕の辺りには、一本の蔦のようなものが緩やかに巻きついている。その蔦の先がちょろんと動いた。
「そういうことだ。貴様はどうしたい? ……その選択に、私の全知略を持って支援を行おう」
 ダンタリオンはあくまで私見は交えず、キカミの返事を待つ。
 自分の意見を求められているのだと理解し、キカミは思いつめた顔でしばし押し黙る。何故か蔦の先だけが、キカミを慰めるかのように、肩先を緩やかにさすっている。
 鴉とグラルダも黙って彼女の言葉を待つ、その視線を受け、やがてキカミは口を開いた。
「……司書が、この世から解き放たれるべきではないかっていう、意見は私たちの間にもある。
 けど、私は……司書だけじゃなく、パレットも執着から解き放たれてもいいんじゃないかって、思ってる」
 思い切ったという風な、キカミの本音の言葉。今まで堰き止めていたものを越えて、溢れてきたような感じだった。
「司書がいれば、パレットの失った表紙や奥付なんかが取り戻せるかもしれない……
 だけど、私は思うの。失われたものはもう、失われたままでも仕方ないって、考えられないかって。
 むしろ、本体が無事だったことを、ただ、喜べばいいんじゃないかって。
 だって表紙がなくても、私たちはパレットに会えたし、彼の下で沢山の仲間と集えて、幸せだった。
 ……こんなこと私が言っても、全然説得力ないんだけどね」
「説得力?」
「……。私は、『奇木紙見本 草子(きぼくかみみほん・そうし)』。名前通り、紙見本なの。
 私には物語も、知識の記もない。内容が存在しないの。
 ……そんな私が本体の一部を失うのと、パレットや、他の書物が失うのとでは意味が違う。
 お嬢も内容は白紙だけど、あれは白紙であることに意味があっての白紙だから、やっぱり違うね」
 キカミはそう言って、寂しく笑った。
「紙見本が魔道書になるなんて、変でしょ?」
 そう言うと、キカミは小さな。冊子の姿に変わった。
 ダンタリオンが手に取り、ページをめくる。紙によって手触り、風合いが違うが、どの紙も総じて古く、もちろん何も書かれていない。表紙に書かれた書名は、単なる覚書のような筆致だった。
≪あ、そのページはね、古代の北の国で、神を祀る儀式の時に生贄を捧げた聖なる木の枝を取って漉いた紙なんだって≫
≪そのページは、昔冬至の夜にやってくる祖先の霊を家に招くためにランタンをつるした木でできてるんだって≫
「……つまり、伝説やいわくのある木を漉いて作った紙ばかりの紙見本、というわけか」
 ダンタリオンが訊くと、冊子は彼女の手を離れ、再び人化して彼女の前に立った。
「私を作った職人は、そう言ってた。
 魔道書を書こうとしている魔術師相手に、紙を売り込もうとして作られた見本なんだ、私。
 秘伝を著すなら、まず紙から凝ってみませんか――って言ってね。ま、誰にも相手にされなかったけど。
 実を言うと、私自身も疑ってたんだ。作った人はそう言ってるけどハッタリで、どうせ眉唾物だろうって。
 ……けど、魔道書化しちゃったからねぇ。多分真実だったんだね。疑って悪かったなぁって、今更」
 たはは、とキカミは苦笑した。
 いや、魔道書化もそうだけどそれ……と、三人と鴉は、彼女から独立して自由に動くらしい蔦を凝視した。が、三人とも指摘するのは敢えてやめておいた。
 だから「物語のある本は素敵」か――と、グラルダと鴉は、先程のキカミの言葉に込められていたものを察した。
「ともかく、そう言った本音を、貴様はパレットに伝えていないわけだな?
 だがどうする? このままなら、それを伝える機会は永遠に失われる可能性もあるが?
 私は言ったはずだ、貴様の選択に、私の全知略を持って支援を行うと。それがどんな選択であってもな」
「俺も君たちの助けになりたい。君が大切にしているここの蔵書も、ちゃんと安全な場所に搬出するし」
 鴉も言い募った。グラルダはじっと、彼女の決断を黙って見守るような視線を据えて、見つめている。

「……パレットに、話を聞いてほしい。そのためには、灰の間を開かないと……」


 シィシャ・グリムへイル(しぃしゃ・ぐりむへいる)は、置物化している『爺さん』をじっと凝視している。
 彼女がテーブルを挟んで向かいに座ったのにも気付いていないかのように、組んだ両手に額をついた姿勢を変えない。
「……生きてるんだよな? この人」
 やってきた和輝が、念のため、という風にシィシャに訊いてみる。
「えぇ、恐らく」
「……。爺さん、現状で判明している事実を話す。だから聞かせて欲しい。貴方の考えを……」
 そして和輝は、ダンタリオンがキカミに話したのと同じことを話した。その様子をシィシャはずっと眺めていた。
 和輝が話し終わって、意見を求めた時、爺さんは――話し始める前と全く同じ姿勢だった。
「……」
「大丈夫、確かに生きています」
 些か閉口する和輝に、シィシャが何のフォローにもならない一言を送る。
「お爺さんは、ずっと考えているのよ、灰の司書の現状を変える方法を見つけようとして」
 そんな様子を見たキカミが、声をかけた。
「お爺さんは凄いのよ。『異本「秘蹟大全」』っていう、凄いボリュームの本なの。
 古代からの、人の知識では解説できない、『奇跡』と呼ばれる事象の記録を、膨大に収めていてね。
 多分ここによるどの本よりも、読み応えのある内容量なの」
 一瞬、キカミの傍にいる三人が「読み応えのある」という言葉に反応した気がしたが、和輝はそれを無視してキカミに質問した。
「そんな本が禁書になったのか?」
「うん。当時の宗教的な理由みたい。
 奇跡イコール神の所業、って意味づけて、権利を持った宗教家が、何が奇跡で、何が単なる偶然とか嘘とか悪魔の所業かとか、決めていた時代だったから。
 そういう宗教的な判断と関係なく『奇跡』を収集した本だからって、異端の書扱いになったらしいの。
 でも、お爺さん以上に奇跡の記録がある本なんて考えられない。
 その記録の中から、何とか司書を助けるのに使える奇跡がないか、捜してずっと、考えているの」
「……」
 それを聞いた和輝は、大きく息をついた。そして、先程より強めの口調で、爺さんに話しかけた。
「どれだけの長い間沈思しているのか分からないけど、それだけ考えても適当な事案が見つからないなら、やり方を少し考えてみるのはどうだろう? 記録の中に未来への手立てがないのなら、現在を歩きだすしかないだろう? 俺たちと、意見を交わしてみてはくれないか?」
 それでもしばらくの間、爺さんは不動の姿勢を保っていた。
 ――そして出し抜けに、立ち上がった。石がいきなり人になったかのような、ぎょっとさせるタイミングだった。
「確かにそうじゃの。お若いの……答えの見当たらぬ記録に固執するには、時間が足りぬ」
 低くしわがれた声で呟き、そして、続いて出た言葉は。
「『無限宇宙の秩序と軌道』……」
「? その本について、何か知ってるのか?」
「関係あるかどうかは分からん。が、昔、ある伝説があった。
 『神に背く大罪を犯した人間の魂は、無限宇宙に廃棄され、狂った軌道を際限なく引きずり回される事になる』という。
 昔は魔術や錬金術に傾倒した人間も、神に楯突く異端者とされたから、死後その刑に遭うものとされていた。
 ……石の学派とやらの教義と、何か関係があるのやもしれぬ」


「お爺さん……灰の間を開こう!」
 キカミが呼びかけた。
「私たちだけじゃ無理だけど……皆で……!」