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夏の海と、地祇の島 前編

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夏の海と、地祇の島 前編

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6/ 白鯨

「おはよう。……目覚めの気分は?」
 いつの間に、眠ってしまっていたのだろう。
 どこまでが夢じゃなくて、どこからが夢だったのか。
 覗き込む、エース・ラグランツ(えーす・らぐらんつ)の顔に、自分が眠っていたことにすら気付かなかったくらい、夢のように楽しいことこのうえないひと時だったのだと、リリア・オーランソート(りりあ・おーらんそーと)は自己の心に再認識をする。

 ああ、もう。それはそれは、楽しかったとも。
 はじめて訪れるこのリゾート地は、素晴らしかった。
 エースとふたり、水着でここ、ビーチに出てきて。泳いだり、水遊びに子どものようにはしゃいでみたり。
 日焼け止めだってしっかり──……、

「あ……日焼け止め」
「ん? ああ、きちんと塗っておいたぞ。間隔に問題はなかったと思う」
 そう、しっかりエースに隅々まで、塗ってもらったり。
 それだ。そうだった。彼に日焼け止めを塗ってもらって、マッサージまでしてもらって。それがあまりに気持ち良かったものだから──ついつい、眠ってしまった。
「……ちょっと、もったいない時間の使い方、しちゃったかな」
「え?」

 エースの出してくれた冷たいハーブティーを、ビーチチェアの上に身を起こして嚥下する。
 よく冷えていて、さわやかで。気持ちのいいお昼寝のあとの身体に水分が染み入っていくのが実感できる。

「どうする? もうひと泳ぎ、するか?」
「うん? ……そうねぇ」
 夕陽に染まるオレンジ色の海は、昼間のどこまでも透き通るブルーの透明感とも違ってまた、美しかった。
 うん、いいかもしれない。真っ青な海での彼とのバカンス。その次は、このあたたかな色の海を満喫するというのも。
「泳ぐ」
「わかった。さ、行こう」
 エースの手を取り、リリアはビーチチェアから降りる。
 サンダルがしっかりと揃えて置かれていたのも、まめなエースの仕業だろう。彼はリリアのあとについて、律儀にシャチさんフロートまでしっかりと抱えている。
「ええ。行きましょ、エース」
 そして、逆に今度は彼女が、エースの手を引いた。
 まだ、魚たちはいるだろうか。昼間はあちらこちらに無数に、美しい熱帯魚たちが泳いでいたけれど。

「──あ。見て、エース」

 オレンジ色の海を見据え、歩いていく。その最中、しかし彼女たちが目にするのは魚たちよりもずっと大きく、力強く。雄々しきもの。
「あれが──クジラさんね。この島の」
「みたいだな」
 水平線のすぐそばで、数頭の巨大なクジラたちが何度もジャンプしては、陽光に照らされてあたたかに輝いていた。

 穏やかな鳴き声が、聞こえてくる。
 波打ち際に、佇んで。
 海に入る前にふたりはもう少しだけ、その光景に目を奪われていた。

  *   *   *

 ここは、どこだろう。……いや、わかっていればはじめから迷子になんてなっていないか。アンナは自分で自分に対してつっこんでみて、そのつっこみにひどく納得する。
「ま、そんなに困ることでもない。そのうち、見つけてもらえるであろう」
「だと、いいんだけれど……」
 同じくここに迷い込んだという少女──ミアの言葉に、曖昧に頷く。

 そりゃあ、けっして大きい島じゃないということはわかっているけど、ね。
 大丈夫かなー、って。さすがにまったく不安がなくなるわけもなく。
 暗い洞窟の中、膝を抱えて耳を澄ませてみる。

 聞こえてくるのは、さざなみの音。足を少し伸ばしてみれば、サンダルの爪先が水に触れる。すぐそこに、海がある。
「あ……そっか。今夜は満月なんだ」
 空を見上げれば、ぽっかりと空いた穴。そこから、薄暗くなりはじめる前の、オレンジ色から紺に変わりつつある空にうっすらと月が見える。
 その光が、穴から差し込んでいる。次第にそれがまあるく、虚像を水面に映していく。

「わぁ……!」

 素直に、すごい。きれいだ、と思った。
 視線を注いでいると──耳の隅に、それまでにない音が聞こえてきた。
 片方は、アンナのやってきたほうから。……それは、人の声。
 誰かが、何人かで。アンナを呼んでいる。ミアの名を、洞窟に響かせている。
 そしてもう一方は、海のほう。やはり、呼び声。こちらは特に名前を呼ぶわけではなかったけれど……加えて、更に──規則的で軽快な、エンジン音。
「船か」
 そうだろうな、とアンナも頷いた。ミアとも、洞窟内の暗さのおかげでお互いに仕草すらわかりにくいけれど。
「アンナさーん」
 今度は、はっきりと聞こえた。この声は、契約者。翠の声に間違いない。
「ミアー? いるんでしょー?」
「ふむ。迎えがきたようだな」
 ミアのほうでも、連れの声を確認したようだった。
 まあるい月が水面に映るその前で、ふたり立ち上がり、笑みを交わしあう。これできっと、ひと安心。

 ──の、はずだった。

「……え?」
「む、これは?」
 直後、足許がなにやら、地鳴りを響かせはじめる。
 月の映る水面が泡立ち、不規則な波を刻んでいく。

「こいつは──……!?」

 そして、他の者たちに先んじて、彼女たちは目にすることになる。

 その、生き物を。

「く……クジラ!? なんて、大きいっ!?」

 鳴き声などという、ささやかなレベルではない。
 吐き出された咆哮はまさしく、耳をつんざかんばかり。
 砂色に染まった表皮を海上に、洞窟内にさらけ出したあまりにも大きすぎる──そのクジラを、彼女らは目撃したのである。

(後編に続く)

担当マスターより

▼担当マスター

640

▼マスターコメント

ごきげんよう。担当マスターの640です。南の島でのバカンス、いかがだったでしょうか?
今回は前編なので後編に続きます。ポイントになってくるのは、引きから想像もたやすいかもしれませんが──はい、クジラです。
次回の後編も、バカンスというなごやかな雰囲気は極力残しつつ、このクジラをキーワードにお話を提供させていただきたいと思っております。
それでは、また次回お会いできることを願いつつ。