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琥珀に奪われた生命 後編

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琥珀に奪われた生命 後編

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4/戦い続けるもの
 
 
 焦っては、駄目。広瀬 ファイリア(ひろせ・ふぁいりあ)のその言葉を耳にし、頷きながらもしかし、ロザリアーネ・アイヴァンホー(ろざりあーね・あいばんほー)は逸る気持ちを押さえられなかった。
 ただ、前だけを見て。報された場所へ向かい一心不乱に走る。息を切らせ、あらんかぎりの速力を以って。
 無理もないことだ。愛する者を奪った存在が、どこにあるかを知ったのだから。
 
 ──『魂の牢獄』。そう呼ばれる、演算装置の在り処が。
 
「ひとりで、突っ走るなよ? そのために、俺たちもいるんだからな」
 冷静でいられるはずがない。だからこそ、このふたり──広瀬 鉄樹(ひろせ・てつき)と、ジェイド ウォルフ(じぇいど・うぉるふ)に相談し、同行を願っておいてファイリアはよかったと思う。
 ウィルヘルミーナを醒めぬ眠りに誘ったその装置に、そしてそれらを悪用する者たちに対しファイリア自身、完全に頭が冷えた状態であるとはいえなかったから。
「……大丈夫」
 前を向いたまま、ロザリアーネは短く返す。
 大丈夫なようには聞こえないよ。心の中で、ファイリアはそう呟く。
 やがて、前方に見える異変に一同は気付く。
 
「……あれは!?」
 
 薄暗い、まっすぐに伸びる通路。その先が──闇の黒ではなく、ぼんやりとした白色に霞んで覆われている。
「霧……いや、雪、か?」
 足を止め、鉄樹がそう言ったときにはもう、四人の靴底は降り積もったそれを踏んでいた。その水分が、周囲をぼやけさせている。
 さくり、と音がする。雪など降るはずのない地下の遺跡に突如現れた、その光景はまさしく雪景色だった。そして今もなお、ゆるやかにではあるが深々とそれは降り続いている。
「あー。気をつけてください。あんまり見つめすぎると乱反射で目をやられるから」
 あと。ここの空気もあまり吸わない方がいい。
 どこからともなく、そんな声が聞こえた。
 
「!」
「こいつらみたいに、なりますから」
 
 雪の向こうから徐々にこちらへと近づいてくる、そして次第に鮮明になっていく影、ふたつ。
 それらが、こちらに向かい大きななにかを投げる。
「これは……!?」
 どさりと音を立てて地面を滑るその物体は、人間。
 ファイリアや鉄樹たちにとって忌むべき、ローブの男だった。
 辛うじて、胸が上下している──死んではいない。だが、その呼吸は荒く、喘鳴を伴って苦しげに、吸うことも吐くことも困難であるということを見る者に伝えている。
「あんたたちが、やったのか」
 ローブの男が起き上がることはなさそうだと、屈み込んだファイリアが頷いて。鉄樹が、それを投げてよこしたふたつの影に問いかける。
 
「そうですね。命をとってないだけ、やさしいものでしょう?」
 
 その、正体。セシリア・ノーバディ(せしりあ・のおばでぃ)を傍らに伴った、アルテッツァ・ゾディアック(あるてっつぁ・ぞでぃあっく)がこともなげに、顔を皆へと見せると同時言ってのけた。
「ああ、気にしなくても大丈夫。ここまでくればアシッドミストの影響も大したことはありませんし。向こうもじきに晴れるでしょう。だね? シシィ」
「ええ、そうよ」
 なるほど、ローブの男が呼吸系をやられているのはそのせいか。ロザリアーネが、ジェイドが納得する。
「『魂の牢獄』──人工的な生命を運び去ろうとするもの。破壊するのでしょう?」
 そして、セシリアが問いかける。
 彼女の、言うとおりだ。自分たちはそのために、ここから先に行かなくてはならない。
 ロザリアーネは強く頷き、ふたりの背後に広がる白んだ雪景色の向こうを見据える。
「だったら、あらかたこの階層の制圧は終わっています。突き当たりの階段を行くのが最短です」
 一気に、戦力を集中して破壊してしまいましょう。
 アルテッツァが、皆を導くように踵を返し、ついてくるよう促した。
 

 
「香菜?」
 
 やけに静かだと、思っていた。だから、美羽は自身の後ろにいる少女を振り返った。
 見れば、その表情は思った通り、どこか冴えない。……というより、心ここにあらずという、そんな感じだったというべきか。
 これまでも何度か、射線あわせの美羽からの指示に対しワンテンポ、らしくない遅れをみせることがあった。
 
「どうしたの、香菜。なんか、変だよ?」
「……あっ」
 
 今だって、そう。改めて肩を揺すられるまで、美羽がこちらを向いて彼女に注ぐ怪訝な視線に気付いてもいなかった。
「あ……ご、ごめんなさい……っ」
 まるで悪戯の見つかった子供のように目を逸らし、香菜はそう返す。その言葉もどこかやっぱり、上の空で。
 その理由に気付かない美羽ではない。

「──遺跡の中。皆のことが、気になるの?」
「……っ」

 続けて問うた言葉への反応が、なにより雄弁だった。やっぱり、そういうことか。
 遺跡内部へと潜入した皆は、いまのところは無事であることは違いない。
 通信機からの信号によれば、某たちの一団と、ファイリアたちの一団。それから、ルシアたちもまた最深部の『魂の牢獄』へと向かっているはず。
 彼ら、彼女らのこと。そして『魂の牢獄』──そこに捕らわれた友の生命のことが、香菜の脳裏からはずっと離れずにいるのだ。
 
 だけど、今は。ここにいて、遺跡の中にいない以上は。彼女のすべきことは、それじゃあない。そうすることを選んでいる以上は。
 もしも、というケースとして涼司やルカルカたちから言われていたことを思い出しながら、それでも先輩としてここは窘めるべきだ。美羽は、そう思った。そして口を開きかけた。
 
「ふたりとも! 避けて!!」
 だがそうするより早く、美羽も香菜も動かなくてはならなかった。左右別の方向にそれぞれ、散り散りに。
「く!?」
「牙を発射して……こんな攻撃まで!?」
 ベアトリーチェの声に、ふたり即座に反応していた。
 生物兵器からまるで弾丸のように放たれる、猛毒の牙。
 岩肌を転がるふたりをそれぞれに、猛毒の火線は追いかけていく。こんな器用なこともできるとは──思うと同時、ふたりの背は岩に、朽木にぶつかって。逃げ場を、失う。
 
 まずい。そう認識したときには既に目の前に、猛毒の牙が避けようもなく迫っている。
 
「させるかっ!!」
 眼前で、燃え落ちなければ。──シリウス・バイナリスタ(しりうす・ばいなりすた)の、炎によって。
「やらせないっ!!」
 眼前に立ちふさがった者が、──山葉 加夜(やまは・かや)の射撃が、叩き落としてくれなければ。
 それはふたりにとって致命傷となっていたかもしれない。
 

 
「涼司くんっ!!」
 加夜の、叫び。それに呼応し、跳躍する涼司。その剣が閃き、異形の持つ猛毒の牙をひとつ、切り落とす。
「なーいす! この調子で!」
「いや、まだだ!! すぐに再生する!」
 レティシアが快哉を上げるも、事実涼司がそう言ったときにはもう、怪物の大顎には次の牙が顔を覗かせ始めている。
 
「……おおう、なんてことだ」
 これまたやっかいな。レティシアのぼやきを尻目に、着地し。また涼司は跳ぶ。そしてなにもない上空へと手を伸ばす。
 無論、なにも考えなしの行動などではない。伸ばした掌が掴むのは虚空などではなく、彼が愛し愛されるその相手の右手。
「行くぞ!!」
「はいっ!!」
 
 箒に跨った加夜は、急激にその高度を上昇させる。
 ここだ、とどちらかが合図をするまでもなかった。涼司の求める位置を、高さを的確に加夜は駆け、彼女の描く軌道のもと、涼司はここぞというポジションでその手を離す。
 さすれば、自然彼の降り立ったそこは、異形の頭上だった。
 
「斬り裂けなくとも! 脳味噌くらいは、あるだろうっ!! 揺れろ!!」 
 
 足許の、生物兵器が頭蓋骨めがけ、涼司は己の武器を叩きつけていく。その周囲を舞う加夜は、その首周りに攻撃を集中していく。
 暴れる怪物の頭から、振り落とされないよう。また、涼司が堪えるのにあわせて、彼が耐え切れるようアイコンタクトすらなしに、互いの呼吸をあわせて、だ。
「──ったく、相変わらずいいコンビネーションしてやがる」
 まさに阿吽の呼吸。いや、さすがは夫婦というべきか。その光景に、シリウスは思う。
「あー、くそ。いてて。まだ鳩尾痛えぞ、涼司のやつ」
「どこか、怪我を?」
 あー、違う違う。心配すんなって。香菜を支え、立ち上がらせつつ、未だ痛みの残る腹を擦る。
 
 直撃を受けたり、この戦いで負傷したというわけではない。
 おみまいしてくれたのは、あの化け物たちとちょうど今戦っている夫婦の、旦那のほうだ。
 この間の落とし前として殴れと要求したのは、シリウスのほうだったけれど。殴るよう言ったのはあくまで顔だ。
 
「下手すりゃ顔面よりダメージでかいっつーの」
 
 無抵抗で突き出される女の顔を殴る趣味はない。そう格好をつけていたのはいいけれど。だからって、無警戒の鳩尾におもいっきり拳を入れられて、まだそれが若干尾を引いているのだから本末転倒というか、なんというか。
 顔よりは、という彼の意思も無論わからないではないが。
「っと、悪い。美羽と合流してまた援護、頼む」
 だがまあ、動けないというほどではもちろんない。そんな自分の助けが必要な相手を目ざとく見つけ、香菜を下ろしシリウスはそちらを目指す。
「う、あああぁっ!?」
 その人物は、翼持つ怪物の、その背に跨り。空へと舞う一対の羽根を切り落とさんと試みていた。
 小柄なその身体は、ここまでの戦いで既に傷つき、満身創痍だった。
 今にも振り落とされそうで、そしてシリウスが飛び立ったまさにその瞬間、彼女の身体は宙に弾き飛ばされる。
 
「姫月っ!!」
 彼女の援護にまわっていた、成田 樹彦(なりた・たつひこ)の叫び。仁科 姫月(にしな・ひめき)は空中で体勢を立て直す余裕もなく、螺旋を描いて落ちていく。
 パートナーである、樹彦の位置からではけっして届かないほど、遠く。
 だから、シリウスの出番なのだ。
 
「……ここできたか! よし! いいぞ!!」
 
 まさにベストのタイミングで発動に成功したアルティメットフォームの光をたなびかせて、シリウスは姫月のもとへと飛翔する。
 その様子に気付いた涼司が異形の頭上より飛び降りて、翼持つもう一体へと剣を投擲する。丸腰の彼を、加夜が。シリウスの相棒、リーブラ・オルタナティヴ(りーぶら・おるたなてぃぶ)が、その背中を護る。
 
 そうして、次にはもうシリウスは姫月の身体をがっちりと抱きとめていた。
 膝裏と、背中と。両腕で捉えてちょうど、お姫様抱っこの形で。
「大丈夫か?」
「ご、ごめん……なんとか」
 真正面から、また、あの手この手を尽くし、死力を尽くし異形へと戦いを挑んできた彼女の姿は、間近で見ればなおのことボロボロだった。
 一旦、さがったほうがいい。回復をしたほうがいい。彼女を抱え、シリウスは樹彦のもとまで後退する。あの位置からシリウス自身もまた、再び皆の支援にまわるつもりだった。ローグが、煉が。入れ替わり、彼女の後退を援護する。
 
「姫月!!」
 
 駆け寄るそのパートナーの前に、姫月を降ろす。
 ごめん、治療お願い。まだ私、戦えるから。戦いたい──そうパートナーに告げる少女の声を、シリウスの耳は聞いていた。