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【猫の日】『キトゥン・ベル』の奇妙な開店日

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【猫の日】『キトゥン・ベル』の奇妙な開店日
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第9章 猫たちは解決する

『お客様にご案内申し上げます。……当店『キトゥン・ベル』は、間もなく閉店の時間を迎えます……』
 静かな、事務的な口調の店内放送が流れる。
 実は、予定していた本来の時間より2時間ほど、早い。



「もう終わりかぁ。まぁ従業員も飽きてきたし、ちょうどいい頃合だね」
 ティモシー・アンブローズはそう呟くと、幾分数は減ったがまだ猫がいる猫ルームにさっさと入っていった。
 何匹もいる猫の中で、外の通りの辛うじて見える小さな窓の近くで、尻尾を垂らしてうなだれている子猫へと真っ直ぐ向かう。
 そして、ひょいっと摘み上げて、肩に乗せた。
(!?)
「帰るよ、シノ」
 そのまま、目を真ん丸にした子猫を乗せて、すたすたと歩いて店を出ていった。

「……お、おろしてっ」
「おやぁ? ちょっと重くなったと思ったら」
 外に出た時には、肩の上の子猫は東條 梓乃の姿に戻っていた。
 普段通りのにやにや顔で地面に下ろされた梓乃は、目を白黒させ、すぐには言葉が見つからない様子で、しばらく口をぱくぱくさせていた。
 そんな梓乃を見るのが面白くて、ティモシーのにやにやが一層深くなる。
「……」
 そんな見透かしたような視線が、少し腹立たしくもあったが――
 腕を伸ばし、ぎゅーっとパートナーを抱きしめた。



 店内放送を聞きながら、リーズはひとり、身の置き場がないような寂しさに心を浸されて、一人俯いて座っていた。
(唯斗……来てよぅ)
 どうして、2人でいるはずだったのに、自分はひとりぼっちなのだろう。
(寂しいよ、辛いよ、哀しいよ、泣きたいよ……助けてよぅ)
「にゃーっ、にゃーっ」
 閉じ込めた心の声に応えるかのように、猫がガラスの向こうで鳴いている。ガラスをたしたし叩いている。
(リーズ、リーズ!)
 唯斗が必死に、リーズを呼んでいるのだ。
 泣きそうな顔をして一人で座っているリーズを。
(泣かせない、特に俺のせいで泣くなんてこと、絶対駄目だ)
 驚いたように見ているリーズに向かって、半ばガラスを叩き鳴らすようにして手招きする。
(招き猫……)
 必死のアピールに何か心動くものを感じ、リーズは扉を開ける。
 本当は、ここに入る時は唯斗と一緒にと思っていたのだけど……
「わっ」
 入室した途端に待ち構えたように飛びついてきた黒猫を、ほとんど反射で抱きとめた。
「び、びっくりした……不意討ちじゃない……」
 そんなに自分を待っていたのかと、抱き上げて黒猫の顔を覗き込むと、その目に映る自分のしょげかえった顔が見えた。
(……。もしかしたらこの子も、寂しかったのかな……)
 しんみりしていたところに、いきなり黒猫の2本の前肢がにゅっと伸びてきて、リーズの頬にむにん、と触れた。
「にゃーにゃーにゃ。にゃー?(笑っとけ、前にも言ったろ?)」
 たしたしと頬を叩きながら、唯斗は言う。猫の鳴き声にしか聞こえないと分かっていても構わない。
 呼びかけずにいられない。リーズを泣かせない、ただそれだけのために。
(え……?)
 頬を軽くタップされる、その感覚が記憶に軽くタップする。
(もしかして……あ? あ! ……この匂い……)
「ゆい、と?」

 黒猫は、見慣れた――そして待ちわびた唯斗へと、リーズの手に脇を捕まれたまま姿を変えた。
「――悪い、待たせた」
 謝り、それから柔らかに微笑みかける唯斗。
 リーズは感極まった表情で瞬時、震えたかと思うと、
「唯斗――――っ!!」
「(うおうっ)」
 至近距離から全力で抱き着いたのでほとんどタックルのような形になり、唯斗はリーズのその勢いに圧されて目いっぱい後ずさった挙句にひっくり返り、
「私を離さないで、置いてかないで……もう一人にしないで……!」
 押し倒されて、マウントポジションから可愛い切願を聞くことになった。

 この事件以降しばらくは、唯斗にくっ付いて離れなかったとか……。



 閉店時間を告げる店内放送が終わり、店内から客の姿もめっきり消えた頃。
 オーナールームでは、シルクが、例の香炉のような壺から小皿に移して持ってきた謎の液を、右手の指先に浸していた。
「……これにて了ぞ」
 低く呟き、その指先を紙に走らせ、図面の上から大きな×を描いた。


 次の瞬間。
「わっ」「えっ?」「きゃあっ」
『にゃっ』『みゃあ』『にーぁ』
 店員たちは猫に、猫は人間に――すべてが「元通りの姿」に戻っていた。





 それから半刻もたたぬ間に、すべての猫と店員、そしてまだ店内に残っていた契約者たちは、猫ルームに揃っていた。

『――まずは、我の手違いで巻き込んでしまった契約者の皆には、深く謝罪させてもらう』
 そう言って、猫用おもちゃを片付けてあるカラーボックスの上に座って深々と(多分)頭を下げているのはシルク――本来の、左の前脚の肩に三日月形の白い模様を持つ黒猫の姿に戻っている。
 しかし彼女の声は、人間の耳にも人語として届く。有体に言えば、「喋る猫」と対峙している格好だ。
『弁解にすぎぬが、ここがパラミタであるということを計算に入れてなかったのが、そもそもの失敗の始まりじゃった。
 あの呪詛の声が漏れただけでは、周りの人間まで巻き込まれるということにはならなかったはずなのじゃ。
 じゃが、そこにいたのは契約者――契約の力によって潜在する力を大きく引き出されているがゆえに、呪力を只人よりも敏感に受け取ってしまったのであろう』

「お前、一体何者なんだ……!?」
 シルクに問いかけたのは、胴間声の厳つい顔の中年男――本来の店長だ。
 いきなり猫にされた怒りと共に、その声にはしかし、ただの「店の猫」だと思ってた相手が得体の知らぬものであったという事実への恐怖のようなものが宿っている。
 シルクは黒い、ほっそりと長い尾を、鞭を振るようにしなやかに揺らし、再び口を開く。
『我が先祖は、かつて地上に顕現した、さる大魔女の使い魔であった。
 名は勘弁してくれ。名を秘すことで強固な呪力を行使する御方だったそうじゃ。
 それゆえ、我が血筋には微々たるものではあるが、おこぼれに預かって得た魔力が継がれておる。
 教わった呪術も幾つか、な。ひどく古い型のものであるゆえ、行使するには大掛かりなお膳立てが必要だったわけじゃが』
 シルクが上っているカラーボックスの下には、先程まで危なっかしい店員だった猫たちがたむろしている。皆が皆、集まっているのは、彼らがシルクを慕っていること、また、この事態に怒る人間たちからシルクを庇う意思があることを、消極的にだが示している。
『……ぬしらが言いたいことは分かっておる。何故我が、こんなことをしたか、訊きたいのじゃろ?』
 そう言って、シルクが店員たちをぎろりとみると、何故か店長以下、店員たちはぎくりとした様子で言いにくそうに目を泳がせる。怒って詰め寄ってもおかしくない立場のはずなのに。
『否、本当に分からぬのか、ぬしら』
 シルクの言葉の方が、静かな力で詰め寄っている。
「どういうことですか?」
 残ってこの場にいる契約者たちを代表する形で、早川 呼雪が尋ねると、シルクは彼を一回見、それから視線を店員たちの方に戻して続けた。

『ぬしらの猫への扱いを、今一度顧みてもらうためじゃ。
 なるほど、そなたらにとって猫は、人の客を取り込むための道具にすぎぬかもしれぬ。
 客が入る場所は磨き立ててよく見せても、ルームに入らぬ猫が休む店の裏の部屋は非衛生で、水も気分次第で取り換えぬ限り、古くて汚いままではないか。
 とぼけても無駄じゃぞ。人ウケのよい人気の猫は、体調が悪くても無理矢理ルームに入れる。
 猫が寝てばかりだと言われて客に飽きられないよう、入ってもいいはずのベッドに我らの厭う香りのするハーブを仕込む。
 猫クッキーの買い上げを狙うべく、我らの食事量を制限し、常に腹を空かせた状態におく。
 そのような小細工、所詮猫には分からぬと思うたが浅はかだったよの』

 契約者のほうから一斉に非難めいた視線と小さな声が、店長たちに向かって飛んだ。
 店長らは一層視線を泳がせ、居心地悪げに体を揺すって落ち着かない様子を見せる。
 だが反論もない。シルクの言葉は概ね正しいのだろう。

『我は我慢した。うぬらも、生業で食っていくためには、商いを軌道に乗せねばならぬ。
 うぬらが潰れれば、ここを塒としここで餌を得る猫らにも打撃じゃ。堪えねばならぬと思うた。
 いつか商いが波に乗れば、我らを存分に顧みてくれる日も来ようと……
 しかし、扱いがぞんざいであるがゆえに出る猫の荒みは、客にも何となく伝わるのかもしれぬ。最近の来客数は頭打ちだったようじゃ。
 そんな時にこの、空京への一時出店の話じゃ。
 あろうことか店長は、ここで実績を上げれば空京に本格進出が果たせ、それによって業績回復を図れるとして飛びついたのじゃ。
 ……なぜ気付かぬ!? 幾ら店舗を増やそうと、“接客員”である猫への待遇を改善せねば、この商いは成り立たぬと」
 
 しばらくの間、沈黙が落ちた。
 その沈黙を破ったのは店員たちではなく、シルクだった。
「今日一日、うぬらに店の猫の気持ちを知ってもらう。そのための計画じゃった。
 最初から綻びが出ていたがの。それに……逆に猫が人として働くことの困難の見通しも甘かった。
 あれほどまでに苦労するとはのう……」
 そして、店長をひたと見た。
「今後、猫への待遇を改め、過剰な負担を猫に強いぬと約束してくれるなら、我はこの店から手を引く。
 どうじゃ。ここにおる猫と、居合わせてくれた契約者の前で、約束してくれぬか」
「手を引く?」
 エースが訝しげに呟いたが、シルクは構わず、問い詰める視線を店長に送り続ける。
 周囲からの視線に居心地悪そうにしていた店長は、
「……私、やる。猫部屋の掃除も水替えも、言われなくてもきちんとやる」
「僕も、もっときちんとブラッシングして、毎日のコンディションにも注意する」
 店員たちが小さな声で恐る恐る、それでもはっきりと各々言い出すのを聞いて、
「……約束しよう。改めると」
 そう、はっきりと答えた。

「約束したぞ。ゆめゆめ、違えるでないぞ」
 そう言って、シルクはカラーボックスから飛び降りた。着地した時には、先程オーナールームにいた時の女性の姿だった。
「何を驚いておる? 呪術でなくとも自分一人の姿くらいは変えられるのじゃぞ?」
 驚いている店員たちに悪戯っぽく笑って言うと、歩き出した。
「待って! 店を出るってことなの!?」
 ルカルカが声をかけると、シルクは真っ直ぐ前を見たまま、頷いた。
「我のようなバケモノは、店には不要じゃ。この件の責任もある。言われずとも去り際くらいは心得ておる。もとよりそのつもりじゃった」
 すると、猫たちがわっとその足元に寄ってきた。にゃあにゃあと鳴いて縋る。
『シルク、そんなに何もかも、一人で抱え込むもんじゃないよ』
 声がした。カラーボックスの横にひっそりと座っていた茶猫のリネンだった。
『みんなずっと君に感謝してた。今度のことだけじゃないよ。
 君は、具合が悪いのに出させられた子がいれば、ルームの隅でその子が休めるよう、代わりに自分が客に愛想を振りまいたよね。
 お腹が空いた子には、ご飯を分けてやった。
 ルームの空調が人側への配慮に偏っていて暑かったり寒かったりした時は、こっそり術で気流を起こして、皆の体調を気遣った』
 リネンの声もまた、人語で聞こえる。
『どこに行こうというの。僕らは使い魔の血筋ゆえに、他の猫にもなかなか馴染めないし、人に擦り寄ることもなかなか出来なかった。
 キトゥン・ベルは君にも僕にも、やっと流れ着いた大事な居場所のはずだろう?
 だから君は、悪役を買って出て荒療治をしてでも、この店をよくしたかったんだ。
 猫の店員で不安要素だらけだったけどきちんと店を開いたのも、この店をちゃんと皆に知ってもらうためだったんだろう?』
「リネン……」
 シルクは振り返り、妙に力のない目でリネンを見た。
「……ぬしはバカよ。黙っておればいいものの、これでぬしまで『喋る化け猫』と目されるぞ」
『僕はいいんだよ。シルクよりずっと呑気な身分だから』
 そう言って、リネンはくしくしと耳の後ろを後足で掻いた。
「……使い魔の力は、魔女から授かったものゆえだろう、雌にしか顕現せぬ。リネンにできることはせいぜい人語を解し、喋ることくらいよ。
 まぁ後足立ちは他より上手かろうな。あと、我の魔力が効かない……のは体質か」
 リネンを庇うためか、そんなことをシルクは言った。
「パラミタじゃ猫が喋ったり化けたりするくらいで、いちいち目くじら立てる奴ぁいないぜ」
 恭也がぶっきらぼうに言うと、シルクは笑ってそうだろうよ、と呟いた。が、
「しかしあくまでこの店は臨時店舗。本格進出の話がどうあれ、期間が終われば我等は海京に戻る。
 契約者とは見識の違う、地球の人間も多く来店する海京の店に、我のような異形の猫を置く気が店長にあるかどうか」

「追い出すの!? こんなに猫や店のこと考えてきた“店員”を」

 ルカルカの叫ぶような声とともに、契約者たちは再び、店長にじっと視線を送った。
 シルクの足元の猫たちまで、一致団結して店長を凝視する。
 茶猫リネンの視線はやんわりしていたが、合算した視線のプレッシャーは大したものとなって店長に向かう。
「う……っ」