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震える森:E.V.H.

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【十 シェリエ・フロム・アナザー】

 ぞろぞろと、大勢の一般人客がカフェ・ディオニウスを出ていく様を、入れ違いに入店してきた匿名 某(とくな・なにがし)フェイ・カーライズ(ふぇい・かーらいど)は不思議そうに眺めていた。
 それから気を取り直して店内に足を踏み入れてみると、何故かどの席に座っているのも、全てコントラクターばかりという異様な光景が広がっていた。
 そんな中で、シェリエはひと際、深刻そうな面持ちでカウンター脇に佇んでいる。
 フェイはすかさずシェリエの傍らへと歩み寄り、何事かと尋ねてみた。
 シェリエは、源次郎が客としてカフェ・ディオニウスを訪れてから現在に至るまでの顛末を、かいつまんで説明してくれた。
 某は露骨に驚きの表情を浮かべたが、フェイは相変わらず、多少眉を顰めた程度で、あまり表情の変化は見せなかった。
「ふぅん……テロリストなんだ。それも、スーパーモール事件に大きく関わってるなんてね」
「おいおい……ふぅん、なんて呑気に構えてる場合か。きっと何か企んでるに違いないぞ。一般人客を無理矢理帰らせるなんて、絶対普通じゃ有り得ない」
 事態を深刻に捉えている某だが、フェイは一向に取り合おうとはしない。騒ぐならひとりで勝手に騒いでおけといわんばかりの、冷たい無表情であった。
 一方、別のテーブル席では。
「竜造……どうやら、何がが起きるみたいだ。一般人客が全員、帰宅させられた」
 携帯電話でぼそぼそと話している松岡 徹雄(まつおか・てつお)は、電話の向こうで応対する白津 竜造(しらつ・りゅうぞう)に、事の次第を逐一報告し続けてきていた。
『ちょっと待て、徹雄。お前は帰れとはいわれなかったのか?』
 竜造からの問いかけを受けて、徹雄はこの時初めて、自分がコントラクターであるという身分が源次郎にはばれている事実を悟った。
『徹雄、すぐに離脱しろ。あの野郎は、相当にやばいぞ。絶対何か企んでいる筈だ』
「いや……もう少し、残って調べてみるつもりだ。決定的にばれないうちは、まだ動ける余地はある」
 だがこの後、電話の向こうの竜造はしばらく沈黙した。
 息を呑んでいるような雰囲気が、スピーカー越しに何となく伝わってきて、徹雄もつい、不安になる。
「竜造、どうかしたか?」
『おい徹雄……おめえ、今、どこに居るんだ?』
 妙な質問が、飛んできた。
 徹雄は何をいっているのかと小首を傾げながら、店内をざっと見渡す。
「どこって、店内だよ。そこからでも見えるだろう?」
『何いってやがる。見えねぇから聞いてるんだ。っていうか、店内にひとりも居ねぇじゃねぇか。どうなってやがるんだ?』
 そんな馬鹿な、と徹雄は思わず立ち上がった。
 再度店内をぐるりと見渡し、これだけ大勢のコントラクター達が客として詰めているのだから、ひとりも居ないというのはどう考えてもおかしな話であった。
「竜造、何をいっているのか正直、分からない。店内にはまだ大勢、客やウェイトレスが居るんだが」
『ふざけるな。俺も今、店内に居るんだ。なのに人っ子ひとり、居やしねぇ。ものの見事に、もぬけの殻になっちまってるぞ』
 これには徹雄も静かに仰天し、そして竜造と同じく、息を呑んだ。
 もう一度店内を見渡してみたが、竜造の姿など、どこにも見えない。
 一体これは、どういうことなのか。


     * * *


 一方の竜造はつい先程、大勢の一般人客がぞろぞろと出て行ったカフェのエントランスから、店内へと飛び込んできてみたのだが、そこには誰も居ない。
 テーブルやカウンター、或いはキッチンの向こうにさえ、ひとが居た気配など微塵もない。
 もっといえば、店内は暗く、綺麗に整理整頓されたまま何ひとつ乱れた様子がない。食器やカップ、グラスなども全て、カウンター内の収納に収められたままであった。
(そんな馬鹿な……確かについさっきまで、普通に開店してた筈だ。しかしこれは、一体どういうことだ)
 竜造が見る限り、これはどう考えても閉店後の状態であった。
 ではそれなら、徹雄は今、どこに居るというのだろうか。
 少なくとも竜造は、徹雄が開店状態の店内に入っていく様を、その目でしっかりと見ていた。裏口などから抜け出さない限り、徹雄は間違いなく、店内に居なければならない。
 そして実際、携帯電話の向こうでは、徹雄はまだ店内に居ると主張しているのである。
 だが、今こうして竜造の目の前に広がっているのは、誰も居ない閉店後のカフェの光景であった。
「あのぉ……どちら様ですか?」
 不意に背後から、怪訝な声で問いかけられた。
 慌てて振り向いてみた竜造は、その面が更なる驚きに彩られた。
 店の外からエントランス越しに声をかけてきたのは、本来なら店内に居る筈の、シェリエだったのだ。
 しかもどういう訳か、シェリエはシックな色合いの外套を羽織り、旅行用スーツケースを脇に置いている。
 いや、彼女だけではない。
 その左右には、同じく旅行鞄やスーツケースを手にしたトレーネ・ディオニウス(とれーね・でぃおにうす)パフューム・ディオニウス(ぱふゅーむ・でぃおにうす)の姿もあったのだ。
 美人三姉妹のこのいでたちを見るに、どうやら旅行から帰ってきたばかり、といったところであろうか。
 竜造は、改めて絶句した。
「おい……おめぇ、今までどこに居た? この店内には、居なかったのか?」
「えぇ、居ませんでしたけど」
 聞けば、常連客のひとりから貰ったという北海道三泊四日のグルメツアー用トラベルクーポンを利用して、姉妹三人で旅行に出かけていたのだという。
 だから当然、カフェ・ディオニウス店内に居る筈などない、ということであった。
「それで、当店に何か、ご用でしょうか?」
 トレーネがおっとりした調子で、柔らかな笑みを湛えながら問いかけてくる。
 竜造は、長居は無用だと判断した。
「いや……何でもねぇ。邪魔したな」
 不法侵入などで訴えられないだけ、運が良かったと解釈するしかなかったのだが、しかし徹雄は今、一体どこに居るというのか。
 と、カフェを去ろうとした竜造はふと、別の疑問が湧いて足を止めた。
「ところでひとつ、聞かせてくれねぇか……お前さん達にトラベルクーポンとかいうものをプレゼントした常連ってのは、何ていう奴だ?」
「あ、クリスさんのこと? えぇっとね、クリス・ライオネルさんってひとだよ」
「そう、か……重ね重ね、邪魔して悪かったな」
 それだけいい残して、今度こそ本当にカフェ・ディオニウスを去ろうとした竜造だが、今度は別の人影が慌てて飛び込んできた。
「な……これは一体、どういうことだ!?」
 先程、源次郎の時空圧縮によって店外へ飛ばされてしまった、恭也であった。
 まだデラックスチョコレートパフェを全部食し切れていないものだから、こうして慌てて引き返してきたというのに、店内はまるで閉店直後のように、しんと静まり返っているではないか。
「あ、あれ……あんた、なんでそんな格好してんだ? さっきまで、ウェイトレスしてたじゃねぇか」
「はい? あの、私達ついさっき、旅行から帰ってきたばかりなんですけど」
 この時の恭也の反応は、数分前の竜造と全く同じであった。


     * * *


 カフェ・ディオニウスで謎の異変が発生したのと同じ頃、ベルゲンシュタットジャングルでも、目に見えない速度で、異常事態が秘かに進行しつつあった。
 パニッシュ・コープス側のひとりとして戦闘に参加していた辿楼院 刹那(てんろういん・せつな)は、レイビーズS3で強化された筈の兵員の動きが、幾分鈍り始めていることに気づいた。
(はて、妙な……確かS3の効果は、こんな短時間では切れたりはせん筈……)
 だが実際に、パニッシュ・コープス兵の動きは微妙に緩慢なものになりつつある。
 刹那の部下として配置されている兵員達も、その例外ではなかった。
(これは……後で一度、しっかり調査した方が良いかも知れぬ)
 結局のところ、今すぐに調べなければならない程の緊急性は認められなかった為、刹那は対教導団戦闘を続行することを選択した。
 今や、教導団側の兵力は僅かに一個小隊分を残すのみとなっている。
 総勢800名にも及ぶ三個中隊分の兵力をもってすれば、ただの一個小隊など、あっという間に平らげてしまうことが出来るだろう。
 であれば、S3の多少の効果現象などは、目を瞑っても良い誤差範囲である。
 後は刹那自身の、しびれ薬等を用いた個人戦術も駆使して、じっくり料理してやれば良い。慌てる必要など、微塵にもなかった。
 ところが。
(ん? ヘッドマッシャー?)
 刹那は、不意に樹々の間に姿を現した3メートル近い巨躯に疑問の視線を投げかけた。
 今回の戦闘に於いては、処刑すべき相手など居ない筈である。であるにも関わらず、複数体のヘッドマッシャーが姿を現し、周囲を警戒しながら、別ポイントへと移動していくのである。
 教導団の部隊には全く目もくれずに、であった。この時点で、何かがおかしいと訝しむべきであったが、刹那自身はヘッドマッシャーの機能や行動理念などにはあまり詳しくない。
 元々が変わった連中だからということで、あまり深くは考えないようにしていた。
(まぁ……きっと別の標的がこの辺におるのじゃろ)
 そこで刹那の意識は、ヘッドマッシャーから切り離された。
 考えても分からないものは、下手に考えないようにするべし――それが刹那流の、時間を有効に活用する方法であった。
 そんな訳で、さぁこれから残りの一個小隊もひねり潰してやろうと刹那が気合を入れ直すと、南の方角から接近してくる人数についての報告が、無線の同報チャネルを通じて流れてきた。
 どうやら教導団側の増援らしいのだが、これだけの人数差であれば、最早焼け石に水であろう。
 刹那の側にしてみれば、恐れるに足りない、といったところであろうか。
(可能ならば、あの増援部隊もついでに始末してしまおう)
 方針が、決まった。
 後は行動に移すのみである。