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震える森:E.V.H.

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【五 早い話が、プレゼンテーション】

 この日のカフェ・ディオニウスの盛況は、まだまだ続いている。
 しかも、客層の中心となっているのがデーモンガスとジェニー、そして源次郎の三人だというのだから、何か騒ぎが起きても不思議ではなさそうなのだが、意外にも、今のところは平穏無事である。
 尤も、美人三姉妹やアルバイトのウェイトレス達は忙殺されており、別の意味で平穏とはかけ離れた状況ではあったのだが。
 そんな中、店内で不穏な動きがないかと神経を尖らせているのは、舞香だけではない。
 たまたま客として来店していた小鳥遊 美羽(たかなし・みわ)コハク・ソーロッド(こはく・そーろっど)も、何か事が起きれば即座に対応する準備を整えていた。
 勿論美羽にしろコハクにしろ、最初からこの事態を想定していた訳ではなく、偶然客として来店してみれば、よもやのこの顔ぶれに度肝を抜かれた、というのが正直なところである。
 が、居合わせてしまったものは仕方がない。
 美羽にとっては、カフェ・ディオニウスが提供する絶品コーヒーや至高のスイーツが失われることが何よりも辛いし、コハクも美人三姉妹とは仲良くさせて貰っているところから、カフェ・ディオニウスに被害が出ることだけは絶対に避けたいと願っているひとりである。
 だからこそ、細心の注意を払って事の成り行きを監視しなければならないのだが――しかし、シェリエの反応が今ひとつ鈍いのが、ふたりして気になった。
 どうやら、源次郎の正体についてまだ気づいていない様子である。
「やっぱり……教えておいた方が、良いよね?」
「そうだね。知っていると知らないとでは、何か起きた時の対応に雲泥の差が出るからね」
 そんな訳で、美羽はひとりテーブル席を立って、リカインやニキータといった面々と同席しているデーモンガスとジェニーのもとへと歩み寄る。
「どうも、こんにちは……その節は、色々お世話になったね」
「ほぅ、君は……今日は随分、知った顔を見かける日だな」
 デーモンガスが鋼鉄のマスクの奥で、意外そうな声を漏らした。意外といえば、美羽も同じである。
 野盗団の首領として荒事こそが最も似合う人物、という印象の強いデーモンガスだが、こうして一般人と同じ服装に身を包んでいると、鋼鉄製のマスクだけが違和感を放つものの、普通に周囲と溶け込んでいる風景が新鮮に思えてならなかった。
 ともあれ――美羽は源次郎が警戒すべき相手である旨を、店内の喧騒に紛れるように声を潜めて説明した。
 既にリカイン達からもある程度の情報を仕入れていたのか、デーモンガスとジェニーは渋い表情で頷きはするものの、取り立てて驚いた様子は見せない。
(このふたりは、大丈夫、かな)
 かつて、オブジェクティブの能力を特殊な方法で受け継いだという経緯もある彼らである。
 実力は折り紙つきだから、源次郎が危険な相手だと認識さえしてくれれば、後はどうにでもなるだろう。
 次は、シェリエである。
 他の客からのオーダーを取り終え、カウンターの向こうへと去ろうとしていたシェリエを呼び止めると、美羽は神妙な面持ちで正面から向かい合った。
「あの大柄な客なんだけど……」
「ツァンダ・スーパーモール……」
 美羽がいい出しかけたひと言を、不意に別の角度から囁く者が居た。
 いつの間にそこに居たのか――美羽とシェリエは仰天した。声の主は、騎沙良 詩穂(きさら・しほ)だった。
 だが同時に、シェリエはあっと何かを思い出した様子で、慌てて源次郎に振り向いた。
 その美貌が見る見るうちに、険しい色へと変じてゆく。どうやら、詩穂のひと声で全てを思い出した様子だった。
 そして当の詩穂はというと、まるで何事もなかったかのようにカウンター席へそそくさと引き下がり、サービスチケットでコーラを注文していた。
 しかも上手い具合に、源次郎の隣に陣取っている。
 過去に二度、源次郎と直接あいまみえているのだから、顔なじみといっても良い。源次郎も、詩穂が隣に席を取ったことに対しては、殊更に何もいおうとはしなかった。
「源次郎さん、お久しぶりでぇす。地球での生活は、どうでしたか?」
「どうもこうもないねぇ。相変わらず、どこも景気悪いわ」
 最初は当たり障りのない挨拶程度で済ませていた詩穂だったが、頃合いを見計らい、核心に入る。
「ところで源次郎さん。この近くに最近出没しているって噂の、イレイザーのような生体反応について、パニッシュ・コープスの自慢話を聞きにきました」
「ん? パニッシュ・コープス? いや、あそこが何してるんか、わしも知らんって」
 源次郎のこの反応に、詩穂は思わず目を丸くした。予想外の返答だった。
「本当に、何も知らないんですか?」
 バスケットに入った揚げたてのポテトチップと、レモンの輪切りを添えたコーラのグラスを持ったコハクが、詩穂とは反対側のカウンター席に移動しながら、驚いたような表情を見せている。
「あ……良かったら、これどうぞ。それから……出来れば、お店では暴れないで欲しいな。ここは、僕や美羽にとっても大事な場所だから……」
「いや、わしは全然そのつもりはないんやけどな」
 応じてから源次郎は、別方向に面を転じる。
 その視線の先では、それまで敵愾心に満ちた表情で源次郎をじっと睨み続けていた千歳が、慌てて明後日の方角へと顔をそむけていた。
 イルマとあゆみ、おなもみの三人も、酷く狼狽した様子でわざとらしく、それぞれ別の方向へ向き直る。
 そんな彼女達の様子を、美羽は恐ろしく脱力した感覚に襲われながら眺めていた。
「えっと、話を戻すけど……それじゃ源次郎さん、パニッシュ・コープスの現状とか訊いても、何も知らないってことです?」
「ことです」
 源次郎は、詩穂の言葉尻に調子を合わせて頷いた。
 これも本当か嘘かは分からないが、過去の源次郎の言動から鑑みるに、恐らく真実なのだろう――少なくとも詩穂は、そう判断した。
 だがそうなると、詩穂が訊きたいことはその大半が、空回りに終わるという話になる。
 彼女は源次郎とパニッシュ・コープスが、未だに強い繋がりを持っているという前提で、接触を図ってきたのだから。
 しかしイレイザーに関しては、何か知っている風をちらつかせている。
 詩穂は更に、言葉を重ねた。
「じゃあ、イレイザーに関しては? 何か知ってます?」
「知っとるよ。ただ、その話をするんやったら、店内の一般客を全部、帰らせた方がええで」
 詩穂も美羽も、そしてコハクも一瞬、源次郎が言外にいわんとしている意図が理解出来ず、互いに顔を見合わせた。
 一方の源次郎は、再び千歳達の陣取るテーブルに顔を向け、慌てる千歳達の反応をにやにやと笑って眺めている。

 イレイザーの話をするには、カフェ内の一般客、即ち非コントラクターを全員退去させた方が良い、という源次郎の言葉に、美羽は危機感を覚えた。
 何かが起きようとしている――その直観に基づき、再び美羽が問いただそうとしたその時、カフェのエントランス付近で、あっと驚きの声を上げる者が居た。
「てめぇ、若崎源次郎!」
 パートナーの漆髪 月夜(うるしがみ・つくよ)と共にカフェ・ディオニウスの客として来店した樹月 刀真(きづき・とうま)が、源次郎の姿を認めるや否や、抜刀して斬りかかろうとする構えを見せていた。
 刀真の動きに対し、すぐさま美羽と舞香が反応して飛び出し、店外へと押し出す態勢を取った。
「……刀真、駄目」
 ところがそんなふたりよりも更に早く、月夜が刀真の頭をぽかりと叩き、その機先を制する形となった。
 しかし、それで簡単に引き下がる刀真ではない。彼は尚も何かをいおうとしたが、月夜は刀真の反論など聞こうともせず、彼の耳をつまんで強引に引きずり始めた。
「こんなところで騒いだら、他のお客さんの迷惑になるでしょ?」
「何いってんだ、こいつはお前を……痛い痛いイタイイタイ、分かった、分かりました」
 有無をいわさずテーブル席に刀真を落ち着かせてから、月夜は源次郎に愛想笑いを浮かべた。
「いきなり、御免なさいね。刀真も私を思って、ついカッとなっただけだから……それで、あの、もし良かったら、少しお話出来ないかしら?」
 月夜のこの申し出に、仰天したのは刀真の方だった。
 源次郎は刀真にとっては、いわば不倶戴天の敵なのである。その源次郎に対し、月夜がフレンドリーな態度で話し相手を頼み込むという風景は、ひと言でいえば不快以外の何物でもなかった。
 が、ここ最近は月夜に何かと無理をさせ続けてきたという負い目が刀真の側にあった為、月夜の行動を抑えつけるということも出来なかった。
 一方の源次郎は、左右に陣取る詩穂やコハクに顔を巡らせ、
「相席は、ちょっと無理っぽいなぁ」
「あ……そういうことなら、僕はこっちに席をずらすから」
 結局、コハクが気を利かせて、月夜に席を譲る形となった。刀真は、カウンター近くのテーブル席で、コハクとの相席となる。
「わぁお、源次郎さんもてもてだね。両手に華じゃん」
「あのなぁ、もうちょい年考えてぇや。若く見えるかも知れんけど、わしもう60の爺さんやねんで」
 詩穂がからかうと、源次郎は心底げんなりしたような表情を見せた。
 年頃の娘と心ときめく年代は遥か昔だ、と源次郎は肩を竦める。
 三十歳前後の頑健にして若い体躯と、精悍且つ端正な容貌の持ち主ではあるが、精神年齢は恐ろしい程に爺臭い。彼にしてみれば詩穂も月夜も、孫みたいな感覚しか湧いてこないのだろう。
「でも、コーラばっかりじゃ糖尿病になっちゃうんじゃない? それとも、ヘッドマッシャーの肉体を維持する為のエネルギー供給なの?」
 月夜のこの疑問に対し、源次郎は一瞬、間の抜けた顔を作った。
「あー、そうか。自分ら知らんねんな。ヘッドマッシャー完成体は、自律分子変換で体組成を維持してんねん。簡単にいうたら、その辺の土やら水たまりでも十分なんや。他物質の分子組成を細胞分子配列に組み替えて補填することが出来るから、ぶっちゃけ、飲み食いしてるのは味を楽しむ以外の何もんでもないんやな」
 いい替えれば、飲み食いした物質も自在に分子変換出来る為、その全てを純粋なエネルギーや細胞補填に組み込むことが出来るのだという。
 つまり、如何なる条件や行為が揃おうとも、絶対に病気になることなどあり得ないし、細胞組成を操作出来るということは、肉体の若さを己の意思で維持することも出来るという話である。
「なんですかそれは……物凄くズルいよな。この世に物質がある限り、不老不死って訳ですか」
「まぁいうたら、そういうこっちゃ」
 更に加えて、時空圧縮や生胞司電、Pキャンセラーなどといった超技能が目白押しである。
 こんな化け物、一体どうやって倒せば良いのか。
 刀真は、段々頭が痛くなってきた。

「そこまでいってしまうと、最早医学ではなく、物理化学の世界ですね」
 カフェのエントランス付近から、驚きと感嘆がないまぜになったような声が響いた。
 九条 ジェライザ・ローズ(くじょう・じぇらいざろーず)である。傍らには、斑目 カンナ(まだらめ・かんな)の姿もあった。
「それ程の強烈な分子変換能力を実現しようと思えば、完全不可逆反応での改質が不可欠。それも相を一切問わず……もしかして、エネルギーを無限に作り出す能力は、燃料電池と同じ原理ですか?」
 イオン酸化剤に水素をぶつけると、水を生成する際にマイナスの電子負荷が弾き出され、その発生電流によってエネルギーを作り出す――燃料電池のこの原理に等しい反応が、源次郎の肉体内でも発生しているとなれば、ヘッドマッシャーが飲食物を必要としない理論も頷ける。
 店内にゆっくり歩を進めながら語るジェライザ・ローズの言葉に、源次郎はあまり興味が無さそうな様子で、がぶがぶとコーラを飲み続けた。
 が、その目は僅かに笑っている。どうやら、ジェライザ・ローズの推論は当たらずとも遠からず、といったところなのであろう。
 途中、ジェライザ・ローズはデーモンガスとジェニーに会釈を贈った。
 対するふたりも、かつてジェライザ・ローズと共同戦線を張った間柄である為、静かに応礼を返す。続いてジェライザ・ローズとカンナの両名は、まだ空きがある刀真とコハクのテーブルに相席を求めた。
「こちら、宜しい?」
「ん? あぁ、僕は別に構わないよ」
 コハクに続いて、刀真も黙って応と頷く。ジェライザ・ローズとカンナは揃って、ダイエット・コーラを注文した。
 オーダーを受ける際、シェリエは源次郎に不安げな視線を送っていたが、一方のジェライザ・ローズはやや緊張しているものの、どちらかといえば敬意に近しい感情を源次郎に向けていた。
「せやけどほんまに今日は、話し相手が多いわな。わしみたいなテロリストの相手してるなんて、君らもよっぽど暇やねんな」
「寧ろ、その逆じゃないかな。暇を惜しんででも、あんたと話をしてみたい……そういうひとって、結構多いんじゃないかい?」
 カンナが源次郎の声を、やんわりと否定した。
 事実、敵意の有無という差異はあれど、源次郎から少しでも情報を引き出したいと願っている者は、決して少なくなかった。
 しかし当の源次郎は、そういった輩を全部ひっくるめて、物好きのひと言で片付けてしまった。
「嫌なら答えて頂かなくても結構ですが……貴方が屍躁菌を創り出そうとした切っ掛けとは、一体何だったのですか?」
「そんなもん、これやがな」
 ジェライザ・ローズの疑問に対し、源次郎は恐ろしくシンプルな回答で応じた。彼は右手の人差し指と親指で円を作りながら、掌を上に向ける。
 要するに、全ては銭儲けだ、というのである。
 だがそこが、ジェライザ・ローズやカンナにはよく分からない。
 不老不死に近しい肉体を持つ源次郎が、何故そこまで、商売に執着するのか。
 しかし源次郎は、
「商い程、面白いもんはあらへんがな」
 などと本気とも冗談ともつかぬ返答で、ジェライザ・ローズの疑問を微妙にはぐらかした。
 いや、本人ははぐらかしたつもりはないのかも知れなかったが、ジェライザ・ローズにはそれが全ての回答であるとは思えなかった。
「では、ヘッドマッシャーを創造したのは、何故ですか? 屍躁菌とは明らかに別物だと思うのですが」
「その時点で、君の発想は間違うとるよ。ヘッドマッシャーと屍躁菌は、出自は同じやで」
 同席している全員が、仰天したような仕草を見せた。
 恐らく源次郎は、話したところで己の商行為に支障はないと判断しての発言なのだろうが、聞く側にしてみれば、全く予想もしなかった展開であった。
「ヘッドマッシャーの製造法は、基本的には強化人間と同じや。但し、ひとつだけ違うエッセンスが加わる。それが、レイビーズS4や」
 勿論、そのレイビーズS4自体は門外不出であり、源次郎の完全な管理下にある。
 つまりパニッシュ・コープスが今後ヘッドマッシャーを獲得しようとする場合は、源次郎から製造済みのヘッドマッシャーを購入するしかない、ということになる。
「屍躁菌自体は、そんな大した存在やない。君らでもちょっと時間をかけて研究したら、似たようなもんを創り出すことが出来るわいな。せやけど、レイビーズはそうはいかん。これはわしの大事な商売道具やしな。そう簡単には教えられん」
「でも、そんなことをどうして、あたし達に対してぺらぺらと簡単に喋るんだい?」
 カンナの幾分挑戦的な問いかけに、源次郎はからりと笑って、曰く。
「君らがわしに代わって、広告塔になってくれるからや。屍躁菌の危険性をあっちこっちで説いてくれたら、その分、買い手がわしに注目してくれるようになるって寸法やがな」
 要するに――今回、カフェ・ディオニウスで源次郎がコントラクター相手にべらべら喋っているのは、単に販促目的で利用しているだけだ、というのである。
 これは一本取られた、とジェライザ・ローズなどは内心で苦笑する他なかった。