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Moving Target

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●The DUEL

 葛城吹雪が一瞬見せた動揺、それにディバイン勢の乱入とこれがもたらした混乱に乗じ、イオタは壁を爆弾で砕いて脱出した。
 壁が倒壊したのを確認すると足早に避難者の波に紛れる。元々、決して少なくない聴衆だ。他のフロアの客の菅もある。そのなかの一人に偽装するのはたやすかった。
 帽子のつばを引き下げ、うつむき加減に、呼吸を整えながらイオタは歩く。軽く足を引きずっているが気づくものはなかった。吹雪はもう追いつけないだろう。
 しかし、レン・オズワルド(れん・おずわるど)は見逃さなかった。
「来てもらう」
 ホテル従業員の制服の袖を掴み、通路の陰まで引きずってイオタを壁に押しつけていた。
「なにをするんですかっ……!」
「下手な演技はやめておけ」
 レンはまるで相手にしなかった。言葉のすべてが冷やかだ。
 彼の隣にはメティス・ボルト(めてぃす・ぼると)が黙って立っている。
 メティスは口を閉ざしたまま、深い井戸の底に映る冬空のような目でイオタを見つめていた。
「なにを言って……!?」
「金属探知機」
 レンはこの言葉を、あえてゆっくりと発音した。
「仕掛けておいた。この通路に。結果は俺だけがわかるようにしてある。往路、おまえがどうやって探知機を回避したのかは知らん。ずっと前から火器を隠しておいたと考えるのが妥当だろうか。
 ……だが、復路で引っかかったな」
 レンがぐいと腕をねじり上げると、イオタの袖からごとりとハンドガンが落ちた。
「ホテルの従業員が持つべきものじゃないな、これは」
 レンは元公安部の刑事、こうしたやりとりはお手の物だ。相手にごまかす隙を与えず、まっすぐに目を見て言う。
「かつてのブラッディ・ディバインも墜ちたものだ。報酬を得て『仕事』を請け負う暗殺集団になってしまったのだから。
 ……ソノダの暗殺を請け負うことで手に入る金に、裏社会での宣伝効果が狙いか。彼女を殺すだけならパラミタに渡る前の方が効率的なのに、今日まで動かなかったのがいい証拠だ。警備の目をかい潜って暗殺を行う現ブラッディデバインの能力を、広く裏社会に広めたかったのだろう」
 レンの腕には力が籠もっていた。
「スナイパーとして知られるおまえだ、当然、遠隔射撃の可能性は疑った。しかし、もっとも宣伝効果の高い殺しはなにかと考えたとき……それは観衆の中にいる一人が、突然凶暴な牙を剥くことではないかと俺は予想した」
 だから俺はこの会場と銃器にこだわった、とレンは言った。
「会場に持ち込ませない。持ち込んでも、持ち出させないためにな。
 イオタ、おまえが真のプロなら、失敗を悟った直後に銃は棄てておくべきだった」
 シュッ、と白いものが閃いた。
 イオタが腰からナイフを抜いて投じたのだ。ナイフは銃ほど得手ではないらしい。その軌道は大振りで回避するのは容易だった。とはいえ、はずみでレンは手を放してしまった。
 イオタは銃に飛びつく。
 一回転するや片膝を立てて構えた。構えたときにはもう撃っていた。
 ――予測しろ!
 レンの血液が沸点を超える。
 弾道は、予測できる。
 レンには、できる。
 できると信じる!
 レンは引かなかった。逆にイオタに向かって跳んだ。
 弾丸が放たれたが鉛は、レンのこめかみの約六センチ右をかすめるに終わった。
 第二弾が発射されるより早く、レンの足がイオタの銃を弾き飛ばしている。
 転がったハンドガンは弧を描いて飛び、メティスの足元で停止した。
 着地するやレンは指を鳴らした。一音だけ。
 これが合図だった。三人の周囲に猛然と炎が立ったのである。
 しかしそれはすぐに消える。火災用のスプリンクラーが動き出し、激しく放水を行ったから。当然、レンも、メティスも、イオタも、冷たいシャワーを頭から浴びることになった。
 非常ベルが鳴り止まない。水も、止まらない。
「あの日も丁度こんな雨だった」
 火はすべて消火されたはずだが、なお、レンの瞳には宿っていた。血の色をした炎だ。
「視界を遮る雨の中、おまえは俺たちの目の前で大切な『友人』を手にかけた……」
 イオタはなにも言わない。
「今日はあの日の再現だ。俺とメティス、そして今は亡き大黒美空の無念、今こそ払わせてもらうッ!」
 瞬間、レンは吼えた。獅子のように。いや、獅子よりもっと危険な存在のように。
 イオタもまた、瀕死の狼のごとく吼えている。
 イオタはメティス目がけて走っていた。足元の銃を拾えば、あるいは……。
「あなたは大馬鹿者です」
 はじめて聞く声だった。はじめて、メティスが言葉を発したのである。
 拳銃の上に置いたイオタの手、その上に、メティスの手が乗っていた。
 メティスの手甲が火を噴いた。溜めに溜めたパワーチャージが一気に爆発したのだ。
 虎が哭くのを聞いたことがあるだろうか。
 耐えきれぬ痛みに哭くのを。
 それを思わせる動物的な叫びが、イオタの口から漏れていた。
 イオタの右手は、手首から完璧に砕け散っていた。もう原形すらない。肉はもちろん骨格もない。
「両利きかもしれん」
 レンはしっかり目を開いて、構えた魔銃でイオタの左手を撃ち抜いた。
 もう一度イオタの絶叫が響き渡った。
 つぎにレンは、まだ幼いイオタの額に魔銃ケルベロスの狙いをつけた。
 ホテルの従業員に扮していたときは、メイクで随分ごまかしていたのだろう。スプリンクラーが洗い流した今の彼女の顔は、せいぜい十二歳くらいのものだ。
「………………」
 イオタは涙すら流している。けれど唇を結んで泣き言を言わないのは、彼女なりの最後のプライドなのだろう。
 しかしもう彼女には、涙を拭う手もない。
「正直、ここで引き金にかけた指をあと何秒止めておけるかわからない」
 レンのこの言葉は、誰に聞かせるためのものだろうか。イオタか、メティスか、それとも自分か。
 メティスは目を閉じた。「あなたの心のままに」そう言っているかのようだった。
 行け、とレンは目で告げた。
「個人的な復讐はここまでだ。あとは、仲間の手に任せる」
 イオタは指が数本なくなった左手で、手首までしかない右腕に上着をかけ、よろめきながら去って行った。
 レンはもう一度だけイオタの背に狙いをつけ、そして、銃を下ろした。
 彼の背を、メティスが両手で包み込むようにして抱いた。
 スプリンクラーの雨は、いつの間にか止んでいた。