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迷宮図書館グランダル

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迷宮図書館グランダル 2

「やっぱり、聞こえないんだね……」
 街角にある草花に耳を傾けながら、リアトリス・ブルーウォーター(りあとりす・ぶるーうぉーたー)はつぶやいた。
 花壇の色鮮やかな花や草たちは、見た目は本物のように美しいものの、その声はまったく届かない。リアトリスには、それが結局は本物に似せただけの偽物に過ぎないということが、痛いほどにわかってしまった。
「リアトリス様……どうかお気を病まれず……」
 森 乱丸(もり・らんまる)が心配そうに声をかける。リアトリスは彼を安心させるようにほほ笑んだ。
「うん、大丈夫だよ、乱丸。ちょっと残念だっただけだから。……それより、佐那さんたちはどこにいるかな?」
「あちらです」
 乱丸が指し示した先に、琥珀色の髪の女性が立っていた。
 街の通りを挟んでいる壁際の本棚に視線を注いでいる。手に取った本に目を落としては、なにやら口を動かしているが――そのうち、諦めたように閉じては戻すといった作業を繰り返していた。
 隣には、その女性にぴたっと離れずについてきている少女がいる。ツインテールの銀色の髪が色鮮やかで、どこか無機質な印象も受けるこの街では、より浮きだって見える気がした。
 どことなく――リアトリスのスカートの裾を握っている女の子にも似ているだろうか?
 リアトリスはそのソフィア・ステファノティス(そふぃあ・すてふぁのてぃす)を連れ、富永 佐那(とみなが・さな)たちのもとに向かっていった。
 リアトリスに気づいた佐那が、顔をあげる。
「あ、リアトリスさん。そっちはもう終わったんですか?」
 リアトリスは苦笑を示すように首を振った。
「残念ながら……草花の声は聞こえなかったよ。どうやらここは伯爵の興味のないところはハリボテみたいになってるみたいだ。見た目は本物でも、本質は違う」
「まさに、創られた世界ってわけですね」
 佐那は苦笑してから肩をすくめた。
「そっちは?」
 リアトリスがたずねる。佐那はパタンと本を閉じた。
「まだ見つからないです。もしかしたら、本の中にも少しは話せるのがいるかもって思ったんですが……そう都合よくはないのかもしれないですね」
 実際、これだけ多くの本を一つずつ調べていくのも骨がかかりそうだった。
 まさか本気でそんなことを? いやいや、そんな時間ありはしない。なんとか別の方法を探らないと……。
 と、そう思っていたときだった。
『――おやおや、お嬢ちゃん? なにかお困りかい?』
「ひうっ!?」
 急に渋い声がして、佐那の隣のソフィア・ヴァトゥーツィナ(そふぃあ・う゛ぁとぅーつぃな)は驚いた。
 思わずひゃっくりみたいな声を出してから、ざざっと佐那の後ろに隠れる。
「これって……」
 佐那は薄ぼんやりと光る本を見てから、驚嘆した。
『へへっ……驚いたかい。オレさまは喋る本のレオイ様だ。さっきからあんたらの行動、見せてもらってたぜ? どうやら、伯爵さまについてなにか嗅ぎ回ってるみたいだな?』
「のぞき見とは、あまり関心しない趣味ですね」
 佐那はしかめっ面になって言った。
『まあ、そう言うなって。せっかく良い情報を教えてやろうとしてるんだからよ』
「良い情報?」
『おうさ。あんたらは伯爵が連れてきた娘っ子の魂を探してるんだろ? だったらほら、あそこの時計塔まで行ってみな』
 本が言ったのは、街の中心地にある時計塔のことだった。
 町を見下ろすように建てられているその時計塔は、見上げるだけでこちらの首がすくんでしまいそうになる。
「あんなところにシェミーさんが……?」
 リアトリスが驚いたように言うと、本はくしゃしゃと笑った。
『あそこには色々と貴重な本もしまってあるもんでね。都合が良いんだろうさ』
「都合?」
 佐那がたずねるが、答えを告げる前に本は慌てて言った。
『おっと悪いな。そろそろお口にチャックだ。連中には、オレも見つかりたくないからさ』
 そうして本が黙った後で、佐那たちの後ろを〈司書〉たちが通っていった。
 なにやら慌てている様子にも見える。口々に、「侵入者が――」とか、「早く知らせなければ――」とか言っていた。
(シェミーさんたちのことでしょうか?)
 佐那にはその全容ははっきりとはわからない。
 けれども、急いだほうが良いとは勘が告げていた。
「急ぎましょう、リアトリスさん」
「うん」
 二人はうなずき合って、時計塔へ向けて動きだした。



 街に、旅芸人の二人組がいた。
 一方はギターを手に軽やかな曲を奏でる男で、もう一方はどこか派手な衣装でダンスを踊る女だった。男の持つギターは深みのある艶を含んだ濡羽色で、月下美人という名の通り、大輪が一輪だけ大きく描かれているものだ。男の演奏はもちろん、女のダンスも見事なもので、普段は書物にばかりにしか関心を持たない町の人々も、この時ばかりは二人組のパフォーマンスに足を止めた。
 やがて演奏が終わると、拍手が起こり、二人組の前に小銭が投げ込まれる。
「本日は皆々様……こんな旅芸人の演奏に足をお止めいただき、ありがとうございます。感激にて恐悦至極。皆様のご厚意は痛み入ります」
 ギターの男は丁寧に言って、頭をさげた。
 いつしか街の人々は久しぶりに良いものを見たと口々に感想を出しながら、その場を離れていく。そしてようやく、旅芸人の二人組は息をついた。
「ふーっ……なんとか誤魔化しきれたな」
 男のほうの月崎 羽純(つきざき・はすみ)は、そう言って安堵する。
「そんなこと言って……結構、危なかったよ?」
 隣でダンスを踊っていた遠野 歌菜(とおの・かな)が苦言を呈した。
「そうか? 意外と上手いもんだったと思うんだがなぁ……」
「そりゃ急場の思いつきにしては上出来だけど……。ほら、見て」
 歌菜は直接は視線を向けず、ちらと、横目で正面にいる二人組を見た。
 ひそひそ声で話す、ゆったりした白い服を着た者たち。本を手に、なにやら歌菜たちを見ては小声で話していた。
「……〈司書〉の人たちだよ。ちょっと怪しまれてる」
「早いところ、ここから離れたほうが良さそうだな」
 羽純が言った。
 まったくその通り……。怪しまれている内に離れるに越したことはない。
 二人はその場から動き出した。
「なにか良い本でも見つかるといいんだけど……シェミーさんの居場所を知ってるような」
 歌菜が言う。羽純も同意して答えた。
「まずは情報集めからだ」
 二人は書に囲まれた街を、じっくりと観察しながら見て回ることにした。



 街を見て歩いているのは、ハイコド・ジーバルス(はいこど・じーばるす)ソラン・ジーバルス(そらん・じーばるす)ソイル・アクラマティック(そいる・あくらまてぃっく)ニーナ・ジーバルス(にーな・じーばるす)の四人だった。
「うわぁー……すごーい! ここが噂のグランダルね!」
 一人はしゃいでいるのは、ハイコドの妻のソランである。
 本が喋るというのを聞いているのが、すっかり夢中になっている。本棚にある意思ある本を手にしては、こちょこちょこちょっとくすぐっていた。
『ぎゃははははっ! って、なにしやがるんでい!』
「きゃはは! おもしろ〜い!」
 書物がぷんすかと怒るのを見ては、けらけらと笑っている。
 ハイコドはそんな妻の姿を見ながら、ほほ笑みつつ肩をすくめていた。
「ハイコド」
 ソイルが声をかける。彼はその手にいくつかの書物を持っていた。
「なにか良い本でも見つかったか?」
「いいや? ソイルは?」
 たずねると、ソイルは手にしていた本を掲げてみせた。
「日記や研究書など……まあ、なんとなく関係のありそうなものを集めてみたが……あまり役には立ちそうにないな」
 ソイルはかけていたビブリオマニアの眼鏡を指先で持ちあげる。
 確かに書物のほとんどは、ジアンニ伯爵の名前は知っていても場所までは知らないのがほとんどで、これといって役に立つものは少なかった。多くはジアンニ伯爵を素晴らしき領主だと信じていて、そこに疑問を挟む余地はない。徹底的に管理された情報に、ハイコドたちはどこか寒気に似たものを感じていた。
「まあ、伯爵の精神世界と考えたら仕方ないんだろうけど……。ところで、ソイルは……仕事のほうは大丈夫なのか?」
「仕事か?」
 ソイルは本をベンチに置いてから、答えた。
「ふむ、大丈夫だ。親分にはちゃんとメールしておいたのでな。今日の作業は俺は特別必要なわけではなかったし、問題ないだろう」
「そうか……すまん」
 ハイコドは殊勝な顔で申し訳なさそうに謝る。
「気にするな、ハイコド」
 ソイルは微笑した。
「それより俺は、浮遊してる本棚も調べてくることにしよう。あそこの暴走娘も、どうにかしておいたほうがいいぞ」
「え?」
 振り向くと、ソランが本になにやら興奮した様子で詰め寄ってる。
「ねぇねぇ! 房中術とか、そういう本ない!?」
 無茶苦茶なことを訊いていた。
「ソラーンっ! なにしてるんだー! みんなもうこっちにいるぞー!」
「ええー……せっかくいま、良いことが聞けそうだったのにー」
 ぶーっと口を尖らせながら、ソランはハイコドたちのもとに戻ってきた。
「あら? ソイル……あんた、浮いてる本棚に行くの? ……そういえば、飛べたんだったわね」
「普段からも飛んでいるぞ。数ミリぐらい」
「あんたはドラ○もんかっ!」
 ソランはびしっと手刀を叩きこんで叫ぶ。
「冗談だ」
 まったく冗談には思えない顔で言い添えて、ソイルは宙に浮いていった。
「…………ところで、ニーナは? なにしてるんだ?」
 ふと気づいたハイコドが、ソランにたずねる。
「さあ……。なんだかあそこで真剣な顔してるけど?」
 ソランが指さした先で、ニーナはいくつかの本に目を通していた。
「この歴史書、初代様の魔眼が間違ってるわね……」
 などと、ぶつくさと文句を口にしている。
 いずれの時代も、歴史は事実と食い違っていたりするものだ。ニーナはため息をついて本を戻し、それから、ふと目についたある一冊に手を伸ばした。
 それは『目指せ2カップアップ! バストアップ方法!』という本だった。
 本の内容を見て、自分の控えめな胸を見下ろす。それからちらっとソランを見て、また自分の胸に目を落とす。ソランはきょとんとしていた。
「大丈夫、妹がでかすぎるだけ、でかすぎるだけ…………」
 呪詛みたいな言葉をぶつぶつとつぶやいている。
 何やってるんだ? と思いながらも、ハイコドは邪魔しないでおくことにした。
 この調子で、ちゃんと目的のところまで辿り着けるのか……。
「先行き不安だ……」
 ハイコドはつぶやいて、はあっとため息をついた。