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一会→十会 —失われた荒野の都—

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一会→十会 —失われた荒野の都—

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【黄金の部屋・1】


 高さだけで5メートルはありそうな巨大な金の扉が、豊美ちゃんの――魔法少女たちの力を受けて勿体ぶる程ゆっくりと向こう側へ開いていった。
 暗い石壁の遺跡の中で長い時間を過ごしてきた契約者たちの目が、その部屋の黄金の輝きに眩む。
 漸く慣れてきたところで見えたのは、左右の松明に照らされた椅子の上で足を組む銀髪の少年だ。
「待っていたぞ」引き締められた唇からは何も聞こえてはこないが、表情はそう言っている。ロミスカの時もそうだったが、アッシュ・グロックの持つ自信満々な態度は、王や神官といった階級を与える事でオーラのように光るらしい。
 あれはアッシュだと唱えている契約者の心も、些か圧倒されてしまう。
 その事に気を良くする様に、アッシュホテップは口角を上げながら足下に撓垂れかかるディミクスナムーンの肩から胸元へ手を滑らせていった。
 この部屋で着替えたのだろうか、ディミクスナムーンはディミトリアスの古代神官のローブから胸元がぱっくり割れて、殆ど股間しかガードされていないようなセクシーなドレス姿だ。
 紫の視線を挑発的にこちらに向けてくるのに、部屋に入った契約者たちはちょっぴりイラッとしている。なにせ、中身がどれだけ美しい女性だったかは知らないが、今の見た目はそのまんま女装したディミトリアスなのだから。アッシュ似のアッシュホテップよりタチが悪い。
 げんなり気味の契約者達の中から、一人前へ飛び出したのはジェニファだった。
「ディミトリアス先生!」
 彼女は叫ぶ。そこまで距離は離れていなくとも、声を届けようと必死なのだろう。
「意識をしっかり持ってください。わたくしたちは先生がこんな事で負けないと信じてます!
 だからそんな変な女は追い払って見せてください!
 そして帰ったら先生の閑古鳥の講義を受けたいです!!」
 『変な女』がディミクスナムーンの地雷を踏んだのか、『閑古鳥』の言葉がディミトリアスの地雷を踏んだのか、どちらかは分からない。
 ジェニファの言葉を受けたディミクスナムーンが優雅な仕草で立ち上がると、ディミトリアスの錫杖の足をトンッと地へつけた。
 言葉ではじめ「危ない」と反応したのはクローディス。次いでアレクのアブソリュート・ゼロの氷壁が何枚も現れると豊美ちゃんが手の中に生み出していた『日本治之矛』を輝かせた。
月之灯楯縫!
 桃色の魔法障壁がドーム型に広がる間に、錫杖から放たれた雷が直線に契約者達を狙って迫る。
 一枚、また一枚と氷壁が破られ、弱まった雷は最後の桃色の輝きにやっと消え去った。
 一瞬の間のその出来事に、契約者たちは目を覚ました。アッシュ似の神官と女装したディミトリアス――絵面は巫山戯ているが、あの二人の実力は確かだ。
 一番にそれを感じ取ったのは魔法の障壁を張った豊美ちゃんだった。逸脱した実力を持つアレクの作り出した氷壁を幾つも破って尚、あの『重さ』なのだ。
 自分だけでは耐えきれなかったかもしれないと、魔法少女の衣装の中でぞわりと鳥肌が立った。
 本人も思わぬ挑発台詞を吐いてしまっていたらしいジェニファも、マークが縄で引っ張らなければ今頃はどうなっていただろうか――。
 しかしディミクスナムーンが錫杖を構えるのに、あろうことかアレクはただの銃を出して引き金を引き絞る。
「間を与えるな!」
 アレクの声に真っ先に動いたのはカガチだ。
「心頭滅却すれば火もまた涼し!」という気概で魔法力への抵抗を高めると、抜き身の刀を下段から振り上げるが寸でのところで、ディミクスナムーンは『氷』を意味する短い詠唱の生んだ氷壁で阻んだ。が、威力は先程の術に比べて弱く、カガチの刀を受けた途端に砕け散る。
『――……』
 その一瞬の間にディミクスナムーンの後ろに回り込んでいたアレクが向こう側へ「豊美ちゃん!」と叫んだ。
 豊美ちゃんはそれに答える代わりに直線放射の魔法を叫ぶ。
陽乃光一貫
 正面からくる強力な魔力に、僅かだが数秒時間が取れた。
「ディミクスナムーンがディミトリアスの身体と魔力を使っているとするなら、時間を与えるのは危険だ」
 ディミトリアスの様子に、クローディスが口を開いた。
「彼の使う古代の魔法術式は、古いがその分、詠唱を重ねるごとに威力と精度を増す性質がある」
 現代の洗練された魔術より単純で原始的だが、だからこそ、純粋な力を引き出せるという厄介な側面がある。ディミトリアスとしての自制を失っている今なら尚のこと、時間を与えれば与えるほど、引き出された力が術として重ねられ、遺跡を破壊しかねないほどにその破壊力は増していく。
「恐らく魔力切れを狙うのも難しいと思う。何でもいい。とにかく詠唱の邪魔をしないと……」
 そう説明するクローディスの言葉に、ジェニファ達は頷いた。
「先生の意識を、どうにかして逸らせばいいのね」
 ジゼルがアレクに伝えていた『何も考えずに戦ってはいけない』というのはこの事だったのだろう。契約者達が顔を見合わせていると、バヂバヂっと嫌な音と共に空気が動いた。術式を防御から侵食に切り替え、豊美ちゃんの魔力を相殺し終えたディミクスナムーンが、再び詠唱を始めたのだ。
「私の『陽乃光一貫』を受けきって平気なんて、相当の魔力の持ち主ですねー」
 相手への称賛とも取れる言葉を口にした豊美ちゃんに、カガチと何か言葉を交わしたアレクが合図を送る。その意図を理解した豊美ちゃんは、おそらく生じるであろう閃光から契約者たちを守るべく、『月之灯楯縫』で一旦契約者たちを包み込んだ。
 直後にアレクはコートのDリングから外したスタングレネード(*閃光手榴弾)をディミクスナムーンとアッシュホテップへ投げつける。
 豊美ちゃんの魔法障壁の向こう側では凄まじい爆発音と光りが黄金の部屋を支配していた。
 アッシュホテップもディミクスナムーンも、古代の人間だ。そういった武器の類いは知る筈も無くまともに受けてしまった為、目を瞑り悶えている。
「ほらいけよお兄ちゃんテイフォン級(笑)!!」
 チートにはチートだと、カガチの腕に押し出されたアレクが飛び出してくるのに気づけなかったディミクスナムーンが突然眼前に迫った軍靴に蹴られ、数メートル先まで吹っ飛んだ。
 壁に背中を打ち付けられて動けないディミクスナムーンに、大股で近付いていくアレクは、ディミトリアスに向けて言葉を伝える。
「『手を抜きませんでした。でも殺してないんです。最後迄やった方が良いですか?
 ――これでいいですか? ディオン先生』」
 瞬間。
 ディミクスナムーンの中に僅かに残っていたディミトリアスの魂が震え出した。

「減俸処分ですぅですぅ……ですぅ……ですぅ…………


「…………ああ」
 ディミクスナムーンの口から、絞り出すような声が漏れるのに、アッシュホテップが首を傾げた為、契約者達もその異変に気づきだす。
 しかしディミクスナムーンの中から溢れ出してくるディミトリアスの感情は止まらない。
 『あの日』、自身の不甲斐なさに、咎めも落胆も無く、残酷なほどいつも通りに微笑むアニューリスの顔が、瞼の裏に張り付いている。
「違う……そうじゃない、違う……っ、俺は……そういうつもりでは……」
 そう、全てはあの大人しい彼が――、あの模範的な生徒があんな事をするなんて夢にも思っていなかったのに。
 黒檀のような髪に左右比対称の色の瞳、よく通る中低音の声、些か不自然なくらいにピンと伸びた背筋で制服のマントを翻しながら歩く、気に入っていた、と言っていい、あの――アレクサンダルが! 

「ディオン先生」
 十数センチの距離で覗き込んできた顔に、今や完全に戻ってきたディミトリアスは声にならない悲鳴を上げるのだった。
「――――ッ!」
 瞬間、何かに弾かれたように、ディミクスナムーンの腕が錫杖を振り上げた。術式も何も無い、ただ魔力をそのまま衝撃波のように撃ち出しただけの魔法が、アレクを拒むようにして弾けた。
 一足飛びで退いたアレクに、クローディスと豊美ちゃんが駆け寄る。「ディミトリアス先生の気配がします!」
「意識が戻りかけてるんだ」
「じゃあなんであんなに怖がってんだ?」
 羽純が尤もな事を言うのに、皆が眉を顰めてアレクに視線を送った。
「アレク、あなたイルミンスールの生徒だった時にディミトリアス先生になにかしたの?」
「何もしてない。確かに先生の講義は半年ちょっと通ったけど、古代語を学びたかっただけで……一般生徒してたぞ」
「でもよっぽどの事がないと、魂が揺さぶられるほど怖がったりしないと思うんだけど」
 全く思い当たる節が無いという表情のアレクに、ユピリアと羽純は豊美ちゃんとクローディスを交互に見るが、二人も「何も聞いていない」と首を振るばかりだ。
「あとで本人に聞くしかなさそうだな」
 羽純が言ったところで、次の展開があった。
「……あ!」
「繋がったのだよ!」
 ユリとリリが揃って声を上げた。
 ディミトリアスに揺れが生じたからなのか、先ほどからずっと試していた、アニューリスとの電話が繋がったのだ。簡単に事情を説明して、ユリがその携帯電話をスピーカーモードへと切り替えると、ずいとディミトリアスに向かって突き出した。
「ディミトリアスさん、アニューリスさんが『その女性とかわって欲しい』って言ってるのです」
 ぴくり、と反応したディミクスナムーン――いや、アレクの言葉によって揺さぶり起こされたディミトリアスだろうか――に向けて、携帯電話のスピーカーは「話は聞いた」と、とてもとても冷たい声を届けた。
『単刀直入に言う――誰の許可を得て、その身体にいるのか、聞かせて頂けるか』
 普段の柔らかな調子とはまるで異なる、他を威圧する声音に、周囲の気温が心なしか下がった。クローディスが無意識に、凍えた時にそうするように腕をさする中、アニューリスの声は続く。
『――それから、ディミトリアス。貴方も貴方で、なぜそんな女にその体を許しているのかな?』
 絶対零度の笑みが容易に想像できるような、ゆっくりとした声なのに刃物で切りつけるような声に、ディミクスナムーンのほうか、それともディミトリアスの方だったのか、じりり、とその足が怯えたように後退した。通話は既に切れてしまっているようだが、一度綻び始めたものは、なかなか元には戻らない。紫の目が、心許なく揺れている。
 その反応に、ディミトリアスの意識が表に戻ってき始めているのを悟って「ディミトリアスさん!」と歌菜が声を上げた。
「しっかり! 意識を取り戻してください!」
 でないと、とびしり、と歌菜の指がディミトリアスに突きつけられた。
「その衣装のこととか! アニューリスさんに言いつけますよ!」
「……ッ!?」
 その言葉は、予想以上にディミトリアスの魂を揺さぶったようだ。自分の放った言葉が、どれほどの脅しとなっているか判っていないらしい歌菜の隣では、羽純を筆頭に男性陣がそっと目を逸らした。同じ男として、操られていたとしてもあんな格好をしていたとは、とてもではないが知られたくない。
「―――ッ!!」
 はたからは見えない、何かの葛藤が内部で行われたのか、苦しげな顔をしたディミトリアスは、反射的に苦痛を取り覗こうとしたのか、錫杖を構え直して詠唱を始めた、が、遅い。
 次の瞬間には、壮太がディミトリアスに向けて駆け出していた。直ぐに接近に気付いたディミトリアスが詠唱を変えて、その狙いを定めようと錫杖を向けたが、高速移動する壮太の生んだ分身たちが、その視界を惑わせた。
「く……」
 更に、その隙に投げつけられる雲隠が、その苛立ちを更に増加させ、詠唱を途中で切り上げると、錫杖を振るって氷の散弾を撒き散らした。
「どわ……っ!」
 だが、分身ごとまとめて倒そうとして焦ったのが裏目に出たのか、咄嗟に下がりながら庇った左腕にダメージを負ったが、その程度だ。焦りはその威力を相当に落としているらしい。ディミトリアスが表へ出てきているのも、一因かもしれないが。
「ユピリア!」
 それを確認して、アッシュホテップの方へ向かっていた陣が声を上げると、頷いてユピリアは指を高く掲げた。
「愛のゴッドスピードをかけてあ・げ・る!」
 周囲がその恩恵に預かる中、真っ先に飛び込んだのは、同じくゴッドスピードを自分達へとかけた歌菜と羽純だ。即座に反応して、ディミトリアスの氷の刃が横殴りの雨のように降り注いだが、その殺気から発動を察知した羽純が歌菜を庇うように、龍鱗化した腕を翳して防ぐと、更に歌菜の生み出したトリップ・ザ・ワールドのフィールドが味方へ降り注ぐ刃への傘として広がる。が、勿論、ディミトリアスのほうも発動と共に次の詠唱へと入っている。歌菜たちが防御に回った分、その詠唱時間は長くなりつつあった、が。
「させません!」
 一声。息を吸い込んだ歌菜の歌声が響いた。歌声は刃に、音色はそれを槍へと形成すると、楽譜の上に並ぶ音符のように広がった槍は、一斉にディミトリアスのほうを向く。
「いくぞ……!」
 同時、羽純が舞うようにして放った剣が重なる。点ではなく面での質量攻撃に、ディミトリアスは一瞬顔を顰めたものの、即座にその詠唱を組み替えて、放とうとしていた氷を重ねて壁を作り上げると、直撃を防いだ、が。その詠唱の切れ目が、決定打だった。先よりスピードの増した壮太の放った一撃が、その隙をついて雲隠を投擲していたのだ。
「……ッ」
 詠唱も間に合わない速度で投擲されたそれは、ディミトリアスの衣服を壁へと縫い止めた。錫杖が手から離れたが、顔を顰めたディミトリアスの攻撃はまだ止まらない。ギリギリ動く指先を突き出し、そのまま詠唱を続けようとしたが、その間には歌菜と壮太の接近は完了していた。壮太が詠唱を阻んでその腕を取り上げ、歌菜が槍の先をその喉もとへと突きつけた。
「ディミトリアスさんを返してもらいます!」
「ってぇわけで」
 歌菜の一声にあわせて、印を切り終わったカガチがその指先をディミトリアスの額にあわせる。
「せーの……悪霊退散!」
 バヂンッと弾けた光と共に、ディミトリアス――の中のディミクスナムーンの魂は、霧散していったのだった。