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一会→十会 —失われた荒野の都—

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一会→十会 —失われた荒野の都—

リアクション



【黄金の部屋・2】


 ゆっくり閉じていく瞼に、瞬間ディミトリアスの緑色を見た事で、契約者達は息を吐き出す。
「どうやら、無事に取り戻せたか……まったく、災難の絶えない事だな」
「でも、皆さん大きな怪我がなくて何よりです」
 豊美ちゃんが微笑って答え、今のうちに僅かな傷も回復しようとディミトリアスに向かってぱたぱたと掛けていくのを見て、クローディスは宙へ向かって息を吐き出すのだった。
 その戦いの間、時を同じくして――。
 姿が見えると同時、ディミクスナムーンを無視して、アッシュホテップへと飛び掛っていたのは陣とフレンディスだ。
 反応されるより早く懐へと飛び込んだフレンディスの忍刀・雲煙過眼が、躊躇いもなく喉元を狙う。咄嗟に庇ったアッシュホテップの腕が、ざっくりと抉られたが、構わずその手がフレンディスに伸びようとして――その腕を、後ろへと回り込んだ陣が掴んだ。このまま、僅かにでも拘束していれば、仲間の攻撃への隙が出来る、と踏んだからだが――次の瞬間。
「ひぇひぇひぇひぇひぇひぇー!!」
 アッシュホテップを視界に捉えたさゆみが、歪んだ口元から笑い声を吐き出した。
「……ここで会ったが百年目……、貴様の息の根を止めてくれよう! ひぇひぇひぇひぇ……!!」
 殆ど元の人格を残していない、狂気に染まりきった叫び声が、居合わせた全員の背筋を冷たく凍らせ、陣も思わず掴んでいた手を離してじりりと退がる。かのアッシュホテップさえ、一瞬言葉を失った中、遠慮も慈悲もなく、その両手がシュヴァルツ、ヴァイスの引き金を引いた。
「血の雨を降らせて舞え! 踊れ!」
「――……ッ!」
 多分に、何かしらの主張をしたかったのだろうアッシュホテップは、周囲の被害もものともせずに、トリガーハッピーよろしく撒き散らされる弾丸に逃げ惑うしかない。
「逃げるな! 踊れ! ○×△□※※※―――――ッ!!」
 最早既に人語ですらなくなった声、と言うより音だろうか。
 恐れと悲しみの歌が混ざり合った、おどろおどろしい音階をなぞる歌声……というより冥界の断末魔のほうがまだ可愛げのありそうなそれが、アッシュホテップの精神をゴリッゴリと削っているのが目に見えて判った。アレクを前にしたディミトリアスもかくやという真っ白な顔色をしたアッシュホテップの悪夢は、そこに留まらなかった。
「ふ……ふふふ……逃がしませんわ」
 ぞわっと鳥肌立つような凄みをきかせながら、冷たくアッシュホテップを見下ろしたのはアデリーヌだ。恋人を狂気に陥れるその憎しみが、その心をどす黒く塗りつぶし、既に戦意も裸足で逃げ出しかかっているアッシュホテップへと、容赦なく手の平を翳した。
「我は射す――光の閃刃」
 一撃目。戦女神の威光が、刃となって降り注ぎ。
「我は誘う……炎雷の都」
 二撃目。女神イナンナの力で、巨大な炎と雷の融合した一撃が、逃げ惑うその身体へと襲い掛かる。
「我は示す冥府の理――!」
 そして惨劇、いや三撃目。
 強力無比な四本の矢が全身を貫かんと、頭上から降り注ぐ。
「……ちょっと、やりすぎじゃねえぇのか?」
 ベルクが思わずぼそりと呟く。
 誰もがその情け容赦のなさに、止めるべきか手を貸すべきか、うっかり判断し損ねて呆然と眺めている内に、あっという間にアッシュホテップの立場は崖っぷちまで追いやられていた。
 ――その時だ。
「フハハハハ!
 我が名は世界征服を企む悪の秘密結社オリュンポスの大幹部、天才科学者ドクタ……うわあ、なにをする、きさまー!」
 派手な名乗りをあげる事でジリ貧だったアッシュホテップに捕らえられるという失態を犯してくれたドクター・ハデス(どくたー・はです)の空気を読まない登場に、契約者達は皆揃って頭を抱えた。
「……あいっつ、また!」
 隊長の突っ込み役としてプラヴダの兵士の中で密かに名を馳せていたベルクも、此れには続く声が出ない。
 と、更に驚く事があった。
 ハデスの後ろを後ろから羽交い締めするように抱えていたアッシュホテップが、ハデスの顎をグイと引き寄せると口づけするように自らも顔面を近づける。
 ハデスの黒い瞳とアッシュホテップの赤い瞳。
「な……」
 二つが搗ち合った瞬間、アッシュホテップが口をぐわっと開くとその中から流砂の如き灰が、ハデスの呆けて開いたままの口の中へ流れ込んでいく。
 皆がその光景にぎょっと目を剥いていると、始めは唇から灰を零してまき散らし悶えていたハデスが、身体を一度震わせた直後それをごくりと飲み込んだのである。
「ハデス!?」
 誰かが呼ぶ声に振り向いたハデスの瞳は赤い。
 灰塗れの口を白衣の袖で拭った後に皆から見えた唇は、明らかに歪んで見えた。
「フハハハ!
 我が名は世界征服を行ない、この世のすべての女を愛人にすることを目論む、アッシュハデッス!
 ククク、ついにねんがんのにくたいをてにいれたぞ!」
 この展開に皆が「ああやっぱり……」という反応をしていると、部屋の入り口から自由過ぎる兄にやっと追いついたらしい高天原 咲耶(たかまがはら・さくや)が駆けつける。
「ちょっ、ちょっと!
 なに変なのに乗っ取られてるんですか、兄さんっ!」
 ハデスに連れられて遺跡探索に付き合わされていた咲耶は此処迄くるのに、マミーに襲われたり、虫に襲われたり、とアルテミス・カリスト(あるてみす・かりすと)と一緒にこれ以上無いくらいに散々な目に遭っていたというのに、ハデスがアッシュホテップに乗っ取られたという展開でこれ以上になってしまった。
 余りに散々な一日に溜め息しか出て来ない。
「まったく!
 スリッパで叩けば、アッシュなんとかっていう人、出ていきますかね」と、突っ込み用のスリッパを取り出す手が一歩遅かった所為だろうか。
 アッシュホテップに乗っ取られたらしいハデスは既に白衣のポケットから ハデスの 発明品(はですの・はつめいひん)その5を出してしまっている。
「フハハハ! それでは、まずは、この場にいる女をすべて我が物にしようではないか!
 さあ行け、我が発明品よ! 女どもを拘束するのだっ!
「えッ!?」
 最初に発明品の餌食になったのは、ハデスの口から「女を我がものに」というフレーズに驚いていた咲耶だった。
 スリッパを握る腕にしゅるしゅると包帯が巻き付くと、そのままそれは生き物のように彼女の身体を這い回りあらゆる部分へ伸びていく。
 ――というか包帯というよりも此れ、触手だった。
「な、なんですか、これっ?!」
 柔らかな胸を押し上げ、蒼空学園のジャケットの中へ侵入を果たすと、包帯の薄さを利用してブラウスのボタンとボタンの隙間から直接触れられる部分へと辿り着いてしまう。
「……ゃ…………んっ」
 包帯は咲耶が生理的に溢れさせる汗のフェロモンに誘われる様に動き回る。媚を含んだ声が上がる度に、アッシュハデッスの唇もくいと上がっていった。
「大丈夫ですか、咲耶お姉ちゃんっ!」
 この状態で大丈夫な訳が無いのだが、一応そう叫んで、アルテミスは大剣を手に咲耶に駆け寄る。
「今、その包帯を斬りますからねっ!」
 咲耶の前に出て振り上げた剣先で横薙ぎに包帯を裂こうとするが、驚いた事にそれは敵わなかった。
 一応包帯である事は確かなようなのだが、アッシュホテップの魔力を吸って動くハデスの発明品は軟体動物のようにくねくねと柔らかく、アルテミスの持つ剣の刃に沿って動きを変えてしまうのだ。
「――クッ!」
 アルテミスは剣の軌道を横薙ぎから振り下ろし変えると、直後上へ引き上げる。
 急激な動きでこれで今度こそ斬り裂ける筈だったのに、包帯が固い鉄の塊のようになってそれを阻んだ。
 アルテミスがそれに気付いて剣を下へ向けようとした時には、既に遅し。包帯が剣を包み込んでいる。
「あっ、しまった……!」言った瞬間にもアルテミスは剣ごと向こう側へ引っ張られ、転んだところを一気に包帯に巻き付かれた。
「あふうっ」
 アルテミスの悲鳴に、これはヤバいと呆気に取られていた契約者達が動き出そうとする。
「この……ッ」
 アレクが使用する大口径とは違い護身用としか言えない華奢なハンドガンを手に果敢に立ち向かうクローディスだったが、咲耶とアルテミスが更なる悲鳴を上げるのに足を止めた。
 咲耶とアルテミスは触手の被害者な上に、アッシュハデッスの人質なのだ。
「下手に動くことは出来ないか……」
 クローディスが悔しげに唇を噛み締めていると、急に目の前の視界がぐるっと反転する。
「うわ……っ」
 転んだ、或は頭を打ったと思ったが、そうはならなかった。
 クローディスの頭は例の包帯に捉えられていたのだ。
「……!」
 髪をあげていたバンダナがアッシュホテップの呪術を含んだ包帯に風化していくを感じて、クローディスは慌てるが、包帯に捉えられたまま身体をくねらせようとしても上手くいかない。
「あ……」
 包帯が始めに捉えていたのは彼女の両手足だったのだが、くすぐったい感覚に下を向けば、腰を支えるコルセットの上からクローディスを抱き竦めるように包帯が巻き付いていた。このままではコルセットが消えてしまう。
(そしたら次は……服が)
「やめろっ」
 クローディスの抵抗や虚しく、コルセットの一部は既にぽろぽろと崩れ落ちていた。
 そして包帯の一本が臀部のラインを上からなぞるように滑るのに、クローディスの背中にぞわりと鳥肌がたってゆく。 
 こんな状況でもアレクが微動だにしないのに、彼の上に居たポチの助が真っ先に疑問に思った。
「アレクさん、どうしたんですか?」
 アレクは何も答えない。
 だが肉球にドクドクと打つ鼓動が伝わるようで、ポチの助は緊張に息を飲み込んだ。
 アッシュハデッスは、それを高みから見下ろすだけだ。まるで何かを知っていると言わんばかりの笑顔で。
 そうしている間にも、咲耶の方は服の――何処とは言わないが――一部が脱げ、風化し、今にもあられもない姿になろうとしている。
「はぁ……もぉ……だめぇっ…………」
 絶え絶えの声で降参を口に出す咲耶。
 だがアルテミスの闘志は未だ萎えていないようだ。咲耶の制服は兎も角、アルテミスの身につけている鎧が簡単に風化する事は無いだろうと踏んでいたのだ。
「この鎧ならあなたの妙な呪術は効きませんよ……!」
 ハデステップに向かって勝ち誇った笑みを向けた直後、アルテミスは悲鳴を上げる。
 彼女の予想通り、鎧の金属こそは風化しなかった。
 だが留め具は違う。アッシュハデッスの使う不思議な術に耐えきれず、無惨に腐食してカシャンと音を立てたのだ。
「……あ!」
 カシャン。
 もう一度音が鳴り、胸当てが地面を転がっていく。
「きゃああ!」
 このままでは下半身を守る部分が落ちるのに長い事時間は掛からないだろう。
 下手に手を出せば咲耶もアルテミスも、クローディスまでもが包帯に締め上げられる可能性もあるが、このまま特攻しなければ三人が別の意味で危険だ。
 ここであの包帯を斬り裂く技術を持っているのも、アッシュハデッスが対応しきれないであろうスピードを持っているのも彼だと豊美ちゃんは後ろを振り返って叫ぶ。
「アレクさん!」
 しかし、豊美ちゃんの声にもアレクは答えない。そう、彼には忘れられない苦い思い出があったのだ。
「ククク、アレクよ。
 貴様がこの発明品にトラウマがあることはわかっているぞ……」
 その言葉に、アレクの眉が僅かに動いた。アッシュハデッスの中で記憶が混濁しているのかもしれないが、それは――かつてアレクがハデスの触手に捉えられて愛する妹達の前で半裸に剥かれ、ヌルヌルされ、喘がされたという出来事は、ハデスしか知り得ない情報だったのだ。
 無言のまま唐突に頭の上の物体を掴むと、振りかぶってぶん投げる。
 アレクが投げつけたポチの助がアッシュハデッスの顔面にぶつかると同時に(*忠犬には特攻すら本望、またポチの助はハイテク忍犬です、安心してご覧下さい)、アレクの唇から低い声が漏れた。 
「――ハデス、お前、分かっているのか?」
「は?」
 鼻血をふきふき立ち上がったアッシュハデッスがアレクの目を見た瞬間――、彼の身体は1ミリも動く事が出来なくなる。金と翠の双眸に見下ろされ、ハデスはへたへたとその場に座り込んで動けなくなった。
 誰一人何が起こっているのか状況を掴めていない間に、アレクの言葉は『ハデス』に向かってぶつけられている。
「否、分かっていない。分かる訳が無い。
 加害者は被害者を分からない。傷つけた事すら気付かない。さっき羽純とユピリアが俺に聞いたな。『ディオン先生に何をしたのかと』――勿論俺には覚えが無い。そういうことだ、そういう事なんだろう。
 勝者が敗者の心情を理解する筈が無い。だから勝者は勝者足りうるんだ。
 だが俺は知った。
 HENTAI(*日本の漫画やゲームやアニメのアダルトジャンル、またはギャルゲー)で、触手の餌食になった女の――被害者の心を知った。
 故に!! 俺は、お前を赦さない!!
 アレクは握りしめていたグリップごと銃を放り投げると、背負っていた刀を落とす。
「あいつ何してるんだ?」と陣が近くに居たクローディスを見るが、クローディスもまた豊美ちゃんの方を同じように向くだけだ。
 誰もが答えを出せず困惑する。そんな折、優秀な術師であるベルクが、急激に部屋の温度が下がっている事に気付いた。
 気付けば周囲の水蒸気が凍り、氷晶となって周囲を舞っている。肌の剥き出しの部分にそれ当たる度にチリリと鈍い痛みが走って赤くなる。此れは何らかのスキルだと、というかヤバイと慌てて向こうを見た。
 このスキルを無意識に行使しているのはアレクなのだ。
「ああそうだこんなものじゃ、俺の怒りは、恨みは、伝わらない」
 やがて全ての装備を捨てたアレクは、最後に襟に指を掛けてホックを寛げた。
「さあハデス、俺の心を見せてやろう。お前に陵辱されたものの嘆きを!
 ――お前を俺のコキュートスに突き落としてやる」
 ピンと空気が張りつめた瞬間――、地中から無数の氷の柱が現れアレクとハデスを囲んでいく。黄金の部屋の中、一秒と経たない間に作り上げられた氷の城に、契約者たちは中の様子を窺い知る事が出来なくなった。
「アレクさん!?」
 豊美ちゃんは氷の塊の方に駆け寄ろうとするが、クローディスが肩を叩いて首を横に振ると、仲間へ言った。
「皆、出口へ戻ろう」
「でも……」
 豊美ちゃんは去るべきか悩んでいるようだ。
 それ程心配しているのならば矢張り彼女だけでも残してやるべきかと振り返ったクローディスの目に、氷の柱たちが映る。
 それは分厚く中は見えない。が、くぐもった悲鳴が聞こえたかと思うとびしゃびしゃびしゃっと赤い色が飛び散るのが見えた。
「大丈夫だ」
 その大丈夫がアレクの肉体に対してなのか、精神に対してなのか、はたまたハデスに対してなのか言ったクローディス自身はっきり分かっていたわけではない。
 ただ、これ以上此処に居るべきではないと、それだけは分かっているから、クローディスはもう一度豊美ちゃんの背中を押す。
「……はい。すみません、行きましょう」
 クローディスに頷き、豊美ちゃんは背後のアレクを思う。
 ――彼には彼の『逆鱗』があるのだ。それを知らない私が無闇に気を回すのは失礼だろう――。
 そう自らに言い聞かせ、その場を後にする。