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なし

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冬のとある日

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冬のとある日

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【1】


「ありがとうございました!」
 エレノア・グランクルス(えれのあ・ぐらんくるす)が頭を下げるのにタイミングを合わせて、布袋 佳奈子(ほてい・かなこ)ジゼル・パルテノペー(じぜる・ぱるてのぺー)はカウンターから去って行く客の背中に感謝を伝える。
 少しの間を置いて、エプロンスカート翻しながらくるっとカウンターへ向き直ったエレノアが何処か達成感を感じさせるような息を吐き出せば、佳奈子もジゼルもまた同じ様に両肩を下げた。

 ここは蒼空学園付近にある定食屋『あおぞら』。
 食欲旺盛な学生達の帰宅時にはごった返す店内も、普通の店のディナータイムになれば逆に客足がまばらになっていき、20時も後半に回れば一人二人と数える程。今は21時を数分過ぎて、殆ど予定通りに最後の客がはけて行ったところだ。
 春先に終わった改装を終え、大きくなった店内だったが、この時間に残っている店員は彼女達だけだった。
「お疲れ様」と誰となく労い合うと、それぞれが決められた仕事場につく。まずホール担当のエレノアがカウンターの後ろへ入って掃除用具を手に戻ってくると、その間に佳奈子が厨房の食器や調理器具の洗浄の続きを、ジゼルは売り上げ確認の為にレジの前に立つ。年末に短期のアルバイトで入った佳奈子とエレノアも、数日働けばもう慣れたもので、古株のジゼルの指示が無くとも能率的に作業をこなしていった。
 始めこそ集中しなければ出来なかった締め作業だが、今ではこの時間が、同じバイト先で働く学友と、学外で会話出来るという一つの楽しみにもなっている。


「二人が――」レシートに表示された売上金を端末に打ち込みながら、まずジゼルが口を開いた。
「1月に帰るのって日本よね」
「うん。まず新幹線で上野駅ってターミナル駅に行って、それから東京を経由して飛行機で私の田舎に行くんだ」
「飛行機ってことは、真ん中のところじゃないのね」
 地図上で見た日本の形を思い浮かべ、ジゼルは横目でカウンターを見る。背の高いカウンターの中では、佳奈子がそこに腰の上まですっぽり入って作業を続けているのだ。
「そうそう、田舎だから『田舎』って言ったんだよ。
 折角だからやっぱり地元の友達と会いたいなー。年末って普段会えない友達と会うには丁度いいタイミングだよね」
 開いた食洗機の吐き出す湯気を払いながら、佳奈子が笑うのに続いて、テーブルと椅子を元の位置へリセットしていたエレノアが口を開いた。
「その旅費を稼ぐ為の短期バイトだもの、きっちり働かなきゃ。ね、佳奈子」
「もうっ、ちゃんと働いるよーだ。ジゼルさんは? 年末の予定決まってる?」
「んー……、蒼学と葦原の友達がねー、旅行に誘ってくれたわ。一泊二日で温泉」
「いいわね、温泉。休めるときにゆっくり休んで羽を延ばしてきたらいいと思うわ。
 またすぐに忙しくなるんでしょうし」
「そうなの、お正月終わった辺りからまたアメリカだって」
「なら尚の事、オンとオフはしっかり切り替えて、気分転換したらいいんじゃない」
 エレノアが言うのと殆ど同じタイミングで、ジゼルが伸びをする。そんな彼女の様子を見て、佳奈子はジゼル「お疲れモード?」と、問いかけた。仕事中は店員の誰よりテキパキと動いて普段からは考えられないような凛々しさを感じさせるジゼルが、今日は眠たそうに欠伸を堪えていたのが気になっていたのだ。
「温泉でゆっくり疲れとって、思いきり息抜きして遊んできなよ」
 二人がいたわる言葉をくれるのにジゼルは「うん、休むよー」と微笑んで、それから突然作った真顔になった。
「だって1日は、戦場だから」
「戦場?」
「うん、マルタン」
 女性にとって定番の人気デパートの名前を出しながら腰に両手を当ててポーズを取るジゼルに、佳奈子とエレノアは眉を寄せた。毎年空京の店舗の初売りは大きな話題になっている。佳奈子達も女性達がもみくちゃになって服や雑貨を求める報道を、テレビで「すごいね」などと苦笑混じりにぼんやり眺めていたのだ。
「うわー……あそこ超混むんでしょ? 頑張るねー」
「頑張るよー。でもダイジョブなの、だって今年はバーゲンのプロがついてるから! 因にジゼルさんの狙いは、ワンピースとバッグです」
「あら、この間可愛いの持ってたじゃない」
 エレノアが思い浮かべているのは、つい数日前の休日に出勤してきた時のジゼルの姿だ。スタンドカラーのブラウンのコートに生える、ピンク色のリボンバンドのショルダーバッグはよく覚えていた。
「あー、ああいうのじゃなくてね。もうちょっとラフな……、いっぱい入る――」
「バックパックとかデイパック?」
「そうそう。この間歳末セールでブルゾン買ったんだけど、持ってたバッグ全然合わないの。クローゼット仕舞う時になって、やっと気がついて、ちょっと失敗。やっぱりシフォンのブラウスにしておけばよかったかも」
 成る程と頷き合い、仕事を終えた佳奈子とエレノアがレジの近くまで足を運ぶ。丁度同じ頃に端末に売り上げを入力し終えたジゼルが、レジを閉める音が静かな店内に響いた。
「可愛い洋服あったら後で教えてね」
「教えた瞬間に、無くなってるわよ」
 エレノアの素早い指摘に、佳奈子とジゼルが同時に吹き出すと、既に閉店の札を出し終わった鈴の音が耳に入って三人は扉に注目した。
「なんだ、遊んでるのか」
 それなりに労う言葉を咽の奥に準備していたのに、入って早々和気藹々とした三人の様子が目に飛び込み、アレクサンダル四世・ミロシェヴィッチ(あれくさんだるちぇとゔるてぃ・みろしぇゔぃっち)は呆れた顔だ。
「違うの! 今終わったとこなの!」
 狼狽えて両手を前でブンブン振る挙動不審なジゼルの動きに、アレクは眉を上げて「ふーん」と、明らかに信じていない反応を示している。
 そんなやり取りの隣で、エレノアは壁掛けの時計へ視線をやった。時間に正確なアレクが現れるのは、決まって勤務時間が終了する数分前。今日もあと五分で終わりのようだ。
 やっぱりと思っていると、佳奈子も同じ様に時計を確認したらしく、一気に気を緩めて背中を壁に凭れさせている。
「と、言う訳で、今日はちょっと早いけど終了です。お疲れさまでした!」
 アレクの疑いを晴らすべくジゼルが突然勢い良く頭を下げたのに、佳奈子とエレノアは笑い混じりに「お疲れさまでした」と答えた。


* * * * *

 

 着替えを済ませ学園の制服姿に戻った三人は、売上金を入れた金庫の施錠を改めて確認すると、揃って店の外に出た。
「うぅっ、寒!」
 数時間振りに外に出た佳奈子が身震いしながら自分の肩を抱きしめると、ジゼルが扉を閉める音が背中に後ろに聞こえる。
「ジゼルさんは明日も入ってるんだっけ」
 佳奈子の質問に、カードキーを顎に当てながらジゼルが答える。
「うん、確か二人もシフト一緒だったわよね」
「4時から締めまで」
 エレノアが言うのに頷いて、ジゼルはアレクへ向き直った。
「と言う訳でアレク、私は明日も遅いです」
「知ってる」
「知ってるのを知ってるわ」
 ジゼルにそう返されて、アレクは未だ結んでいなかったマフラーを、顎から巻き付けて頭の上で縛ってしまう。微笑ましいとシュールがギリギリのやり取りを見守りながら、佳奈子は闇の中に白い息を混じらせた。
「アレクさん、折角の休暇なのに毎日ジゼルさんが遅くて寂しくない?」
「寂しいけど」表情の無い顔で感情的な答えを即答されて、佳奈子とエレノアは少々面食らう。
「まあ、仕事だし」
 付け足したアレクに、佳奈子は破顔していた。 
「明日は私たちもいるし、夕食はここに食べにおいでよ」
「お兄ちゃんの話し相手くらいにはなれると思うわ」 
 エレノアが言うと、アレクは首を傾げ、それからジゼルの顔を覗き込んだ。承諾を求める瞳にジゼルは逡巡する。
「普通にお客様するならいいです。この間みたいに、その、変な事しないで
「…………しますん」
「どっち!?」
「さあ?」
 わざをらしく宙を見上げるアレクに佳奈子は吹き出してしまう。
「アレクさんって、変な日本語知ってるよね」
「もおおお、おにいちゃんなんて知らない!」
「じゃあお兄ちゃんのバイクも知らないね。歩いて帰るんだね」
 店の前に止めたバイクにエンジンを掛けるアレクに駆け寄って、ジゼルはその手からヘルメットを奪い取る。
「それじゃ二人ともまたバイト、の前に学園で会うと思うけど……、兎に角また明日」
 後部座席に股がって準備が済んだジゼルが顔を上げるのに、佳奈子とエレノアも別れの挨拶をする。
「ええ、明日も頑張りましょう」
「おやすみジゼルさん、アレクさん」
「Night.(*おやすみ) 」
 アレクの簡素な挨拶の後に、ジゼルが「おやすみなさい」と手を振る姿が見えなくなると、佳奈子はエレノアへ向き直って微笑んだ。
「さて。私達も帰ろっか」
「ええ」
 こうして家路につく迄、二人は仕事終わりの解放された気分に言葉を弾ませて、途切れる事無く言葉を交わし合うのだった。