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リアクション
【2】
大太刀の横凪ぎの刃が空を斬る。
サヴァスが消え、進路しか見えなくなった空間を睨み、アレクサンダル四世・ミロシェヴィッチ(あれくさんだるちぇとゔるてぃ・みろしぇゔぃっち)は舌打ちする。
「殺り損なった。『首を落としてやろう』と思ったのにな」
振り返った際の皮肉混じりの物言いに、飛鳥 豊美(あすかの・とよみ)らアレクの友人達は彼の出した僅かな異変に気付いて眉を顰める。上官として此処へ連れてきたハインリヒに何が起こったとして、彼はそれが任務なのだからと割り切れる。しかし民間人の青年や研究者を巻き込み、挙げ句マインドコントロールする、という部分をアレクは捨て置けない。過去、ある男によって彼のパートナーが兵器として好き勝手に扱われた事や、妹が騙されて暴走した事を思い起こさせるからだ。
苛立った様子の彼を見て、豊美ちゃんは小さく溜め息を零した。アレクの心を案じつつ、行動を促す声を発する。
「追いかけましょう。ハインツさんの力でしたら、即席の追跡者に遅れを取ることは無いと思いますが、心配です」
「うん、心配」
豊美ちゃんの声に同意したのはティエン・シア(てぃえん・しあ)だ。と、そんな折に彼女のパートナーまでもが妙な声を上げた。
「あーもう!」
ユピリア・クォーレ(ゆぴりあ・くぉーれ)の発した苛立ちに、皆が彼女を振り返る。豊美ちゃんがティエンを見ると、ティエンは高柳 陣(たかやなぎ・じん)へ助けを求める様に視線を向けた。だが陣は首を軽く横に振るだけだ。
“何も言うな、何もするな”そう言わんばかりに。
「じれったい! じれったすぎるわ!
なんなのあの二人。進展してなさすぎじゃない!? この前のホテルでの出来事はなんだったの!?」
どうやらユピリアの引っかかっている部分は、アレクとは違うらしい。その事が分かって豊美ちゃんは安堵しつつも、別の部分が気になった。ユピリアが指している『あの二人』とは恐らくハインリヒとツライッツの事だろう。二人は『良いお付き合い』をしているというのは聞いていた。だからだとは思うが、それにしてもユピリアの怒り具合は豊美ちゃんに疑問符を抱かせる。そんな豊美ちゃんの様子を察したのか、前を猛然と進むユピリアの背中を見て、ティエンが耳打ちするようにこっそり口を開いた。
「ユピリアお姉ちゃんをあそこまで怒らせたの、ハインツお兄ちゃんが二人目だよ。
一人目はジゼルお姉ちゃん。
なんだかんだ言ってるけど、ハインツお兄ちゃんの事気に入ってるんだよね」
「なるほど……そうでしたか」
ティエンの話した内容にフレンディス・ティラ(ふれんでぃす・てぃら)が頷いているのを見ながら、豊美ちゃんは納得といった表情を浮かべた。アレクとジゼルが今の関係に至るまでには色々あったと聞いているから、どうやらユピリアはそういう関係にある者達を放っておけない性格のようだ。
「こういう時は逆らわない方が良いって、お兄ちゃん言ってたよ」
「そうみたいですね。先程も陣さんも何も仰らなかったですし」
ティエンの言葉に頷きながら、それはきっと、自分が口を挟まずとも悪い事にはならないだろう、という信頼の現れなのだろうと思い至る。
(ハインツさんは良い友人を持たれていますね)
彼らが居ればきっと大丈夫。そう、豊美ちゃんは確信する。
「先日お二人は無事再会できましたのに、まさかかような事態になるとは……早急にお助けせねば」
途中から会話に入っていたフレンディスが呟くと、そこですっぱり頭を切り替えたのか、やにわに豊美ちゃんへ顔を向けた。
「豊美ちゃん、支援宜しくお願い致します」
「はい、フレンディスさんもどうか、お気をつけて。
まだ確信は持てませんが、彼……サヴァスは自分の気配を操作することが出来るようです」
豊美ちゃんの言では、アレクの攻撃を避けたサヴァスは瞬間移動の類で逃げたのではなく、何らかの方法で自身の気配、存在を紛れさせたのだとのことであった。
「……それはあの者が『融解する力』と言っていたのと関係しますか?」
忍びに通じているが故、気配や存在といったものに理解が早いフレンディスの問いに、豊美ちゃんがおそらくは、と告げる。
「ですが今の私では、彼がどのようにして自身の気配を操作しているのか、そして彼が何処に居るのかを見ることは出来ません。
力不足を申し訳ない思いますけど……」
「気にしないでください、豊美ちゃん。今の話が聞けただけでも十分ですから」
豊美ちゃんの声に薄く微笑んで、フレンディスは一足アレクの隣に並ぶ。彼のスピードに着いて行けるのは、歴戦の契約者がいるこの場においても彼女ぐらいのものだ。
「アレックスさん。
お気持ちは察しますが、冷静を欠くと機を逃し相手の思う壺になります故――
今は耐えて下さいまし」
フレンディスの言葉に、アレクは目礼で返して先に進む。彼がやろうと思えばどんな時でも冷静に振る舞える男なのは分かっているが、仲間が声を掛ける事は矢張り大事なのだ。フレンディスとてこの状況に立腹しているからこそ、それが分かっていた。
こうしてそれぞれの思いが交錯するなか、リカイン・フェルマータ(りかいん・ふぇるまーた)は、一人口を開かず考え込んでいた。
“戦う理由を他人の為とするのを否定はしないが、それはただの自己満足だ。その自己満足が自身の目的に繋がるならいい。繋がるならな”
今リカインの頭にあるのは何時ぞや、アレクの口から他人に向けられた言葉だ。この言葉を思い返し、リカインは逡巡する。
ハインリヒに対する今までの自分はどうだっただろう? そして今この瞬間はどうなのだろうか。
勿論、この事件はハインリヒとリカイン個人間だけの問題では無い。アッシュと異世界転移――そこからヴァルデマールや魔法世界と広く繋がった話は、今やシャンバラどころかパラミタ全土の行く末にすら関わる大事件に発展してしまった。だから最早それは『他人事』では無いし、そもそもハインリヒとリカインは他人とは言えないだろう。
そう、もう彼とは他人同士では無い。時に同じ戦場に立ち肩を並べて戦い、冗談の様な言葉を交わし合った事もあれば、彼を救う為に戦いに身を投じた事もある。それにリカインのパートナーのギフトも、ハインリヒのギフトによく懐いていた。
こういう関係を表すのに簡単な言葉を、リカインは知っている。
(でもそれは私から見ての事)
ハインリヒは他人に距離を置く人物だ。彼の砕けた態度と微笑みが、実は彼の頑なな心が作り出した壁そのものなのを、今のリカインは知っている。
(ハインリヒ君にとって、私は深く考えずに助けの手を差し伸べてきてもおかしくない……そういう相手になれているのかな?)
*
廊下に出た頃には、研究室を先に出た他の契約者の姿はもう見え無かった。目の前に現れた蟲の大群へ杖から炎を放ちながら、アッシュ・グロック(あっしゅ・ぐろっく)はハルカ・エドワーズ(はるか・えどわーず)をそっと振り返る。
自分のふとした提案で彼女を巻き込む事になった事が、アッシュには気掛かりだった。元より軍人であるアレクや、イルミンスール魔法学校でも有数の魔法少女と称えられる豊美ちゃん、それに戦いに慣れた仲間の契約者と違いハルカは力を持たない。
勿論、厚意と協力は有難く思うが、ハルカは『闇の軍勢』をこの間の舞踏会の出来事でしか知らない。ヴァルデマール達の戦い方は、綺麗事とは程遠い。奴等が此方に狙いを定めるのなら、きっと迷いなく、最も弱い者から襲うだろう。
「ハルカ、本当に大丈夫?」
改めて確認の言葉を出し、アッシュは続ける。
「……彼は、残酷な奴だ」
ハルカに何かあったら、自分は巻き込んだことを後悔する。そんなアッシュの自分を案じる瞳を、ハルカは見つめ返した。自分が無力であることを、ハルカは充分に理解している。イルミンスールに学んでいても、未だ碌な攻撃魔法が使えない、ハルカは落ち零れだ。
「ご心配なく」
ハルカが口を開く前に、そう請け負ったのは、エリシア・ボック(えりしあ・ぼっく)だった。
「ハルカはわたくし達が、何があっても護ってみせますわ」
「私もエリシア様をサポートしますから、こちらはお任せ下さい」
御神楽 舞花(みかぐら・まいか)も、アッシュへ強く頷いてみせる。
「今はハインリヒ少佐達へ追いつく事に専念しましょう」
「…………うん」
イマイチ割り切れていない様子のアッシュの生返事を耳に、フィッツ・ビンゲン(ふぃっつ・びんげん)は、ふいに懐へと手を伸ばした。
そこに存在するのは、ひとつの仮面だ。
あの日から、ずっと持っている。手放せないでいる。
あの、双子の作り出した空間での舞踏会。初めて見た、インニェイェルドの素顔は、死に顔だった。
「アッシュ、僕は、思うんだ。
ヴァルデマールは手段を選ばない、卑怯で、強くて、手ごわい相手だけど、でもきっと、ヴァルデマールが魔法世界の全てを支配しているなんてことは、無い筈だって」
ヴァルデマールに家族や仲間を目の前で惨殺されたアッシュだからこそ、彼はハルカを気遣う。けれど、あの時見せられたあの光景が、魔法世界の現状だと言うのなら。
「インニェイェルドは、自分の意志でマデリエネを助けようと割って出たんだ……。
ヴァルデマールが強くても、きっと、それに盲目的に従う者ばかりじゃない。そう思わない?」
アッシュは、フィッツをじっと見つめて、「……そうだね」と頷いた。
「うん、有難う」
懼れるばかりでは、前に進めない。切り開くことなどできない。けれど。
フィッツは取り出した仮面を見つめ、指先でそっと撫でる。インニェイェルドの形見。彼女のいた証。
(忘れない……。
彼女は美しく、そして、心の強い人だった)
「――だから僕も、僕に出来ることをするよ!
大した力にはなれないかもしれないけど、皆が強敵相手に集中できるように、雑魚は任せてくれるかな」
力を合わせれば、そして、諦めなければ、きっと。
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