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森の精霊と抜けない棘

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森の精霊と抜けない棘

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 その後も一行は森の中を散策した。
 色々なものを見、皆と言葉を交わすうちに、リトの表情は元通りに和らいでいく。とはいえ談笑している間にも、先程感じた違和感が消えることはない。恐らくは絶えることなく自問を続けているのだろう。時折ふと真顔になるリトの様子に、セレンフィリティ・シャーレット(せれんふぃりてぃ・しゃーれっと)は気が付いていた。
 婚約者のセレアナ・ミアキス(せれあな・みあきす)と二人で護衛ついでに同行したが、セレンは記憶を取り戻したいというリトを見て、何となく他人ごととは思えなかった。何故なら自身も同様に記憶を失っており、14歳以前のそれがないのだ。14歳から16歳にかけての記憶にしても、口外するのが憚られることの連続であった。そうした次第で、セレンは自分の失われた過去を取り戻そうという気にはどうしてもなれない。記憶が蘇った時に、果たして正気でいられるかどうか判らないからだ。その意味では、自分から逃げない、自分と向き合おうとしているリトが羨ましかったりもする。
「どうしたの?」
 リトにそう問われたのは、至極唐突に感じられた。セレンは決して感情を表面には出していなかったのだ。しかし彼女がリトに対してそうであったように、リトの方も何か思うところがあったのだろう。それは同種の悩みを抱えているが故のシンパシーのようなものなのだろうか。
 セレンは無下にあしらう気にはなれなくて、自分も14歳以前の記憶は失われてしまったこと、名前すら本名ではないことなどを話した。それを聞いて悲しそうな顔をしたリトは、慎重に言葉を選びながらセレンに記憶を取り戻したいかどうかを尋ねた。
「……判らないわ。正直、自分が誰だか、一生わからなくてもいいような気もするから。あたしはあなたほど強くないわよ……」
 今までにないほどシリアスな表情で視線を伏せたセレンの言葉に、リトはどう返答すれば良いのか解らなくなった。
 その様子を見かねたのか、それとも婚約者の傷を庇おうとしたのか、セレアナがリトにある問いを投げかける――即ち、どうして記憶を取り戻そうと思ったのか? ということを。最愛のセレンは失われた記憶と、その後2年間に刻まれたトラウマによってPTSD(心的外傷性ストレス障害)を負っているのだ。リトにしても下手に記憶を取り戻そうとして、結果的に精神的な外傷を増やすことにならないかと心配だった。


……夢の中で誰かの声を聞いた時に、知ってるはずなのにどうして思い出せないんだろうってすごくもどかしかったの。その時、ハーヴィのことを考えたら、きっとあの子は私が沢山忘れてるせいでもっと辛いんだろうな、って思ったんだ。それまでは私だけが置いてきぼりを食らってるみたいでイライラしてた……でも、あの泣き虫だったハーヴィが妖精たちをまとめて、外の人たちと打ち解けるくらい立派になるまで、どれだけの時間一人で頑張って来たんだろうって思ったら、イライラが後悔に代わって……。私の分も全部あの子に背負わせちゃってたから、もう自分の荷物くらい自分で負わないとダメだよなあって思って。『誰かのために』思い出したいなんていうのは、ただのエゴなのかも知れないけど……」
 そこまで言ってリトは一度口を噤み、視線を伏せて再び言葉を繋げる。
「怖くない、わけじゃないよ……もし何かを思い出したせいで皆と今までみたいに喋れなくなったり、今の自分と同じ自分に戻れなくなるかもしれないって……でも……」
 俯いたリトに対してセレアナは首を横に振り、そっと、しかし迷いのない口調でこう言った。
「もし記憶が戻るとして……その記憶がどうであれ、リトはリトのままよ。記憶を取り戻して、それが心に毒をもたらすとしても、自分自身を見失わければ……大抵のことは乗り越えられるわ」


「小さい時リトは森の木々とどうやって遊んでいたの?」
 とリリアに問われて、リトはハーヴィと共に花輪を作ったり、ベリー摘みに出かけたりしたことを語った。
「それだけ聞くとお淑やかな感じだけど、木々がリトは『おてんばだった』って。木登りは得意だし、よく森中を走り回っていたって言ってるわよ」
「確かにのぉ。どんくさかった我はよく置いて行かれたものじゃ」
 【人の心、草の心】で周囲の植物から話を聞いているリリアの言葉に、ハーヴィは懐かしそうに目を細める。
「それから、雨の少ない時には木の根に水を撒いたり、折れそうな枝を支えたりと、植物の手入れも良くしたのぅ」
「どっちが早く水をやれるか競争したよね。私、動物と比べたら植物のことよく解ってなかったんだけど、誰か……が、色んなこと教えてくれて……みんなで種を植えて……花や野菜も育ててみたり……とか……」
(――ハーヴィと二人だけだったはずなのに、私、今「みんな」って言った……?)
「良い作物はただ水をやれば良いだけじゃない……ちゃんとコミュニケーションをとって、水加減を調整したり……肥料をあげたり……時には間引きも、しなきゃいけないって……私、誰かに言われて……」

『どうして、まだ育ち切っていないのに取っちゃうの? 可愛そうだよ』
 
 密集してきた本葉に手を入れる「彼」に、リトは確か、そう言ったのだった。

 ――元気な植物を育てるためには、どうしても間引きが必要なんだよ。こうして残した方の葉は、より強く健康に育つ。……でも、間引かれた方の苗だって無駄になるわけじゃないんだ。美味しい野菜になって、僕らを生かしてくれる。だから僕らは『いただきます』って感謝をしてから食べるんだ。

 ――樹も同じさ。全てが密集していては、日の光を浴びれない。日光に当たれなかった樹はやがて枯れる。でもね、それは無駄なことじゃないんだよ。その樹が枯れたことによって周りの木々には光が届くようになる。しかも樹は、土に還った後も養分となってその地の動植物を生かし続ける。これはとても尊いことだって僕は思うんだ。

 普段と違ってやけに饒舌な「彼」の話ぶりに、その時リトは少し驚いたのだ。ぼんやりとだが、それは思い出せる。しかし、それでは「彼」は一体誰だというのか。その答えに手を伸ばしたいのに、頭が割れそうに痛む。

 ――もしも僕が植物だったとして、間引かれることでリトを生かしていけるなら、僕はその道を選ぶよ。この森がずっとそうやって続いてきたように、僕もそうやって死んで、生きたいんだ。だってさ、僕は……僕の名前は……

(そうだ、「森」を意味する古い言葉……)

 ヴィズ。
 その名が引き金となって、リトの中で何かが弾けた。