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【特別シナリオ】あの人と過ごす日

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【特別シナリオ】あの人と過ごす日
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リアクション

もう一度、西王母のもとで踊る


 見渡す限りの雪原は、かつてここを訪れたときと変わっていなかった。
 あのとき、暗く重たくのしかかるように思えた灰色の空は、その重たげな色を少し薄めているように感じる。
 雪の林を抜けると、現れる最果ての街の風景。雪の景色に、緑が混じり始める。その果てるところに一際大きく聳え立つ塔のような、巨大な樹木。
 ここユーレミカにある世界樹、西王母だ。
 コンロンの地を舞台に、教導団と帝国が戦争を繰り広げた後、この最果ての地にも開発の手が入り一時は賑わいを見せた。
 しかしそれが落ち着くと、任務や特別な授業等以外でこの土地を訪れる者も少なく、ユーレミカは元の静けさを取り戻しているようにも見える。新しくパラミタを訪れる者にはその存在すらもあまり知られることもない場所……
 
 そんなユーレミカを、三年の時を経て訪れた者がいる。
 祥子・リーブラ(さちこ・りーぶら)だ。
「ユーレミカ……久しぶりね」
 街の入り口を前に、衣服や靴についた雪を払う。
「そこの者。待たれよ」
「はっ……教導団の常駐兵かしら」
「ええっと、あなたは? 何の用でここへ参られたか。身分を証明する物はあるかな?」
「ふう。これでいかが?」
「ふむ……ほう、百合園女学院の非常勤講師であられますか。しかし何故そのような方がこんな辺境に……」
「そう、ね。それは――」
 兵は、若い兵だ。見覚えもなく、無論、兵の方でも祥子のことを知らない。祥子はパラミタに来た初め、教導団に在籍していたときのことを少し思い出す。三年前にユーレミカへ来たときは、教導団を出て空京大学に学んでいた頃だ。
 とくにそれ以上引き止められることもなく、門を通された。
「あ、ところでその手に持っておられるのは……」
「ああ。これはね!」
 清酒一升。
 祥子の用意してきた、西王母への手土産だった。
 ふらふらとただ見物に来たわけではない。祥子は、一つの区切りを意識していた。もう、コンロンに来る機会はないかもしれないし、話したいことがたくさん、ある。あれからあったこと……もう一度あの、試練の場所で。
 ユーレミカの街を歩く。
 あのときとは少し、いやだいぶ雰囲気が変わったか?
 あのときユーレミカを訪れた部外者達を取り囲んだ謎頭巾を被っている者なぞ一人とて見かけない。あれは、ああいう状況下だから出てきた者達なのかもしれないが……辺鄙な異国の、ちょっと物寂しげな小さな街の風景。コンロンの発展地ミロクシャやボーローキョーのようには開発の手が入っていないということもある。しかし、あのとき感ぜられたような神秘めいたものも今はないように思う。時折、教導団の兵を見かけるが彼らもどことなくのんびり構えた様子で、街の風景にとけ込んでいる。
「平和なものね。確かにあれから、西王母のことはとくに話に聞くこともなかったし……コンロンそのものが、よく統治が成されていることもあるのでしょうけどね」
 そのまま真っ直ぐに街を歩き、西王母に近づいてきた。
 この辺りになると人家もなく、代わりに世界樹を守護する像や塔等が見られる。また一度兵に声をかけられたが、根元の付近まで立ち入ることを許された。
「ふう……っと」
 祥子は巨大な樹の根元に、腰を下ろす。
 あのときのように。暗闇のなかの白い炎。西王母の化身は、現れないか。
 少し灰色に濁った、何の変哲もない真昼の空。雲流れ平野の方から来たのか、ぽつんと流れ雲。
 少しだけ待ってみる。少しだけ、この静けさがさみしい気もする。
 あのときは異国のいやこの世のものと思われぬ異界のリズムで、踊った。あのことは、何だか夢であったようにも思えてくる。
 そうだ。もう一度、ここで、踊ってみようかしら……?
 祥子が立ち上がり、(さあ、踊るわよ……)深呼吸すると、
「おーう、姉ちゃん」
「何してんだ。こんなとこで」
「片足で突っ立って、変な構えじゃのう」
「な、なななな……」
 祥子は唐突に話しかけられて転びそうになる。このおじさん達は何、地元の人達?
「なんじゃきれいな姉ちゃん、観光客? 巡礼?」
「酔っ払いじゃないんか。お、ほら、いい物もっとるじゃないか! 一緒に飲むかい」
 祥子の持ってきた清酒を指して言う。
「こ、これは、西王母へのお供え物なんですが……」
「へーそうなの。感心感心」
「あの……あなた方は? 地元の方?」
 田舎のおっさんめいたおっさん達の登場に、祥子は少々気をそがれて気が抜けてしまう。
「もっと、こう、ほら以前は妖しげな頭巾とかがいて……」
「ズキン? なんじゃあそれぁ」
「それより今夜、祭りがあるんじゃ。飯も出るし、踊りもあるで。姉ちゃんも参加していきなよ」
「踊り……それってもしかして」
 あの闇と白い炎が一瞬浮かぶ。が、
「ああ。ユーレミカ名物盆踊りじゃあ」
「は、はあ……?」
 何だか、拍子抜けしてしまった。
 ともあれ、おじさん達を前にここで踊るわけにもいかないし、そもそも気も拍子も抜けてしまい、とりあえずおなかも減ったし、お祭りを見ていくのもいいかな。
 街まで引き返し、少し休んでいると外は薄暗く、賑やかになり始め、やがて祭りが始まった。
 子ども達も、お年寄りもはしゃぎ、何てことのない、けどちょっとした異国情緒のある祭り……夜は更けていった。0時を回る前には祭りは終了して、人も急にいなくなっていった。灯りも消えて、さきまでの賑わいと逆にユーレミカの街は静かな闇に包まれる。祥子は、その闇のなかを薄っすらと、頭巾を被った者達が列になって歩いていくのを見た。はっと思い、それについていく。列は、西王母の方へ続いていく。
 西王母のもとへ辿り着くと、ステージを作るように頭巾達が円を描いて並んでいる。
 
 祥子は、意を決したように、そうでいてまた何かに動かされるように、その中心で踊り始めた。
 あの時はチークだったっけ。
 今踊るなら、ワルツか……いや、それよりももっと速くサンバかしらね。
 自分のすることしたいことを考える時間はもう終わったのだから。
 今は駆け抜ける時。だから形に捕われずに奔放に踊れるサンバを踊ろう。そうだ。サンバを踊るのよ!
 そんな祥子の思いに応じるように異界のリズムが流れ始める。
 祥子が話したかったことが、流れるように、溢れ出す。
 あの後……教員免許を取得し、百合園女学院で非常勤講師として務めることになったこと。
 恋人ができて、その人と結婚したこと。
 扶桑やユグドラシルなど他の世界樹の元を訪れたこと。
 
 不思議な感覚だった。加速する踊りのなかで、様々な思い出と思いとが交錯しながら、ゆっくりと舞っているようだ。
 
 いやはや結婚が嫌でパラミタに逃げ込んだあの頃からは考えられないわ。
 行き当たりばったりな感じで目の前に汲々として。
 これからは百合園で教師として務めるから、そんなことは言ってられないんだけどね。
 人を教えて導く立場になる。教導する立場になる。教え子たちを迷わせないために、前を向いて先行きを明るくしなくちゃいけない。
 伴侶とは最初は部下として、次に友達として付き合ってきた。そのせいか恋人というより付き合い始めた頃には夫婦みたいな仲だったかな?
 私が子供を産むのか、あの人が産むのか……どっちかしらね。
 そして……ユグドラシルとエリュシオンの新帝。前は色々あったけど今は手を携えて進んでいる。
 あの子は……新帝はよき王になれるから、貴方も見守ってあげて。ユグドラシルも随分やられちゃったしね。
 
 リズムは、終盤に差し掛かる。
 
 パラミタは、これから土壇場になる。黙って滅びるなんて真っ平ごめんだから精一杯あがいて、未来を切り開いてみせるわ。伴侶のためにも教え子たちのためにもパートナーたちのためにも……貴方のためにもね。
 
 リズムが緩やかに、暗闇が少しずつ、白んでいく。そのなかで西王母が、微笑んでいる。そんな気がする。
 
 貴方も、アールキングには気をつけなさいね?
 って、言うまでもないか。
 
 真っ白な明るい世界を念じてダン、と地面を踏みしめた。
 不安もあるけどそれ以上に希望があるのだから。世界は光に満ち溢れているのだから。
 ……踊りは、終わっていた。暗闇は終わり、夜が空けようとしている。
 目の前の西王母はもう何も、応えない。
「踊ったわね……そしてもう全部、話しちゃったわね。そっか、そうだ」
 そうだこれが、西王母との対話なのだったな、と祥子は思う。
 周囲にはもう、頭巾達の姿もなかった。祥子は何故かふと思ったのだが……自分を祭りに誘ってくれたあのおっさん達が、あの頭巾の正体なのではなかったか。わからないが、ふと、そう感じたのだった。もうあの戦いも、試練も、それに昨夜の祭りさえも遠い昔のことのようだ。このユーレミカという不思議な最果ての土地のせい? やっぱり全てが夢のようにも……いいや。そんなことはない。これから私は、現実に向けて、未来に向けて、いかなければ。そのために、ここに来たのだったわ。
 祥子はもう一度、聳え立つ西王母を見上げる。
「では、私は行くわ。そうだ、この清酒一升」
 まだ寝静まる早朝の街を歩き、雪の林を抜ける。祥子はそうしてユーレミカを後に、朝の光のなか眩しい雪原を行くのだった。