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ジューンブライダル2021。

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ジューンブライダル2021。
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17


 椎堂 紗月(しどう・さつき)は、まだ結婚式には早いと思っている。
 もちろん、いつかはするつもりである。愛する人が居て、その人と将来を誓うまでした。永遠を約束した。
 したけれど。
 ――ケジメ、まだつけられてねーよな……。
 指輪を渡した時。
 あの時、決意した。
 鬼崎 朔(きざき・さく)にふさわしくなるまで。
 あの指輪をつけるのにふさわしくなったら、ちゃんと渡す、と。
 じゃないと、指輪の重みに耐えられる気がしなかった。
 いや、そんな状態で、そんな気持ちで交換してしまったら、その指輪がひどく軽いものになってしまうような気がして。
「っつーわけで、今は結婚できねー」
「そっか……」
 理由を話してみせたけれど、やはり朔は落ち込んでしまった。が、紗月としては想定済みなのでパンフレットを渡す。
「何これ?」
「最近は模擬結婚式っつーのもやってるみたいでさ。……で、模擬ならいいかなーって思って」
 正直なところ、それでも言い訳がましくて複雑なのだけど。
 でも、せっかくのイベントごと。ジューンブライドキャンペーン。いつになるかわからない結婚の時を、信じて傍にいてくれる朔のことを楽しませてあげたい。
「どう?」
「ん……行ってみたい。やってみたいよ、模擬結婚式」
「おっけー、じゃ行こうぜっ」
 紗月はいつも通りの笑顔を浮かべて朔の手を取った。
 内心であれこれと考えていても、浮かべる笑顔はいつも通り。
 朔を安心させたい。だからこそ、きちんと笑顔を浮かべて。
「紗月、いいの?」
 けれど朔は、どこか微妙な変化を察知しているようだ。上目遣いに尋ねてくる。不安そうな顔で。
 紗月は朔を抱きしめて、「いいんだ」と安心させるように言って頭を撫でる。
「ケジメだ決意だ言い出したのは俺だけどさ。結婚とか恋愛に関して、気持ちよりそっちが先行しちまうってのもおかしな話だろ?」
「ん……でも、私は紗月の気持ちを優先したいよ」
「ありがとな。でも朔、俺の気持ちわからないか?」
「……?」
「俺、朔と結婚したいぜ?」
 だから、ふさわしくなれるよう全力で頑張るから。
 本番は、もう少しだけ待っていて。


 紗月の言葉で、なんとか明るい気持ちで式場まで来れた。
 けれど、控え室で着替える予定の綺麗なドレスを見ていたら、急に憂鬱な気分に襲われた。
「…………」
 ドレスを見て、目を逸らす。また見て、逸らす。
 何度か繰り返しては、ため息。
 この間、アテフェフに励まされてから朔は前向きに頑張れるように努力してきた。
 不妊に効くタンポポ茶を飲んだり、勉強して知識を増やしたり。
 それでも自分は、一生子供を産めない身体かもしれない。
 そう思うと、一気に気分が重くなった。
 小さな希望があるから縋って、だけどそれは『ない』かもしれないから、そうだった時のことを考えて苦しくなって。
 ――ねえ、紗月。
 ――そんな女と本当に結婚してくれる?
 疑ってるんじゃない。不安なんだ。
 そう思っても、実際していることは愛する人の気持ちを疑うこと。
 そんな自分にも嫌気が差して、またため息。
 鏡を見た。自身の顔が、身体が映る。刺青の入った身体が。
 『綺麗』な身体じゃない。
 それもまた、朔の気持ちを重くする原因のひとつだった。
 右頬や両手両足だけじゃなく、右わき腹や背中まで。
 全身至るところに彫りこまれた刺青が、自身の身体を『汚く』して。
 こんな身体で、あんな綺麗なドレスを着ろというのか。
 何かに対する冒涜ではないのか。
 着れるわけがない。
「緊張しなくていいんですよ」
 式場スタッフが、柔らかく微笑んで朔に声をかけてきた。
 ――違う。
 朔は心の中で否定する。
 今震えているのは、緊張しているからじゃない。
 不安と恐怖で震えているんだ。
 ――紗月は……本当に愛してくれるの?
 ――こんな女を、紗月は本当に……?
 そればかり、そればかり、頭の中をぐるぐる回る。
 ――私は紗月を愛してる。
 疑いようのない、揺らがない自分の気持ち。
 ――……紗月は……こんな私を、愛してくれる……の……?
 ただ、そっちが怖かった。
 愛してると言われても、優しく抱きしめられても、それでも不安に思ってしまうのだ。
 どうすればいい?
 どうすればいいの。
 涙だけは、こらえた。


 新郎新婦の入場が済み、神父が聖書を読み上げる。
「朔?」
 心配そうな声で、紗月が朔の名前を呼んだ。
 笑顔を浮かべていたつもりだったが、ぎこちないものになってしまっていたらしい。
「その健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか?」
 神父の問いかけ。誓いの言葉。
「ねえ、紗月。……本当に、私でいいの?」
 つい、聞いてしまった。
 色々な想いがぐるぐる回る。
 紗月の目を見ていられなくて、顔を俯けた。
「誓います」
「……っ」
 返答は、ただの少しも濁っていない澄んだ声。
 ああきっと、この人は心からそう思ってくれているんだ、と。
 心で理解できるようなもの。
 さっき我慢できた涙が、今度は我慢できなかった。我慢しなくてもいいと思った。
「朔は?」
「ち、かい、……ます」
 途切れ途切れに、泣き声で。
 誓いに首肯すると、紗月の指がヴェールをめくった。
 そっと、唇に唇が重なる。
 愛しいと、愛していると、心から思った。
 だから怖いと、また泣いた。


*...***...*


 ジューンブライドは、女の子にとって憧れのイベントである。
 火村 加夜(ひむら・かや)も例外ではなかった。とはいえ、加夜も恋人である山葉 涼司(やまは・りょうじ)も学生の身。結婚するにはまだ早い。
「だから、模擬結婚式をしてみたいんです」
 思い切って言ってみた。式場側でやっている結婚体験のサービスならプレッシャーもないだろう。
 むしろ不安なのは涼司の結婚観の方だ。結婚に興味ない、一生独身でも構わない。そんな考え方をしていたらどうしよう?
「模擬結婚式か……」
「嫌ですか? やっぱり結婚に興味ない……?」
「? どうしてそうなるんだ。別に嫌じゃないし、結婚に興味がないわけじゃない」
「そうなんですか?」
「ああ」
「じゃあ……涼司くんの理想の結婚相手ってどんな人ですか?」
 ここぞとばかりに訊いてみた。
 相手の望む姿に近付きたい。もっと、好きになってもらいたい。そう思って。
「ちなみに私の理想は、安心感と頼りがいがあって、自然と笑顔でいられる人です」
 回答例も兼ねて、微笑みながら言う。
「そんな奴居るのか?」
「居ますよ」
 ――私の目の前に。
 加夜の理想像は、まさに涼司なのだ。でなければ模擬結婚式をしたいなんて言わない。
「俺の理想は……特にないな。俺を好きになってくれた奴のことが好きだ」
 涼司の言葉はとても純粋なものだった。
 けれど確かに、とも思う。彼は今まで女難だったわけだし。
「ああ、でもひとつあるな。理想」
「え?」
「家に帰ってきたときに、『おかえりなさい』って言ってくれる奴がいい。家を守って欲しいんだ」
「家を守る?」
「ああ。古い考え方かもしれないけどな。……ほら、そろそろ行くぞ」
 涼司が加夜の手を引いた。
「えと。どこへ?」
「どこって。お前が模擬結婚式したいって言ったんだろ」
「いいんですか?」
「予行演習をしておいて間違いはないしな」
 ――予行、演習。
 それはつまり、その先に本番が待ち受けていると思ってもいいのかしら。


 模擬結婚式は、順調に進む。参列者の中には、小鳥遊 美羽(たかなし・みわ)の姿もあった。クロエも連れて祝いに来てくれたようだ。
 白いドレスを着た加夜と、濃いグレーのタキシードを着た涼司。二人並んで神父の前に立っていた。
 既に誓いの言葉も言い終えて、指輪交換も終えて。
 誓いのキスは見送って、これから退場というところ。
「涼司くん」
「?」
 加夜はタキシードの裾を引いた。涼司が加夜を見る。
 ――かっこいいなぁ。
 正面から涼司を見て、式の最中、何度も思ったことを改めて思う。
 ――……じゃなくって。
「あの、お願いがあるんです」
「なんだ?」
「お姫様抱っこ、してくれませんか?」
 昔、涼司がお姫様抱っこで助けてくれたことがあった。
 助けに来てくれたことが嬉しくて、すごく安心して。
 そしてその時、好きだと気付いた。
 涼司は覚えていないかもしれないが、加夜にとっては特別なことなのだ。
 ふわり、抱き上げられた。
「これでいいか? お姫様」
「はい」
 微笑んで、首筋に抱きついた。
「涼司くん。大好きです……」
 耳元で囁くように言ってから、頬にキス。
「お、」
「いつか、涼司くんと同じ苗字になる日を夢見てもいいですか?」
「……そういうことは男に言わせろ」
「じゃあ……」
「いつか、俺と同じ苗字になってくれ」
 ああ。
 嬉しくて、泣きそうだ。
「……はいっ、喜んで!」