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37


 死んだ人に会える特別な日だなんてアナウンサーのお姉さんはしんみりとした顔で言っていたけれど。
 ――ボクには誰も、いないなぁ。
 皆川 陽(みなかわ・よう)は即座にそう思った。
 ごくごく平凡な庶民家庭ながらも陽の両親は健在だし、祖父や祖母の死も経験したことがない陽には、会いたい死者すら居ないのだ。
 だから、別に出かけなくてもいい。
 会いに行こうとしなくていい。
 祭りだなんて、人が多いばかりだし。
 つまり、孤独を強く感じるってことだし。
 じゃあ家の中でじっとしてればいいやと結論付けて、いつも通りの日を過ごしていた。
 ――ボクは、だから、いいんだけど。
 ちらり、同じ部屋にいるテディ・アルタヴィスタ(てでぃ・あるたう゛ぃすた)に視線をやった。
 彼には、会いたい人がいるかもしれない。
「お祭り、行ってきたら」
 何気ない一言だった。
「家族に会えるかもよ」
 何も考えずに発した、安易な一言だった。
 だけど、その言葉で、テディはひどく哀しそうな顔をした。
「僕は、いいや」
 無理に作ったような笑顔を哀しい顔にはりつけて、テディが返す。
 彼らしくない、消え入りそうな声だった。
「……そう」
 ふい、と顔を背けて黙り込む。
 静寂が支配する空間。陽の頭の中を埋めていたのは、さっき見たテディの顔。
 哀しそうなのはもとより、寂しそうで、ひとりぼっちな感じで。
 ――何かに似てると思ったら、捨てられた仔猫みたいな感じなんだ。
 あんな顔をさせてしまったのは、自分の無神経な発言のせい。
「……ねえ、テディ」
 だから、陽は声をかけた。
 まだ、心にしこりはあるけれど、放ってはおけなくて。
「お祭り、行こうか」


 テディには、死んでしまった家族も友人も、いた。
 だけど今日、会えるはずもなかった。
 ――だって、あれから何年経った?
 五千年だ。
 みんなとっくに輪廻の輪の中に入っている。
 遠い。
 遠い遠い記憶。
 父がいて、母がいて。
 花嫁姿の妻が笑っていて。
 隣には自分がいて。
 取り囲む友人達がいて。
 暖かで、幸せで、かけがえのない日々で。
 ――こんなにはっきり、思い出せるのになぁ。
 色も香りも覚えてる。
 なのに、どこまでも、遠い。
 ナラカの門が開く日の追憶すら許されないほどに。
 遠く、遠く。
 遠すぎて。
 ――僕、この世界に寄る辺なんて何もないんだな。
 実感が、寂しかった。
 哀しかった。
 それでも表に出して心配させるわけにはいくまいと、隠していた。
 だけど、陽が、「家族に会えるかもよ」と話しかけてきてくれたから。
 答えて、同時に感情も一緒に出てきてしまって。
 微妙な空気になった気がして、ああ僕もしかして空気読み間違えた? とか、ぼんやりと考えていたら。
「お祭り、行こうか」
 誘われた。
 今まで自分を避けていた彼が、誘ってくれた。
「あ……」
 驚きと嬉しさに声が詰まる。
 どうしよう。
 寂しさなんて一瞬で消し飛ぶほどに、嬉しい。
「……嫌?」
「嫌じゃない! すっごく嬉しい!」
 いそいそと出かける支度をして、いざ出発。
 祭りまでの道を歩いている際、不意に去年のことを思い出した。
 ――確か、「手を繋ぎたくて」女装とかしたんだっけ。
 ――でももう、その手は使えないや。
 成長期を迎えて、十センチ以上背が伸びた。比例して体格だって変わっている。
 また、手を繋ぎたいな。
 離れ離れになってしまわぬよう。
 きゅ、と空を握り、そのまま手を下げた。
「テディ、りんご飴食べよう」
「うん」
 まだ、寂しいような、心に穴が開いたような感じはあったけれど。
 誘ってくれたお祭りを、楽しもうと笑顔を作って。


 笑ってる。
 目の前で、テディは笑っている。
 ――……けど。
 いつもと違うと陽は感じた。いつもの笑顔じゃない、ような。
 どこがどう、と言われると、困ってしまうけど。
 晴れない顔つき。
 このまま、人混みに紛れて消えていってしまいそうな。
 なぜだろう、そう思うと、妙にぞわっとした。
 ――イヤだ。
 それは、いやだ。
 だったらどうすればいいか。答えは簡単だ。だけど、行動を起こすのには勇気が要る。
 随分と躊躇ってから、陽は手を伸ばした。
「え、」
 手を繋ぐ。
 それだけだけど、確実に彼がここにいるとわかるし、こうしていれば離れたりはしない。
 なんとなくだ。
 どこへも行ってほしくなくて。
 どこかへ消えてほしくなくて。
 なんとなく、そういう気分になったから。
 特別な意味なんて、ない。
「陽?」
 だって。
 本当に、消えてしまいそうな感覚に、陥ったから。
 お祭りが終わったらナラカへと帰る人に混じって、そのまま向こうへ行ってしまいそうに思ったから。
 ――イヤだ。
 それは、ただの我儘かもしれない。
 だってテディはナラカへ行くことを望んでいるかもしれない。
 知っている人がたくさん居る場所へ、自分の居場所があるところへ、帰りたいと願っているかもしれないけれど。
 現世で孤独な彼を、仲間のもとに返したほうが良いのかもしれないけれど。
「ヤダ」
 我儘だ。
 わかってる。
 だけど、いやなんだ。
 どうしようもなく、いやなんだ。
 ――返さない。離さない。
 どうしてそう思うのかは、わからない。
 わからない振りをしているのかさえ、わからない振りで。
 俯き、ぎゅうっと手を握る。
「陽」
 テディの声が、優しかった。
 顔を上げると、さっきよりも彼らしく笑う彼が、居た。