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67


 金襴 かりん(きらん・かりん)は未亡人である。
 つまりは、夫と死別した女性。
 ならば今日――ナラカでの異常気象によって、死者が蘇るというならば、彼女は夫に会えるのではないかと思って。
「かりん、……夫に。会いたい、かい?」
 エミン・イェシルメン(えみん・いぇしるめん)は問いかけた。
 普段普通に生活をしていても、かりんがふとした瞬間に夫の残り香を探すような素振りをみせることは知っていた。
 忘れたりなど、していない。
 吹っ切れてなんか、ない。
 そう思ったからこそ、聞いた。
「あのひとに会いたい……けれど」
 かりんが目を伏せる。長いまつげが影を落とした。
「もし、また、であってしまったら……わたしはもう……またはなれることを、きっと、たえられないよ……」
 だから、いい、と。
 首を、横に振った。
 会いたい。
 でも、会えない。
 狭間で揺れている彼女の想いにエミンまで辛くなる。
「でも、……人形は、あるの」
「え?」
「兄弟人形……」
 ぽつり、零す。
「あの、事故のあと……はなればなれになって……とうとう、見つけられなくて……わたしだけ、残ってしまったことを。あやまりたいんだ」
 事故については少し前にかりんが話してくれたから、エミンも知っていた。
 約百年前に、かりんの妹の暴走が起こした事故。
 事故が原因で、かりんは兄弟と生き別れてしまった。
 そして、百年という長い間消息不明なのだから、生存は諦めていると寂しそうに呟いたことを覚えている。
「……自分も、傍に居ていいかな?」
「……うん」
 こくり、頷くかりんの隣に寄って。
 兄弟が来るのを、待った。


 どうやら失敗したらしい。
 目の前、アパートの床に置かれた人形は、あくまで人形らしく在るだけで。
「……こうして、あうことも……かなわない、のか」
 落胆の色を隠しきれず、かりんは呟いた。
 そっと、エミンがかりんの肩に手を置いた。慰めようとしてくれているらしい。その手に手を重ねたとき、エミンが「あ」と何か思いついたような声を上げた。
「かりん。もしかしてさ、……君の兄弟たちは……まだ、生きてるんじゃない?」
「……生きて……?」
「そう。だから、ここに来れない。来れるはずがない、生きているんだもの」
 ならどうして連絡がないのだろう。
 連絡を、出来ないのだろうか。
 ……それとも、こうしてアパートにこもっているから、外の情報が聞こえないだけなのだろうか。
 考えるかりんの横で、「そうだよ!」とエミンが弾んだ声を出した。
「だってそうだろ? かりんみたいな可愛い妹、あるいは綺麗な姉さんが呼んでるっていうのに来ない兄弟が居るわけない。生きてる。生きてるんだよ、かりんの兄弟は!」
 それは、どうだろう?
 なにかやんごとなき事情があるのかもしれない。
 生きていてくれるのか。
 それとも、死んでしまっているのか。
 今日のような、きっかけになる時でさえ宙ぶらりんになるなんて。
「エミン。……ありがとう」
「……かりん」
 元気付けようと言ってくれているのは、わかっているから。
 もういい、と微笑みかけて――エミンの表情が、唖然としたものに変わっていることに気付く。
「?」
 エミンの視線は、かりんの背後にある。
 不振に思って振り向くと、
「来ちゃった」
「……ヘルミ?」
 かりんの夫であり、最初のパートナーのヘルミ・クークがおどけた笑顔で立っていた。
 ヘルミだ。
 ヘルミが居る。
 恰幅がよく、優しげな顔立ちのお爺ちゃんといった容貌は五十年前に死んだときと少しも変わっていない。
 にこにこと笑うヘルミとは対照的に、かりんの表情は動かない。いや、動かせなかった。驚きすぎて、表情筋が麻痺してしまったらしい。
「久しぶり、かり――って、どうして泣くの」
 気付けば、ぽろぽろと涙を零していた。
「泣いちゃ駄目だよ。綺麗な顔が台無しだろ? いや、泣き顔もかりんは可愛いけどね」
 茶化すような言葉を本気で言う。そんなところも変わっていない。
「ヘル、ミ」
 笑った。
 たぶん、上手に笑えていないけど。
 泣き笑いの、引きつった顔だけど。
 それでも、笑った。
「ただいま、かりん」
「……おかえり」
 ぎゅ、っと抱きついて。
 ぎゅ、っと抱きしめられて。
 再会を、互いに喜ぶ。


 行っておいでとエミンに促され、かりんはヘルミと夏祭りへ出かけた。
 大事な人形は預かっておくから安心しておいで、と。
 だから、昔に戻ったように二人は寄り添って歩いた。
「ねえかりん。ちょっと目を閉じて」
「?」
 素直に目を閉じる。「んー」と唸るようなヘルミの声に、何をしているのだろうと首を傾げつつ。
 よし、と声が上がったので、「もう、いい?」と問うてみた。
「いいよ」
 目を開ける。
 すると目の前には、若かりし頃のヘルミが居た。
「? ??」
 困惑するかりんに、
「ほら、今の俺は魂だからさ。念じてみれば変わるんじゃないかなって思って……」
 はにかんだように、ヘルミが笑う。
「いや、本当に変わるとは思わなかったけど。ってそれを言ったらそもそも僕のこの身体は人形だもんな。ありえないなんてことはありえないっていうし」
「……ヘルミ」
 長台詞を遮って。
「うん?」
「……かっこいい」
 思うがままを口にすると、ヘルミの笑顔が固まった。それから頭をかりかり掻いて、
「……や、ははは。…………照れる」
 頬を赤くして言うものだから、くすりと笑った。
「どこから、みようか?」
「かりんが行きたい場所でいいよ?」
「ん……ヘルミといっしょなら。どこでも」


 楽しい時間はあっという間だ。
 それは今日とて論外ではない。
「そろそろだな」
 終わりの時間が近付いていることは、空に上がった花火で知った。また、花火の光に照らされたヘルミの顔も心なしか寂しそうに見えて。
 ――おわって、しまう……?
 急速に、現実が押し寄せてきた。
 ヘルミの居ない毎日。
 ひとりきりの部屋。
 帰ってこない人を待ち続けるのは、もういやだ。
「いやだ」
 思いが、口から出た。
「かりん」
「いやだ。おわり、なんて、……いや」
 離れていこうとするヘルミに追い縋り、服の裾を掴んだ。
「……駄目だよかりん。離して」
「いやだ。いやだ。わたしも、このまま、いっしょにいく」
 どこでも。
 どこまでも。
 それがたとえナラカでも。
「……駄目だって。ついて来ちゃ駄目だ。そんなこと、俺が望まないって、本当はわかってるだろ」
「わかんない。しらない。だからヘルミといく」
 子供が駄々をこねるているようだと、頭のどこか冷静な部分が的確に指摘した。
 だって、それでも。
「かりん」
 ヘルミの真剣な声に、かりんは黙った。
「見つけたんでしょ、希望を」
「…………」
「あの時……瓦礫まみれの廃墟を、どれだけ探しても見つからなかった彼らが、まだ、生きてるかもしれないって」
「……それは。エミンが、わたしを元気づけようとして言った、うそかもで」
「そうじゃないってわかってるくせに。それに、俺だってナラカで彼らを見かけてない。……きっと、生きてるよ」
 じゃあ、どうする?
 意地悪に、ヘルミが問う。
 どうもこうも、答えはひとつしかないじゃないか。
 でも、それを選ばせるなんて。
「ヘルミは、……ひどいな」
「ごめんなー。でも、俺は君に命の限り生きてほしいんだ。それから、ナラカでまた、一緒に花を咲かそう」
 以前二人でしていたように。
 軍手を嵌めて、シャベルを持って、花の種や苗を持って。
「君のお土産話を聞きながら植えるんだ。ナラカを花で埋めてやろうぜ。ああそうしたら天国みたいだ」
「……っ、いつになるかも、わからない、のに」
「いつまでも待ってる。ずっと待ってるよ」
 だからね、君は君の生を謳歌しておいで。
 最期にそう言い残して、ヘルミは消えていった。
 掴んでいたはずの服は、小さな人形になっていた。