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死いずる村(前編)

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死いずる村(前編)
死いずる村(前編) 死いずる村(前編)

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■□前日――様々な時間軸と村人の帰還


 晴れやかな、午後。
 サラシナショウマの白い花が、空を仰ぐように伸びている。
 緑が、葉が、風に揺られて心地よい薫りを運んでいた。
「とりあえずこの辺の植生が気になって仕方ないわ!」
 多比良 幽那(たひら・ゆうな)は、そう告げると毛先で波打つ緑色の髪を揺らした。風が彼女の綺麗な髪を乱している。フィールドワーク――植生調査のために山場村へと訪れた彼女は、赤い瞳を野に咲く草花へと向けた。
「むう、不気味な村だが……母が行くというならば仕方あるまい」
 幽那を母と慕うアッシュ・フラクシナス(あっしゅ・ふらくしなす)が、そう呟きながら、眼前に広がる集落を一瞥した。
「皆のアイドル、アリスちゃんだよ!」
 そこへ場違いに明るい声をキャロル著 不思議の国のアリス(きゃろるちょ・ふしぎのくにのありす)がかける。
「興味ない――寝ていたいですわー、家で」
 その傍らで、織田 帰蝶(おだ・きちょう)が草むらへと横になった。彼女は、生来のニートである。
 植物学者である幽那と、そのパートナー達は、思い思いに辺りの自然を楽しんでいた。
 それは村の外れにある鎮守の森の下での風景だ。
 彼女達が居る荘厳な林を臨む場所には、獣道じみた小さな道が延びている。
 山場村から外界へと繋がる、数少ない舗装道だ。

 県道だ。

 そのアスファルトを踏みしめるように、買い物袋を両手に持った貴宮 夏野(きみや・なつの)が歩いていく。ベリーショートの黒い髪が、静かに風に揺らされていた。
「ここは一体何処だろう」
 夏野は、茹だるような暑さに辟易しながら、思わず呟いた。
 パートナーから夕食の材料を買ってくるように頼まれたのは、先程の事である。
 ――ああ、コレを持って帰ったら、奇抜な料理が待って居るんだよね。
 さっさと迷った道を引き返して、帰宅したい思いの反面、夏野は待ち受ける夕食の存在を考えれば、足が重くなるのを自覚せずには居られなかった。両手に提げた買い物袋が、おもりのようにすら思えてくる。
 するとそこへ、一人の少女が通りかかった。
 各務 ルイスである。光の加減か赤に見える美しい瞳をした彼女は、漸く見つけた他者の姿に、思わず声をかけた。
「あの、スミマセン」
「はい?」
 夏野が驚いて顔を向けると、ルイスは波打つ長い金髪を揺らしながら、すがるような声を上げた。
「ニホンの文化を知ろうと思って探索していたら、道に迷ってしまったんデス。ここはドコでしょうか?」
「それが、私も道に迷っていて」
「ええっ! 本当デスか……どうしたらいいのでしょう……ううう」
 涙もろいルイスが泣き始めた。
 その姿と現在の境遇に、夏野が肩を落とす。
「はぁ」
 夏野の溜息が、高くのぼり山場村の空へと熔けていった。

 空だけだ。

 空だけが、ブナ林と川に遮られることなく、閉塞的な山場村全体を見おろしている。
 珍しく来訪者が多い山場村の空気を楽しむように、待っていた鴉が急降下していく。
「……、……嗚呼、鳥ですわ」
 その気配に、自然と一歩前へと進み出ていたアデリーヌ・シャントルイユ(あでりーぬ・しゃんとるいゆ)が、細く吐息した。洒落たコサージュで止めた綺麗なセミロングの黒髪が揺れている。彼女に庇われるような形になった綾原 さゆみ(あやはら・さゆみ)は、手にしていた紙片から顔を上げた。
「どうしたの、アデリーヌ。そんなに警戒して」
「気配が違う気がするんですわ」
「気配?」
 さゆみは周囲を見渡してから、首を傾げた。確かに人気はあまりなかったが、少なくとも現時点において彼女の黒い瞳には、山場村はとても長閑な場所に思えた。
「大丈夫よ、心配しすぎ」
 優しそうに微笑んだ美少女は、綺麗な手を持ち上げて再度、メモを確認する。
 そこには、山場村の所在地が書いてあった。
 山場村は、さゆみの母方の親類が嘗て暮らしていた村である。とはいえ、さゆみが幼い頃にダムに沈んでしまったと聴いていた為、彼女自身この土地を訪れるのは、初めての事だった。だが、それは記憶違いだったのだろうか。


 所用があって日本へと戻った彼女は、現在は所沢に住んでいる山場村出身の親戚が入院した事を聴き、見舞いへと出かけたのである。
「秘祭があるそうだから、代わりに行ってきてもらえないかしら」
 何でも移住した元村人の所へ、山場村で祭りが行われるという報せが届いたらしかった。
 入院していて出かける事が出来ない親戚の代わりに、さゆみはそんな経緯から、アデリーヌを伴って山場村を訪れる事にしたのである。


「お祭り、楽しみね」
 さゆみの声に、僅かに不安そうな表情で、アデリーヌが頷いたのだった。
 それからアデリーヌが緑色の瞳で、何とはなしに、小高い位置にある豪奢な旧家を見上げた。

 旧家――山場家だ。

 この山場村を取り仕切る名家だ。
 誰が決めたわけでもなく、古くから自然と定まっている事柄が、古い村には多い。
 制度としての長ではなく、この村を総べる者としての長、それが山場本家に他ならなかった。少し劣るがほぼ同様に、村で大きな影響力を持つのは、秘祭を取り仕切る山場神社の家系である。神仏習合の政策以前からその気配を感じさせる、だが密教とも異なる独特な教義を持つ、どこか亜流の神道が、この山場村の信仰のよりどころだった。ハレとケの祭事を別つ為か、神社の影響力が多大なるものになった為か、小さな村ではあるが、この土地には二つの神社がある。一つは秘祭を司り、葬儀も取り仕切る山場神社で、近くには比べれば小さな規模の寺がある。それと対を成すように、川を見おろす位置にあるのが、若宮神社だ。御旅所が側にあり、こちらの方が新しい。主に婚姻や、七五三などの通過儀礼はこちらが扱う事が多い。尤も村に住む人々は、単純に近い方の神社で冠婚葬祭を行う場合がほとんどだ。
 村の南北に位置する神社、そして東側の小高い場所から村を見守る山場本家。
 寺は、山場本家と山場神社の合間にあるが、常時はその存在を思い出される事も少なかったし、住職家族も村を離れて久しかった。
 西側は、山場村の中では比較的開けている。
 入院設備は持たないが、小さな医院と薬局が丁度寺の対角線上にあるのを除けば、ブナ林を挟んで衣料品店や雑貨店、駄菓子屋や酒店、麹屋などが点在している。山場本家の対角の位置には、医院同様、周囲を木々に囲まれるようにして古びた建物がある。山場本家の数代前の当主が趣味で造った私設図書館がそこにはあった。そして医院と線対称に見た時逆側には、比較的大きな木造の校舎が見える。村唯一の学校で、分校としての役割を果たしている山場分校である。
 中央には村役場と公民館があり、他にも少し山を歩けば、その合間に変電所や移転前の旧医院、テレビ塔、猟友会が所有する山小屋などが見て取れるだろう。
 村の者の多くは、地図など無くとも、何処に何があるのかを、生活に必要な範囲内で理解していた。だが、年月を経る事に増減する全ての施設や、嘗て信仰され忘れ去られていった地蔵や祠の位置なども含め、全ての地理を把握している者は、いくら小さな村とはいえ、いないに等しいだろう。
 村外から訪れたのであれば、猶更だ。
 山場村に入る為には、山場神社の裏手の山道から訪れるか、県道を通るか、図書館裏の吊り橋を通ってくるかのいずれかの方法となる。
 古くから村は周囲とは隔絶されていて、僅かに交流があるのは隣村だけだった。部外者をあまり受け入れない排斥的な山場村においての、数少ない交流相手としての例外が、隣村である。
「――手伝いに来てくれて、有難うね」
 山場弥美が声をかけると、弁天屋 菊(べんてんや・きく)が顔を上げた。
 常時はオールバックにしている赤い髪を、料理の邪魔にならないよう、彼女は毛先を抑えている。菊の母親の実家は、山場村の隣である。その縁もあって、彼女は秘祭の手伝いの為、この土地を訪れたのだった。
 元々料理が得意である菊は、珍しい郷土料理への好奇心もあって、熱心に下ごしらえをしている。今は、ヨメノナミダと呼ばれる事もあるハナイカダに手を伸ばしていた。
「いや。こっちも好きでやってるんで。所で、祭りってどういう感じなんすか?」
 神楽でも行われるのだろうかと考えながら、菊が訊ねる。
「まだ秘密だよ。楽しみにしていて」
 弥美は端正な唇の片端を持ち上げると、自慢げに微笑んだのだった。
「エリスちゃんは、そっちで野菜を切ってもらえるかな」
 それから弥美が、水橋 エリス(みずばし・えりす)に包丁を手渡しながら微笑んだ。
 偶然この村を訪れた様子の彼女もまた、料理の手伝いをしているようである。
 そこへ軽い足音が響いてくる。
 三人が視線を向けた時、丁度扉が開いた。
 入ってきたのは、六興 咲苗である。
「弥美さん、見てみて。僕、お祖父ちゃんに言われて、『もみじ』のお肉を持ってきたよ」
「有難う、咲苗ちゃん。ああそうそう、こちらは手伝いに来てくれた菊ちゃんだよ」
「あ、はじめまして。僕――私は、六興咲苗です。宜しくお願いします」
 一時驚いたような顔をしてから、咲苗が会釈してから眼鏡をかけ直した。セミロングの黒い髪に、黒い瞳。来訪者に対して言葉を正した彼女は、持参した食材を弥美へと渡しながら、穏やかに微笑んだ。典型的な日本人然とした容姿である。
「六興さんのお宅はね、この山場村でも随一の猟師さんの家系なのよ」
 弥美が言うと、咲苗が頬を綻ばせた。
「元々はマタギだったんです――じゃあ、弥美さん、僕はお祖父ちゃんの手伝いがあるから、また後で」
 走っていく咲苗を見送ってから、菊は新しく届いた食材へと視線を向けた。
 ――サクラは馬肉、モミジは鹿肉。
 ふとそんな事を思い出しながら菊が顔を上げた時、窓の外で静かに色づいた紅葉が一つ、風に流れていった。

 木の葉が絨毯のように落ちていく。

 吊り橋を渡りきった所で、水島 慎が顔を上げた。
「昔のままに、残っているようだな」
 幼き日の古い記憶を掘り起こすように、慎が目を細めた。クールな眼差しで、周囲を一瞥する。辺りには、祭りが行われるという報せや、山際の神社にある、のぼり旗の姿を見て取る事が出来た。
「懐かしいが、こんな祭りやっていたか……記憶には無いが」
 記憶がないのも当然の事だったのかも知れない。
 水島家は、代々神社や山場本家を手伝い、祭りを取り仕切ってきた一族である。だが彼の両親は、そんな決められた役割や、古びた因習に絡め取られた村の象徴的な祭りを嫌悪して、慎が幼い頃に村を出たのである。だから彼にも、祭りについて話す事は無かったに等しい。
「此処が、そうなんですか? ずいぶん、人が居る見たいだけど」
 考え込むような表情をしていた慎に、小嶋 咲が声をかけた。
 彼女は、慎の友人だ。
 元々の好奇心旺盛な性格が手伝って、山場村に行くという慎に、暇だからという理由で着いてきたのである。
「ああ、確かに両親はここに住んでいたし、小さい頃は実際に此処にいた」
 だが、記憶があるわけではない。
 両親の遺品整理中に、この村の事を記述した紙片をみつけた事がきっかけで、慎はこの村へと訪れたのである。半ば飛び出す形で移住を決意したらしい両親の品が、この村の自宅に残っているらしいと知り、取りに戻ったのである。
「――水島の倅か」
 そこへ、歩いてきた村人の一人が立ち止まり声をかけた。
「水島の長男?」
 その声に、周囲にいた村人達が集まってくる。
「水島の者が戻ったのか」
「水島って、あの水島か?」
「ほら、逃げた連中」
「大切な祭りを放って逃げたあの水島か」
「止めなさいよ」
「兎も角これで今年の祭りも安泰だな」
 小石を投げ入れられた水面が騒ぐように、潜められた声が、周囲に伝播していく。
 そんな光景に眉を顰めた慎は、咲に振り返る。
「行こう、家は向こうだ。目的を果たしたらすぐに帰宅しよう」
「ええ……」
 驚いている様子の咲には構わず、いささか強引に促して、彼は歩き始めた。
 役目とやらを放り出して村外へと出た両親だったから、あまり良い視線は得られないだろうと考えてはいたが、予想以上に風当たりは冷たい。
「案外、祭りよりも狭い村のああ言う性質に嫌気がさしたのかも知れないな」
 思わず呟いた慎を、幾ばくか心配そうに咲は見ていた。

「水島の所の息子が帰ってきたんだって」

 狭い村では、噂が広がるのも早い。
 若宮神社の境内で紅葉を眺めていた工藤頼香の元に、顔見知りの村人、山場仁がそんな報せを届けたのは、吊り橋が揺れてから、すぐ後の事だった。
 工藤家は代々若宮神社を守る家系である。
 ――工藤の『工』は、人柱。二人で『巫』になるのだという。
 頼香は、その工藤家の娘だ。
 多くの村人達に親しまれ、尊敬を集めている愛らしい少女は、その言葉に朗らかに微笑んだ。
「みんな、戻ってきてくれたんだね。お祭りも楽しみだわ」
「頼香様は楽しんでばかりじゃ、いられませんでしょうよ。何せ、祭りを取り仕切る側の神社の巫女様なんだから」
 仁はそう言うと、側に立てかけてあった竹箒を手に取った。
 彼は十代半ばの少年で、普段は山場村分校に通っている。両親が離婚した為、父親に連れられてこの村へと小学生の頃にやってきたのだ。なじむまでには少し時間がかかったが、今では村の多くの風習を理解している。家業としては、彼と彼の父親は普段、祖母が行っている民宿を手伝っていた。
 神社は敬うべき対象だから、そう知識として覚えた事も手伝って、彼はよく境内の掃除に訪れる。他にも山場本家の手伝いをしたりと、若い裏方として村の皆の役に立つ事が多い。
「それもそうだね」
 ははは、と笑って見せながら、内心頼香は気疲れもしていた。
 村人の信仰心が重い。
 普通に楽しく平和に何事もなく暮らせれば、それに超した事はないのだろうが、出自がそれを許してはくれない。
 ――この村から出て行きたい、って言う気持ちが分からなくもない。だけど良い人が多いから、村を捨てて出て行く決定的な出来事もない。
 そんな思いで、頼香は何とはなしに、正面の山の中腹に見える、もう一つの神社――山場神社へと視線を向けた。


 その頃山場神社には、山場愛山場敬の姿があった。
 二人の家系は、代々山場神社の神主を務めている。だが敬は、この村において別段、祭儀を執り行った事があるわけではない。先代が亡くなった後、二人は揃って村から離れたのである。それでも敬が、村人にとって大切な神主である事に、代わりはなかった。普段はそういった事柄から離れて、サラリーマンをしている二十代後半の青年は、だからあまり自覚はなかったのだが、届いた頼りで村へと戻ると盛大な歓迎を受けた。
「山場神社に神主様が戻られたぞ」
「めでたい事だ」
 その騒がれように、敬の姉である愛が腕を組む。
 そんな二人を促して、村人達は、神社の隣の住居へと向かった。
「――ダムの底に沈んだんじゃなかったの?」
 サバサバした口調で、妙齢の愛が疑問を呈する。普段は都会で専業主婦をしている彼女は、これまで無人だったはずなのに、綺麗に清掃されている家屋の様子に目を瞠った。
「記憶違いだったのかも知れないね」
 どちらにしろ、神社に縁がある者として、村から来た帰省するようにという報せを放っておくわけにはいかない。少なくともそれが信仰を集めてきた山場神社に生まれた人間として、幼き頃より科せられた義務なのだろうと、敬は考えていた。先代の逝去と、ダムの件がなければ、今頃は敬とてここで、祭事を行っていたのかも知れない。
「それにしたって、今更になって急に祭りの報せが来るなんてねぇ」
 嘆息した愛の所へ、井藤 礼夏がお茶を運んでくる。
「何を仰っているんですか、祭りは毎年同じ日付ですよ、明日から三日間」
 朗らかに笑った礼夏の黒い短髪が、静かに揺れた。
 彼女は山場村の酒店の跡取り娘だ。
 御神酒を届ける関係から、神社にも良く出入りしているのである。
「所で、祭りへの招待状をくれた、本家の弥美さんは今どうして居るんだろう」
 敬が言うと、礼夏が首を傾げた。
「後であちらにも、祭り用のお酒を届けるので、見てきましょうか」
「いや、こちらから挨拶に行ってくるよ」
 そう言って彼は、姉を見る。すると愛もまた頷いたのだった。
「そうですか。じゃあ、その前に、お疲れの事と思いますが、お客様にお会いになりませんか?」
「客?」
 礼夏の声に、愛が首を傾げる。
「ええ。新聞社の方がお祭りの取材にいらしてるんですよ。神主様達のお話が聞きたいって、さっき本殿の所に」

 本殿。

「秘祭かぁ――社会面には丁度良いよね」
 新聞記者をしている河城 綾が、参拝を終えた後呟いた。
「三面記事でしょう?」
 同僚である朱芽 美鈴が言うと、綾が唇を尖らせる。
「三面記事だって、社会面の記事だよ!」
「それはそうですが……」
 綾に無理矢理連れてこられた美鈴は、ポニーテールの髪を撫でながら溜息をついた。
「記事が書けるんだから、素敵だよ。あたしの記事を待っている全国の読者がいるんだから」
「地域紙ですけど。まぁ、そうですね」
 陽気な綾の様子に、美鈴が気分を切り替えるように、表情を和らげた。
「それにしても、よくこの様な祭りの事を知っていましたね」
「元々私の祖父母がこの村の出身なんだ。それで、祭りがあるって報せが来たんだって」
 綾の応えに美鈴が頷く。
「新聞記者って事は、河城さんの所の孫娘か」
 そこへ声がかかった。
 二人が振り向くと、そこには紺色の和装姿をした六角要の姿があった。ぼさぼさの黒い短髪が、僧服には不似合いな事極まりない上、神聖な神社において彼は煙草を銜えている。火をつけていない事がせめてもの誠意なのか、有髪のどこからどう見ても破戒僧といった様子の青年だ。
「貴方は?」
「俺も他で暮らしていたんだけどな、呼び戻されたんだよ、祭りだ何だって言われて。うちの寺は、基本的に祭りには何の関係もないだろうし、有ったとしても俺は知らないんだけどな。ただ昔、河城さんにはよく掃除を手伝って貰ったから、覚えてる。新聞記者になったって喜んでいたからな――そうだよ。お前等の方が、何か詳しい事を知ってるんじゃないのか?」
「全然知りません。私はただ連れてこられただけですから」
 美鈴がそう言うと、要が嘆息した。
「そうか。有難う。じゃあ俺は村に降りて、色々聞いて回ってくる。何かわかったら教えてくれ」
 そう告げると要は神社の石段を下り始めた。
 神道が支配するこの村において、寺は、形だけ有るようなものだから、彼自身は他の村人とあまり変わらない処遇を受けている。そもそも先代が亡くなる前から、ほとんど村へは寄りつかなかったし、この村の名前を聞いたのもダムの話を聴いたのが最後だった。
「沈んでないって事は、あの話は頓挫したのか?」
 一人そんな事を呟きながら、彼は石段を下りていった。


「祭りとはいえ、随分部外者が多いのね」
 豊満な胸をワインレッドのキャミソールの下に隠し、その上から白衣を纏った中谷 冴子が、閑散とした山場医院の二階から村を見おろしていた。
 村に唯一の医院を取り仕切っているのは、彼女である。
 山場家と山場村分校の代々の主治医をしていて、村の皆もほとんどの場合は、ここを受診する。しかし、民間療法などで風邪を治そうとする人々が多い為、目立った怪我でもなければ、来訪者は少ない。怪我の場合でも重傷な者は全て村外の病院へとかかるから、大体の患者は慢性的な不調を抱えるお年寄りだ。
「病院は流行らない方が良いものだけど、これだけ外から人が来て居るんだから、注意しないとね」
 長い髪を一つにまとめながら、冴子は何事も起きない事を祈った。
 彼女は視線を林道へと向ける。

 図書館にも通じる道だ。

 ブナの林を歩きながら、童子 華花(どうじ・はな)はボブカットの黒髪を揺らしていた。
 何人かの村人が彼女の姿に気がついて、身を隠すように走り去っていく。
 それでも露骨に飛んでくる視線に、彼女は黒い瞳を伏し目がちにし、少しばかり悲しそうな面持ちで、唇を噛んだ。
 彼女には、生まれた時から不思議な力があった。
 ――火術。
 パラミタに至った者であれば、そう呼び自然な事象として受け入れたのだろうが、狭い この閉塞的な村では、異端者として、腫れ物に触るような扱いを受けてきたのが彼女の現実である。
 素直で無邪気な性格の華花は、とても可愛らしい外見をしていた。
 だが、彼女を襲う疎外感は、その表情をも曇らせるのが常だった。
「お祭りの日くらいは、楽しめると良いんだけどなぁ」
 華花がそう呟いた時、遠目に民宿から登る竈の煙が見て取れたのだった。