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リアクション
第25章 ロノウェ
「それで、ヨミは!? あの子は無事なの!?」
本陣まで戻ったロノウェは、バルバトスの姿を捜した。報告を受けても信じられなかった。バルバトスの口から直接聞き、そして本当にそうしたのであれば、理由を聞き出さなければ!
――ヨミ様は無事です。城を脱出し、そちらへ向かっています。
「……ああ……!!」
安堵のあまり、めまいがした。
その場にへたり込みかけた彼女の背後に忍び寄る、不穏な影。それは、メニエスのパートナーロザリアス・レミーナ(ろざりあす・れみーな)だった。
猫の足音ほども音をたてず忍び寄った彼女は袖下に隠し持っていた匕首を抜き、ブラインドナイブスで一気に急所を突こうとする。次の刹那、キイィンと鋼同士がぶつかる音がして、大久保 泰輔(おおくぼ・たいすけ)の持つラスターダスターがその攻撃を受け止めた。
「ほらな。こーゆう輩がおるから、僕みたいなのが必要になってくるんや」
気配に気づいて振り返ったロノウェに向け、泰輔はにかっと笑う。
「……ちょっとー。邪魔しないでよ、言いつけは守らなくちゃ駄目なんだからー」
ロザリアスが口先をとがらせて文句を言った。暗殺しようとしたのを止められたあせりもなければ逃げようともしない。
泰輔はその手から強引に匕首を取り上げた。
「ええからやめや。それより、おまえの保護者んとこ行くで。きっちり話つけさせてもらわんとな」
「えー?」
「えー、やないわ。ほら、しゃきしゃき歩き!」
そのまま引っ立てて行こうとする。
彼女が現れたのは、まさにそのとき。
「ロノウェーーーーーっ!!」
燃え盛る炎のごとく熱く、そして同時に触れた瞬間切れるほどに冷たい、激声だった。
ゴッドスピードとバーストダッシュで高速移動を可能にした志方 綾乃(しかた・あやの)がヘルハウンドたちと同時に襲いかかる。
「死ね! 死ね! 死ね!!」
殺意に濃く彩られた狂気の叫びで梟雄剣ヴァルザドーンを頭上高くかかげる。
「殺してやる! 生きながら四肢を落とし、腹を裂き、その貧相な体を杭で貫いて、おまえの兵士たちにその無様な様を見せつけてやる!! ヘルハウンドに喰われてしまえ!!」
ロノウェに向け、凶刃をたたきつけんとする綾乃。
あっけにとられた泰輔の拘束が緩んだのを見てとったロザリアスは泰輔のみぞおちに膝を入れ、匕首を奪い返すややはりロノウェを狙う。
「ミストラル! やめさせなさい!」
「はい、ロノウェ様。
やめなさい、ロザリアス。それ以上続けるならば、メニエスの命はありません」
ロノウェの命令に従い、ミストラルは己の主・メニエスを後ろから拘束した。腕を首にかけ、ひとひねりで首の骨を折ると示唆する。
「おねーちゃん! ミストラル?」
ミストラルは答えなかった。もとより、魂を奪われている彼女に選択権はない。
ロノウェは綾乃よりもロザリアスを阻止することを選んだ。
なぜなら、そのときにはもう、綾乃はロノウェに何もできない存在になってしまっていたから――。
「……え……っ?」
綾乃が目にしたのは、彼女に腕を切り落とされたロノウェではなかった。
白い女の手が、彼女の胸から生えている。
「……あ……?」
しびれた綾乃の手から、ヴァルザドーンが落ちた。
ではこれは、ロノウェの腕か? そう思われたが、ロノウェは少し離れたところから冷ややかに彼女見ているだけだ。
「あなたたちはね、のろいのよ。もうどうしようもないくらい」
耳元でささやかれた声。ちゅ、とほおにキスをされる。けれど、綾乃はもう、その唇を感じることはできなかった。
バルバトスは手を引き戻し、死んだ綾乃の体を足下に投げ落とす。
「ロノウェちゃん、この子の魂いる〜?」
しゃがみ込み、まだ温かい体をツンツンつっつく。
「バルバトス様」
「いらないなら私がもらってもいいけど〜」
「バルバトス様、教えてください。なぜ……ヨミを……」
その名前に、バルバトスは動きを止めた。
はーっと息をつき、立ち上がる。
「だってロノウェちゃん、人間を憎む理由をほしがっていたでしょ〜?」
「そんな……!」
そんなことのために? そう詰問しようとしたとき、ヨミを乗せた高月 玄秀(たかつき・げんしゅう)のオイレがその場に到着した。
「ロノウェ様!!」
オイレが完全に止まるのも待ちきれず、ぴょんっと飛び下りたヨミがぱたぱたぱたっと駆け寄ってくる。
きらきらと輝く目は、完全にロノウェしか映していない。
そのままの勢いで、ばふんっとロノウェの腕の中に飛び込んだ。
「ロノウェ様、大変なのです! お城にバルバトス様、の――……」
そこでようやくバルバトスに気づいたヨミの口が止まる。
報告したものか、それともこの場は口をつぐんでいた方がいいのか。2人の魔神の間で顔を右往左往させるヨミを、ロノウェは抱き締めた。
「……ロノウェ様?」
自分を抱き締めたまま、ひと言も発しないロノウェにヨミが不審がる。
そこに、戦場を抜けたロノウェを追ってきたイーオンや優たちが走り込んできた。
「ロノウェ!」
彼らもまた、バルバトスを見て反射的、警戒態勢をとったものの、意識してそれを解き、ロノウェに目を移す。それからはもう、彼らはバルバトスに視線を向けることもなく、ロノウェだけを見つめた。
ロノウェは肩を震わせていた。その顔はヨミの体で隠れ、見えなかったが、泣いているように見えた。
澪がそっとかたわらにしゃがみ込み、肩に手を添える。
「あなたは魔族を裏切りたくないと言ったけれど……私たちは、決して裏切りません。ね? そうしたら、あなたも魔族を裏切ったことにはならないわ。だって、あなたは彼らを地上に導くんですもの」
ロノウェは顔を上げて、自分の周りに集まった人間たちを見た。そこには泰輔たちの姿もある。
「一緒に、魔族たちを地上へ連れて行こう、ロノウェ」
「……でも……」
けれどバルバトスの気持ちも分かるのだ。
バルバトスがなぜこんなことをしたのか……ヨミを殺そうとしたのか……分かってしまう。
なぜ、アガデで彼女に何ひとつ教えず、襲撃が発覚してからも、自分を不信な目で見るままにさせたのかも。
分かってしまった。
「――ヨミ」
「はいなのです」
ヨミの愛情にあふれた目を覗き込み、ロノウェは大きく息を吸い込んだ。勇気が出るように。これからすることを、最後までやり遂げることができるように。
「ヨミ。私、あなたの本当の名前を知らないの。彼女は、あなたのことを「わたしの赤ちゃん」としか呼ばなかったから……。
「ヨミ」というのはね、あなたのお父さんの名前。あのころ、わたしの副官だった」
ロノウェ1人に忠誠を誓った、最も優秀で最も頼りになった、腹心中の腹心だったヨミ。何千年も苦楽をともにしてきた親友。
それだけに裏切りが許せなかった。彼女をだまし、うそをつき、隠した。人間の女性を妻としたことを。
隠し通せるとは思っていなかっただろう。現れたロノウェにあわてる様子も見せず、2人は黙って殺される道を選んだ。ただ、最後に彼女がつぶやいたのだ「わたしの赤ちゃん」と。それで、別室で眠っている赤ちゃんに気づいた。
「あなたはお父さんそっくり」
だからヨミと名付け、自分のそばに置いた。もしも人間の子だったらどうしたか? そんなことは分からない。だってヨミは悪魔で、人間じゃない。
「ヨミ。あなたの両親を殺したのは私よ。あなたから両親を奪ったの」
ロノウェは最後まで言い通せたことに、まずホッとした。そして黙ってヨミの――運命の裁きを待った。
ヨミはぱちぱちとまばたきをした。その姿は、何を言われたのか理解しきれていないようにも見えた。なぜならあまりに普通で、悲しむ様子も、怒り出す気配もなかったから。
周囲で見守る者の方が不安になり始めたころ。ヨミは、にこっと笑った。
「あのですね。ずーっとずーっと前に、世話係だった女の人に訊いたのです。「ヨミにはどうしてみんなみたいに『お父さん』と『お母さん』がいないのです?」って。するとね、こう言われたのです。「『お父さん』と『お母さん』が、もしどちらかでもいたら、ロノウェ様と一緒にいられなかったのよ?」って」
ばふん、とヨミはロノウェの腕の中に飛び込み、抱きついた。
「ヨミは、『お父さん』や『お母さん』がいるより、ロノウェ様と一緒にいられる方がずーっといいのです」
温かくて柔らかな体が押しつけられる。
それは、ヨミが両親を知らないからだ。もし記憶があれば、こんなことは決して口にしなかっただろう――きっと、それが真実。
けれどロノウェは、腕になじんだその体を引きはがせなかった。
「バルバトス様……」
やがてロノウェはヨミを離して立ち上がり、意を決してバルバトスの前に立つ。
涙のにじんだ目で、それでも涙はこぼさず、声にも震えは出さない。
「バルバトス様、私は……私は、もう一度だけ、信じてみようと思います。もしかしたら今度こそ……人間は、約束を守ってくれるかもしれない」
もし認めてもらえないのなら……ロノウェは、殺されてもいいと思った。
たとえ八つ裂きにされても、抵抗はするまい。
バルバトスになら殺されてもいい。
「ロノウェちゃん」
バルバトスはゆっくりと両手でロノウェのほおを包み込む。彼女をたしかめ、そのすべてを記憶するかのように指をすべらせ……のどにかけた。
そして、ロノウェをきつく抱き締めた。
「ロノウェちゃん、100年後にまた会いましょう。そのころにはあなたもどれだけ彼らがくだらない存在であるか、思い出しているでしょう。そうして一緒に人間狩りにでも行きましょうね〜」
バルバトスはまばゆいほどの笑顔で屈託なくそう言うと、飛び去って行った。
「あ、そうそう。せっかくだからこの子の魂ちゃん、私がもらってくわね〜♪」
と言い残して……。