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第四章 影蝋屋にて3

「霞泉(かすみ)か……よりにもよって、自分の源氏名をこのようにつけてしまった。まるで霞がかった夢の中……」
 影蝋天 黒龍(てぃえん・へいろん)が案内を終えて部屋にあがったとき、『その人』は居た。
 ゆったりとした羽織を肩に掛け、手には杯をもっている。
 『その人』はもう一つ杯を取っては、黒龍に向かって差し出した。
 黒龍の脳裏にあのときの光景がよみがえる。
「最近、嫌いなものが増えました。夕陽と空と……貴方です」
 黒龍は静かに、しかし、きっぱりとした口調でいった。
 目の前の彼には、伝えられなかったことが多すぎた。
「あの日から後悔ばかりです。私は貴方に、生きていてほしかった。居場所も居きる意味も、何よりも貴方自身に見つけてほしかった。『正しき』とは何か……『蒼の審問官 正識(あおのしんもんかん・せしる)』……!」
 正識と呼ばれた青年は杯を置き、黒龍に向き直った。
「……何を怒っているんだね?」
「怒っていますとも。いえ、悔しいのだ。結局、貴方は『神』として人に与えようとするばかりで、自分から何かを望んだことがあるのですか? 人として望んだことが、あの結末なのですか? 『マホロバ人』と正識として最初で最後に望んだものが……!」
 黒龍は激情を押さえきれず、正識の肩を掴んだ。
「貴方は『神』ではない。人だ、『マホロバ人』だ!!」
「私は、『神』になりたかったわけではない。そう望む人々の欲求によってならされていた。私は自分を見失うのが恐ろしかった。それに気づかされたのは、君やここに住まう人々『マホロバ人』だった……」
 正識は目を細めた。
「気づいたときには手遅れだったがな」
「そうやって……私が望んだものはいつもこの手からこぼれ落ちていく……」
 黒龍の指が堅く握られている。
 力が込められすぎて紫色になりかけている。
 正識は黒龍の手に自らの手を重ねて優しく引きはがすと、そのまま一気に彼を押し倒した。
「何……を」
「するのと、されるほう。どちらがいい?」
 今まで雪のように白かった正識の肌が、紅潮していた。
 着物の帯や紐をするするとほどいていく。
 やがて黒龍の肌が露わになる。
 彼の長い髪が乱れた。
「さきほど、私に『望め』といったな。ならば望もうか」
「貴方は……貴方という人は」

 ――これは夢かもしれない。
 夢でもいい。
 いつか失うをわかっていても、今この時を、ともに過ごせるのならば……。
 衝立の向こうから、甘く切ない吐息が聞こえる。

卍卍卍


「もう、旅立つの。正識さん?」
 高 漸麗(がお・じえんり)は『筑』を吹くのをやめて、物音のする方へ問いかけた。
 漸麗は盲目であり、彼の姿は見えていない。
 しかし、ことの一部始終は、音と声を通して衝立越しに知っていた。
「黒龍くん、あの日からまだ動けずにいるみたいなんだ。僕はこうして、彼があるべき場所に見失わないように、『筑』を奏でてるよ。正識さんはーー」
 漸麗は思い切って尋ねた。
「今、願いってある?」
 返事はすぐには返ってこなかったが少し間の後、彼の声があった。
「『マホロバ人』として生きたい」
 漸麗はうなづいた。
「うん……うん。黒龍くんが目覚めたら、伝えておくよ……」
 襖があき、心地よい風が入って来る。
 後には桜の花びらが残されていた。