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第七章 とらとら!1


 水波羅(みずはら)遊郭
 扶桑の都にある伝統ある花街である。
 ここに登楼するのは客、遊女を問わず、マホロバ人にとっての憧れであり、ステータスでもある。


 そら、と〜らと〜らとら♪
 そら、と〜らと〜らとら♪♪


 とある座敷では、芸者によるお座敷遊びが行われている。
 この【とらとら】遊びは、三味と手拍子に合わせて踊り、衝立の陰から出て相手と出すものによって勝ち負けを決める。
 『虎』『槍の名人』『お婆さん』とあり、三竦みを利用した一種のじゃんけんのような物である。

 そら、と〜らと〜らとら♪ ハイ♪

 霧島 玖朔(きりしま・くざく)は手拍子に合わせ『虎』に扮して四つんばいになる。
 三回目の唄に合わせて衝立から覗き見た。
 天神宇都宮 祥子(うつのみや・さちこ)がにこりと笑って『槍』をつくまねをする。
 彼は大げさにひっくり返って見せた。
「くそ〜また負けたかー!」
「はーい、お兄はんの負けー。呑んで、呑んで〜!」
 玖朔はその割には嬉しそうである。
 彼は杯に酒が並々を注がれ一気に飲み干すと、遊女や芸者たちの間からわっと歓声が上がり、たちまち玖朔を取り囲んだ。
「旦那はんいい飲みっぷりやわ、うちのも呑んで〜」
「いややわ、今度はうちのばんや。霧島様、いっしょに遊びまひょ」
「ずるーい。次は玖朔はんうちやとゆうたやないのー!」
 美女たちが玖朔を取り合っている。
「順番、順番なー。あーでももう俺のめねーよ」
 そういってごろりと祥子のひざの上に転がり込む。
「もうそろそろ、天神さんとあったかい布団の中へもぐりたいかな、なんてな!」
 さわさわと祥子の太ももあたりを撫でる。
「霧し……いや旦那さん。うちら花街の女は芸を売るのが努め。お金を積んだだけでは、お好きにすることはできませんよ」
「なにー? この間はお楽しみできたのに」
「体ではなく、心を抱いてくれればよろしいのです。もっと楽しく遊べるかもしれませんよ」
 祥子はそういって、やんわりと玖朔の手から逃れた。
「心……ねえ。俺にはもういるしな」
 玖朔はふと思い出してしまったが、心に浮かんだ彼女の姿をぶんぶんと追い払った。
「いやいや、せっかくここまで来たんだ。もっと遊ぶぞ、大人の遊びをな!」
  玖朔はパートナーの伊吹 九十九(いぶき・つくも)を呼び寄せ、再びお座敷遊びに熱中した。
 今度は彼が勝つ。
 玖朔は罰と称して九十九の薄地ドレスの上から、彼女の胸をわしわしとしていた。
「ちょっと霧島……激しくしないで……あん」
「ああ、やっぱりこの感触はたまらん。次は、負けたら全部脱ぐんだぞ九十九。そら、と〜らと〜ら」
 再び衝立に戻り、四つんばいになる玖朔。
 膨れ上がる期待を抑えながら三回目の手拍子で覗き見たとき、いきなりデコをばんと突かれた。
「いでぇ! 何なんだいったい……」
 その瞬間、彼の背筋が凍りつく。
「げぇっ、す、すす睡蓮!!?」
「随分と楽しそうですね、玖朔さん?」
 彼の恋人水無月 睡蓮(みなづき・すいれん)が、般若顔で腕組したまま立っていた。
 彼女の冷ややかな追求が始まる。
「浮気……ですね」
「ちちち、違う。まだしてないからな。浮気じゃないぞ」
「『まだ』? ……する気満々だったんでしょう? 九頭切丸、やっておしまいなさい」
「……(了解)」
 睡蓮の許可が下り、彼女のパートナー鉄 九頭切丸(くろがね・くずきりまる)が疾風突きを構える。
 先ほどの強烈デコピンも九頭切丸によるものだ。
 玖朔は飛びのいた。
「俺を本気でヤル気かー!?」
「さあ、どうしましょうかねえ。性懲りも無い玖朔さんには罰ゲームを受けてもらいましょうか」
「おい、目が笑ってないぞ。怖いぞ睡蓮。だ、だずげでぐでぇ〜!」
 睡蓮に足四の字固めを決められ、近くの祥子に助けを求める。
 しかし、祥子は無情にも笑顔でこういった。
「ここは楽しく芸やお酒を楽しむところですよ。さあご一緒に……そら、と〜らと〜らとら♪」
 玖朔は本日、二度目のデコピンをくらった。

卍卍卍


 その後玖朔は、彼にもっとも精神的ダメージを与える方法として、水波羅にも存在する『影蝋茶屋』に放り込まれた。
 玖朔はすでに虫の息寸前である。
「もう……浮気はしません……だから許して神様仏様睡蓮様……」
 その彼の目の前を、観音様のごとく美少女が通りかかる。
 【的矢女郎(てきやじょろう)】の坂上 来栖(さかがみ・くるす)だ。
 玖朔は舌の根も乾かぬうちに、来栖を誘った。
「酷い目にあったんだ。俺を癒してくれ!」
「『諏繰(すくり)』と申します……もちろんです、旦那様。どうぞお気のすむまでお楽しみいただきますよう」
 にこりと笑う来栖。
 身なりをみる限り、その美貌に反してランクは低そうだ。
 どうしてこの娘が最下層ランクの的矢女郎なのか不思議に思いながらも、玖朔は遊女に触れようとする。
 が、男の本能が危険を察知したのか、冷たい汗が背中にどっと噴き出し、彼は思わずあとずさった。
「どうしました。旦那さん、落ち着きがありませんね」
「何でだろう俺ともあろうものが。この娘には触れちゃいけない気がする……」
 手を出したら最後、全てを吸い取られてしまうような、そんな気がした。
 来栖の白く細い腕が伸ばされる。
「精一杯、努めさせていただきますね」
「や、やっぱ俺帰るわ。睡蓮もそろそろ機嫌直してくれてるだろうし」
 飛ぶように去っていく玖朔に、来栖はため息をついた。
「……また逃げられてしまいましたね」
 彼女はいつもこうして男性客を惹きつけては、逃していた。
 遊女としてとくに不適格でもないというのに、このためランクの低いままでいた。
「旦那さん、今晩いかがですか」
 来栖は再び道行く男連れに声をかけた。
「こんな可愛い子が、も、もちろん! ……え、いやまた……今度ね」
「……こちらのお兄さんは?」
「俺も急に腹が痛くなって。どうしちまったんだろ」
「……ではまた。気が向きましたらお呼びください」
 (自分の命を対価に夜の者を手に入れる。
 そんな気概あふれた人間はいないのかしら……?)
 来栖は今宵も吸血鬼のごとくさまよい歩く。
 水波羅遊郭に『客がつくのに客をとらない風変わりな遊女がいる』と噂立つのも、そう遠くないことだろう。