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海の都で逢いましょう

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海の都で逢いましょう
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●Never gonna give you up 
 
 会場に来てからどれくらい時間が経ったのか、それすら今の七刀 切(しちとう・きり)にはよくわからない。
 切の頭の中は時間が止まっているからだ。
 パティ・ブラゥことクランジΠと最後に逢ったあの日のまま、静物画のように固まっている。
 一度きりのデートの後、彼女からは一度も連絡がなかった。もらった通信機はずっと沈黙したままだ。
 パティはどうしているだろう。最近はそんなことばかり考えている。
 今日だって彼は、交流会に来るつもりはなかったのである。だがパートナーの黒之衣 音穏(くろのい・ねおん)から、
「気分転換が必要だろう」
 と言われ、イトリティ・オメガクロンズ(いとりてぃ・おめがくろんず)も同行させつつ、引きずられるようにして出席したにすぎなかった。
 といっても周囲の環境が変わろうが、切が茫漠としているのは大差なかった。話しかけられてもイベントがはじまっても、通信機を気にして上の空……例の全裸鬼神が大暴れしたときでさえ、見ようとすらしなかったのだから天晴れな放心ぶりであった。
 そんな彼を眺めて音穏は、煮詰めたイカの墨よりダークな溜息をついた。そしてついに、
「よし、切そこに座れ」
 と命じたのである。会場のど真ん中で。
 ふと我に返って切は質問した。
「あの音穏さん、地面?」
 場所を考えると砂浜に座るしかない。 
「地面だ、それがどうした。ちゃんと正座でな」
「でも周囲の人目が……」
「周囲の人? 戦場で周りに人がいるのに恥ずかしいセリフを叫んでいたやつが今さら気にするんじゃない」
 問答無用で切を座らせると、こんこんと音穏は説いた。普段の音穏からすれば実に珍しいことだ。
「覚えているか? 去年の七夕、貴様は誕生日のくせしていなくなったと思ったら、雪山に行って、場所が戦場になっていようが顧みず、告白の為に突っ込んでいっただろう。ハロウィンの時期には私財をなげうってあの娘を探し回り、資金が尽きとうとう住む場所すら失うに至った。その結果、しばらくのあいだ友人の家を渡り歩くはめになったことを我は忘れておらんからな……!」
 切は顔を上げられない。
 そうだった。
 パティ……パイを追いかけているときは楽しかった、心が躍った。拒絶されることはあっても、諦めようなんて夢にも思わなかった。
「そんな貴様がその体たらくはなんだ? 通信機を見てボーっとして相手を待ってるだけとは!」
 次のフレーズについて音穏は語気を強めた。
いいか、貴様は嫌われるのが怖くなったんだ。心が近くなったがゆえの怯え、障害によってまた離れてしまうのが最大の恐怖になった。よく聞け、貴様は馬鹿だ。『馬鹿ノ考エ休ムニ似タリ』と言う。考える馬鹿ほど始末におえんものはない! どうせ馬鹿なら休むより動け、いらぬ考えに囚われ、その程度のことで止まってるんじゃない!」
 鋭いサーベルで心臓を突かれたかのよう、音穏の言葉は、ぐさりと音を立てて切の心を貫いた。
 まるで腑抜けだ、切は思う。いつの間にか自分はパティからの連絡を待っているだけの存在に成り下がってしまい、会っても気を遣うばかりだった。
 命がかかってるんだから当たり前かもしれない。
 好かれているかもと思えば、嫌われるのが怖くなるのも仕方ないことかもしれない。
 ――けど、それはワイのあり方じゃない。
 燃えカスのようにくすぶっていた切の目に、情熱の炎が再び宿ろうとしている。
 この機のがさじと音穏は屈み、しっかりと切の顔を見ながら言った。
好いた女なら自分で追いかけろ! 捕まえて離すんじゃない! 行け!」
「行けって、今……?」
「今すぐに決まっておるだろう! 家の事は我や他の者がなんとかする……分かったらとっとと行かんか! 走れ!
 ばっと切は立ち上がった。あまりに勢い良く立ち上がったので、見ていたイトリティがたじろいだほどだった。
 もう彼の瞳に灰はない、燃え残りの沈殿物は……ない!
「よし、ありがとう音穏さん! 目ぇ覚めた! ワイ行ってくる!」
 猛然とビーチの砂を蹴立て切は駆けだした。
 相手に追いかけてもらうなんて、そもそも柄じゃなかったのだ。切はパティに言ったはずだ……「笑顔にする」と。そんなことを言っておいて待ってるだけなんてありえないだろう。彼女が笑顔でないんなら、笑わせに行く!
 彼の心は決まった。もうつまらない怯えはおろか、テコでもロードローラーでもこの決意を動かすことはできないだろう。
「追いかけて追いかけて、ワイが迎えに行くんだ!」
 足元に迫る波も、ばしゃばしゃとはじいて切は叫んでいた。
 障害なんてのは、皆で何とかすればいい。
 パティは借りを作るのが嫌って言ってたけど関係ない。
 ――俺が助けたい、だから俺に助けさせてほしい。

 不死鳥の如く蘇った切の後ろ姿を見送って、
「これでよし……」
 腕組みして満足げに音穏はうなずいた。だが今度は彼女がたじろぐ番だ。
 途端、彼女は喝采に包まれたのだ。気がつけば沢山の交流会参加者が、彼女を囲んでこの顛末を見守っていたのである。
「よくやった!」山葉聡がガッツポーズで言った。
「彼、生き返ったよね」アゾート・ワルプルギスも嬉しそうである。
 彼らばかりではない、無数の称賛が音穏に投げかけられた。おおむね好評のようである……けれど、
「う……あ……」
 みるみる音穏の顔が紅潮していく。どうしたものやら狼狽するほかない。彼女は忍びの者、注目を浴びるのには慣れていないのだ。
 前脚でざっざと砂を蹴ると、イトリティは溜息をついた。
「ぐるぅ……」
 彼も音穏と同じく輪の中心に置かれてしまったのだ。なすすべなくざっざと、イトリティは砂を掘り出している。まるでこのまま、穴を掘って隠れたいぜとでも言っているかのようだった。