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うるるんシャンバラ旅行記

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うるるんシャンバラ旅行記

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「いくでぇ、鍵屋!」
「はい、初代様!」
 市朗兵衛と弥兵衛はそう声をかけあい、いよいよ花火が打ち上がる。
 夜空に一筋の光が細く駆け上っていき、一瞬、その姿を消す。そして。
 ドーーーーーーーン!!
 身体の底まで震わせるような音とともに、夜空に大輪の花火が咲いた。

「うわぁ……」
 すごい、と。レモは身体を震わせる。
 圧倒的な大きさと、音と。なにより、きらめく美しさに、心をわしづかみにされるようだ。
 その大玉花火を皮切りに、いよいよ、空京初の鍵屋玉屋の二大花火師の共演が始まったのだった。



 次々と、空に大輪の花火が咲いては、散っていく。きらきらと光が弾け、幻想的なまでに夜空は美しかった。
 浴衣に着替え、特設の花火会場に陣取った松平 岩造(まつだいら・がんぞう)は、先ほどからじっとその美しさを堪能していた。そうしていると、先ほどのジェイダスの言葉も思い出される。
「なるほど、ジェイダス殿の美とは、このようなものなのか……」
「初めて見るものも多いが、悪くないな」
 ドラニオ・フェイロン(どらにお・ふぇいろん)が長く伸びた髭を指先でいりじながら呟いた。
「なんじゃおぬし、茶か?」
 焼きそばはすでに食べ終わり、フランクフルトをかじる武蔵坊 弁慶(むさしぼう・べんけい)の手元を見た武者鎧 『鉄の龍神』(むしゃよろい・くろがねのりゅうじん)が、そう指摘する。弁慶の手元にあるのは、麦茶だ。
「一杯、飲まんかい?」
 鉄の龍神はそう酒杯を勧めるが、「遠慮しておくでござる」と弁慶は断った。
「夏祭りといえば、焼きそばにフランクフルト、そして麦茶でござろう」
 それは、弁慶なりのこだわりらしい。
「まぁよいが。……今日は花火が綺麗でええのお」
 さして気分を害した様子もなく、また酒杯に口をつけると、鉄の龍神は顔に刻まれたしわをいっそう深くして微笑んだ。
「そうでござるな」
 今まで戦いばかりの日々を送ってきた自分達にとって、今日は特別の日だ。そう、弁慶はふと思う。傍らを見れば、主君の岩造も、このひとときの夏休みという時間を楽しんでいるようだ。
 たまには、そんな日もあってよいだろう。
 花火が、また上がる。腹の底まで響く音とともに、星屑がきらきらと舞い落ちる。
「おお」
「たぁまやあああ!」
「かぁぎやああ!」
 岩造とドラニオが、周囲の人々とともに声をあげ、さらに感嘆とともに拍手を送った。
  そこには、不思議な一体感があった。なぜなら、今、この場にいる人間が感じていることはともに一つだからだ。
 花火があがり、それを、美しいと思う気持ち。それだけだった。
「楽しいな」
 ぽつりと、ドラニオが呟く。
 一同は無言のまま頷き、空の大輪の花とともに、このひとときの和やかな空間を楽しんだ。


 花火の音は、旅館にまで聞こえていた。窓の外を見れば、ちらほらと花火の光は見える。それだけで、三井 白(みつい・しろ)には十分だった。もともと引きこもりの性質のせいもあるが、なにより今、あの二人と一緒に花火大会に出かけるなど、考えるだけでも面倒くさい。
 あの二人、とは、白のパートナーである三井 静(みつい・せい)と、三井 藍(みつい・あお)のことだ。
 先ほど、静に浴衣を着付けてやったから、今頃二人で花火を見ているのだろうが。果たして、どうなることやら。
 ふぅ、と白はため息をついた。

 静と藍は、花火大会の特設会場を歩いていた。宮殿にも誘われたが、先に夜店を見て回りたかったのだ。
 いくつかの店に立ち寄り、静の好きそうなものを買い求めながら、藍は常に気を配ってくれる。それが、静には、嬉しくて切ない。
 その気配りや好意が、決して、自分が秘めているものと同じ名前ではないと知っているから。
「静? 大丈夫か?」
 もとよりおとなしいとはいえ、いつにもまして口数の少ない静に、藍の声が次第に不安げなものになる。
「この人出だからな、疲れただろ。浴衣も、苦しいなら、一度着替えに戻ろうか?」
「……ううん」
 苦しいのは、帯のせいじゃない。そんなことではないのだ。
 もどかしい思いが、静の注意力をおろそかにさせた。
「ぁ、……っ」
 沿道の小石に足をとられ、静の体が傾ぐ。慌ててそれを藍は受け止めたが、不運なことに、下駄の鼻緒はぷつりと切れてしまっていた。だが、そんなことは良いとばかりに、藍は手をひいて、静を近くの石段に座らせた。
「大丈夫か? 怪我は?」
「……少し、痛いけど。でも、平気だよ」
「くじいたかな」
 静の細い足首が、やや腫れつつある。表情を曇らせて、ひざまずいた藍は丁寧に静の小さな踵を俺の膝に乗せ、怪我の具合を見ていた。もはや、背後で花火があがろうと、視界には入っていない様子だ。
 心から、心配そうに。
(……やめてよ)
 不意に、静の胸の奥底から、苦しさと切なさがこみ上げ、喉の奥までせり上がってくる。
「……ルドルフ校長」
 その単語に、ぴくりと藍の眉が動く。
「花火、きっとお好きだよね。見られなくて、残念がってるだろうな」
「そうかもしれないが、仕事があるんだから当たり前だろう」
 唐突に出された名前に、露骨に藍の口調がきつくなる。
(恋でもないくせに。そんな風に、しないで)
 優しくして。守って。嫉妬して。なのに、藍のなかにある感情は『恋』ではないなんて。
「それより、少し待てるか? 氷でももらってくるよ。冷やしたほうが……」
「藍」
 きゅ、と静の手が藍の服の袖を掴んで引き留める。そして、藍を見上げた静の唇が、動いた。
「僕は、藍のことが、好きなんだよ」
 同時に、ひときわ明るい花火が、大空に咲く。その激しい音と、歓声が響きわたる。
「…………」
 二人はしばし、じっと見つめあっていた。だが、歓声がおさまったころ、藍は言った。
「よく、聞こえなかったんだ。ごめんな」
「……そう」
 静の手が、離れた。そのときだった。
「どうかされましたか?」
 声をかけてきたのは、薔薇の学舎の山南 桂(やまなみ・けい)だ。
「桂さん」
「お怪我ですか?」
「あ、ああ。そうなんだ」
「それでしたら、応急手当をしますね」
 桂はそう言うと、静の前に膝を突く。
「……すみません、桂さん」
「いえ。気にしないでください」
 桂が手際よく静の応急手当をする間、じっと藍は黙りこくっていた。
 本当は、聞こえていた。けれども、咄嗟に、聞かなかったフリをしてしまった。
 あまりにも、動揺しすぎたからだ。
(…………)
 静の様子は、冷静なままだ。聞き違いだろうかと勘ぐるほどに。けれども、そんなことはないのだろう。
 とはいえ、今は、聞こえなかった態を続けるしかない。
「これで、いかがですか?」
「ありがとう、ございます……」
「いえいえ。お役に立てて、なによりです」
 笑顔で桂は立ち上がる。すると、そこに。
「桂、なにしてんだ?」
 いささかガラの悪い口調で、神楽坂 翡翠(かぐらざか・ひすい)が現れる。
「怪我したのか? あんま、ぼーっとしてんなよ」
「え、あ、は、はい……」
 なんだか、普段の翡翠とは、まるで別人だ。驚く静と藍に会釈で詫び、桂は立ち上がった。
「では、失礼します」
「行くぞ」
 顎をしゃくるようにして桂を従えると、翡翠はまた、人混みのなかに消えていく。その後ろ姿を、二人はやや呆然と見送ったのだった。


「迷子の子は、大丈夫でしたか?」
「まぁな。母親んとこ、置いてきた」
 翡翠と桂は、ボランティアで、花火大会中の裏方を勤めていた。先ほどのような怪我人の手当から、迷子さがし、酔客の喧嘩の仲裁など、やることは絶えない。
 レモの姿は、花火の打ち上げが始まる前にちらりと見かけたが、声はかけないでおいた。仲の良い友人といるところを邪魔するのも気が引けるし、なにより、夜の翡翠は昼間とはほとんど別人だ。レモを驚かせるのも悪いだろう。
 ただ、口調や態度が変わっていても、基本のところは変わっていないのだが。
「悪いな、つきあわせて」
 相変わらず、空には大輪の花が咲き誇っているが、今のところ二人には見る暇もない。それを詫びる翡翠に、桂は微笑んで答えた。
「かまいませんよ。主殿は、自分の事より、他人を優先するのはいつものことですから。それより、もう少し頑張りましょう」
「そうだな。みんな、楽しんでいるようだし。それを見てるだけで、十分だ」
 翡翠にとっては、人々の笑顔のほうが、花火よりもきらきらと綺麗なのだろう。
 そんな翡翠のことを、内心で誇りに思いながら、桂は翡翠の後をついて行った。
「……なんだか、いかにも怪しい連中だな」
 しばらく行ったところで、翡翠は足を止め、とある繁盛している屋台を遠巻きにじろじろと見ているチンピラに視線をむけた。
「八雲殿もいますが、どうしたのでしょうか?」
「ちょっと、声でもかけてみるか。……桂」
「はい」
 翡翠の代わりに、桂がそっと八雲に近づき、声をかける。
「八雲殿。宮殿に行かれたのかと思っていましたが、どうかしたのですか?」
「ああ、いいところに来てくれた」
 佐々木 八雲(ささき・やくも)が、厳しい眼差しをチンピラに向けたまま、桂へと手短にあらましを話した。
「僕がここにいるから、うかつなことはできないみたいだが、その分手下を集めてきてるみたいだ。その前に、こっちから叩きたい」
 事情がわかれば、手を貸さないわけにもいかない。
「わかりました。一緒に行きましょう」
「いや、できればここにいてほしいんだ。僕が動いたあと、別の手下が来ても困る」
「なるほど、わかりました」
 桂は頷く。八雲は礼を言うと、はりきって飛び出していった。
「大丈夫ですかね」
「やりすぎないように、適当に自分が見に行くか」
 翡翠はそう呟き、やれやれと肩をすくめた。