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そんな、一日。~夏の日の場合~

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そんな、一日。~夏の日の場合~
そんな、一日。~夏の日の場合~ そんな、一日。~夏の日の場合~

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1


「前々から言ってたヤツなんだけどさぁ、そろそろお願いしたいなーって。そっちの都合はどう?」
 と、アキラ・セイルーン(あきら・せいるーん)リンス・レイス(りんす・れいす)に連絡をつけると、空けておくから一週間後に、という返答があった。
 電話を切ってから、カレンダーに対面する。一週間後の日付に赤丸をつけて、『アリス入院』と書き記しておいた。


 アリス・ドロワーズ(ありす・どろわーず)の身体についた傷を『治して』ほしいと相談したのは、かれこれひと月以上前になる。
 おてんばでやんちゃな彼女は、アキラと一緒に外出することを好んだ。その先が危険でも、近所を散歩するようなノリで「ついていくワ」と笑うのだった。
 折角可愛い姿をしているのに、と思わないこともないのだけれど、これがアリスなのだからしょうがない。
「ぼったくられたらどーすんべ」
「寝る間モ惜しンデ働くしかないワネ」
「ノー。俺のぴちぴちお肌が衰えたらどうしてくれるんだ」
 そんな、他愛のない話をしながら工房への道を歩く。目的地は、すぐに視界に入った。まだ朝早く、扉にかかった看板は『Close』となっていたが気にしない。ごんごん、とドアを叩くと、普段よりさらにテンションの低そうなリンスが出迎えた。
「うおい〜っす」
「ハァイ、オトー様、オネー様」
 対照的に、こちらはいつもと変わらぬ挨拶を。するとリンスは唸るように早いね、と言った。早すぎたか? だけど。
「善は急げと言うだろう」
 この日を待ち侘びていたのだから仕方ない。
 アキラの気持ちを察したのか、あるいはそういう人柄だからか、リンスは素直に頷いて工房へ入って行った。その後ろをついていく。そして、いつもの、人形を作る場所に座ったリンスの前へとアリスを降ろした。
「アリス〜。ちゃんといい子でえおとなしくしてろよ。リンスの言うこと聞くんだぞ〜」
 言い含めるように告げると、アリスが頬を膨らませた。失礼しちゃうワ、と唇を尖らせる。
「モウそんな子供ジャないわヨ」
「そーかぁ〜? 変わらんよ」
 けらけらと笑って流すと、そのままそっぽを向いてしまった。しかも反抗するように、通りがかったクロエ・レイス(くろえ・れいす)の肩に飛び移り、彼女と共にキッチンの奥へと行ってしまった。
「あーもう、だぁら迷惑かけるなってぇ〜……ほんっともう」
 呆れたように、ため息を吐く。
「あれで緊張してるのかもね」
「緊張するタマかねぇ」
「そんなの本人にしかわからない」
「ま、そうか」
 迷惑を蒙っている側であるリンスにそう言われたら、もうこれ以上言うことはない。
 アリスが戻ってくるのを待つ間、改めて一度お願いしておこう、と思った。アリスたちが消えたキッチンへ目を向けたまま、口を開く。
「初めはさ、興味本位っつーか憧れっつーか、そういった気持ちが強かったんだけど」
 唐突に始まった話にも、リンスは疑問符ひとつ浮かべずにただじっと聞いていた。
「だけど今はさ、アリスはウチの家族の一員で、かけがえのないパートナーのひとりなんだ。
 だからリンス、金ならいくらかかっても構わねぇから」
 視線を戻す。色違いの双眸をじっと見る。いつになく、俺は真剣な顔をしているのだろうな、と頭の片隅で思った。
「どうか、アリスを」
 言いながら、頭を下げる。
「よろしくお願いします」
 数秒経ってから顔を上げたとき見たリンスの顔は、いつもより優しかったように思えた。


 アリスがリンスに預けられ、別れて帰らなければならなくなったとき、アキラはまるでこれが今生の別れのように大げさな悲しみ方をした。随分と芝居がかった動きだったから、恐らく九割方演技だろう。でも残り一割くらいは本当ならいいと、アリスは思う。
「じゃ、やっちゃおうか」
「エエ。お願イするワ」
 ころん、と作業台の上に寝転がる。こうして工房の天井を仰ぐのは本当に久しぶりで、不意に初めて出会った日のことを思い出した。懐かしくてくすくす笑うと、どうしたの、と言いたげな目とぶつかった。
「初めて会った時みたいネ」
「ああ。そうだね、本当だ」
 応えて、リンスがアリスの髪を撫でる。そう。こんな風に優しく撫でられる感触で、アリスは目を覚ましたのだ。
「懐かしい」
 本当に、何もかも。
 例えば今から治され消える傷にだって、思い出はあって。
「コノ時ハ本当に危なかったのヨ」
「うん。痛そうだ」
「ソレにね、コノ時のアキラは本当にどうしようもナくて大変だったノ」
「うん」
 なんとなく、完治することで記憶が薄れそうで怖かった。
「全部、治しちゃうノ?」
「うん」
「ソウ」
「不安?」
「え? ドウシテ?」
「なんとなく」
 やはり親は欺けないか。ふっと笑って、アリスは懸念をぽつりと零す。リンスはあっさり、大丈夫だよ、と言った。
「ドウシテ?」
「ドロワーズが忘れても、きっとセイルーンは覚えてる」
「……ちょッピり、疑わしいワネ」
「じゃあ俺が、覚えておく」
 記憶力には自信があるんだ、とリンスは言った。そうかそれなら安心だ、とアリスは笑う。でもきっと、アキラだって覚えていると思った。そう、きっと、なんとなく。たぶん。
「ねえ、オトー様」
「うん」
「今ね、毎日がすっごく楽しいの。ずっとずっと、アキラたちと一緒にいたいって思うの」
 気持ちを言葉にしながら、ああやっぱり、傷はしっかり治してもらわなくちゃ、と考え直した。
「だからオトー様、ワタシがこれからもアキラたちとずぅーっと一緒にいられるように、しっかりお願いネ」
 そしてアリスは瞼を閉じた。
 目が覚める頃にはきっと、アキラが迎えに来てくれるだろう。
 そう思いながら。


「そんな風に思ってもらえて、良かった」
 眠ったアリスに、リンスは呟く。
 充たされていて、良かったと。
 ただ無為に、徒に命を吹き戻しただけじゃなかったと思えるから。
 こうして幸せそうに笑ってくれていることが、こんなにも嬉しい。
 彼女の親で良かったな、と思う。多少所帯じみているけれど、細かいことだ。気にしない。
「ねえ、アリス」
 さっき、リンスは記憶が薄れるのが怖いなら覚えておくと言ったけど。
「必要ないかもね」
 だって、日々思い出はできていくのでしょう?
 大切なものは増えていくのでしょう?
 きっとそれは、忘れるより多いだろう。
 だからたぶん、必要ないよ。
 唇で呟いて、アリスを撫でた。