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人魚姫と魔女の短刀

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人魚姫と魔女の短刀

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【行方・1】


 棚の後ろを覗き込んで、綾原 さゆみ(あやはら・さゆみ)は隣の棚の後ろを見ている後ろ姿へ声を掛ける。
「こっちには居ないみたい」
「ええ、でも……こちらにも居ませんわ」
 さゆみに答えながら、アデリーヌ・シャントルイユ(あでりーぬ・しゃんとるいゆ)は「そこでミリツァさんを見たのです!」と連絡をくれたオルフェリアに合図を送ろうと監視カメラに向かって首を横に振る。
 テレパシーを送っていたルカルカも同様だ。
「ミリツァはこの間の件でテレパシーや精神に感応するスキルを怖がっていたから、仕方ないですね」
 ルカルカに言って、ターニャはさゆみの後ろから彼女より高い位置を覗き込んだ。
「そんな所にはのぼらないと思うわ」
 棚の上を見ているのに苦笑するさゆみに「そうですね」と悪戯っぽく笑い、続いて「一つ良いですか」とターニャは質問する。
「何?」
「サーシャ隊長に『妹さんの事は任せて下さい』と言いながら、こんな事にしてしまった。――今回の事は私に責任があると思うんです。
 だから私がここに向かったのは当たり前というか、否そもそも隊の作戦なんですけどね。……でもさゆみさんは、この間大変な目に遭いましたよね。
 被害者であるあなたが、加害者側のミリツァの為に此処迄してくれるのは何故ですか?」
 言い方や音は柔らかいが暗に「あなたは甘い」と言われているような気がした。そう思ってしまうのは、自分自身そう思う所があるからなのだろうと、さゆみは唇を引き結ぶ。
「甘いと言われればそれまでで、実際甘いのだと思う……」
 先日の事件の際、さゆみはミリツァの洗脳に遭い、対象だったジゼルや止めに入った恋人アデリーヌに攻撃を行った。
 自らの意志でないのに、人を傷つけてしまったさゆみは心に傷を負ってしまった。
 事件後にミリツァは兄に付き添われ皆へ頭を下げ謝罪をしたが、ただ謝れば許されるのかと言えば、勿論人の心はそう簡単なものではない。
 事実、アデリーヌは最愛の人さゆみをあのような目に遭わせたミリツァの事を本心許せないで居た。
 しかしさゆみは首を振る。
 事情を知った以上、さゆみは――それが例え不幸な形であろうとも――ミリツァの事を放置出来ないと思ってしまうのだ。
 その甘さを捨てない部分こそが、さゆみの優しさで、強さだった。
 それを改めて目の当たりにして、アデリーヌは自分の狭量さに恥じ入る思いでいながら、さゆみに着いて行こうと決めたのだ。
「見捨てるのは簡単よ……。でも、許すことの方が何倍も難しくて……

 でも、そうしなきゃ、誰も救われない」
(慈悲深い人だな)と、ターニャは思う。先程も彼女が実験室の中で実験体にされた強化人間の悲惨な姿に涙を堪えていたのを見たのだ。だから返事の代わりに微笑んで、ターニャは息を吐き出した。
「――しっかし何処行ったんでしょうねぇ。声まで掛けたくせに往生際が悪いったら無い」
「職員の中に紛れてマスクでもつけてるんじゃないかと思ったんだけど」
「さっき捕まえた連中の中にそれらしい人物は居ませんでしたし、あの容姿はマスク付けてても目立ちますからね。見逃す筈有りません」
「そうね。それに強化人間の中にも居なかったわ」
「せめてペットのみんなが分かるようなものが有れば良かったんだけどなぁ」
 横でそんな一人ごとを吐き出していたティエンに事情を聞いてみると、施設に行く前にこんな経緯があったのだと教えてくれた。

「アレクお兄ちゃん、ミリツァお姉ちゃんの持ち物って何か持ってない?
 それで僕のペットに匂いを追って貰おうと思うんだ。だって前にジゼルお姉ちゃんもみつけてくれたもん!」
 ティエンに言われたアレクは一旦考えを巡らせて、軍服の胸ポケットに手を突っ込み「駄目だ」と口を開いた。
「此処には別の妹のぱんつしか入ってなかった」
「おにいちゃん!!」
「流石の俺もミリツァのぱんつなんて持ち歩いてねぇよ」
 抗議を受けながらも平然とした顔で答えるアレクに、陣の「ぱんつから離れろ」という冷静な突っ込みが飛ぶ。
 背伸びをしながらアレクのポケットの中身を確認していたジゼルは「やっぱり私のだぁ……」と涙目で俯いた後、アレクを見上げた。
「……もぉ。ねぇ、さっきの手紙は?」
「部屋、鞄。
 持って帰ってスキャナーで取り込んだ後、ミリツァのお手紙ファイルに入れて保管する予定だったからな」
「お前本当気持ち悪ぃな」
 陣の素早い突っ込みは流して、アレクはジゼルのどんよりした顔を覗き込んだ。
「どうしたジゼル、そんな顔して」
 どうしたもこうしたも原因は自分の変態行為だと分かっているのか怪しい爽やかな笑顔でジゼルの頬を撫でながらアレクは言った。
「大丈夫だよ。お前の書いてくれた手紙なら『夕ご飯冷蔵庫です、チンして食べてね』のメモから『バイト、残業で遅くなります』のメールに至る迄全てを端末に入れクラウド化し何時でも、どの端末からでも見られるように。それから万一の為にコピーデータは外付けHDDに保存した上で現物は書斎の額縁に入れてあるから」
「ばか! ばか! おにいちゃんの変態!! うわああああん!!!」

「――って感じだったの」
 ティエンは真面目に話しているが、誰もが(そんな無駄に詳しい変態の説明部分は要らなかった)と反応に困っている。そんな中でターニャは一人顎に手を当てて考え込むポーズをしていた。
「やっぱりこの世界のアレクサンドルもあそこにジゼルのコレクションを隠していましたか」
「は?」
「ああ、父が書斎と呼んでるのは武器倉庫なんですけどね」
「イヤそこ聞いて無ぇし。俺が聞いてんのはコレクションの――」
「成る程、成る程。ミリツァのぱんつですか……」
「だからぱんつから離れろって」
 (何で俺は親子二代に渡って同じ事を突っ込まなくちゃならねぇんだ)と思いながら陣が思っていた矢先、ターニャは徐に軍服の胸ポケットに手を突っ込み「うん」と口を開いた。
「それなら此処に有りますよ」
 オープンフィンガーの黒いタクティカルグローブの上に鎮座するのは、濃いブルーにポップな絵柄の真っ赤な林檎が無数にプリントされたぱんつだった。
「あの人あんななのに下着は可愛いのばっかりなんですよね。レース系とかより水玉とかリボンとかチェック柄の――」
 父親そっくりな爽やかな笑顔で話すターニャの声を遮ったのは絹を裂くような悲鳴と、警備室から放送設備を通した左之助の一喝だった。