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春待月・早緑月

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春待月・早緑月
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リアクション

 大晦日の夜。
 一番古い日から一番新しい日へと変わるその瞬間を、人々はいろんな事をして過ごす。
 例えば、神社へお参りに行くとか。初日の出を拝みに行くとか。しかし大半は、暖かな部屋でテレビを見ながらぬくぬくと過ごすのだろう。
 祥子・リーブラ(さちこ・りーぶら)もそのうちの1人だった。
「テレビテレビ」
 無意識につぶやきながら盤上に置きっぱなしのリモコンのボタンを押すと、プツンっとやけに大きな音を立ててテレビがついた。途端、かしましい声がぶつかる勢いで飛んできて、軽く後ろへ頭を引く。
 昼間の音量は夜の静けさに慣れた耳には痛い。数字3つ分ほど下げてほっとひと息つくと、後ろから伴侶ティセラ・リーブラ(てぃせら・りーぶら)のやわらかな声がした。
「もう始まってしまいましたか?」
「いえ、まだよ」
 画面は灯篭に灯された炎がパチパチと爆ぜる厳かな神社の境内を映しているが、鐘の音は鳴っていない。左上のデジタルは「7」がゆっくりと回転して、11:38になったところだった。
 仕度に夢中になって時間の確認をすっかり怠っていたけれど、まだ余裕はあるようだ。
 そのとき、視界に回り込むようにティセラがゆっくりと入ってきて、手にしたトレイを下ろした。ほかほかと白湯気をたてる、作り立ての年越しそばだ。きれいに盛りつけされたそれを、まず祥子の前に移した。そして箸休め用の付け合わせ、レンコンの胡麻油炒め七味和えが続く。
 ティセラはほとんど音を立てない。こういった日常的な所作にすらもその気品は現れている。
 すべてを盤上に移し終え、空のトレイを持って立とうとしたティセラを祥子は止めた。
「待って。残りは私が持ってくるから、あなたは座っててちょうだい」
「え? ですが――」
「昼からずっと台所に立っていたんだから。あなたはもうゆっくりして」
「そうですか?」
 祥子の目配せに、ふっと笑んでティセラはトレイを持つ手を緩めて、祥子に引き抜かれるままにする。
「パンのなかにもう1品、小松菜の煮浸しがありますので、それもお願いします」
「わかったわ」


 2人で年越しそばを食べて、小松菜やレンコンをつまみつつ軽く酒をたしなんでいると、いつしかテレビは今年1年の出来事を振り返る場面になっていた。
 1年か、と祥子は思う。
 思い起こしてみれば、ティセラとついに恋人同士になれたのが、たしか今年のはじめの方だった。そしてプロポーズ。挙式して、名実ともに人生のパートナーとなって……。
 もちろんそれに不満があるわけではない。ただ、ここまで短期間にすべてが進むとは思ってもみなかった。
 思い起こしてみれば、なんと目まぐるしい1年だったか。まるでメリーゴーラウンドに乗ったような日々の連続だった。
 今では2人でこうしていることが自然で、あたりまえのように感じられるようにもなったが、1年前の今日、自分がどこで何をしていたかを思えば、やはりこの状況にはまだ夢のように思えてならない部分がある……。
「どうかしたんですか? 祥子」
 じっと自分を見つめていながらもどこか遠くを見ているような目をしている祥子に気づいたティセラがテレビから視線を外し、祥子の方を向いた。
「んん? なんでもないわ。ちょっといろいろと思い出してたの。
 ねえ、ティセラ。今年もあれやこれやで慌ただしかったけど、来年はどうなるかしらね。もう少し平和だといいんだけど…」
 きっと、そうは問屋が卸さないのは分かりきってる。でも、そう願わずにいられない。
 ティセラはくすりと笑い声をたて、茶目っ気のある表情をした。
「あら。本心ですか? 祥子さんのことですから、すぐに飽きて、退屈だ、何か面白いことでも起きないかな、って言いだすんじゃないですか?」
「そんなこと……」
 ある、かしら?
「――まぁでも、面白いことなら歓迎よね。
 ね? ほかの十二星華たちも集まってさ、気軽にパーティーとか開けるようになるといいわね」
 その言葉に、ティセラは少し考え込むように間をあけた。
「そうですわね。以前はみんなそれぞれに立場や事情があって難しかったでしょうが、あれから大分経ちましたから。今ならきっと、そうすることもできると思いますわ。
 祥子さんの言うとおりですわね。折を見て招待状を出して、パーティーにお誘いしてみましょう。ありがとうございます」
 うれしそうにほほ笑むティセラが、とてもきれいで。
 祥子はもてあそんでいたお猪口に残っていた酒をきゅっと飲み干し、言った。
「ね? 抱っこさせて」
「ええ?」
 唐突な祥子の言葉にとまどうティセラを、「いいからいいから」と少々強引に引っ張ってひざの上に乗せた。
「さ、祥子さん、テレビが見にくいでしょう…っ」
 ほのかに赤らんだほおで身をねじり、抜け出そうとするティセラ。
「うん。でも、たまにはこういうのもいいでしょ」
 ぎゅっと抱きしめるとティセラは動かなくなった。彼女の髪からほんのりと温もりのあるフローラルな香りが漂ってきて、それをいっぱいに吸い込むと肩にほおを乗せ、鼻先をのど元にすりつける。ティセラは一瞬ビクッとなったけれど、すぐ力を抜いて祥子のするがままにさせていた。
「ティセラはさ。未来人を自称してる人たちのこと、どう思ってる?」
「どう、ですか?」
 またも唐突な問いかけだったが、今度はティセラも驚かなかった。
「未来は1つじゃないけどさ。もしそういう人が現れたら、どうする? っていうかどう感じるのかしらね……私たち」
 未来人を自称する者たちと契約しているコントラクターたち。彼らが祥子には不思議だった。
 証拠らしい証拠もない、ただ「あなたたちの子どもです」「あなたたちの子孫です」と自称しているだけだ。そんなことを口にする者が現れたら、きっと自分だったら疑うし、信じないだろう。なぜ信じられるのか分からない。
 でもたぶん、おそらく、彼らだって最初は祥子と同じ思いだったのだ。しかしそれを乗り越えて、彼らは絆を築いた。この人の言うことだから信じる、と。
 もし、自分たちの前にも現れたら。「わたしは祥子・リーブラの子どもです」「ティセラ・リーブラの子どもです」と告げられたなら。
 あの絆を、自分たちは築けるのだろうか?
 ティセラは長い沈黙のあと、ゆっくりと、1語1語考えるように口を開いた。
「未来人……わたくしは、とても興味深い人たちだと思っています」
「興味深い?」
「ええ。特に彼らが口にする「未来は1つではない」という点についてです。
 祥子さんも知るとおり、わたくしはかつて、エリュシオンに洗脳を受けていました。それが解けぬままでいたら、わたくしはどうなっていたでしょう? 恩赦を与えられ、こうして今の立場にいなかったなら。
 わたくしはきっと、今ここにこうしてはいられなかったに違いありません」
「そんな、ティセラ……!」
 そっとティセラの指が祥子の唇に触れて、言葉を止めさせる。
「わたくしにはいくつかの分岐点がありました。それぞれがまったく別の未来へとつながる分かれ道です。そのなかには、あなたと出会ったことも含まれているんですのよ? あなたと出会い、あなたから数々の思いをいただきました。あなたに愛され、わたくしもまたそうした強い想いが抱けるのだということを教わりました。
 多々あり得た未来のなかで、最も幸福なものが今のこの道であると、わたくしは確信していますわ。そしてこの道の先にある存在が、いつかわたくしの前に現れてくれるのであれば、それがどんな形であれ、わたくしはきっと感謝すると思います」
 なぜならそれは、祥子と自分の「未来」が形になったものだからだ。
 この答えは、祥子が望んだものと少しずれていたかもしれない。しかし触れ合った手や体を通して伝わってくる、あたたかな想いが胸に満ちて。頭のなかがティセラでいっぱいになって。今はこれで十分だと思った。
 十分すぎる。
「ティセラ……私もあなたとこうしている今が、一番幸せよ」
 ほんのわずかも彼女が痛むことのないよう気をつけながら、やさしくその背を下につける。ほおについた髪を払った手で、ほおを包んだ。
 大切そうに触れてきたその手に手をあて、ティセラは祥子を見上げると幸せそうにほほ笑んで、ゆっくりまぶたを閉じていく。
 そのさくら色をした形の良い唇に祥子はそっと唇を重ね、甘やかな吐息を受け止める。
 除夜の鐘が響くなか、アナウンサーが新年の訪れを報じる声を、どこか遠い世界の出来事のように頭の隅で感じとりながら。