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春待月・早緑月

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春待月・早緑月
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リアクション

(………………暇だ)
 佐野 和輝(さの・かずき)はベッドに腰掛けて、しみじみと思った。
 ここ数カ月、仕事に追われるような日々を過ごしてきた。この前とれた休みがいつだったか、思い出すのに考えないといけないくらい――いや、考えても思い出せない。
『たまにはゆっくり骨休めでもしたいわね』
 スノー・クライム(すのー・くらいむ)が何度かそんなことを言って、状況を笑ったことが何度かあった。つまりはそれくらい、満足に休みがとれていなかったということだ。
 だから年末年始くらい休みにするかと、多少無理をして昨日までに今引き受けている案件をすべて片付けた結果、今のこの状態に至っているわけだった。
「暇だ」
 声に出したからといってなんら状況が変わるわけでもないが、つぶやいてみる。
 どうせ聞いている者なんていない。
 妻は、すでに大分前から年末年始の過ごし方を決めていたようで、娘を連れてさっさと出かけて行った。誘われもしなかったところを見るに、きっと和輝は和輝で何か予定を組んでいるか――まあ、こっちで当たりだろうが、年末年始も変わらず仕事で飛び回るんだと思われているんだろう。
 それを責める筋合もないのは、これまでの行状で自覚している。
 ふっとため息をつき、シーツに手をつくと重い体を押し上げるようにして立ち上がった。
 階下に下りて行くとリビングの方から話し声がする。何かと思って行ってみれば、いつの間に部屋から持ち出されたのか炬燵テーブルの上でPCのテレビがついていて、そばでアニス・パラス(あにす・ぱらす)がうつ伏せに寝転がって本を読んでいた。
「あ、和輝。起きたの?」
 ばりん、とせんべいを噛みくだき、はむはむしながらアニスが振り返る。
「おまえ、これは」
「あー。だって和輝、よく眠ってたし。起こしちゃったら駄目かな、と思って」
 話を聞くうち、そういえばかすかに人が出入りしたような気配があったな、と夢うつつの記憶がよみがえった。
 あれはアニスだったのか。
「そうか。だが、テレビを見るか本を読むか、どちらかにしたらどうだ?」
「だって、まだ見たいの始まらないんだもん」柱の時計を見る。「あと5分なの」
「そうか」
 特段何かすることがあるわけでなし。たまにはテレビを見るのもいいかもしれない。和輝は炬燵に座った。すると
「んにゃ? 和輝、テレビ見るの? めずらしいね」
 むくっと起き上がったアニスがいつものようにひざ上にすべり込んできてちょこんと座る。いいか悪いかも聞かず、ただ「へへっ」と肩越しに笑うと和輝の胸に背中をもたせかけ、テレビ画面へ向き直った。
「こうやって何もしないでいるのって、久しぶり。
 たまには、こうやってノンビリするのもいいね」
「そうだな」
 小柄なアニスはすっぽり収まって、とりたてて邪魔にもならない。子ども体温なぬくもりを感じているうち、和輝もこうしている方が落ち着く気がした。
 アニスが見たい番組とは何だろう? なんとなし、画面に目を向けて番組と番組の間のつなぎCMを見ていると、カチャリとドアノブが回る音がして、後ろのドアが開いた。
「あら、和輝。下りてきていたの」
 スノーが少し驚いたような声で言う。手にはココアとコーヒーの入ったマグカップ2つが乗ったトレイがあった。
 ココアをアニスの前に、そしてその脇に和輝用と言うようにコーヒーを並べる。
「おまえのじゃないのか」
「いいのよ。まだ時間はあるし、もう1つ入れてくるから」
 そしてスノーが自分用のコーヒーをあらためて入れてきたとき、ちょうど2人の目当ての番組が始まった。
 『新春あけましておめでとう 今年はじめの笑いを呼び込もう ワラワラSP』とかなんとか画面に手書き文字のような題字が現れて、人気芸人の2人が司会として映った。
 アニスはワクワク顔でテレビ画面に見入っている。
 スノーはちょっと逡巡するように戸口で一度足を止め、そして再び動かした足で、さりげなく和輝の横に座った。
 和輝が少しだけ「ここに座るのか?」という目で見る。
「PCでしょ。ここじゃないと画面が見づらいのよ」
「それもそうだな」
 納得するようにうなずいて、和輝はまたテレビの方を向いた。
 こうすると、まるで妻と夫とその子どものようだ、と思う。
 和輝には妻がいるけれど……。
(いいじゃないの、思うくらい。なりたいわけではないんだから)
 ほかに見ている人なんかいない。どうせ他人には分からない。そもそも、私たちがこうしていったって、そんなふうに見る人はいないに決まっている。
 等々、内心で言い訳をしつつ、肝心の和輝はどうなんだろう? と横に視線だけ向けると、テレビを見つめていた。かといってアニスのように画面に食いいって見ているというふうでもなく、どことなくぼんやりとした無表情だ。客席から笑いが起きても、アニスが笑っても、和輝自身はくすりともせず、およそ芸人のコントに見入っているようには見えない。
 そして、ぽつっとつぶやいた。
「面白いのか、これは」
 スノーはまったくテレビを意識していなかった。感想をきかれても困る。ただ、客席やアニスが笑っているし、映っていたのはそこそこ名前と顔の売れた芸人だったため
「ええ、まぁ。そうね」
 と無難に返した。
「そうなのか」
 くしゃっと前にきた髪を掻き上げる。
「面白くないの?」
「バラエティなんて見るのは子どものとき以来かもしれない」
 そのせいか、何が笑えるのか、どこで笑うのかも分からない。
 そもそも、最後にこうしてテレビを見たのはいつだったろう……両親が死ぬ前じゃないか? と自問して、ふっとため息をついた。
「そう。じゃあチャンネルを変えて、ほかの番組にする?」
 スノーは裏番組を調べようと、テレビ雑誌に手を伸ばした。しかし和輝は「いや」と断る。
「どうせどこの局も似たような番組しか放送していないだろう」
 そのとおりだったので、開いたページを和輝に見せることもせず、ぱたんと閉じた。
「それなら初詣にでも行ってみる?」
 その提案を和輝は一考し、すぐに首を振った。
「人見知りのあるアニスにあの人混みは無理だろう。それに、俺も嫌だ」
 寒いし。
「まぁ、私もそうね」
 ああいうのは3日後くらいでいいわね。
 そこでふと、思い当たったように和輝はスノーを見た。
「おまえは退屈しないか?」
「私は……」素っ気なく見えるよう、肩をすくめる仕草をする。「興味深いと思ってるわ。これって、まるで絵に描いたような『家族でテレビを一緒に見るという団らん』風景じゃない」
 その返答に、和輝は少し眉を寄せた。
(まったく思いもよらなかったという顔ね)
 一緒にテレビを見るのが「家族団らん」なのか、その定義に自分たちがあてはまっているのか。考え込むようにあごを引いたあと、大して関心も持てないというように、すぐ考えるのを放棄してしまった。
 自分には理解できないが、スノーがそれを面白いと思うのならそれでいいか、と結論したようだ。
 家族というのがどんなものか、知らずに育った和輝はそういったものに興味や価値を持てないのかもしれない……。
 次に和輝はひざのアニスに話しかける。
「アニス、面白いか?」
「うんっ。アニス、こういうの好きー」
 にぱっと満面の笑顔で答えたアニスは、またすぐテレビへと戻った。
 すっかり番組に見入っているアニスを見下ろして、和輝は微笑を浮かべる。
「いつも俺の都合におまえたちを合わせさせているからな。たまの休みくらい、おまえたちに付き合おう」
 1年に1度くらい、こういう日があってもいいか。
 そう決めたところでスノーが
「でもこれ、4時間スペシャルよ」
 とズバリ言った。
「ひとの決意に水を差すやつだな」
「あ、ごめん」
 あきらめ半分で和輝は苦笑しつつ首を振る。
「まぁ、4時間もあるならそのうちアニスも飽きるだろう。夜までにはアイツも帰るだろうし、2人が戻ってきたら全員でおせちとか雑煮とかを食べるとするか? それもまた、家族の団らんというやつだ」
「そうね」
 スノーは湯気をたてるマグカップを持ち上げ、口元へ運んだ。
 熱いコーヒーに口をつけ、体内へ熱を送り込む。のどを通り、腹へと下りた熱い液体がそこでじんわりと広がって、自分を内側からあたためていくのを和輝のとなりで静かに感じていた。