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【第九幕:晩餐会 サロン】



 離宮の中でも、ホールの賑やかさからはやや離れた一角。
 暖炉とシックなホームバーが設置され、調度品も落ち着いたものが配置されており、隠れ家的な空気を醸し出すそのサロンでは、招待客の中でも特に年配な者達が、酒と煙草の寛ぎを求めて集まってきていた。年配である分だけ賓客揃いということもあり、その静寂を邪魔しようとする武者はいない。

「先日はどうも」

 それぞれが思い思いに過ごすその場所へと、賑わいの増すホールから抜けてきた白竜は見知った顔へ頭を下げた。
「むさくるしくてすみませんが……」
「構わんさ。あそこの男のほうが、よほどむさくるしいからな」
 短い挨拶と共に、アーグラから幾らか砕けた様子で席を勧められたのに、逆らわず腰掛けた白竜は、ニキータ・エリザロフ(にきーた・えりざろふ)が差し出したグラスを手に取って、その周囲に腰掛けるそれぞれの顔へ視線を巡らせて、一瞬複雑な思いで眉を寄せた。
 そう、落ち着いた雰囲気の中でも特に静かで、かつ妙に近寄りがたい空気を纏っているそのボックス席では、妙な面子が顔を突き合わせていたのである。
 それぞれ手持ちのグラスを揺らしたり、煙草をくゆらしたりと食後の時間を楽しんでいるようだが、その見た目と裏腹に、空気はあまり和やかとも落ち着いているとも言い難かった。第三龍騎士団長のアーグラのいる席もそうだが、その隣のボックス席にいるのは更に外交的な要素を多分に感じさせる面々が揃っているのである。
 そんな中、余り友好的とも言えないオケアノスとジェルジンスクの両選帝神が顔をつき合わせているというなんとも重たい空気の落ちる席の中で、果敢に口を開いていたのは、トマスだ。何しろこんな場合でもなければ、選帝神と会話する機会も無いのである。緊張が表に出ないようにとできるだけ呼吸と整えながら、と交換留学におけるお互いの国の利益について語った後、比較的シャンバラへの好感があるノヴゴルドのほうに身を乗り出すようにして「それで」と続けた。
「両国の関係の為によい懸け橋となってくれそうな人材に繋ぎをとってもらえませんか」
「ほう?」
 目を細めるノヴゴルドに、トマスは続ける。
「身一つで帝国を訪れる留学生達には、それを支えてくれる存在が必要です。帝都内であれば、セルウス皇帝が後見となってくださるのでしょうが、広大な帝国全てにその目が届くとは限りません」
「それで、何故わしをご指名かの?」
 値踏みするようなノヴゴルドの目に、気圧されそうになるのを堪えながら、それは、とトマスは出来る限りの笑みを向けて見せた。
「ノヴゴルド様のご人選であれば信頼できる、と判断したからに相違ありません」
 そんな、なかなか堂に入った交渉の様子を、見守る子敬は安堵に軽く息を漏らした。
(私が出張ってしまっては、坊ちゃんの成長の機会を奪うことになりますからね)
 とは言え、まだまだ未熟な部分があるのも確かなので、さりげなく助言を入れたりしてはいるが、ノヴゴルドの方も孫のような年頃相手に意地悪をするつもりもないようで、面白がるように笑って「承知した」と頷いた。
「そなた個人と約束するのは難しいが……シャンバラとの交渉の折に、話を通しておくとしよう」

 そんな会話の行われている一方、白竜が腰掛けたその隣のボックス席では、誰もが口火を切りかねている中で、少し離れて座る水原 ゆかり(みずはら・ゆかり)が、その近くにいた氏無たちに向けて小さく口を開いた。
「ご無沙汰しています」
 大尉就任以来の顔合わせだ。軍服以外のフォーマル姿を物珍しそうにしながら「息災そうで何よりね」とスカーレッドが表情を緩めると、カクテルを勧めて軽くグラスを合わせた。それで僅かに空気が緩むに従って、その口も緩く解けて、その後のお互いの状況などを、軽い冗談を交えながら情報交換を終えた後「しかしまあ」と氏無が面白そうに目を細めた。
「こんな所で会うなんて、奇遇だねぇ」
 その言葉に「それが」とさゆみは途端、自信の無さそうに声を落とした。
「もしかしたら、ですが……エリュシオンに赴任することになりそうで」
「そりゃあまた……大変だねぇ」
 氏無が大袈裟に驚いて見せるのに苦笑して、さゆみは続ける。
「こういった席に顔を出す機会も増えるでしょうから、前哨戦、と言った所でしょうか」
 予想通りかつ型通り、といったその態度に、スカーレッドは思わずと言った様子で「相変わらずね」と肩を竦めた。所謂“子守”として任務に就く氏無やスカーレッドと違って、さゆみ達は任務外の招待だ。だからこそのドレス姿だろうに、勿体無い、と氏無どころかスカーレッドまで嘆く声を上げて、その見目に良く映えたドレスを褒めながら、わざとらしく溜息をついた。
「ドレスを着てる時ぐらい、楽しんだらいいのに」
 今からでもホールにお邪魔してきてはどう? とスカーレッドは言い、氏無に至ってはそれじゃあ、中庭にデートにでも、とからかったが、さゆみは頑なに首を振った。
「いえ、これも任務の内ですから」
 そう言って背筋を伸ばすところは、真面目なのと緊張しているのと半々だろうか。氏無は取り付く島もない様子に口を尖らせた。
「堅いなぁ……」
「あなたがちゃらんぽらんなだけ、と言う気もするけれどね」
 氏無が肩を竦めるのに、スカーレッドがちくりと刺す。
 軽く笑う空気が流れた中、先ほどからノヴゴルド達選帝神をぐるぐると眺めていた清風 青白磁(せいふう・せいびゃくじ)が、今が好機かとばかり、その口を開いた。
「ところで、今現在の選帝神っちゅーのは誰がおるんじゃ?」
 その一声に何人かが顔を見合わせる中、青白磁はぽりぽりと頭をかいた。
「すまんのう、わし、カンテミールと言うのが地名なのか、前の選帝神なのか、イマイチ記憶が曖昧じゃけぇ」
 その言葉になるほどと頷いて、「まずはあちらの二方だな」とアーグラは答えて、やや離れたボックス席で、お互いに妙な空気を纏わせながら向かい合う二名の選帝神を示した。
「北東のジェルジェルジンスクは、白輝精から現在はあちらのノヴゴルド様が。
 そしてその南に位置するオケアノス領は、向かいに座っておいでのラヴェルデ・オケアノス様が現在も選帝神を勤めておられる」
 その他は、コンロンと国境を接する北西のカンテミールは、現在はティアラ・ティアラが。その右隣のアルテミラ領はアルテミス、皇帝直轄地より南に位置するペルムはアントニヌス、南西のシボラと国境を接するミュケナイはイルダーナ・メリクリウスがそれぞれの選帝神である。
「そして、ペルムとシボラの中間にあるバージェス地方の選帝神が、恐竜騎士団長ラミナ・クロスだ」
 説明の最後を継いだのは、ジャジラッド・ボゴル(じゃじらっど・ぼごる)だ。
 アーグラが軽く会釈をするのに頭を下げたジャジラッドは「既に聞き及びとは思いますが」と前置いていくつかの報告を簡単に済ませると「それから」と続けた。
「パラ実校長の一人であり、キマクの恐竜騎士団を統括する立場のアイリス・ブルーエアリアル(あいりす・ぶるーえありある)殿ですが、概ね大きな失敗もなくパラ実生にも受け入れられております」
 今はシャンバラにその居を移し、皇帝の娘という肩書きこそ今は「先帝の」と移ったものの、アスコルド大帝の遺児である彼女は、今でも帝国の中の大きな存在だ。別口からの報告も受けているのだろうが、実際に現地でその行動を見ている者からの言葉は、大いに安堵するものであり、アーグラはその旨を伝えておくことを約束すると、労いも兼ねてか、ジャジラッドにグラスを差し出すと、自らのそれと合わせた。
「これからも、色々とあるだろうが……君の立場から上手くサポートしてやってくれ」
「承知」
 そうして頭を下げ、ジャジラッドが杯一気に呷る豪胆さでアーグラの感心を受けていると、ところで、と静かに声が滑り込んだ。
「エリュシオンにあるグランツ教自体には、大きな動きはないのかしら?」
 ニキータだ。
「まぁ、グランツ教といっても、信仰対象がアルティメットクイーンなだけで、信者自体は世界の破滅から救われたいっていう一般人の方が圧倒的に多い訳だから、そうそう問題を起こす事もないでしょうけど」
 一部には、グランツ教自体を「凶悪なテロリスト集団」と勘違いしている人もいるみたいだけど、と肩を竦めるニキータに、アーグラはそうだな、と溜息を漏らした。
「現状、帝国内のグランツ教が騒ぎを起こした、と言う話は無い。あれ以来、風当たりも強いせいか、活動も静かなものだ」
「そちらについては、あちらの御仁が詳しいんじゃないかな」
 氏無が冗談めかす口調で言って視線を投げると、それに気付いたらしいラヴェルデは、ふん、と軽く鼻を鳴らした。
「彼らは慎ましやかな信者達に過ぎんよ」
「そうだよねぇ、利用してたのはその上のお偉いさんだけだもんね」
 あ、されてたのは、かな、と皮肉交じりな氏無の言葉に一瞬目つきを鋭くしたもののすぐに鼻を鳴らすと「その通りだな」と嫌味の篭った笑みを浮かべた。
「利用され見捨てられた哀れな私だ。今は一統治者の身分に過ぎん」
「情報は入っていない、ということです?」
 ニキータの問いに、気分を害すでもなく、ラヴェルデは肩を竦めてその通りだと告げると、ふん、と今度鼻を鳴らしたのはノヴゴルドだ。
「自業自得じゃろうの」
 そう吐き捨てるに至り、そのまま二人の空気が険悪になりかける中で、ニキータはまあまあ、と宥める意味で空いたグラスに氷を落として間を取ると、妙に目を引く手つきで新しい一杯を作って二人へ手渡しながら続ける。
「エリュシオンの中でグランツ教に動きが無い、となると……アールキングは」
「あの方の望みは何も変わってはおるまい。今もその根を伸ばされておる頃であろうよ」
 見放されたと自虐する割りに、まだ幾らかの尊敬を失っていないらしいラヴェルデの物言いには、各々微妙な表情を浮かべたが、問題はアールキングだ。世界を統一し、そしてパラミタの終焉の後に新たに誕生する世界の王にならんと求め「真の王」を名乗る邪悪な世界樹アールキング。その動きが身を潜めていることが、表には皆出さないまでも、心中の不安となって蠢いているのだ。
 皆が難しい顔をした中で「統一された世界……ねぇ、そんなもの、何が面白いんだか」と、そんな呟きと共にぷかぷかと煙をふかして氏無は目を細めた。
「ボクとしては“国同士、手に手を取ってお友達”……なんてのをしたいわけじゃないからねぇ。脇腹突っつきあって腹をさぐり合っていたいわけだよ」
 周りがぎょっとしたが、氏無は気にした風もなく紫煙を吐き出した。
「国同士なんてそんなもんでしょ。でも、だから手を取り合うことに意味があるんじゃなあいかねぇ。相手も自分も片手に剣を持ってる。それでも片手で握手できるってぇのはさ」
 にこりと笑う氏無は「だからね」と、声をひやりと冷たくした。
「滅ぼすにしろ、救うにしろ、全部ひっくるめてひとつにしちまおうってのは、ボクはとっても気に入らない」
 その言葉に、スカーレッドとクローディス・ルレンシア(くろーでぃす・るれんしあ)はやれやれ、と肩を竦め、アーグラは「相変わらずだな」と息をついた。
「だがまあ、その意見には賛成だ」
 アーグラの言葉に、白竜が軽く目を瞬かせて口を開いた。
「シャンバラとエリュシオンで共闘できる、と言うことでしょうか」
「と、言うよりするしかあるまい」
 グラスを傾けながら、アーグラは白竜に応えてキリアナのいるだろうホールの方を軽く見やった。
「君が考えていることは理解している。その時はキリアナが、エリュシオンの剣にしてシャンバラの盾になるだろう」
 セルウスを追ってシャンバラへ助力を求めたように、今度は共に手を取るための窓口として、両国の架け橋を担うのだ。
「交換留学、というのは良い機会だ。あれを行かせるかはまだ決めかねているが……もし、そちらで動くようなことになれば、君達で何かとフォローしてやって貰えるかな」
「わかりました」
 頷いた白竜はふと視線をちらと向けると、それを受けて氏無は肩を竦めた。
「今更言うまでもないかもだけど、ボクは当てにしないでもらいたいね。ボクは表には出ない方の担当だから、できるのはせいぜい下拵えとお片付けぐらいさ」
「大尉ったら悪い顔になってるわよぉ」
 からかうように言って、ニキータはカラリと氷を氏無とアーグラのグラスに落とした。そのまま、やけに手慣れた手つきで酒を注いで二人に手渡すと、ふとその目を細めて声を潜めた。
「ところで、その交換留学について、教導団がどういうポジションにあるのか、まだ説明して貰ってないんだけど」
 その言葉に、アーグラと氏無が互いに顔を見合わせるのに、ニキータは続ける。
「さすがに国軍の軍人が、普通の学生として他国に留学ってのは色々問題あるんじゃないかしら?」
「軍人である前に、学生である、ということよ。各校からの選抜になったとしても、任務としてではないから、立場を気にする必要は無くてよ」
 勿論、シャンバラの名前を背負うからには、所属に関係なくそれなりの自覚と節度は持ってもらう必要はあるが、と答えたのはスカーレッドだ。続けて「それに、こちらからも龍騎士を留学に出す予定でいる」とアーグラが引き取った。
「条件としては同じだ。そちらが彼らの受け入れを拒否しないのであれば、こちらも同様として扱う」
 その言葉になるほど、とニキータは頷き、後は上の人達の話しか、と口を挟む真似は避けて、気がつけばアーグラと白竜が飲み比べと行かないまでも妙に張り合っているような様子に、その接待係を勤めたのだった。


「全く、面倒な話題ばかりだな」
 そんな会話に溜息をつく世 羅儀(せい・らぎ)に、スカーレッドは少し笑ってグラスを渡して「興味は無くて?」と目を細めたが、それを受け取った羅儀はラスを合わせるとにっこりと笑った。
「オレはお姉さまがたと飲んでる方が楽しい」
 その顔が、このボックス席の中でもまた異色な面子であるクローディス達のほうを向いたのに、スカーレッドは笑ってわざとらしくクローディスの肩を掴んで引き寄せると、羅儀を挟むように体を寄せる。鼻の下を伸ばしこそしないが、機嫌が良いのが表情からわかる羅儀に、クローディスは思わず苦笑した。
「気をつけないと、そこのお姉さんは酔わせすぎると……襲うぞ」
「襲う……?」
 そんなクローディスの物言いに、不思議そうに首を傾げたのはアルミナ・シンフォーニル(あるみな・しんふぉーにる)だ。この場で特に異色を放つ、可愛らしい少女は、クローディスの姿を見かけてこちらに来たらしい。先日声をかけてくれて有難う、と小さな頭を下げ、ジュースを両手で持って小首を傾げる仕草に思わず和んでその頭を撫たりとしていたが、流石に平均年齢の高いこのサロンでは、少女にとって面白いものはないのではないだろうか。
「ホールの方で楽しんで来たらどうだ?」
 そう思ってクローディスは言ったのだが、アルミナは小さく首を振った。
「ボク、ここでも楽しいよ。ホールは賑やかだけど、びっくりしちゃうから」
 なるほど、先日の祝宴の際もおっかなびっくりといった様子だったことを思えば、賑やかな場所に一人で向かうのも気が引けるのかもしれない。そうか、と笑ってまた頭をくしゃくしゃと撫でていたクローディスだったが、ふと何か視線を感じて振り向いた。
 が、その途端、視線の主だったらしい白竜が目を逸らすのに、クローディスは不思議そうに首を傾げた。少し席が離れていることもあって「どうした?」とわざわざ聞くのも憚られていると「全くあいつは」と隣で羅儀が息をついた。恐らく照れくさがっているのだろうとは思うが、それを口にするのも流石に野暮なので黙ったまま「もうちょっと柔らかくなりゃいいのに」とぼやくと、アルミナににこりと笑いかけた。
「男は余裕があるほうがいいよなー?」
 意味はよくわかっていないのだろうが、アルミナがつられてにっこりと笑い返すのに、和むなあ、と表情を緩めつつ、スカーレッドが勧めるままに杯を重ねること暫く。途中までは危うくセクハラではないかというスカーレッドの密着であったり、それに巻き込まれるクローディスであったり、同じく顔見知りであるノヴゴルドに呼ばれて、まるで人形のようにその膝の上に乗せられたアルミナの可愛らしい仕草に和んだりとしていた羅儀は、とうとう机に突っ伏すようにして潰れた。
 クローディスとスカーレッドというザル二人に付き合ったのだから、当然といえば当然だろうか。
「少し、飲ませすぎたかな」
 クローディスが苦笑していると、すみません、と同じく苦笑と共に屈みこんだのは白竜だ。
「羅儀には何かと気苦労をかけていますから……」
 普段なら飲み過ぎないように止める所なのだが、今回は敢えて止めずにいたらしい。ただしその気苦労の内容は気付いていないようだが。
「付き合ってやってくださって、有難うございます」
 そう言って、スカーレッドに頭を下げると、酔いつぶれた羅儀を抱え上げた白竜は、サロンを後にする中で不意に、体を屈めると、通り抜けざまにぼそりとクローディスに声をかけた。
「ドレス姿、よくお似合いでした」
 その言葉にきょと、と目を瞬かせているクローディスが、あんまりぼんやりしていたので、ノヴゴルドの膝で足をぱたぱたさせていたアルミナが首を傾げた。
「? 顔赤いですよ?」
「……飲み過ぎたんだ」
 その言葉にクローディスは笑ったが、その隣で「ザルの癖に」ぼそりとスカーレッドが呟いたのには、聞こえなかったふりをして、手元のグラスを呷ったのだった。