天御柱学院へ

なし

校長室

蒼空学園へ

Buch der Lieder: 桜んぼの実る頃

リアクション公開中!

Buch der Lieder: 桜んぼの実る頃

リアクション



【空京: ホテル】


「……Ups,Izvinite!(*おっと、ごめんなさい)」
 ミリツァ・ミロシェヴィッチ(みりつぁ・みろしぇゔぃっち)が漏らした音に、ハインリヒ・ディーツゲン(はいんりひ・でぃーつげん)は振り返る。ある種似た者同士、人前で取り繕う事に慣れている彼女が、こんな間の抜けた声を出すのは珍しい事だ。
「どうしたの?」
 と覗き込んできたハインリヒに、ミリツァは彼に借りていた端末の画面を表示した。
「間違ってメールを全送信にしてしまったのだわ」
「何の話?」
「ここの、ファイルに入っているアドレス全部に、助けて欲しいというメールを送信してしまったのよ」
「Was? Im ernst? Machst du Scherze?!(*は? マジで? 冗談だろ!?)」
 ミリツァから奪い取る様にした端末の画面を見て、ハインリヒは絶望の声を上げる。此処には大学関係外の幾つかの契約者の知り合いの連絡先が入っていて、下手をすれば他国軍関係者まで居た筈だ。ミリツァの送った文章は、“至急手伝って欲しい事がある”という要請や場所の説明のみなので、誤送信なのだと言えば何とか首は繋がりそうだが――。
「うふふ、楽しいことになりそうね」
 などと微笑まれてしまうともう怒る気にもなれず、ハインリヒは諦めに肩を落としてラウンジに目をやった。長兄コンラートと次兄カイには予め、姉に経緯を聞いたが約束に遅れそうだという旨を伝え部屋に戻る様に言ったから、個室なら多少行動が派手になっても構わないだろう。なるようにしかならないのだから、ハインリヒは前を向くしか無いのだ。


 * * * 



 高柳 陣(たかやなぎ・じん)ユピリア・クォーレ(ゆぴりあ・くぉーれ)ティエン・シア(てぃえん・しあ)が寛ぎの時間を過ごしていた時、ほぼ同時に三人の端末がメールの着信を告げた。
「ん? ハインツからメールだ」
「あら? ジゼルからメール」
「あ、ミリツァお姉ちゃんからメール」
 それぞれ報告するように言って、キョトンと顔を見合わせる。
 ジゼルからはミリアや壮太が貰った様な少し意味の分からないものが、ハインリヒからは例のミリツァが打った業務連絡じみたものが、ミリツァからティエンに着たものが、一番分かり易い内容だった。
「ジゼルのメールは全然意味分かんないけど……ってゆーかそのまんまなんでしょうね――」
「お兄ちゃんの所にきたハインツお兄ちゃんのメールは、ミリツァお姉ちゃんのメールと同じ件だよね?」
「そうだろうな。そんでジゼルもハインツも多分適当に大丈夫じゃないか?」
 ぼんやり遠くを見ている陣に「遠い目しないの!」と諭して、ユピリアはジゼルのメールに手早く返信する。内容的に切羽詰まっているのは、ハインリヒとミリツァの方だろうと判断出来たから、その旨を伝えるものだ。
「どうしてもピンチだったら、折り返しで電話が来るだろうから、取り敢えずジゼルはこれでいいわね。
 よし、終わり! じゃあ、ハインツ助けましょー!」
 ぱんっと両手を打ち鳴らして勢い良く立ち上がったユピリアに、陣は鼻を鳴らした。彼女が上機嫌な理由が大体理解出来たからだ。
「ハインツの兄弟みたいだけだろ」
「うん♪」
 何だか面白そうという下心を隠そうともしない姉貴分に、ティエンはあははと乾いた笑いを漏らしながら続いて立ち上がる。
「……助けよう……ね?」


 こうして三人が部屋に着いた時、コード・イレブンナイン(こーど・いれぶんないん)に此処まで送って貰ったルカルカ・ルー(るかるか・るー)ダリル・ガイザック(だりる・がいざっく)が、ハインリヒの兄の説得をしている最中だった。
 洋装に身を包んだルカルカは、二人の兄を前にこんな事を話している。
「彼とは彼の任務で知り合いました。
 不器用な人柄も含めて好ましく思っています。
 メディアに露出したのは私も彼も謝ります。
 でも彼にはパラミタでしたいことがまだあるのです。
 汚名を返上する機会をお与えください。どうかハインリヒに今暫くのご猶予と寛大なご処置を!」
 懸命に訴えの演技が終わり一拍置いたところで、コンラートが静かなトーンで喋り出した。
「あなたは弟の恋人だと名乗られたが……、ルカルカ・ルーシャンバラ教導団少佐、私はあなたの事を知っている。
 あなたは先日、シャンバラ各校の校長を招いた盛大な結婚式を挙げたばかりだろう?」
 コンラートは社交会に身を置く人間だ。それがシャンバラの人間であれ、今後関わりあいそうな主立った人物は当然頭に入れているし、噂話も耳にする。ミリツァが予想した通り、コンラートは今回シャンバラに赴くにあたり、ハインリヒの周辺に居る人物――つまりプラヴダの一部の幹部まで調べ上げていた。これ程用意周到な人物を前に、多方面に顔を売っている人間が変装もせずに身分を隠す事は、難しいようだった。
 コンラートの指摘に言葉を詰まらせたルカルカに、カイが苦笑しながら付け加える。
「っていうかねルカルカさんキミね、恋人なのにハインリヒだなんて堅苦しい呼び方じゃ、正体隠してもすぐにバレちゃうよ。
 あとそちらの技師と名乗ったパートナーの――」
「ダリルだ」
「そうそうダリルさん。
 アンタこのホームロボットのモニターをルカスに頼んだって?」
「ああ、そう言ったが」
 ダリルの回答を受けて、カイはテーブルの上でちょこまかと動いていた、ダリルが連れて着たオオトビネズミに似たロボットに目をやった。これはシャンバラ電機がショップブランドロボットとして製造販売している小型のホームロボットらしい。
 カイは向かいのソファの縁に座ってシャツの袖を弄んでいたハインリヒに目をやり、軽く質問を投げてみる。
「ルカス、お前これ何の動物か分かる?」
「ハムスター………………スーパーモデルの」
 ハインリヒの返答を受けて、カイはダリルに困った笑顔で肩を竦めてみせた。ハインリヒがモニターしたのなら、動物という制約があったしてもっと男の琴線に触れるデザインだっただろう。例えば角が生えてるとか、牙があるとか、触ったら怪我をしそうな爪があるとか――要するにあまり商品化に向かなさそうな。
 自らの嘘を嘘を思わない程演技に入り込んでいたルカルカは、はっとして頬を染める。もじもじと恥ずかしそうな彼女を、ダリルが慰めるように頭をぽんぽんと叩いて、一度出ようと促して部屋の扉へ向かって行った。
 そうした後に、コンラートは厳しい目で値踏みする様に末弟を見て、溜め息をつく。
「……ハインリヒ、お前に“パラミタでしたいこと”は、全くない。そうだろう。こんな茶番を考える前に、早く荷物を纏めるんだ」
 席を立とうとする二人の兄に、ハインリヒは眉根を顰めた表情で彼等を見つめる。
 これから話そうとする話題で、兄――特にコンラートがナーバスになるのは分かっていたが、最早それを気にしていられる状況では無い。コンラートの持っているシグネットリングは、どうしても今必要なものなのだ。
 その上これは、家族には何れ話さねばならぬ事だった。ハインリヒは覚悟を決めて口を開く。
「コンラート、カイ、お願いだから僕の話を聞いてくれ。
 今回は本当にでっちあげなんかじゃなく、事件が起こってるんだ。実はアロイ――」
「その名前を私の前に口に出すな!!」
 空気が震える程の勢いで怒号をあげたコンラートに、皆の表情が凍る。カイはその怒りの理由を分かっていて、そしてその話を聞きたく無いのか、激怒したままの長兄からすっと視線を外した。
「ハインツお前がシグネットリングをパラミタに持ってこいとフランツィスカに言ったのは、矢張りあの男と同じ目的か!? お前も同じ事を繰り返して家族を壊すつもりなのか!?」
 コンラートに叩き付けられた言葉に、ハインリヒは一瞬傷ついた表情を見せ、直ぐに激昂する兄に負けない強い瞳で彼を睨みつける。
「そうやってあなたは僕の事を信じない。耳も貸さない! だからあの時もあんな事になったんだ! 兄さん達がアロイスを受け入れてさえいればあんな事にはならなかった!
 僕とアロイスを同じに見ているのはあなた達だ! そしてあれを繰り返そうとしているのも、家族を壊そうとしているのも、あなただコンラート!」
「――ハインツお前はッ!!」
 ハインリヒの襟首を掴み拳を振り上げたコンラートの腕に、カイの掌が重なる。彼はゆっくりと首を横に振り、凪いだ瞳で兄と弟を交互に見つめた。
「止めようコンラート、あちらのお嬢さん達が怯えてるよ」
 言って、部屋の入り口で青い顔で動けなくなっているティエンへ顔を向け、カイはもう一度口を開く。
「二人とも一回仕切り直ししよう、な?」


 この場所に来る前に、ユピリアが作戦名としてあげたのは“人の話を聞かないイケメンでお金がなければダメダメな兄弟を笑顔に!”というものだった。
「お姉ちゃんそれちょっとあんまりだよ……」
 とティエンは訂正したが、どうにも先程の様子から別の事情も介在している事が理解出来る。
 あの争いの後ミリツァの合図を待って挨拶したティエンとユピリアは、ハインリヒの妹分と装って二人の兄を一度末弟から切り離した。カイの提案通りに仕切り直しが必要だと思ったからだ。
 それでもこの兄達に外に出られたら、話が終わらない。否、終わってしまう。ミリツァは他の契約者を迎えにロビーへ下りてしまったから、此処で踏ん張れるのは彼女達だけだ。
「いい、ハインツ『お兄ちゃん』。
 この作戦成功のためにも、あなたのお兄さん達をホテルから出さない事。
 ジゼルにも逐一報告しておくから、頑張りなさいよ!!」
 そう小声で言ってユピリアはハインリヒを陣に任せると、ティエンと二人の兄とホテル内を散策に出掛けた。
 ユピリアの方が気を遣って会話を仕切り、廊下を歩いていると、ティエンが俄に愛らしい笑い声を漏らした。三人が此方へ注目したのに、少し頬を染めてティエンは笑顔の理由を話す。
「ハインツお兄ちゃんのお兄ちゃん達に会えるの、楽しみにしてたんだ。
 えっと……ハインツお兄ちゃんのお兄ちゃんだから、僕もお兄ちゃんって呼んでいいです?」
「――君がそうしたいならそうしなさい。私は構わないよ。
 それとさっきは怖がらせて悪かったね。弟を前にすると気兼ねしない所為か、厳しくなりすぎてしまう。悪い癖だな……」
 ティエンの思わぬ提案に、コンラートの厳しい表情が緩みティエンに対して饒舌になる。ハインリヒの兄を前にティエンが何時もの妹ノリになってしまったのか伸ばした手も、自然と掴んでいた。
(妹……っていうより子供好きなのかしら。やけに面倒見がいいわね)
 ユピリアが見逃さずに居ると、カイがその理由を説明をしてくれた。 
「彼子供5人居るんだよ」
「5人も!?」
「そうそう、オレが3人、キミフランツィスカに会った事あるんだってね。彼女も2人居るよ。兄姉合わせて子供10人」
「多ッ……い、わね……」
「うーんオレんとこもそうだし、知り合いんトコもそんなもんだから多いって感覚ないってかそんなもんかなー? まーオレんとこは離婚しちゃったから育ててないけどねー」
 ケロッと言ってカイはティエンとコンラートの輪の中に入って行く。ハインリヒの兄達は彼と見た目からして違っている。そこに年齢が加味されれば、更にその価値観は変わってくる筈だ。
(これは……一筋縄じゃいかなさそうね…………)
 三人に気付かれぬ様に溜め息を吐いて、ユピリアは陣とハインリヒの事を思った。二人はどうしているだろうか。ティエンはコンラートとカイとこれからホテル内の店を見に行くと話しているが、精々三十分か、一時間か。
(私達が戻ってくるまでに、何時もの調子を取り戻しているといいんだけど……)


 陣がユピリアと別れる時、彼女から言われた事があった。
「これから皆がきて、私達と同じようにハインツの友達とか恋人とか適当言う予定らしいけど――、
 陣、あなただけは、演技しないであげて……。
 ハインツの心が折れないよう、支えてあげて」
 彼女が言っていた言葉の意味が、今ソファの隣に座るハインリヒを見ているとよく分かった。
(俺ぐらいはまともじゃないと、ハインツ死にそう)と、陣が冗談では無く思ったくらい、繕わない素の状態で居るハインリヒはどこかぞっとする程暗い影を纏わせている。
 彼は危うい。ミルタの影響から自殺未遂を繰り返した事を、ハインリヒは「僕にはそんな願望はない」と言い切ったが、共鳴の影響を受けたのは過去にそういった経験があったもの――そしてその経験を克服出来ずに居た者だけだ。そう考えればあれがハインリヒの器用な笑顔で隠された嘘なのは、簡単に分かってしまう。
 先程の争いの種が、彼にその感情を産んだのだろうか。
 それについて今聞く事は避け、陣は何気ない言葉を掛ける事で、彼を励まそうと試みる。
「話を聞かない家族ってしんどいよな。
 俺のお袋も、人の話全然聞かなくってさ……。
 お前の苦労分かるかも。
 うまくいてもいかなくても、終わったら飲みにいかないか?」
「そうだね。無事にこっちに残れたらそれがいいな。ゲロ吐く迄酔っぱらいたいよ」
 笑顔で答えるハインリヒに、陣はこれは作り笑顔だ、と理解して眉を顰めた。
「ダチなんだしさ、そこんとこは大丈夫だから」
 分かっているというようにそっと肩に手を置くと、ハインリヒはグレーアイズを俄に見開いて、それからふっと微笑んだ。
「――兄弟が居るんだ。本当はあと二人。兄と、姉が居て…………否、居た、か……」
 ぽつりぽつりと漏らすハインリヒの言葉から不穏なものを感じて、陣は軽い相槌をうつだけに留めた。するとハインリヒは端末を取り出し、家族写真を表示させこちらへ渡してくる。
「小さい写真でも髪の色で大体分かるだろ? 僕の隣にいるのがその二人だよ」
 写真の中央の赤みの強いサンディ・ブロンドヘアが二人――つまりこれはコンラートとカイだ、その両隣はにフランツィスカとハインリヒが居る。そしてハインリヒの隣に、陣の知らない男女の姿があった。これがその二人なのだろうと見ていると、ハインリヒが画面を操作し、女性の方を拡大してみせた。
 その女性を目に映した途端、陣の身体に悪寒が走る。
「これ…………」
 言葉を失って、それ以上続けられない陣に、ハインリヒはまた端末を操作して、画面にメールを表示させた。
 何らかの診断結果だ。経緯を知らない陣に、その内容は詳しくは理解出来ないが、確信に触れる部分を見つけて、息を飲み込んだ。今度こそ何の反応も出来ないでいると、ハインリヒが淡々と呟いた。
「陣、僕はね。嫌になってしまったよ。
 本当に、全部、嫌になってしまったんだ……」