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Buch der Lieder: 夢見る人

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Buch der Lieder: 夢見る人

リアクション

 ステージが沼に変化してから、劇場内の気温は急激に下がった。
「耐性もあるし、経験はあるけど、過信はしないほうがいいわね。
 助けに行きたいけど、無謀な突撃では誰も救えないわ」
 ルカルカはダリルと顔を見合わせ、周囲の契約者へ加速のスキルを付与すると、カプセルから武器を取り出した。
 皆が戦いに赴く中で、ユピリアは飛行能力と素早さを生かし、人形(ヒトガタ)の攻撃を弾きながらぽつりと呟いた。
「死んじゃったけど、幽霊になって好きな人のところに来ちゃうっていうお話は好きよ。
 でも、人違いはアウトよね」
「人違いってレベルの問題か?」
 皆の能力が切れないよう回復の歌を続けるティエンの傍で、ユピリアへ指示を送っていた陣は、小さな声を拾って眉を寄せた。アレクは目の前に現れた沼が、ウィリの恨みそのものだと言っていた。彼女達が恨む相手『アルブレヒト』は、制作者の三人だろうが。
 彼等の魂はアクアマリンの本体ごと潰えたというのに、殺され自我を失った彼女達は、そんな事も分からなくなっているのか。
(誰でも良いから……否、見た目がちょっとばかし似てるからって、ハインツをあのアロイスってヤツと勘違いしてるのか…………)
 この疑問の答えは、もう誰も出す事が出来ない。考えを巡らせる陣に、ユピリアはふっと溜め息をついて続けた。
「理由は色々あるのかもね。それはあちらの問題だけど。
 それよりハインツ達を助けないと!」
 ユピリアが言葉をきったのは、考えるよりも動けという意味だろう。
「ここで立ち止まってちゃいけないよ。
 ウィリになっちゃった女の子たちも、僕達も」
 彼女に同意するティエンは、唇を開き歌を紡ぐ。
(悲しい魂が光の園へ導かれるように。今ここにいる人達の恐れが和らぐように)
 陣は虚ろに目を開けたまま動かないハインリヒへテレパシーで呼び掛け続けた。
[俺達はお前を信じて戦ってる。
 そしてローゼマリーを眠らせてやろう。
 お前は、俺達のところに帰ってくるんだ!]

「皐月、睦月、面制圧で行くよ。
 キャストが揃うまでに舞台の準備を整えないと、ねぇ」
「うん、まかせて!」
「よっしゃーいくぜ!」
 聞き分けの良い皐月と睦月の頭を、縁はぽんとひと撫でし
「ひとつ頼むぜ」と、ステージへ向かって行った。
 皐月はその後ろにぴたりとついて、氷の嵐を吹き荒れさせる。これはアレクの魔法陣の効果があると聞いての攻撃だったが、数十秒と経たないうちに氷結の効果は切れ、水がうねうねと動き始める。
「皐月、もう一回だよ!」
 縁の指示を受け、皐月はもう一度ブリザードを行使した。それに次いで、縁は武器から冷気を放ち、凍結時間に変化があるか実験を試みる。

 結果的に、どちらにしても数秒程度の差しか見られなかった。
 縁は凍結している時間に大きな差をみせるアレクの術を見る。
「あれきゅんそれどんな特殊魔法だよー!」
「――大体お前等と同じだよ」
 一瞥し答えるアレクの足下には古代魔法の魔法陣が浮かんでいるが、あれは実際魔法をどのように行使するか書かれているだけの、いわば設計図や指示書の類いである。“攻撃力を倍に”とでも書かれていればその通りにはなるが、今のアレクの場合、その基礎となっているのは現代魔法のそれ――つまり大体同じという答えは本当なのだ。
 単純に個人の持つ能力差というだけでは無いだろう。――そもそも古代魔法と言うのは魔力の消費量を抑える為のものであるから、今アレクが使っているのは本当に、ごく単純な氷術だったのだ。
「元々魔法陣作ったの俺だからじゃないか?」
 と、アレクは適当に結論づけた。

 そんな風に皆が動いている間に、唯斗は『不可視の封斬糸』を張り巡らせ、氷術をかけることで属性を付与する。
(まぁ、簡易型氷術結界ですな)
 これで沼が自由に伸縮するのをある程度は防げるだろうが、糸は水に濡れる事で可視化してしまう。照明の熱で部分部分が溶けていけば、見えている蜘蛛の巣にわざわざ飛び込んで行く虫は居ないように、糸は通行止めの標識をたてた程度の効果しか持たなくなってしまう。
 更にこの糸へ属性を与えるには、唯斗の魔力を供給し続けなければならないという大きなリスクがある。ティエンの歌による供給があってもそれは無限ではないし、他の行動を取る事も難しくなる。戦いが長引けば、段々と辛くなっていくだろう。
 まあ戦いが長引けば――それこそハインリヒのほうが死んでしまうだろう。というのは、誰の目にも明らかな事だった。
 沼に囚われているのはフランツィスカも同じだったが、敵意と悪意を持たれているらしいハインリヒは比ではないレベルで深刻だ。
「ハインツさん、頑張って!
 こんな所で死んだら、絶対に許しませんからねっ」 
 歌菜が言葉で叱咤しながら羽純と遠距離からでも……と回復を試みているが、真綿で首を絞めるとはあの事を言うのだろう。目は開いているし、意識も有りそうなのだが、肌の表面から徐々に失われていく血の色と虚ろになっていく目の輝きに、託は短く嘆息した。
(ハインツさんとフランツィスカさん、放っておいたらしんじゃいそうだねぇ。
 ……それにしてもなんだか本当に毎回大変だねぇ。不幸属性とでも言った方がいいかなぁ)
 同情というか、しんみりしてしまいそうなくらいだったが、今は考える時間はない。
「さすがに、僕は楽しい友人とその親族の危機を放っておけるような人間には慣れてないからねぇ」
 一人呟きながら託はシンプルな作戦で――即ち単純に素早く移動する事で二人を救おうと試みた。皐月の攻撃で部分的に氷化している今がチャンスであると、思ったのだが、敵は変幻自在の水だ。
 数十秒の後に氷化が溶けた人形の攻撃を避け切る事は叶わず、全身を切っ先のように鋭利な姿に変わった水に貫かれた。
 そして身体から力が抜けたその刹那、目の前に迫る人形に
「――やば」と小さな声を吐いた時、託の身体は浮いていた。

「……アレクさんか」
 気付けば横に抱えられた状態で、離脱する動きを狙撃でカバーしていたサリアとペルーンの居る後方の客席へ横たえられ、駆けつけた京子に回復を施される。
「お前ッ、死ぬかと…………」
「僕も思ったよ。そんな気は無いんだけどねぇ……」
 珍しく焦った様子のアレクに、託は笑って一息ついて「やっぱり駄目かぁ」としみじみ言った。
 ステージの方へ顔を上げると、セレンフィリティとセレアナが戦っているのが見える。
 やはり彼女達も素早い動きが主体のようだ。しかし素早く動いても、行動を予測しても、逃げる事が出来るだけで、攻勢に出る事は難しい。
 セレンフィリティが近距離から冷気を纏ったダガーを投擲し、セレアナが遠距離から氷術を使うが、その後幾ら攻撃してもキリが無いのだ。また経絡撃ちで急所を狙おうとしているようだが、人形は人の形をとった水、つまり急所は特に無かった。火遁の術で氷結した部分を溶けさせてみるが、溶けた瞬間水に戻りその瞬間に襲われてしまう。
「せめてダメージの蓄積を……」
「してるようには見えないわね」
 セレンフィリティの言葉に、セレアナは肩を落して否定する。彼女達は戦いに赴く為、泣く泣くドレスを破いたというのに……。

「行ってくるの!」
 不容易に前へ出ようとする翠を捕まえて、アレクは魔法陣を作り直し、そのままぶつぶつと口に出した。
「敵が解らない時点で、対処は出来ても解決は無理だ。救助を最優先に、先にハインツをフランツィスカを……」
「敵さん、倒さなくていいの? おにーちゃん?」
 固い言葉を聞いて、抱えられたままの翠は後ろを振り返りながら首を傾げている。何時もならば翠の為に軽い言葉で説明が出来るのに、アレクは眉を顰めたままだ。自分が冷静でない事は分かっているから、余りに不利な状況への対策を練る事で、心理状態を悪化させず保とうとしているのだろう。
「ふぇ〜……」
 スノゥが声を上げ示すのに、そちらを見たミリアは額に汗を滲ませる。
「沼が……広がってるわ!!」
 先程迄はステージだけに幻のように存在していた沼が、オケピットの半分迄じりじりと広がっていたのだ。
 肩で息をしながら此方へきた左之助が、苦虫を噛み潰した表情で言う。
「『龍血の呪い』も槍の忘却の力も効きやしねぇ……」
 沼は意思を持っているが、魂は今此処にない。ローゼマリーはアクアマリンの欠片を追いかけ、他の少女達はビルの中で契約者達と戦っているからだ。
「…………作戦を変えなくちゃねぇ」
 失血のショックでぼんやりとしたまま、託は考え込んだままのアレクへそう言った。


 そうして戦う人々を、ステージからハインリヒは見つめ続けている。ただ何が起こっているのかは分かるのに、無理矢理沼へ引き摺り込まれた魂は、覚醒したまま夢を見ていた。
 感覚は分からないのに、頬を撫でる指先の柔らかさは分かる。そんな不思議な夢だ。
(あの白昼夢と同じか…………)
 ぼんやり思うハインリヒには、最早どちらが現実なのか、徐々に理解出来なくなっていた。
「……アルブレヒト、アルブレヒト」
 呼び掛ける声を掌ごと払い、ハインリヒは否定を口にする。
「ミルタ――否、姉さん。僕はアルブレヒトじゃないよ。アロイスじゃない」
「あなたがきてくれて嬉しいわ」
 ミルタの表情が人間味を持ち、乳白金の髪が色を帯びローゼマリーのものに変わる。それでも彼女が微笑みを向けている相手は、相変わらずアロイスなのだろう。
「どうして私達を殺したの? どうして私を裏切ったの?」
「君は知ってた筈だ。アロイスが君を呼び出した訳も、行けば殺されてしまうことも。
 知っているんだよ姉さん、僕は君の心を指環に教えて貰ったから」
 シグネットリングにはまるアクアマリンの欠片を『覗いた』ハインリヒや舞花たちは、所有者の感情を追想していた。
 ――ローゼマリーはアロイスに恋をしていた。だがアロイスがディーツゲンの兄妹に反発しながらも求めていたのは、新たな家族だ。彼女はそれを分かっていた。感情を押し付けている自分に罪悪感すら持っていたのだ。
 ローゼマリーが家出同然で屋敷を飛び出した時、彼女は“アロイスが私を呼んでくれた”と書かれた短いメッセージを残した。それはアロイスが置きっぱなしにして、ハインリヒが持っていたアクアマリンについてのアロイスの研究が雑多に書かれた本に挟まっていたのだ。
 あの本を読んだローゼマリーが“パラミタに向かう結果自分がどうなるか”を理解していなかったとは、到底思えない。
「君はあの時もそうだったよねローゼマリー。
 僕たちに隠れてアロイスにあれを渡してしまおうとしたのは、アロイスに今迄の事を謝りたかったからで――」
 ハインリヒの言葉をこれ以上聞きたく無いとでも言うかのようなタイミングで、ローゼマリーは彼の胸に抱きついた。
「怖いの、怖いの! 私、此処に一人ぼっちは嫌よ――!」
「……一人…………?」それはどう言う意味なのか。 
 ローゼマリーは――ウィリは、個体どころか複数の魂が解け合い存在するというのに――?
「あの意地悪な人たちは、私の沢山の心を皆遠くへやってしまうわ。
 このままだと私は此処に一人ぼっちになってしまう。
 私だけは此処を離れられないのに――」
 見開いた瞳はローゼマリーの虹彩と、ミルタの泉を映した色を混ぜ、奇妙に輝いていた。そこに惹き付けられたまま、ハインリヒは目を反らせない。
「ローゼマリーはウィリの沼の女王、沼は私そのものなのよ。
 私が離れれば沼は消えてしまう。だから沼は私の魂を離さない。私は何処へも行けない。
 皆がいなくなれば一人になってしまうわ。ねえお願い一人にしないで! あんな思いはもう沢山よ!」
 胸に縋り叫ぶ姉の哀れな姿に、ハインリヒはそれ以上口を開く事が出来ない。
 ローゼマリーの魂は、救われる事は無い。大切な家族が永遠の時を彷徨い続けなければならないと分かっていて、自分に何が出来るというのだろうか――。