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思い出のサマー

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思い出のサマー
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●スプラッシュヘブン物語(5)
 
 おおう! 視界がぐらつく。
 風馬弾は死の予感を抱いた。ひしひしと。
 なぜってウォータースライダーの搭乗口は、気が遠くなるほど高い場所にあったから。
 そしてその傾斜角度は、殺人級に鋭かったから。
 こんなものに挑むなんて自殺行為だ!
 しかし弾とて必死である。ここで弱腰になるわけにはいかない。
「これぐらい余裕かな……」
 とうそぶいて、平常心を保つべく必死だった。
「男らしいところを見せるチャンスよ」
 エイカ・ハーヴェルが密封袋の中から、そう声をかけて弾をからかった。アゾート・ワルプルギスに聞こえない程度の絶妙の囁きである。
 それはわかる。
 でも、無茶苦茶だろうこれは。時速102キロというのは嘘ではあるまい。
 さすがに無理だ。これは無理だ。本能が告げている。アゾートは彼の後ろに並んでいて、わくわくとこれを見守っているが……できないものはできない。
 しかし――弾は唾を飲み込んだ。
 一人前の男になるためには避けて通れない道……エイカの言葉だ。
 避けていて何になる。逃げたってアゾートは許してくれるだろうが、自分の矜持が許さない。
 弾は、覚悟を決めた。
 大きく息を吸って……いる途中でいきなり体が斜めに飛んで、弾はスライダーに頭から飛び込んでいた。これが本当のヘッドスライディング!
「ええーっ!?」
 という弾の絶叫は、あっというまに消えてしまう。
「死ねリア充」
 後に残された魔道書つまりエイカがほくそ笑んでいる。
 てへぺろ状態というやつだ。
 なんと弾のダイビングは、エイカがサイコキネシスを発動した結果だった。
 しかし弾にはそんなことを考えている余裕はまるでない。
 高速移動のまっただなかにあったからだ。
 魂が置いて行かれる。
 体が弾丸になる。
 ぐんぐん、ぐんぐん、ぐんぐん!
 走る水音で耳は埋まり、視界は高速のあまりぐにゃりと歪む。
 疾風だ。
 キャノンボールだ。
 風と水と一体化した!
 弾にとって人生最速の数十秒が瞬く間に過ぎて、彼の身は見事プールに着水していた。
「は……ははは」
 水から上がると弾は、悟りを得たような表情をしていた。
 この一瞬で大人になったと思う。風馬弾は男になったのである。
「すべてのものは虚しい……」
 そんな、枯れたようなセリフも出てきてしまう。ところが、それも一瞬だった。
「すごいスリル! 楽しかったねー」
 水飛沫を上げてアゾートが、ウォータースライダー出てきた。ひょいと弾に片手を上げて笑う。髪の毛から爪先まで、きれいに濡れた状態で。
「さっきの滑り方、格好良かった。勇気あるんだね」
 アゾートはまぶしいような表情で弾を見ている。結果オーライというやつだろう。
 それにしても――。
 もともと年齢より大人っぽいところのある少女だったが、いま、こうして立ち上がったアゾートの水着姿は、イルミンスールの正式水着とは思えないほど艶然としたものであった。潤んだ瞳がたまらない。それに、思っていたよりずっとスタイルのよいその体つきも……。
 ――アゾートさん素敵すぎるよ!
 眠っていた煩悩が大復活して、思わず弾は鼻を押さえた。
 鼻血が、出そうだった。
 青春である。 
 その頃、
「おーい」
 ウォータースライダー搭乗口に放置されたエイカが、弾を呼ぼうとして四苦八苦している。
 ちなみに弾はもうとっくにエイカのことなど忘れてしまって、アゾートの手を取って別のプールに向かっているところであった。

「そういえばわたくし、カメラを持ってきていたのをすっかり忘れていましたわ」
 ロッカールームから戻ってきた藍玉美海は、手にデジタルカメラを提げていた。
「グラビア撮影とまではいかなくとも、楽しい様子くらいは残せると思いますわ。せっかくですし、残りの時間は写真を撮りながらゆっくりと楽しみませんこと?」
「うん、そうだね!」
 美海がレンズを向けると、久世沙幸はすぐに笑顔になった。やはりグラビアアイドル、撮影されるのは好きだ。
 ――わたしってば急いで楽しまなきゃと思って、ちょっと焦りすぎてたかもしれない。
 沙幸は反省する。大切なのは量ではなく質、つまり良い思い出ができたかどうかではないのか。
「せっかく二人で来たんだもん。大切な思い出を写真に収めながら、残りの時間はゆったりまったりと楽しんじゃおう」
 沙幸は自分から美海の手を握った。
 楽しもう。まだ夏の日は、はじまったばかりだ。

 濃い黒のサングラスをかけ、ロングパンツ姿でバロウズ・セインゲールマン(ばろうず・せいんげーるまん)はプールサイドに立っている。
「……偶然、なんでしょうか」
 足を止めたその場で、バロウズは絶句していた。
「……あーらまー」
 と言いながら、アリア・オーダーブレイカー(ありあ・おーだーぶれいかー)は彼のサングラスを奪った。堂々としてたらいいじゃない、とでも言いたげに。
「まさか私も、こういうことになっているとは思ってなかったの。本当に」
 二人は人だかりの中から、目の前で行われている撮影会を見ている。
 ローラ・ブラウアヒメル、かつての『クランジΡ(ロー)』が被写体だ。彼女は、舞台袖で緑色の髪の少女――アイビス・エメラルド(あいびす・えめらるど)となにか打ち合わせている。どうやらここから、二人合同で何かをするらしい。
 バロウズがこの場所に感じ取っているクランジの気配は、ローのみではなかった。他にも何人かいる。それも、決して遠くないところに。
 今日はただ、プールで遊んで帰るつもりだった。アリアが手に入れた入場チケット、これを使って、暑気払いの一日を過せればそれでよかった。
 それがなぜか、同じクランジの『妹』と出くわしてしまう。これも運命だろうか。クランジの宿命なのだろうか。
「未来の義妹ちゃんたちまでこんなところにいるだなんてねぇ」
「未来の?」
「あ、いや、それはこっちの話で」
 アリアは気恥ずかしげに頭をかいて、ほら、とバロウズをけしかけた。
「会ってきたら? クランジの『姉妹』なんでしょ?」
 バロウズは、うなずいた。
「ローラさん」
 着替えのため一旦撮影場を離れようとしたローラに、バロウズは話しかけた。
 マネージャーらしき女性が遮ろうとするも、ローラは「大丈夫ね」と言ってバロウズのところまで出てきている。
「オメガ! また会えて嬉しい! なんとなく気配があったね」
「バロウズと呼んで下さい。どうですか最近は? 充実しているようですね」
「充実……」
 ちょっとローラが溜息をついたように見えた。しかしそれは一瞬で、
「うん、充実、してるよ!」
「今ある、自分が幸せだと思うものはなんですか? こんなこと訊いてなんですが……」
「うーん……仕事……は、忙しいね」
 ローラは曖昧な笑顔を浮かべ、そっとバロウズに顔を寄せて言った。
「でもワタシ、気になる人はいるよ。それが幸せかも」
 バロウズは温かい気持ちになる。秘密を分かち合えたような、くすぐったい感触もあった。
「上手くいくといいですね」
「うん」
 短いひとときだったが、明るくローラは手を振ってバロウズと別れたのである。