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思い出のサマー

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思い出のサマー
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●スプラッシュヘブン物語(6)

「彼……バロウズさん?」
 榊 朝斗(さかき・あさと)はローラと話しているバロウズの姿に気がついたが、声をかける間もなくバロウズは姿を消してしまった。
 それに今日は、見守らなければならない。しばらくはここから動けない。
 すっかり増えた人だかりの中で、朝斗は前方を見つめていた。
 アイビス・エメラルドの新しい姿を見るのだ。
 アイドルとしてのアイビスの。
 一瞬だけアイビスの姿が見えたが、また彼女はプールに設置された楽屋的なテントに入ってしまった。
「朝斗も粋なことするわね」
 このときルシェン・グライシス(るしぇん・ぐらいしす)が、朝斗の脇を肘でつついた。
「アイビスに新しい躯体をプレゼントするなんて……お小遣いどころか今まで稼いできた依頼の報酬金もつぎ込んだみたいじゃない?」
 ルシェンの問いには直接こたえず、
「ほら、アイビスが出てきたよ」
 朝斗は囲いの向こうを指し、大きな拍手をもってアイビスを迎えた。朝斗の頭の上に乗ったちび あさにゃん(ちび・あさにゃん)が、詠嘆ともため息ともつかぬものを「にゃー」と洩らしていた。
 あさにゃんの目からしても、アイビスの雰囲気が変わったのはわかる。
 ボディが換装されて、もう彼女の見た目は、普通の人間と変わらない。
「にゃあ〜」
 あさにゃんはつぶやいた。アイビスの気持ちが、ちょっとわかる気がした。
 水着姿のアイビス。去年のアイドルコンテストで優勝して、今や一躍、アイドルスターへの道をひた走っている彼女だ。
 アイビスは鮮やかな水着姿で、申し分のない四肢と体をさらけだしている。
「見える? アイビスの活き活きした表情が。やっぱり嬉しんだろうな、普通の女の子としてお洒落もできることができるようになったんだから」
「そういうところが朝斗らしいわね。アイビスも嬉しそうな表情してるじゃない。今まであの子、肌の露出を気にしてて羨ましそうに見てたことがあったからね」
 さっきまでローラが撮影していた場所が、今では特設ステージになっている。
 その中央に進み出て、アイビスはマイクを両手で握った。
 ビデオカメラが回っている。
 カメラはアイビスをとらえている。
 これはアイビスの楽曲のプロモーションビデオに使われるものだ。
 曲は、『エール・ド・レーヴの愛の歌』。
 イントロを聞きながら、アイビスは目を閉じて思う。
 ――蓮見さんのおかげとは言え、ここまで有名になるなんて思いもしなかった……ううん、朝斗達と会ってからかな?
 機晶姫として目覚めた彼女は、過去のことも未来のことも考えもしなかった。
 自分が何者ですらも
 その運命が変わり始めたのは、大黒澪ことクランジΟ(オミクロン)との出会いがきっかけだった。
 ――澪さんと会って、自分が何者か考えたときから、今にいたってるのかもしれない。
 そこからアイビスに封印されていた記憶は少しずつ、紐解け始めた。
 そして朝斗が見つけてくれたデータチップ……発見されたとき、アイビスの首輪の裏側に残されていたものだという。これを朝斗が解析して中身を提供してくれたとき、アイビスはすべてを知った。
 それは、アデット・グラス、すなわちアイビスの母親が、娘に残してくれた手紙だった。
 決して長い手紙ではなかった。しかし、母が娘を思う気持ち、アデットがアイビスに残したもの、それを知るには十分過ぎるものだった。
 手紙とともに精密な設計図も出てきた。それは生身に近い躯体の設計図であった。
 未完成部分はあったものの、設計図を朝斗は改良し完成させて、現在のアデットのボディを作り上げたのだった。
 ――お母さんは、私のことをずっと考えていてくれたんだ……。 
 アイビスは歌う。
 その歌詞は、あらかじめ定められたもの。
 けれどアイビスがいま、歌にこめているのは自らの想いだ。
 言葉にすれば、こんな風になるだろうか。

「お母さんとの想い出。その中で歌を教えてくれたことを今でも感謝しています。どこかで私の歌声がお母さんに届いていると信じて。
 そしてこれからも色んな人達に歌を届けてあげたい。
 生きている命に、これから生まれてくる生命に私の……私『たち』の歌を届けるために。
 アデット・グラスの娘『アイビス・グラス』として!」


 アイビスは今、生まれてきたことを、ここにこうしていられることを、母に、朝斗たちに、すべての人に、感謝していた。

 歌が終わった。
 拍手を続けながら、朝斗は自分がいつの間にか泣いていることに気がついた。
 慌てて目を拭って隣を見ると、ルシェンも目を拭っているではないか。
「……いい曲だなって、思ったから」
 ルシェンは目頭を押さえるも、照れ隠しのようにここでぐっと口調を変え、腕組みして朝斗を見た。
「それはそうとして朝斗、最近冷たかったのは、アイビスの躯体を変えるためだったってことはわかったけど……でもその分、私にかまってくれなかったのはちょっと許せないわね」
「え!」
 ルシェンの目が不気味な光を帯びているのに気がついて、朝斗は震え上がった。
「あー、ルシェン? たしかにかまってやれなかったことは謝るよ」」
 朝斗はルシェンによってよく訓練されているので、このへんの反応はもはや脊髄反射級である。
「だからネコ耳メイドだけは勘弁して下さい! お願いします!」
 ぱん、と両手を合わせて彼女を拝んだ。場所がもっと広ければ高速土下座していたことだろう。
「へぇ……ネコ耳メイドだけは勘弁ねぇ、なるほど」
 サディスティックに唇を歪めてルシェンは言った。
「なら今晩、私と付き合いなさい。これは命令よ!」
 なにやら意味ありげな視線をもって、ルシェンは朝斗に身をすり寄せてきた。
「今までの埋め合わせとして最後まで離さないから……ね?」
 前半の命令口調とはうってかわって、妙になまめかしい口調である。
 朝斗の嗅覚を独特の香りがくすぐった。
 甘い香りであった。
 もしかしたら、女性ホルモンの香りかもしれない。
「最後まで……って、どこまで?」
 朝斗の頬を、冷たい汗がひとしずく伝い落ちていった。
 その嫌な予感が伝わったのだろうか、あさにゃんはぴょんと朝斗からルシェンに飛び移って「……にゃ」と胸の前で十字を切るようなポーズを取ったのだった。
 せいぜい今日は、体力の付くものを食べておいたほうがよさそうだ。