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一会→十会 —雌雄分かつ時—

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一会→十会 —雌雄分かつ時—

リアクション



【蒼空学園 屋上】


 瘴気が薄れたことにサヴァスは気づいた。
 あちらこちらと学校を九カ所も巡ったというのに、労力に見合った手応えを感じない。
 理由は思いあたる、舞い戻ったのは蒼空学園だった。此処は最初に瘴気を設置した場所である。
 屋上に降り立った瞬間、サヴァスに向かって射撃が行われた。本来なら肩や手足が撃抜かれていただろう。だが彼の『融解』はそれを可とはしなかった。サヴァスは片手で眼鏡の位置を直す仕草のあと、やんわりと両眼を細める。
「見つけるのが早いですね」
 驚きもせず、ただ問いかけに首を傾げたサヴァス。
 彼を取り囲むように、屋上には瘴気の捜索の為学校の撮影に当っていたエースや、ゆかり、共に対サヴァスにあたっていた小隊の兵士達が集っていた。
 見つけるのが早いですね。
 その台詞は、自分が散り敷く瘴気が消されていくのに気づき、予想し、待ち構えていたと言っているようにも聞こえる。
 事実、サヴァスの表情は余裕の笑みを浮かべていた。これだけの契約者達に囲まれても尚平然としている。
「中々こちらに来てくれないので、むしろ今が丁度いい機会かと思ったのですが、その表情(かお)を見るに、どうもお断りされたと判断して宜しいですね?」
 実質誘いを断られた形になったサヴァスは破名に交渉は決裂ですねと静かに語る。
「シェリーは無事なのか?」
 先ずは何より、破名のこの質問が先決だ。皆が息を殺している間に、ああ、とサヴァスは吐息した。
「貴方がいらっしゃらないので処分しようと。
 処刑を命じましたよ、以降の事は私は存じません」
 慇懃無礼とした姿勢ながらサヴァスから滲みだすのは、他者を格下と見做す上位者の驕りであった。
「今ならそうですね、追いかけてもいいかもしれませんよ? あなたが魔法世界へ『転移』で行けるのなら、ですが!」
「俺とて考えないわけではない。だがお前をどうにかしないと、再び子等を拐かすだろ?」
「嫌ですね。私はそこまで執着しませんよ。
 これが魔法世界なら、反逆の意志があると見做して即処刑でしたが……住む世界が違っていて命拾いしましたね」
 サヴァスの底意地の悪さが潜む響きに、破名は警戒に唇を閉ざした。
「あのね、結局あなた達が何をしようとしているのかよくわからないけど、でも、シェリーを攫ったのは万死に値するわ、許せないの。
 そうなの、私、怒っているのよ」
 瘴気の対策にあたっていたのに事件について全く解かっていなかったらしい、ただシェリーの事だけを考えて行動していたリリアが怒り心頭だと前に出た。その燃えるような赤い髪にも似た激情を露わにするリリアに、サヴァスは「ほう?」と片眉を跳ね上げた。
「たかが小娘一人ではないですか。先にもそうでしたが、こちらの世界の人間は随分と殺す殺さないで煩いですね?」
 質問をしておきながら「ああ」と自答を得て納得する。彼はそれを理解しているからこそ、破名を取り込む為にシェリーを誘拐し、契約者を罠にかけようと力の弱い契約者を捕らえるように命令を出していたのだ。
「群れていないと生きていけないのですね。だから同胞に情けなんてくだらない感情を向けたりして簡単に頭に血を昇らせるのですか。
 可哀想に。なんて野蛮な生き方でしょう。
 では面倒な事になる前に処分させていただきましょう」
 これ以上奴からは何も引き出せないと、命令が飛んだ刹那――サヴァスはプラヴダからの攻撃をその身に受けた。
 魔法世界の人間は、現代兵器に関する知識を持たない。契約者の使用するスキルよりも相手にするには怖い相手だ。だから警戒するのは当然で、これを融解の能力で背景に溶け込むように回避した。
 否、したつもりだった。
 右肩に重い衝撃。
「な、に?」
 次いで襲ってくる焼けつくような痛みに、驚愕でサヴァスの思考は一瞬止まる。
 融解の力がうまく作用しなかった?
 まさか、と自問に自答で返す。自身の能力が突然にして失われるようなものではないとその考えを即座に否定する。
 【融解する力】を持つ者は、あえて例えるならば荒目の金網の上に乗るスライムのように捉えづらいままであった。だが彼が自身の存在を『融解』しているのは『瘴気』なのだ。それが契約者と軍によって浄化され、恩恵が受けられなくなってしまったサヴァスの位置は、ミリツァが完全に把握される事となった。
 そして彼女が精神感応で伝えた位置を、ルスランが撃ちぬいたのだ。
 何故正確にこちらの位置を捉えたのかとサヴァスは一度疑問に思うが、カラクリの真相を追求するよりも、あのプラチナブロンドの少年の攻撃がこちらに当たるのならば、それを避けて始末したほうが早いと、魔法世界の者らしい考えかたをする。
 そしてもう一度融解を試みたところで、今度ははっきりとした違和感に気づいた。
 今度は“融解の能力の仕組みはよくわからないが、実体さえあれば攻撃は受けるだろう”という単純な考えの元、ミリツァの能力を支柱に破名が、力によって大気に溶け込もうとしているサヴァスを無理矢理実体へと引きずり出したのだ。
 融解しても、融解先の輪郭が判れば、元居た空間に転移で引き戻せる。やっていることは、金網に乗せたスライムをそのまま持ち上げてまた金網の上に載せるような作業ではあるが。
 融和せず弾き出される感覚に、サヴァスは誰が自分を阻害しているのかわかった。
「ですが、まだ弱い」
 サヴァスを上手く引きずり出せても、攻撃が全て当たるというわけでもなかった。サヴァスは自分が周囲と同化するように融和し自在に移動できるはずが、知ると融解の対象を自分からその他へと切り替えており、パラミタ側の攻撃はほぼ全て着弾する前に尽くが溶かされ消されていた。
 これでは埒が明かないし、長期戦は逃亡の機会を悪戯に増やすだけである。
 エースとメシエがサヴァスへ更なる束縛を強いるが、手足を縛って防げるようなものではないようで、事象自体が溶かされた。
 融解は魔法。原理云々の問題では無い上、予備動作も無いので危険なことには変わりない。
 異世界の力に情報が足りないのか追いつけない部分があるのは確かであり、その点を突かれて取り逃がしている部分を、存在の固定化を担う破名は否定できない。
 そして、その『抜け』にサヴァスは気づいている。
「やはり厄介なのでこの場で処分させてもらいましょうか、皆様も纏めて」



 ゆかりが地面を蹴った。
 マリエッタもその後に続く。
 トリガーに掛ける指。発砲音が爆竹のような爆ぜ鳴らしに音が空を叩く様だ。
「行くしかないわよね?」
「時間稼ぎもカーリーらしくやろうじゃない」
 わかっていると答えたマリエッタに、ゆかりはサヴァスを見据えたままトリガーを引く指に力を込める。
 走り出た二人の意図を汲み、破名は隣に立つミリツァが兵士に保護されているのを一瞥しながら、使用している古代文字『楔』を周囲に展開させた。
「破名?」
 自ら自身が使用している古代文字を展開している姿を見るのがこれが初めてじゃないエースは、何をするのかと前線から退く形で駆け寄り問いかけた。
 常ならば文字を見せること自体厭うのに。と。
「取りこぼすわけにはいかないのだろう?
 それに、我らが子等を攫った人間に手加減する気は無い」
 孤児院『系譜』に身を寄せる子供達の祖先は、破名が転移の能力を手に入れるに至った研究のサンプルという名の被験者達であり、当時スタッフの一人として彼らを監視する立場であった破名は、現代においても子孫達の所有の所在については意識が高い。
 横から掻っ攫っていくなど言語道断と破名の語調は強くなる。
 元よりサヴァスは先の騒動の時に既に一人の少女をたかだかパフォーマンスの為に手にかけている。その残酷さは、今浮かべている余裕の様に、何の罪悪感も感じもしないのだ。
 サヴァスの命に価値は存在せずと人々を虫けらのように見る目が全てを物語っている。瘴気を振り撒き、人を操り、ただ一人に心酔するその危うさは、とてもじゃないがこのシャンバラ、強いてはこのパラミタの未来を害するだけだ。
 この場でなんとしてでも、との意思考えは皆一緒である。
「エース、手伝え。俺は攻撃の一手も持っていない。奴を追い詰めろ」
 サヴァスの融解能力を封じ込めるのが容易でないとわかった以上、手を変える為に複雑な処理に切り替えたのである。他に逃走も含めて状況に対応できるように並行した多重作業もしているので、無防備を強いられるミリツァの盾くらいにはなるだろうが、どちらにしろ、破名もまた戦闘には加われない。
「何か策が?」
「無ければ頼まない!」
「わかった」
 複雑な処理をこなす為に脳のほとんどを占有され、独り言という形で思考が駄々漏れになっている破名がそれでも言葉にするのを留めたのはサヴァスに気取られるのを避けた為だろうか。テレパシーで伝えればいいのにとエースは苦笑するが、その余裕も無い理由は展開する文字の量で知れた。
「ゆかり、時間を稼ぐ必要はない。叩き伏せろ!」
 攻撃を加えろとの破名の大声に、ゆかりは了解の意を示す。マリエッタがゆかりのフォローに回る為に立ち位置を変えた。すかさずゆかりにマインドシールドをかけ直した。他でもないサヴァス自身が瘴気を操る存在であるのだ、油断はできない。
 そして、二人は互いに手に持つ銃器の残弾を確かめる。
「行ける?」
「いつでも!」
 ゆかりにマリエッタはタイミングは任せると、覚悟したパートナーに力強く答えた。
 異界の人間相手に使える切り札も何も持ち合わせていない自分達だがやれることはやろうと、武器を構え、二人は同時に駆け出し、トリガーを引いた。
 突っ込んでくるゆかりに、彼女達からの攻撃を先から溶かしていくサヴァスは、にやりと笑む。最初に血祭りに上げる対象を決め込んだ獲物を狙う狩人の様に残忍に、笑んだ。
 いくら多くの生徒を抱える学校と言っても屋上はどこまでも広いというわけではない。たまたまサヴァスが比較的広い場所の中心的な位置にいるからプラヴダ、エースやメシエ、リリアやゆかり、マリエッタ達が取り囲む形になっただけで、安全かつ充分な距離を保ているとは言い難い。ミリツァが補足し破名が存在を固定化させてているとは言え、それは戦況を覆すほど状況が有利になったかと問われれば返答に詰まる。
 サヴァスは今尚悠然と立ち、余裕の笑みを浮かべて、一人でありながら多数と対峙していた。
 契約者はサヴァスを攻撃したいが、その度に融解が彼等の攻撃を溶かす。サヴァスは破名とミリツァを攻撃したいが、兵が阻む。事態は膠着していた。
 目に見えない、大気に滲む融解を促す、サヴァスの力。その魔力の範囲にゆかり達が踏み込む直前、
 いきなり、中華鍋が円盤のように回転しながら飛来した。
 サヴァスはゆかり達に仕掛ける筈だった触手を慌てて防御に転じ、飛来した中華鍋を自身に激突する寸前で融解させた。
 ゆかりとマリエッタは突然の闖入者に驚き、思わず足を止めて中華鍋が飛んできた方向に視線を転じる。
 そこに、包丁を右手に携え、菜箸を左手に掴む巨躯が陽光を背後に浴びて、悠然と佇んでいた。
「騒がしいのう……仕事にならんではないか」
 つい先程まで、階下の校長室で校内文書の処理に当たっていた蒼空学園校長兼理事長の馬場 正子(ばんば・しょうこ)が、渋面を浮かべて野太い声でのクレームを突きつけてきた。回収し浄化したとは言え、瘴気漂う中平然と職務に勤しんでいたというのだからその強靭な精神は流石と言うべきか。
 正子は屋上で展開されていた状況にさっと目を走らせ、何が起きているのかをおおよそながら把握した模様ではあったが、流石に事態の深刻度までは理解するには至っていないようである。
「おやおや……また面倒な人が、出てきましたね」
「面倒臭いことをやらかしておるのは、うぬらの方であろう」
 サヴァスの苦笑に対し、正子は幾分うんざりしたような顔つきでふんと鼻を鳴らした。
 事の次第はイルミンスール魔法学校校長から連絡を受けていたが、このままサヴァスを放置しては更に己の仕事が阻害されるとぼやく辺り、正子にとってはサヴァスなど、ほとんど眼中に無い様子でもあった。
「まぁ、何でも良かろう。わしも手を貸す故、さっさと終わらせい。まだまだ処理せねばならん書類が、山積みになっておるのだ」
 言うが早いか、正子はその巨躯からは想像も出来ない速度で一気に踏み込み、サヴァスとの間合いを、肌が擦れ合う程の距離にまで詰めた。
 これにはサヴァスも、少々焦ったらしい。
 魔力を縦横に走らせながら、自らは弾けるようにして距離を置く。
 魔力が纏う融解の破壊の波は、しかし、正子の包丁と菜箸から放たれる闘気のようなものにぶつかり、効果らしい効果が出ていなかった。
 正子の得物がサヴァスの触手と互角に渡り合うと見たゆかりとマリエッタは、すかさず正子の真後ろに続き、融解の力が弾かれたところで正子の左右に飛び出し、効果的な攻撃を叩き込んでいった。
 だが流石に、その場に踏みとどまるのは危険である。
 ゆかりとマリエッタは一撃離脱の要領ですぐさま後退したが、一方で正子は、サヴァスに超至近距離での接近戦を仕掛けたまま、一歩も退こうとはしない。
 正子の攻撃の全部が全部、サヴァスに対して有効打となっている訳ではない。
 だが一部は確実に、サヴァスの肉体に打撃となって侵食しつつある。
 数打、互いに打ち合ったところで、サヴァスは再び正子との距離を取った。
 その視線は、真正面に悠然と佇む正子にのみ、じっと固定されている。最早、他の面々に対して意識を向けていられる余裕は微塵にも無い様子であった。
「流石は蒼空学園校長、と言うべきでしょうか。私の肉体のどこを狙えば打撃となるのか、この一瞬の接近戦の中で咄嗟に見抜いてしまうとは」
「見抜いてなどおらん。適当に振り回しておるだけの話よ」
 どちらが本当の事を言っているのか、周囲で見守る者達には判別がし難い。
 恐らく半分は事実であり、半分はハッタリなのだろう。
 要するに正子は『疑わしきは撃て』の発想でサヴァスの全身あらゆる箇所に攻撃を加え、その中で有効打が入る箇所を絞り込んでいただけの話である。
 実際、正子が叩き込んだ攻撃でサヴァスの肉体が受けた打撃箇所は何となく、特定出来つつあった。
 エースは、正子が軽口を返し、サヴァスからの反応を見る中で有効打撃となる箇所をじっと観察しているであろう事は既に理解していた。
 理解してはいたが、同じ事が自分にも出来るかと言われれば、否と答えざるを得ない。
(流石、馬場さん……上手い)
 エースは思わず、喉の奥で唸った。
 激しい攻防戦は独壇場とも等しいが、そのまま見物というわけにもいかない。
 サヴァスが在る限り瘴気の魔手は途切れない。じわじわと侵食しようとしてくる悪意を聖者の導きで打ち消すエースは負傷者の手当てをしつつ、ゆかりやマリエッタの前に出ていくリリアに気づく。そんな彼女の横のメシエと目が合った。直後、連絡がテレパシーで届く。
 頷いたエースは使用スキルを発動させる為に、指印を握った。
 最初に仕掛けたのはメシエ。
 呼び出したヘルスパークがサヴァスに火花を散らしたのを合図に、リリアが防御に徹する中、エース、ゆかり、マリエッタの一斉攻撃が始まった。
 正子に集中していたサヴァスは、ハッとした。
 今融解の力は不自由を強いられていて咄嗟に動くならと、実体化する。
 そして、
 その瞬間、初めて、サヴァスが、一歩、下がった。
 退いた一歩が蒼空学園の屋上を踏みしめた刹那、そこを中心にしてサヴァスの足元から魔法陣が浮かび上がる。
 常ならば見ることもできない古代文字の羅列。組み込まれていたのはサヴァスという存在を確実に捉え運ぶ為にと念を押すような圧力の含んだ束縛力の強い銀色に輝く文字よりも古(ふる)き古(いにしえ)の言葉。
 その一つ一つが連鎖反応で輝きを増しサヴァスの影ごと飲み込んで、【融解する力】を白く塗り潰す。
 光が収まった頃、サヴァスだけが強制転移により、綺麗さっぱり消えていた。
「融解なんて単語なだけあって、転移の発動速度はこちらが上だったな」
 契約者達が追い詰める中、サヴァスが逃亡よりも反撃に出た方が有利かと判断し実体化をするそのチャンスだけを狙っていた破名は、取りこぼし無く全て向こうに転送出来たことに一人頷き零した。