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真夏の白昼の夢

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真夏の白昼の夢

リアクション

4)


「どうかした?」
 千返 かつみ(ちがえ・かつみ)は、先ほどからなにやら考え込んでいる様子の千返 ナオ(ちがえ・なお)の顔を覗き込んだ。
「これが夢の中なら、俺の1歳の誕生日のケーキが目の前に現れたりしないかな……なんて」
「誕生日のケーキ?」
 ナオは頷き、答える。
「俺たち、ケーキの見た目は知ってますけど、味については分からない状態なんで。でも、そんなに都合良くはいきませんよね」
 わかってはいるけど、とナオは目を伏せる。それに、目の前に唐突にあらわれたそれが、果たして本物かどうかも疑問だ。
 そんなナオに、かつみは暫く考えてから、こう言った。
「うーん、あのケーキは1歳の子供でも食べられるように、生クリームや卵を使わずに作ってるからなぁ……ちょっと技術がないと難しいな。かわりに、別のケーキを作りに行こう」
「え?」
 かつみが言うなり、目の前がキッチンに変わる。こぎれいに片付いた調理台の上には、材料がすでにたくさん揃っていた。
「かつみさん、なんで……」
 材料を知ってるんですか、と尋ねる前に、ナオの手につやつやとした苺やキウイが手渡される。
「生地を作るから、果物洗ってね」
「は、はい」
 どこか釈然としないまま、それでもナオは丁寧に果物を洗う。その横では、かつみが手早く、ケーキ用の粉をふるい、生地を作り上げていた。
「あの、洗いました」
「そしたら、このナイフで苺のヘタをとって」
「こう……ですか?」
「うん、よくできました」
 にこにこと笑顔を浮かべ、かつみはナオの頭を撫でた。まるで、小さな子供にするように。
 そのうち、オーブンから甘い匂いが漂ってくる。ケーキが焼けたのだろう。
「生クリームもデコレーションする道具もいっぱいあるからね。一緒に飾り付けしよう」
 ナオが下ごしらえをした果物だけではなく、チョコレートやアラザン、砂糖漬けのミモザが、彩りよく調理台に並んでいる。
「危ないから、オーブンには近寄っちゃだめだよ」
 そう背中を向けたかつみに、ナオは先ほどから感じていた違和感を口にした。
「……なんだかいつものかつみさんとは違いますね。俺のこと幼児みたいに扱ってるし。もしかして本物じゃくて、夢のかつみさんなんでしょうか?」
「…………」
 かつみは答えない。けれども。
「でも、ケーキ作り楽しいから、このまま楽しみましょう! いっぱいデコレーションしましょうね」
 夢であっても、むけられる笑顔や、包み込まれるような優しさは本物な気がした。
「楽しい? あぁよかった」
 ほっとしたように、『かつみ』は笑った。
「こうやって、「彼」は君とケーキを作りたかったんだよ」
 小さく、呟いて。
(あぁ、そういうことか)
 キッチンの隅で見守っていたノーン・ノート(のーん・のーと)が、内心で納得する。
 どうも、本物のかつみではなさそうだ、ということには、とうに気づいていた。手際の良さや、ケーキのできばえから考えても、かつみのセンスではない。
(かつみはまぁ……器用なんだが、どこか垢抜けないというか……)
 客観的が故に厳しいことを思いつつ、ノーンは『かつみ』の様子を密かに観察していたのだ。
 一見悪意はないようだが、危険ならば、ナオを護らなければならない。
 ただ、端で見ている限り、二人のやりとりはまるきり親子のソレだった。そのことと、『かつみ』の呟きから、ようやくノーンは正体を察したのだ。
 先日届いた、ナオの両親の遺品……それは、ケーキのレシピノートだった。小さな子供のための誕生日ケーキや、一緒に作れるようにと考えられたレシピが、いくつもそこには考案されていた。
(あのレシピノートは魔道書化までは行ってないが、少々意思を持ち始めたようだな。それで持ち主の願いを叶えようと動いたんだな)
 つまり、そのレシピノートと…そこに託されていた父親の『願い』が、この夢の中で、かつみの姿を借りて顕現したのだろう。
(よかったな)
 ノーンがそう思考を巡らせているあいだに、ケーキは完成した。
 果物がたっぷりの、優しい味のふんわりしたケーキだ。
 さっそく切り分けて、頬張ったナオが、美味しさに目を丸くしている。
「すごいです! 美味しい!!」
 その言葉がなにより嬉しいように、今日一番の笑顔を見せ、『かつみ』はもう一度ナオの頭を撫でた。
 それから、おそらくはどこかで平和に眠っているだろうかつみ本人にも伝わるように、ゆっくりと告げる。
「「彼」の代わりだけど、願いを叶えさせてくれてありがとう。ありがとう……幸多」
 幸多、は。両親がつけた、ナオの本当の名前。
 ――夢の中のケーキの味は、本当に、優しいものだった。




 薔薇園の片隅。
 小さな広場に、一つだけ置かれているベンチがある。
 蝶や小鳥たちを指先に遊ばせながら、どこかその存在自体も夢のように儚げに、早川 呼雪(はやかわ・こゆき)はそこにいた。微かに響く歌声とともに。
「呼雪、ここに、いたの?」
 ヘル・ラージャ(へる・らーじゃ)が、若干気まずそうに声をかける。そんな彼に振り向かないまま、呼雪が「ここの事、覚えてるか?」と尋ねた。
「うん……」
 忘れるわけがない。自分が初めて、呼雪に悪戯をしかけた場所だ。そこを突かれると、ヘルとしてはスイマセン、と謝るほかにない。
 だが、呼雪はただ、「懐かしいな」と微笑みかける。そして、戸惑うヘルにむかって、そっと細い指先を差し出した。さりげなく、しかし蠱惑的に。
「いやー、懐かしいな−。あの頃って僕、すごい嫌われてたよね」
 誘われるまま腰掛けると、ふわりと甘い匂いが漂う気がした。けれども、あえて顔には出さず、そんな他愛もないことをヘルは口にする。
 けれどもそれも、呼雪が次の行動をとるまでだった。
「……呼雪?」
 じっとヘルを見つめる黒い瞳が、しっとりと潤んでいる。その距離がゆっくりと、次第に近づいてきた。
 最初の口づけは、見つめ合ったまま。驚くヘルの目の前で、呼雪は自ら己の襟元を緩め、白い肌を徐々に顕わにしていく。
「ちょ、ちょっと。何してんの呼雪!?」
 普段はこんな場所で、触れあうことすら嫌がるというのに。目の前の呼雪は無言のまま、ヘルの体に寄り添い、髪を結い上げた紐をしゅるりと解いた。……はらりと広がる黒髪は、数多の言葉よりも雄弁に、秘め事を誘いかける。
「…………」
 それならば、ヘルとしても、断る道理はない。
 蜜に惹かれる蝶のように、その肌に唇で触れ、指先が淫靡な意思を秘めて蠢く。
 殺しきれない密やかな声が漏れ、ひんやりとした体は、次第に湿り気を帯びてより艶めいた。……そんな、中。ぽつりと。
「後悔してるのか?」
 呼雪が、ヘルの金色の髪に指先を絡め、尋ねた。
「俺の願いを聞いて、パラミタに戻って来た事。……本当は、あのまま外に関わらせず閉じ込めておきたかったんじゃないか?」
 ヘルは、すぐには答えることはできなかった。
 たしかに、不安はある。いつか呼雪が、その名の通り、溶けるように消え去ってしまうのではないかと。だからこそ、これほどに求め、抱きしめることを止められない。
 それに、呼雪の心は、綺麗すぎる。外の世界では、傷つくことばかりだ。それが、辛い。
 そんなヘルの心を、呼雪はわかっていたのだ。
「加減なんて、しなくて……いい」
 ヘルの背中に回した手が、ぎゅっと強く上着を掴む。
「俺は……確かに、何かに縛られるのは好きじゃない。でも、お前は……お前なら……」
「呼雪……」
 愛おしさに、胸がつまる。それ以上、何も口にすることはできず、ただ、ヘルは強く呼雪をかき抱いた。
 望むなら、幾度だって。ずっと。
「……抱いてて、あげるよ」
 呟いたヘルは、そこで、――目を覚ます。
「え? あれ?」
「目が覚めたか?」
 何度も瞬きをして、ヘルは現状を理解しようとした。場所は変わらぬ、あのベンチだ。けれども自分はただ、呼雪の膝枕で寝ていただけだった。
「あんまり気持ちよさげに寝ているから、起こすのも忍びなくて」
 そう言う呼雪の身なりは、乱れた痕もない。……あれもまた、『夢』だったということだろうか。
「そろそろ行こう、マユも探さないといけないし」
 はぐれてしまったマユ・ティルエス(まゆ・てぃるえす)の名を口にして、呼雪がそう促す。どこか狐につままれたような心持ちながら、ヘルは起き上がった。
「あれー? ……」
 しきりに首を傾げるヘルに背中を向け、呼雪はただ、ひっそりと口元に笑みを浮かべていた。



 その頃、上社 唯識(かみやしろ・ゆしき)は、パートナーの戒 緋布斗(かい・ひふと)を探して歩いていた。親友であるカールハインツに協力してカルマを探そうとしたのだが、緋布斗の姿がないことに気づいたのだ。
「どこに行ったんだろう……」
 次第に周囲は、霧が深くなってくる。いくら霧の多いタシガンとはいえ、薔薇の学舎の敷地内にしては異常な程だ。
 そんな中、霧の向こうを、大きな影が走り抜けていくのを唯識は見た。
(馬術部の馬かな?)
 気づかないうちに、馬場のほうまで来てしまったのだろうか……。そう思ったとき、違う、と唯識は気づいた。
 馬は一頭ではなかった。数頭、それも、皆見慣れない馬具をつけている。それを乗りこなす人々の姿も、一種異様なものだ。
「あれって……鎧? 戦国時代の?」
 知識としては知っているが、それでも目の前にいるとなると、ぎょっとする。
 人馬一体となって駆け回る人々は、どうやら戦っているようだ。しかし、唯識の姿は見えていないのか、気づく様子はない。
 馬の嘶く声と、激しい剣戟、そして人々の雄叫び。その全てが荒々しく、土煙と霧の中で響き渡っている。
 その中で、独り。唯識の視線を釘付けにした武将がいた。
 機敏で勇猛果敢なその動きのせいだけではない。その頭部には、確かに角があった。
「……もしかして、君……」
 そう問いかけたところで、彼にはその声は届かない。
 ただ、ちらりと見えた顔には、見覚えのある面が着けられていた。
「あのお面は……確か」
 かつて、唯識が自宅の鞍を片付けていたときだった。古い木箱に入った面を見つけた唯識は、なにげなく、それに触れてみた。
 そのとき、声がして。……振り返ると、誰も居なかったはずの蔵の中に、おかっぱ頭の小さな童がいた。それが、緋布斗だったのだ。
 そのときの緋布斗には、過去の記憶は一切なかった。
 それから、……緋布斗の願いでパラミタに来て、唯識の母と妹の希望もあり、薔薇の学舎の門戸を叩いた。入学できたのは幸いだったが、葦原に行ったほうが、緋布斗の記憶が戻るのではないかという漠然とした思いは、常に唯識にはあった。
 しかし、肝心の緋布斗自身が、記憶を取り戻したいとは口にしなかったのだ。
(でも、もしかして……)
 鬼の角を持った、武将。それが、緋布斗の過去なのだろうか。
 唯識がそう考えているうちに、武将達はやがて、霧の向こうへとその姿を消した。
 凜とした面影を、残して。
「…………」
 彼らを見送った後、徐々に霧は晴れ、唯識は薔薇の学舎の一角にいた。その、すぐ近くのベンチで、緋布斗が眠っていた。
「……そんな夢を見た記憶はない」
 昼寝から覚めた緋布斗は、唯識に一部始終を聞かされても、ピンとこないようだ。眠たげに、ぼうっと目を伏せている。
 ――たしかに、大規模な戦闘のなか、どこか心躍るような感覚がある。けれども、深く考えたことはなかった。一種の興奮状態のようなものだ、と。
「でも、そうじゃないかなって思って」
「自分の過去に興味はないです。唯識は、僕の過去に興味があるのですか?」
「はい」
 微笑んで唯識は頷く。しかし、緋布斗はそっけない。
「どうせたいした過去ではないです」
「そう? 格好良かったよ」
 唯識はそう言うけれども。
「唯識と楽しく冒険できればそれでいい……」
 ぼそりと、緋布斗は呟いた。
 そんなときだった。
「これ」
 唐突に姿をあらわしたランダム・ビアンコ(らんだむ・びあんこ)にチラシを渡され、唯識と緋布とは目を丸くした。
「え?」
「コンサート、ある。楽しいから、みんな来るといい」
 ランダムのぶっきらぼうな口調と無表情と、セリフがあっていないが、真剣さは伝わってくる。
「『ドイツ語の母国語な人たち』?」
 案内に書いてあった出演者の名前に、唯識が戸惑うと。
「……そういう名前のデュオだから、仕方ない。ほかに名付けようがない。手を抜いたわけじゃない、ホントだ」
 うすうすランダムもアレな感じなことは理解していたのかもしれない。妙に言い訳がましいことを淡々と口にする。
「でも、何故コンサートなんですか?」
 緋布斗が尋ねる。
「一寿が、『この』カルマの夢を、優しく目覚めさせないといけないって思うから。ランダムは、そうする。……嫌な夢は、怖いから。ひとりぼっちの夢は、つらい」
 ぽつり、ぽつりと。ランダムはそう口にして。
「賑やかな夢がいい。だから、みんなを集める」
「……そうですか」
 おそらく、『ドイツ語が母国語な人たち』とは、彼らに違いない。ということは、コンサートもきっと、素晴らしいものになるはずだ。
「必ず、行きますね」
 無表情のままながら、その言葉に満足したように、こくんと深くランダムも頷いた。