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あの日あの時、あの場面で

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あの日あの時、あの場面で
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【託す欠片、記憶の欠片】



 イルミンスールで最も退屈な授業。
 閑古鳥講義。

 気がつけばそんな数々の異名を持つに到ったディミトリアス・ディオン(でぃみとりあす・でぃおん)が教鞭をとる古代魔術の講義も、エリュシオンとの交換留学の影響なのか、妙な盛況さを見せていた。
 とは言え、その名に違わぬ退屈振りと、催眠音波でも流しているのかと言う淡々とした声音の威力に、ものの数秒で殆どの受講者を撃沈させたところは相変わらずではあるが。
(実際、結構きついんだよな……)
 他校生ながら、既に何度か講義を受けさせてもらっているベルク・ウェルナート(べるく・うぇるなーと)にして、にじり寄る眠気と戦っているのだ。パートナーのフレンディス・ティラ(ふれんでぃす・てぃら)においては連戦連敗、今回も開始二分と経たない内にノックアウトである。そんな彼女が横で盛大に爆睡してくれていたおかげで、幾らかは耐性がついたものの、ディミトリアスの古代魔術、もとい古代語の授業に取り付く睡魔は、気を抜けばあちら側にあっという間に落としていってしまう。(ちなみにフレンディスは全面敗北の後に教室から撤退して室外護衛と言う名のお茶会中だ)
 気がつけば瞼にかかる重石をふり払うように、ベルクは首を振った。
(ここで寝てたら、あの変態に追いつけなくなっちまう)
 そんな心中の呟きと共に、ペンを走らせるベルクの脳裏に浮かんでいた「あの変態」とは某おにいちゃん、のことだ。
 ディミトリアスの生徒となったのは、書物以外で古代魔法を学べる絶好の機会であることや、文献にすら残っていない術式への知識的欲求によるものだが、その一方で、ディミトリアスの生徒としては先輩になるその某おにいちゃんへの対抗意識が全く無かったと言えば嘘になる。戦闘で魔法戦しか取り柄の無い特化術者としては、前線担当の彼に術で後れを取りたくないのだ……とは、誰にも言えない秘密だ。
 ――実際には。その彼がディミトリアスの魔術によってやっている事と言えば、サポート系ばかりであり、実際ディミトリアスの古代魔術は現代においては攻撃より補助系の方が真価を発揮するのだが。それは、また別の話である。
 ともあれ、睡魔の事さえなければ順調に進んで行く授業の中で、不意に過ぎる記憶に目を細めた。
(しかし、あれだけ爆酔してたフレイをお咎めナシとか……)
 昔は座学の間に居眠りをしようものなら、その瞬間に殴られていた気がする。そう考えたらディミトリアスは相当優しい師だよな、とベルクは心中で呟いた。
 尤も、その昔がいつであるのか、誰に殴られていたのか、誰に何を教わっていたのかは、さっぱり思い出せない。その手の記憶の欠落については、ディミトリアスにも話してあったが、その時ほんの少し何かを言いかけた後は、何も言わず、特に特別視するでもなく――新参の生徒よりは厚遇されているとは思うが――今に到っている。
 書き綴られる文字、静かな教室に、教師の声だけが響き、ペン先を走らせる音、紙をめくる微かな音と衣擦れ。学ぶという行為そのもの。
 それらがふっと滲ませる、記憶に無い懐かしさを抱きながら、ベルクはペンを走らせるのだった。




 一方その頃。
「この度はお呼び立てして申し訳御座いませぬ」
 イルミンスール内にある、とあるカフェの店内で、レティシア・トワイニング(れてぃしあ・とわいにんぐ)は深々と頭を下げるフレンディスに溜息を吐き出していた。
「フレンディスよ……何故に我がお主の暇潰しの相手をせねばならぬのだ?」
 一応は呼び出しに応じ、ジブリール・ティラ(じぶりーる・てぃら)を含めてテーブルを囲んでお茶に付き合っていたが、その顔はいかにも不機嫌で、フレンディスは申し訳無さそうに耳を垂れた。
「そういう相手はベルクの役目であろうが」
「えぇと、その……無論、私とて最初はマスターのお側に居たのです」
 溜息とともに漏らされる声に、更に身を縮ませながら、フレンディスは指先をちょんちょんと触れ合わせながら、直前までの自身の行動を思い出して視線をあさってに彷徨わせた。
「しかしながら……不覚にもいつの間にか眠らされ、マスターに起こされるという大失態を取ってしまい……
それでも敵の睡眠攻撃に耐えうる修行と思い、幾度と無く挑戦したものの……全敗でして……」
 あの声音といい、話し方といい、手強い敵でした、とディミトリアスが聞いたらちょっと黄昏そうなことを、ぐっと力説する。が、それも直ぐにしょんぼりと肩が落ちた。
「故に……現在はマスターに諭され、講義終了時までこうして室外から護衛しているのです」
 注意をされることはなかったし、退室を止められることもなかったのは、ディミトリアスの好意と言うより多分、あれは放任というもので、つまり、自分は敵前逃亡のようなものである。
「護衛、と言うがこれほど離れては護衛にもなるまいに」
「そ、それはそうなのでありますが……!」
 再び吐き出されたレティシアの溜息は更に重たく、呼び出された理由にベルクの存在があるのが余計にその不機嫌さを上昇させているようだった。反比例して、フレンディスの方はしょげていくばかりだ。
「大体ベルクなど斬り棄て放置すればよかろう」
「そ、そのようなわけには参りませぬ……!」
 慌ててフレンディスが手を振るが、その言葉の頭には「マスターを」がついているのは明らかで、二人のありようが慮られてレティシアは更に深々と呆れた溜息を吐き出した。
(全く……何時までも世話の焼ける愚弟め)
 内心でレティシアがそう呟いていたのと同時。
(……何故契約したんだろ?)
 そんな二人の様子を眺めながら、ジブリールはお茶を含みながら、内心では首を傾げていた。
 レティシアと顔を合わせるのはこれが初めてだが、フレンディスとは随分、隔たった性格をしているし、何より、ベルクに対しては先程から悪態ばかりだ。
 ただ――……
(何だろう、嫌っているからって感じじゃないんだよね)
 どちらかと言えば、遠慮がない、のだろうか。
 言葉のトーン、視線の動き、二人の間の空気と、悪態をつくときのレティシアの僅かに動く表情。ジブリールはそんな細かなものを見落とさない、鋭い子供だ。
 何か、あるのだろう。恐らくはベルクとの間に。けれどそれを語ってくれる事はないだろう事もまた、ジブリールは理解していた。
 人には、踏み込んではいけない場所がある。積み重ねられた時。歩んできた道。親しかろうとも弁えるべき部分が。子供ながらそれを知るジブリールはただ、問わず黙して会話に耳を澄ませるに留めた。が。
 その様子に気付いてか。レティシアが唐突にジブリールを見つめた。
(……!)
 その視線がぶつかった一瞬に、探るような瞬き一つ。レティシアは「ふむ」と呟いて状態をフレンディスからジブリールに向けて傾けると「其処の」と声をかけた。
「……ジブリール、と言ったか」
 名前を呼ばれて思わず僅かに姿勢を正したジブリールに、レティシアは目を細めながら続ける。
「主が子ならば、此奴らの面倒はお主に託そうぞ」
 その言葉に、ジブリールは思わず目を瞬かせた。その唐突な内容に、ではない。その言葉の中に含まれる意味が、その重さを察してのことだ。その反応に満足そうに、レティシアはほんの僅かに、ジブリールへ向けるその顔に笑みを乗せる。
「我としてはいい加減面倒でな……」
 呟くレティシアの、重たげなため息の中には、様々な想いが滲んでいた。
 未来永劫口に出来ない、身内の事情。内にそっと秘めるべき過去。ずっと見守る立場でいた彼女が、その立場を託す、と言った想いはどれほどのものだったのか。事情を知らないジブリールではあったが、彼女のその「託す」と言った言葉を噛みしめるようにして頷いたのだった。

 そんな、二人の間で通じ合っている風の空気に、フレンディスが二人を代わる代わる見比べて首を傾げていると「さて」とレティシアは腰を上げた。
「約束通り暇潰しには付き合ってやったので我は帰るぞ」
「え、も、もう帰られてしまうのですか!?」
 フレンディスは思わず声を上げた。何しろ、呼び出してから、頼んだケーキセットのお茶がまずテーブルにやって来てから数分程度しか経っていないのだ。時間潰しとしてはまだまだ序盤である。縋るような目でフレンディスはまだ居てほしいと言いたげに見上げたが、レティシアは
「お主と違い、我はそこまで暇ではないのでな」
 と、にべもない。
 そのまま颯爽と去って行ってしまう背中に、フレンディスが耳を下げていると「うーん」とジブリールもなんとも言えない表情を浮かべた。面倒がって、というより言うだけ言ったら満足した、と言う風にも見えたその背中が完全に遠ざかったのに、ジブリールもまたかたん、とイスを軽く鳴らして腰を上げた。
 託された以上は、行動で伴わなければ。そんな決意を早速実践に移すためだ。
「ねぇフレンディスさん、オレも少し見学して来ていいかな?」
 先生の講義退屈加減に興味あるし、と続けて、ジブリールは目を瞬かせるフレンディスににっこりと笑ってみせる。
「オレがベルクさんと一緒なら少しは安心できるでしょ? 大丈夫、もし何かあったらテレパシーで連絡するから」
 そう言って、じゃあ、とあっさり席を離れて、ベルクのいる教室へ向かって行ってしまったジブリールの背中を見送って、フレンディスはかくんと肩を落とした。ジブリールの決意を預かり知らぬフレンディスは、置いて行かれてしまった事実に途方に暮れたように、指先をテーブルの上でぐるぐるとさせる。
(これは全て私の修行不足が招いた結果故……致し方ありませぬ)
 そもそもが、自分がベルクの隣で熟睡してしまったのがこの一連の発端である。呆れられてしまっても仕方がないし、教室に入れない自分よりジブリールの方が今は護衛としては相応しい。頭を垂れてしょんもりとしょげているフレンディスは、ふるふるとそんな気持ちを首を振って振り払う。
「それなら……私は周辺を見まわりましょう」
 ここでへこんでいても仕方がない。ジブリールが自分の役目を選ぶなら、自分もやるべき事をやるまでだ。そう決意とともに顔を上げて、フレンディスは立ち上がり――すぐに再び腰を落とした。
 丁度、三人分のケーキが運ばれてきたのである。

「……このけぇきを全て食べ終えてからで」

  



 その数十分後。
 ピュグマリオンを名乗る襲撃者によって、そんな平穏が砕かれることになるのだが、それはまた別の話である――……