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そんな、一日。~九月某日~

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そんな、一日。~九月某日~
そんな、一日。~九月某日~ そんな、一日。~九月某日~

リアクション



9



 忍野 ポチの助(おしの・ぽちのすけ)の一日は忙しい。
 朝早く起き、朝食を摂り、片付けもそこそこに家を飛び出していく。
 向かう先は、犬でも出来るバイトを斡旋してくれる窓口だ。毎朝ポチの助はここへ来て、出来る仕事がないか聞いている。
 依頼の内容は、落ち着きのない犬の散歩を補助したり、病気で弱っている犬に主人の声を届けたり、そういった類のものである。そのほかにはたまに、フレンディス・ティラ(ふれんでぃす・てぃら)の任務の助太刀だ。
 昼頃になって仕事を終えると、感嘆な昼食を済ませてポチの助は空京大学へと向かう。
 大学の門を越え廊下を行き、目的地の研究室へと到着する。そこはポチの助が尊敬しているナージャ博士の城でもあった。
 博士に弟子入りしたポチの助は、毎日ここへ来て勉強に励んでいる。勉強は、知らなかったことでいっぱいだ。新しいことに理解を深めると同時に、独学だったため曲解していた知識や、きちんと仕組みを解していなかったところも知ることが出来た。
 日々博士への尊敬と感謝を忘れずに、ポチの助は勉強に励む。
 夜遅くまで机に向かい、気がつけば朝だったことも何度かある。大変だと思ったことだってもちろんあったが、こんな生活を続けてしばらく経った今、ずいぶんと慣れてきたのか心身ともに余裕が出来てきた。
 そこで、ポチの助は電話を手に取った。
「…………」
 手に取ったまま、難しい顔で考え込む。
 やがて、ポチの助はすっかり覚えてしまった電話番号へとかける。
『もしもし?』
 数コールの後電話に出た相手――ペトラ・レーン(ぺとら・れーん)の声を聞いた瞬間、ポチの助は我知らず微笑んでいた。


 しばらく連絡のなかったポチの助からの電話は、近況報告も兼ねて、会うことが出来ないか、というものだった。
 ポチの助からの連絡を待っていたペトラは、「もちろん」と頷く。
「大学に入ったんだよね。お祝いしなきゃね」
 うきうきと声を弾ませて言い、次いで「場所はどうしようか?」と尋ねた。二人して少し悩んだ後、以前雨の日にお邪魔させてもらったことのある、『Sweet Illusion』というケーキ屋で落ち合うことに決めた。
 ペトラは電話を切ると、アルクラント・ジェニアス(あるくらんと・じぇにあす)に「出かけてくるね!」と言って家を出た。
 もうすぐポチの助に会える。
 そう思うと、なんだかすごく、嬉しかった。
 ヴァイシャリーまでは近くもなかったが、今日はなぜかあっという間に着いてしまった。
「こんにちはー」
 と言いながら、『Sweet Illusion』のドアを潜る。あの時と同じように、フィルが柔らかな笑みで「いらっしゃいませ」と答えた。
「この間はお世話になりましたっ」
 ペトラが頭を下げると、フィルは笑ったようだった。
「気にしないでいいよー。それより今日はどうしたのー? 一人ー?」
「ううん、今日はポチさんと待ち合わせなんだ。もう来てる?」
 言いながら店内を見回すが、恋人連れや女の子同士がケーキを食べているだけで、ポチの助の姿は見当たらなかった。
「待つのも楽しいよね」
 とペトラはフィルに笑いかけると、ポチの助が来てから注文すると言って適当な席に座った。窓際に近い、明るい席だ。
 待ったのは、十分程度だろうか?
 店のドアについた鈴が澄んだ音を鳴らし、顔を上げたペトラは入り口に立つポチの助を見た。
「ポチさん!」
 声をかけると、きょろきょろとしていたポチの助がペトラの方を向く。目と目が合って、ペトラははにかんだ。席を立ってポチの助に近づき、ケーキと紅茶の注文をしてから再び席に戻る。
 互いにお茶を一口飲んでから、ふうと息をつく。
「さてと……ポチさん、まずは大学、おめでとう! 夢の第一歩だね!」
 満面の笑みでペトラが告げると、ポチの助はぎこちなく笑って「ありがとうございます、ペトラちゃん」と返した。ペトラは、ん? と思う。
 いつものポチの助なら、「当然なのです!」くらい言いそうなものなのに、今日はずいぶんと大人しい。
 慣れない大学生活は、ペトラの想像以上に疲れるのかもしれない。
「とりあえず、ケーキ食べようか?」
 甘いものは疲れに良いと聞いた覚えがあったので、提案してみる。ポチの助はこくりと頷き、フォークを取った。
 美味しいケーキに幸福感を覚えながら、こうして一緒の時間を過ごしている相手がポチの助なのだ、と思ってペトラは微笑む。
「? ペトラちゃん……?」
 それに気付いたポチの助が、不思議そうにペトラを見た。ペトラは軽く首を横に振り、「幸せだなって思って」と答えた。
「こうして、ポチさんと一緒にいられるのがすごく幸せ」
 ポチの助がレーン家にいたのは、たった半年ほどの間だった。いや、半年もなかったかもしれない。
 なのに、ペトラはポチの助とずっと一緒にいたように思えて、だから、この二ヶ月、連絡がないのは心配だったし、ちょっとだけ、寂しかった。
「ペトラちゃん……」
「ポチさんが僕の名前を呼んでくれるのも、なんだか幸せ」
 くすぐったくて笑うと、ポチの助もはにかむように笑った。
 それは見たことのある笑顔で、ペトラはまた、嬉しくなった。
「おかえり、ポチさん」
「別に帰ってきたわけではないのです」
「僕にとってはおかえりなの」


 正直なところ、ポチの助は緊張していた。
 自分からペトラに会う約束をしたのに、なんとなく、会いづらく思っていた。
 おかげで会ってすぐはいつものような言動も取れない有り様だったけれど、ペトラの言葉を聞いて、だんだんと緊張が解れてきた。
 変わらず待ってくれていた、大好きなあの子。
「ペトラちゃんに、いろいろお話しなきゃなのです」
 ポチの助はそう切り出して、これまでにあったことをペトラに伝えた。
 空京大学に合格するも、空京大学は契約者用に創設した学校なので地球人のパートナーと一緒でなければ入学できないということ。
 困り果てた結果、空京大学には尊敬しているナージャ博士が所属していることを思い出し押しかけ、弟子入りを志願したこと。
 無事許可され、今は機晶技術の勉強に励んでいること。
 博士と自分の知識があれば、ペトラの暴走原因を解明することも、治すことも出来るかもしれないということ。
 ペトラはポチの助の話を静かに聞いてから、「ポチさん」とポチの助の名前を呼んだ。
「あの時の言葉の意味、教えて欲しいな」
 あの時、というのは、ホタル祭りの際のことだろう。
 何年かけても必ず目的を果たし、専属技師としてレーン家へ帰ってくる誓いと、それから。
「僕の答えは決まってるよ」
 冗談交じりにした、結婚の約束。
 目的への道のりは、一歩一歩確実に進んでいっている。
 今、改めて言おうか。
 冗談じゃなく本気で、想いを伝えようか。
「……ペトラちゃん」
「はい」
「僕の今は……めまぐるしい毎日です。忙しいし、疲れることもあります。
 でも、こうして落ち着いてペトラちゃんと再会出来てから、不思議と疲れが取れていくのです。
 ペトラちゃんといると、……なんというか、満たされます。満たされて、幸せな気持ちになります。
 もっと一緒にいたいと思うし、何より……ペトラちゃんのことが大好きだという気持ちで、いっぱいになります」
 気持ちを言葉にするのは難しくて、喋りながらごちゃごちゃとしてしまったと反省しつつ、それでもポチの助は必死で想いを紡ぐ。
「…………」
 ペトラは何も言わなかった。そのことが不安で顔を上げると、ちらりと見えたフードの奥で、顔を赤くして微笑んでいることがわかった。
 と、次の瞬間、ペトラが椅子から立ち上がってテーブル越しにポチの助のことを抱き締めた。
「ペっ、ペトラちゃん!?」
 驚きと恥ずかしさと、ペトラが間近にいるどきどきで顔を真っ赤にしながら、ポチの助はペトラの名を呼んだ。するとペトラは更にポチの助のことをぎゅっと抱き、「嬉しい」と言った。小さく甘い声は、ゆっくりとポチの助の脳に染みた。
 ぱっと身体を離したペトラが、はにかんで言った。
「僕を、ポチさんだけの機晶姫にしてください」
「も、……もちろんなのです!」
「本当?」
「僕は嘘をつきません。絶対絶対の、約束です」
 握った拳を突き出すと、ペトラが笑って拳を合わせた。
「うん。約束だよ」


 紅茶のカップは、既に三杯目が空になっていた。
「僕、たまにさ、フードなしで戦ってると、暴走…っていうのかな? 自分のことが良くわからなくなっちゃうことがあるんだ」
「ペトラちゃん……暴走している時のこと、覚えていたのですか?」
「うーんとね、正確には覚えてるわけじゃないんだけど……でも、わかるよ。自分のことだから」
 気を遣って言わないでくれていたみんなには申し訳ないけれど、ペトラはずっと前から知っていた。
「この間も……そう、なりそうな時があったんだけどさ」
 ペトラは手を伸ばし、ポチの助の首についたベルに触れた。
 ちりん、と綺麗な音が響く。
「この音を聞いた時、暴走しないで済んだんだ。いつもどこか知らないところへ行っちゃうような感じなんだけど、こっちに戻ってこれた」
 鈴に触れながら、ペトラは「だからね」と言葉を繋ぐ。
「だから、いつか。一緒だったら、そうなることもなくせるよ」
「いつか、まで待たなくてもいいのです。僕が必ず、ペトラちゃんを治しますから」
「……うん。そうだね。絶対、治るね」
 幸せな気持ちで笑っていると、「申し訳ないんだけどー」と柔らかく間延びした声が聞こえてきた。フィルだった。
「もう店、閉店なんだよねー」
 フィルは申し訳無さそうに言いながら、店内を見回す。ペトラとポチの助もそれに倣って見回すと、あれほどたくさんいた客はいつの間にかいなくなっていた。窓の外も、もうとっぷりと日が暮れて暗い。
「ありゃ……」
「遅くなってしまいましたね……」
 店を出てから時計を見ると、既に結構な時間になっていた。今から家に帰ろうにも、途中で交通手段がなくなってしまう。
「このままじゃお家まで帰れないね……」
「どうしましょうか……」
「んー、しょうがないもん。どっかにお泊りしよう?」
「お泊り?」
「うん。駅の傍にホテルがあったよ、どこか一室くらい空いてるんじゃないかな」
「い、一室ですか?」
「え、一部屋でいいでしょ? だって僕、まだまだポチさんと話したいもん」
 戸惑うポチの助に言って、ペトラは歩き出す。
 そう、まだまだ話し足りないのだ。
 まだまだもっと、二人きりの時間を過ごしたい。
「今日は本当に幸せだな」
 ポチの助に聞こえないように呟くと、ペトラは笑って空を見上げた。
 満月が輝いていた。


 無事、空き部屋を見つけた二人が部屋に入ると、
「あれ。ベッド、一つしかないや」
 よくわからないまま部屋を取ったため、シングルになってしまったらしい。ペトラが「まあいっか」と言うと同時に、ポチの助が「いえ! 僕は紳士にここでいいのです!」とソファを指さすのでペトラは思わず頬を膨らませた。
「だーめ。ベッドから遠いもん、近くにいられないよ」
「じゅ、十分近いのです」
「やだ。ちょっと寒いし、ポチさん、一緒に寝てよ」
 甘えたくてそう言うと、ポチの助は顔を真っ赤にした後、犬形態になってしまった。
「むー。こういう時ばっかり犬モードになっちゃって」
「黙秘なのです」
「ま、こういうのは別に焦らなくてもいいよね」
「……こういうのって、なんですか?」
「黙秘なのです」
「ペトラちゃんっ」
「あはは」
 他愛のないことで笑い合い、二人はベッドに入る。つるつるしたシーツは家の布団よりも冷たかったけれど、ポチの助が隣にいるからずっと暖かかった。
「それじゃ、お休みなさい」
「お休みなさいなのです」
 向い合って囁き合う。
 こうして、おやすみを言えるのはすごく幸せなことなんだと、今になってペトラは思った。
 その、幸せな気持ちに突き動かされるようにして。
「……大好きだよ、ポチの助」
 そっと告げると、ポチの助の身体がより暖かくなった気がした。


 朝になり、カーテンの隙間から差す光が目をついた。
「ん〜……」
 起き上がると、既に隣にポチの助の姿はない。「?」と疑問符を浮かべながらペトラが部屋をきょろきょろと見回すと、洗面所から人が出てきた。人の姿に戻ったポチの助が、顔を洗っていたらしい。
 ポチの助はベッドの上に身を起こしたペトラに気付くと、小さく笑って言った。
「おはようございます、ペトラちゃん」
「おはよー」
 朝起きて一番に、好きな人を見ることが出来て、好きな人から声をかけてもらえる。
 そのことがくすぐったくて、昨日のおやすみに次いで幸せだなあ、と思った。
「ねえねえ、ポチさん」
「はい?」
 ペトラはポチの助を手招きすると、近付いてきたポチの助にぎゅっと抱き付いた。
「ペ、ペトラちゃん? 寝惚けてるのですかっ」
「うん、まだ寝惚けてる。ねえねえポチさん、こういう時どうするか知ってる?」
「こういう時?」
「物語とかではね、眠り姫を王子様が口付けで起こすんだって」
「……ペトラちゃんって結構、ロマンチストですよね」
「うん」
 ペトラが悪戯っぽく笑うと、ポチの助が唇のすぐ傍にキスを落とした。
「……今はまだ、ここまでなのです」
 照れたように言うポチの助と、頬に感じた暖かさに頬が緩むのを感じながら、ペトラは再びポチの助をぎゅっと抱き締めた。


担当マスターより

▼担当マスター

灰島懐音

▼マスターコメント

蒼フロも、もう終わりに向かっていますね。
アクションや、みなさまからの私信で、それをひしひしと痛感して、なんだか寂しくなった今日この頃です。
けれどまあ、寂しくなるのはわたしの勝手。
リアクションはきちんと楽しいものに仕上がったと思います。
それを、みなさまにも楽しんでいただけましたら幸いです。