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●フレンディス・ティラ、クランジΜ

 問題ねぇよ、とベルク・ウェルナート(べるく・うぇるなーと)は言った。
「フレイが面会を希望した時点で、言いたいことは想像ができてる。俺はフレイがやりてぇことを尊重するだけだからな」
 だから最大限協力する、と断じた。
 それ以上はなにも言わないし付け加えない。
 フレイにとっては、そんなベルクがいてくれることがどれだけ支えになっていることか。
 しかしフレンディス・ティラ(ふれんでぃす・てぃら)はそのことを口にしなかった。大切なのは百の言葉よりひとつの行動だ。行動して、彼への信頼の意を表現しよう。
 そう決意しているからか、フレイの口元は、固く真一文字に閉じられていた。
 ふたりは先日面接申請を出し、許可を得た。
 クランジΜ(ミュー)との。
 面会は今日、これから実現する。

 警備の兵員が電子キーを解除し、フレイとベルクは入室した。
 教導団の拘置室は聞いていた以上に清潔で、簡素ではあるが快適な環境のようだった。
 太陽光が入るように設計されており、適度な室温も保たれている。
 だが殺風景ではあった。壁も天井も白いのだが、白すぎて圧迫感を覚えるほどだ。
 ミューの罪状は軽いと判断されている。結局彼女はラムダとともに戦うことを選ばず、みずから投稿したのだから。リュシュトマ少佐の誘拐を実行したことは事実だが、噂によればなんと、そのリュシュトマ自身から減刑の嘆願が出ているという。
 強張った頬を何度か手でほぐすようにして、フレイは二重ドアの奥へ進む。
「ようこそいらっしゃいました」
 立ち上がったミューは、目の部分に大きな器具を取り付けられていた。能力を制御するためのものだろう。妙にゴツゴツと大がかりな装置なのが、細面の彼女には不釣り合いに見えた。
 水色の長い髪はそのままだ。白い着物も着用を許されているようだが、素足にスリッパ履きなのがなんだか物悲しい。
「えぇと……あの……このたびは突然押しかけてしまい申し訳御座いませぬ」
 極度に緊張し、喉がヒリヒリするほどの乾きを覚えながらフレイは言う。
 ミューの顔は、じっとこちらに向けられている。
 彼女は強烈すぎる視力を有しており、たとえ目隠しをしていても『見える』のだという。あの無骨な機械越しでも、フレイの表情が見えているに違いない。
「私、和菓子をお持ち致しましたがお好きでしょうか? お口に合えばいいですが……」
 フレイは掠れ声で言う。ぎこちなく手提げの荷を解いた。この持参品についてはもちろん、教導団の許可を得ている。
 数歩下がったところでベルクは足を止めたまま、値踏みするようにミューを見た。
 ――あれがクランジΜか……フレイについて知っていたようだが。
 目は隠れているものの、美少女であろう。といっても、美少女というよりは『麗人』という呼称のほうが似つかわしくみえる。年齢はフレイと同じかやや上くらいといったところだろうか。
 ミューは落ち着き払った様子だ。
 それに比べると、ずいぶんとフレイは固くなっている。
 ここは少し、加勢が必要かもしれない。
 大袈裟に空咳して、ベルクは二人の注意を惹いた。
「俺は一応自己紹介をしておいたほうがいいか?」
「は、マスター申し訳御座いませぬ! Μさんのお元気な姿を拝見出来て嬉しくてその……」 
 フレイの両耳がぴょこっと立つ。かあっと紅潮もしているが、いくらかこれで張りつめていた糸が緩んだようにも見えた。
 ――やれやれ……ま、ガチガチなのよりかはいいだろう。
 ベルクは後頭部を手でなでつけるような仕草をして言った。
「あー、俺はベルク・ウェルナート。ミュー、あんたにはうちのフレイが世話になったようだな。あんたはフレイのことを知っていた。とすると俺のことも、ある程度知っていると思う」
「存じ上げております」
 ミューは丁寧にお辞儀をして、フレイには、
「これはわざわざ、結構なものをありがとうございます。お気遣いいただき恐縮ですわ」
 もちろん和菓子は好物でしてよ、とフレイとベルクに席を勧め、自分も丸椅子に腰を下ろした。
 監視の兵に依頼するとポットに入った冷茶が出た。膝を突き合わせるようにして食べる。
 いくらか歓談の後、フレイは本題に入った。
「あのですね。私……Μさんの早期釈放に精一杯手を尽くしたいと思います」
 ベルクもこれを継いで、
「俺たち葦原の生徒が教導に物申す権限はねぇが、事件は無事……とは言いがたいが解決はした。他クランジたちの現状を考えると情状酌量の余地はあるだろうから、多分なんとかなるだろ。早めの釈放を働きかけてみるぜ」
 えっ、とミューは息を呑んだ。まさかそんな話が出るとは思ってもみなかったのだろう。
「わたくしは敵対した相手……それにもかかわらず勿体ないお言葉……お気持ちだけで充分ですわ」
「いや、本気だ。ここにいるフレイはな、社交辞令やお愛想でこういうことを言う人間じゃねぇ。いつだってマジだ。それは保証するぜ。あんたも覚えているだろう? あの決戦の場で、フレイが見せた誠意を」
「しかし」
 と言いかけたミューを遮ったのはフレイだった。
「ただ釈放させるというのは難しいかと思われます。……それで、その……もしご迷惑でなければのお話なのですが、ここを出た後、私たちと一緒にいきませぬか? つまり、私たちがΜさんの身元引受人となるということです。葦原なら和装も違和感御座いませぬし、ご近所さんも優しい方が多くきっと馴染めるかと」
 話しているうち勢いがついてきたのだろう。フレイの言葉は熱を帯び早口になっていった。
「もしお身体に懸念点が御座いましたら、心当たり……ああこれは私のパートナーの話ですけれども……がおりますのでご安心下さい! きっと対策を考えていただけるやと……! それから、それから……!」
 どんどん語る。もう熱意が思考のはるか先を行っているような印象さえある。
 ――なんていうか、スゲー楽天的だよなあ。
 聞きながら思わず、ベルクは苦笑いしてしまうのである。
 本当に楽天的だ。脳天気というくらいに。
 フレイがミューと会うのはまだこれが二回目である。ほとんど互いの性格、考えや信条など知らない。戦闘データではなく人間的な部分の相互理解は、まだゼロといっていい状態だ。それでこれほど大胆な提案をする。しかも、受け入れられると信じている風がある……これまさにフレイしかできない芸当ともいえようか。
 悪く言えば天然なのだろうが、このあたりはある種フレイの才能だとベルクは思う。
 育ちのせいだろうか、フレイには戦闘が絡むと妙に鋭い部分がある。吸血鬼のベルクですら戦慄するほどに。
 ――ところがその一方で、どうして普段はこんなにも鈍感ボケボケ脳天気なんだろう……。
 まあこのあたり、もうベルクは完全に諦めている。積極的に自分の意志を示すようになっただけでもいいのだ。
 それに、いわばそれがフレイの魅力といえるのではないか。そんなフレイだからこそ、彼は彼女に惹かれているのかもしれない。
 一通り思いの丈を口にすると、フレイはこう言って締めくくった。
「無論勝手なお誘いゆえご無理は言えませぬ。Μさんを束縛する過去は拭えずとも自由の身ですし、お返事はいつまでもお待ちしておりますので……ゆっくり考えて下さいまし」
 Μは困惑するだろう……気味悪がるだけならまだしも、ひょっとしたら怒るかも――とベルクは一瞬考えた。
 だがその反面、フレイの熱意が伝染したのか、なんだか前向きな返事が聞けるような気もした。
 しばし間を置いてミューは語った。
「わたくし、慎重な性格ですの。でもそれは臆病さの裏返しでもありました」
 口元だけしか見えぬゆえその表情は測りかねる。だが当惑や、ましてや怒りのこもった声ではなかった。
「そんなわたくしが、勇気を振り絞って言います。フレイ様、わたくしはあなた様とベルク様に従いとうございます……!」
 ミューはその場に崩れ落ちるようにしてフレイの手を取ったのである。
「この恐ろしい能力を持ったわたくしに、このように優しい言葉をかけてくださったかたはいませんでしたわ……! 信じざるを得ないゆえ信じているのではありません。わたくしは己の責任で、あなたたちを信頼すると決めただけです。どうかおふたりの道連れに加えてくださいまし……!」
 フレイは、笑顔でこれを受け入れた。

 それからほどなくして、クランジΜは釈放されることになる。
 そのときにはもう、ミューというコードネームは返上していた。
 名については、フレイの提案で『霞(かすみ)』とした。
 苗字は自身の発案で、『結城(ゆうき)』としたとのことである。
 そして結城霞は、フレンディス・ディラと契約を果たした。