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終わりなき蒼空、涯てることなきフロンティア

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終わりなき蒼空、涯てることなきフロンティア
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リアクション


●カガチの元旦

 元旦。
 和室のこたつに入ると、老眼鏡をかけて葉書の束を手に取る。
 年賀状という風習は、いよいよ21世紀も末になろうかというこの時代でも廃れてはいない。もっと便利なものはいくらでもあるというのに、あくまで主体は昔ながらの紙の葉書である。
 葉書には重みがある。手触りもある。印刷されたインクや絵の具の匂いもする。この風習はきっと、もっと未来になってもなくならないだろう。
「減ったな」
 東條 カガチ(とうじょう・かがち)が最初に呟いたのはその言葉だった。
 和室にいるのは彼一人だ。だから誰に向かっての言葉でもない。強いて言えば、己への確認のための発言だろうか。
 悲しいことだが、元旦のたび、来る年賀状が減っているのは事実だった。
 同居してる娘が「おじいちゃんの分ね」と渡してくれる葉書の束は、毎年目に見えて少なくなっている。
 といっても、数枚や数十枚ではない。積めばこんもりと山になるほどある。この年齢の老人宛と考えれば、驚くほどの量ではあるまいか。
 そのほとんどが、カガチがひらいた剣術道場の弟子や孫弟子からのもので、そこに隠居前からの知り合い、たくさんの孫たちからの葉書も混じっている。名前を見るたびにそれぞれの顔が思い浮かぶ。
「ここの家族はみんな元気だな。へっ、あのチビもでかくなったもんだ。今年成人だとよ。面倒だが、祝いのひとつも送ってやるとするか……」
 伝法な口をききながらも、カガチの口調はどこか楽しげである。
 明日は弟子や孫たちがたくさんこの家を訪れる予定だ。葉書はさっさと確認しておくべきだろう。
 何枚もめくる。
 絵だけの年賀状、写真入りの年賀状、傾ければ立体ビジョンの出てくる年賀状。さまざまだ。どんな年賀状であれ悪い気はしない。
 しかし、年賀状の山を最後まで見て、カガチはぽつりとつぶやいていた。
「でも一番見たい年賀状はもうこねえ」
 彼が思い返すのは、ずっとずっと若い頃、それこそ、七十数年も前のこと。
 暇あればカガチは、気の合う仲間たちと集まって、それぞれのパートナーも引き連れて入り乱れて、呑んで食べて大いに騒いだものだ。
「そういや正月から酔っ払って脱衣花札して、俺ふんどし一枚になったりもしたなあ……あれは寒かった」

「え!? 脱ぐの!? 脱衣花札……だと……」
 カガチは俄然真剣になった。なんでえこの寒い日に脱がねばならんの勝つぞ絶対勝つぞ、と己に誓った。
「さてどう攻めるかな……とはいえ俺はこー作戦とか難しい事考えるのはあほうだからできねえ……」
 カガチは心を決めた。こうなったら作戦は一つ、その名はいきあたりばったり、だ。


 歳こそ取ったもののカガチは、頭のほうはまったく衰えていない。
 思い出はそれこそ、記憶の倉庫に大切に保管されている。
「あんときの言い出しっぺは、かわいいままばーさんになってのんびり死んだ」
 くっくと笑ってしまう。彼女のことを思い出すたび、いつも笑ってしまう。彼女にまつわる思い出は楽しいものばかりだ。
「執事のあいつはジジイになっても執事でびしっとしてかっこよくてなあ、棺の中でまでなんかびしっとしてたな」
 目を閉じるだけで、彼の立ち姿が思い浮かぶ。若いときも老いてからも、ひたすら忠実で、ひたすら格好いい執事だった。
「俺に裸踊りさせたあの野郎は俺の片目持って逝っちまいやがったし」
 ははは、とまた顔がほころんだ。今考えてみると、彼こそはある意味、カガチにとって最大のライバルだったと言えるかもしれない。彼の死がもたらしたパートナーロストにより、カガチの片眼は失われてしまったのである。
 開いた回想の扉は、やがて悲しみを招き入れていた。
「パートナーロストといえば俺の嫁だよ」
 それまでしゃんとしていたカガチの背が、少し曲がった。
 彼は両手をこたつに入れて、しばし無言で、ほのかな熱を味わった。
「あいつめ」
 湿っぽくならないよう、悪態をつくようにしてつぶやく。 
「俺からパートナースキルとか体力とか持って逝っちゃって、それで俺は現役引退せざるを得なくて」
 蒼空学園を卒業して何年も経ってからのことだが、なりゆきでカガチはある剣術道場を譲られることになり、以後は独自の一流を立てて師範と呼ばれるようになった。現在ではカガチの流派は、パラミタの大都市のほとんどに拠点をもつまでに成長している。
 その後妻なぎこの死がもたらした衰えで、カガチは隠居を選ぶことになったのである。
 ――もしかしたら嫁なりの『貴方もゆっくりしてね』って気遣いだったのかもしれねえけどな。
 ふとこのとき、そんなことを思った。
 会いたい、妻に。
 若き日に笑いあった仲間たちに。
 会って、また正月祝いのバカ騒ぎをしたい。いつまでも。
「ああ、いかんいかん、なんか死亡フラグみたいな気がしてきたな」
 カガチは首を振って立ち上がった。これじゃまるで臨終シーンだ。まだまだ康、目は老眼になったが歯は全部自前、杖は持っているものの実はこれファッションで、杖なんかなくたって歩ける彼なのだ。
「おい、散歩に出てくるぞ」
 カガチは奥の間にいる娘に、怒鳴るように言った。
 それから小半時して、カガチは大いに戸惑うことになる。

「マジかよ!?」
 出がけに娘が、「ついでに引いてきて」とカガチに手渡したのは福引き券だった。
 正月早々運試し――そんな気持ちで軽く引いた福引きが、なんと特賞に当選してしまったのである。
 カガチは大いに戸惑った。
「特賞は時間旅行だって!」
 紅白の封筒に入ったチケットを手に自宅に戻り、また和室のコタツにもぐりこんでもう一度それの内容を確かめる。
「初夢のたぐいじゃねえな。あきらかに本物だ」
 腕組して考える。考えごとをするとき、ついつい口に出てしまうのはここ数年の彼の癖である。
「どうしろって言うんだ、これを……」
 このときふと、カガチはひらめいた。
「ああそうか、これで過去に戻ればまた嫁に会えるしあいつらと遊べる。厳竜斎と名乗るあのジジイが『過去』に『来た』理由が今わかった」
 ぎらっと自前の歯が光った。メビウスの輪が閉じた気分だ。
「そうだよな、このまま終わりってんじゃやっぱつまんねえもんな。俺も……」
 腰を浮かせかけた老カガチだが、途中で止めて、すとんと座り直した。
「……やっぱいいや、これは孫にでもやるかねぇ。自由研究の足しにでもしたらいい」
 カガチは懐手してうなずいた。
 つい、笑ってしまう。
 そしてつい、呼びかけてしまう。今はとうにいない、過去からきた『カガチ』に。
「ジジイすまねえなあ、ジジイのせいで俺ぁ十分すぎるくらい濃い人生送っちまった。楽しかったが波乱もいっぱいだ、二度もやりたかねえや。ゆっくり、嫁やあいつらの元に逝く日を待つさねぇ」
 熱い茶をすすって、しみじみと言うのである。
「楽しい人生をありがとうな、『俺』」
 と。