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それを弱さと名付けた(第3回/全3回)

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それを弱さと名付けた(第3回/全3回)

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chapter.1 落下のはじまり 


 その日の朝は、ひどく不安定な天気だった。
 次々と急転していくこれからの事態を暗示するかのような空の姿は、昼を迎える前に雨へと変わっていた。
 空京大学。
 大学の学内にある大講堂「御神楽講堂」は、人気モデルタガザ・ネヴェスタによる講演会のための準備を既に終え、昼過ぎからの開演を待つばかりとなっている。数百人は軽く収容出来るほどの大講堂には、彼女を一目見ようと、雨天にも関わらず早くから人が入り始めていた。ネットを中心とした彼女の活動は露出度の高さこそさほどなかったものの、その美貌や美声は人を惹き付けるにあたって充分だったのだろう。むしろ、その限定的とも言える活動範囲が彼女について想像を働かせ、好奇心を掻き立てた原因かもしれない。集まり始めた生徒たちは、講堂がある棟とは別の棟にある一室で待機し、まだ姿を見せていない彼女について、あれこれと噂を立てていた。
「あのタガザさんが近くで見れるなんて、楽しみ」
「ちょっと謎めいているところが、また魅力だよね」
「今日の講演会、質問会とかライブもあるって話だよ」
 そうして講堂内の座席は、タガザに関する話題と共に埋まっていった。



 窓に当たる雨の音をさして気にした様子もなく、アクリト・シーカー(あくりと・しーかー)は学長室の椅子に静かに座っていた。その瞳はどこか遠いところを眺めているようにも見えるし、窓を滑り落ちる水滴を追っているだけにも見える。顎に当てた手は口元を部分的に隠し、ただでさえ変化の少ない彼の表情から読み取れる情報量を、より少なくさせていた。
「学長、失礼します」
 雨の音に混じって、凛とした女性の声が聞こえた。
「入りたまえ」
 アクリトの返事を聞き、扉を開けて部屋に入ってきたのは大学の生徒、宇都宮 祥子(うつのみや・さちこ)だった。祥子は一礼した後そのままアクリトの正面まで進むと、その口を開いた。
「今日は講演会がありますけれど、学長は講演会をご覧になるんですか?」
「ああ、私も後ろの方で見させてもらうつもりだ。あちら側からぜひ学長も、という言づてを貰っているので無下にも出来ないのでな」
「そう、ですか」
 祥子が部屋にかけられている時計にちらりと目をやる。講演会が行われるのは昼過ぎで、まだ幾ばくかの時間が残っているとはいえ短針は既に11の付近を指しておりそれほどのゆとりもない。学長と話すなら今のうちに。そう判断した祥子は、アクリトに疑問を投げかける。彼女には、どうしても気になっていたことがあったのだ。
「学長、何点か質問をしても?」
「別に構わない」
 アクリトがそう答えると、祥子は彼の顔を真っすぐ見据えて最初の問いかけをする。その視線は、嘘を感知するレーダーの如くアクリトの細かい表情の動きを追っていた。
「学長のパートナーの、パルメーラ・アガスティア(ぱるめーら・あがすてぃあ)についてお聞きしたいことが。彼女は、この世に存在するすべての個人情報を知り、予言出来ると伺っていましたが……本当なのでしょうか?」
 その視線や口ぶりからは、祥子がアクリトに何か疑いを持っていると取れなくもない。が、もちろん彼女の心中はそこまで疑心暗鬼にはなっていない。学長には嘘をつく気も、理由もないと思っていた。思っていたものの、自分は判官なのだという意識が自然と彼女をそう振る舞わせていたのだ。
「どうしたというのかね、突然」
 アクリトからすれば急にパートナーの能力について聞かれ、意図が掴めなかったのだろう。祥子は補足する。
「アガスティアの葉は、ひとりに対してすら14種あると一般的には言われています。もしかしたら、パルメーラは学長の葉であっても、万人にとっての葉ではない……つまり、葉を本体とする彼女が本当に知っていることがそれほど多いのかが気になってしまって」
「現状では万人の予言は不可能だ。従ってそれを証明しろと言われれば、立証出来ないという他ないな」
 アクリトのその言葉を聞くと、祥子は矢継ぎ早に次の質問へと移った。
「では、万人の予言は不可能だとして、彼女と契約した時に学長は未来を予言されたのですか?」
「……先程から今ひとつ、質問の意図が把握出来ないが」
「いえ、もしそうだとしたら、その中にシャンバラに関わることがあったのでは、と思いまして」
「シャンバラに?」
 聞き返すアクリトに、祥子は告げる。
「確かに学長は、寸分の狂いもない数式の世界に住む学者です。しかし、いくら数学者といっても、必要以上に不確定要素を否定しているように思えてなりません」
 祥子は、アクリトと多くの生徒との間で行われた会話をこれまで聞いてきた。また自身も今まで何度かアクリトと言葉を交わしていた。そんな彼女が感じた、率直な意見だった。祥子はアクリトのその言動の根拠を推し量る。
「仮に……パルメーラが学長、もしくはシャンバラに関わる未来を予知したのなら、それ以外の未来を否定してしまうお気持ちも分かります」
「それは勘繰り過ぎというものだ」
「……そうですか。だとしたら、拒絶する理由として、そういった要素を廃して思うままの未来を拓いてきたから、というものはないですか?」
 そう言うと祥子は、一歩前へと進み出ようとする。それを、アクリトが軽く手で制した。
「思うまま未来を拓けているかどうかは別として、わざわざ不安定なものを好んで選ぶ方が、少数派だとは思わないかね?」
「けど……」
 祥子がそれに言葉を返そうとしたその時、ドアの向こうから大きなノックの音が聞こえ彼女の声は遮られた。その祥子の横を通り抜け、アクリトが自らドアを開けに行く。と、そこに立っていたのはラルク・クローディス(らるく・くろーでぃす)姫神 司(ひめがみ・つかさ)だった。
「先日の会談時に護衛を買ってでた生徒たちか。どうかしたのか?」
「学長、折り入って話があるんだ」
 開口一番告げたラルクの真剣な表情を見て、アクリトは立ち話では済まないことを察し彼らを部屋へと招き入れる。と、祥子が彼らと入れ替わりに外へと歩き始めた。
「そういえば、私に何か言いかけていたような気がしたが」
 その背中に、アクリトの声がかかった。祥子は振り向くと、先程アクリトに言いそびれた言葉をゆっくりと口にした。
「学長はさっき言葉を濁されましたが、やはり学長には、未来を思うように出来るほどの才知があるのだと思います」
「褒め言葉として受け取っておこう」
「ですが」
 祥子が、少しだけ語気を強めた。
「パラミタには世界中からあらゆる人間が集まって切磋琢磨し、時には衝突もします。その中で、全員が自分の思うように未来を拓けるわけではありません。だから……上に立つ学長には、不確定な未来からより良い未来を選んでほしいんです」
「それは、私への注意かね?」
「いえ、蒼空学園同様、学長にも今までになかった一歩を歩んでほしいという希望です。学長のその才は強さでもありますけど、弱さでもあると思いますから」
「弱さ、か」
「はい。学長にとっての弱さは、『未来が見えすぎること』だと思います」
 アクリトの顔の変化をずっと追っていた祥子は、その瞬間、アクリトにほんの僅かな、気のせいかと思うほど僅かな変化を見た。彼のまとう雰囲気に、心なしか悲しさのようなものが混じったように思えたのだ。
「では、私はこれで失礼します」
 祥子は思う。もしかしたら彼は既に、他人に言われるまでもなく自分自身でどこかそれを感じていたのかもしれない、と。同時に、それなら自分がこれ以上のことを言うのは、お節介だということも。だから彼女は、言葉をそこまでで留めて部屋を去ったのだろう。

「……さて、私に話があるのだったな」
 ドアが閉まった後、アクリトは椅子に座り、ラルクたちの方を向いて言った。アクリトと祥子のやり取りがまったく気にならなかったと言えば嘘になるが、とりあえず先客の用事は終わったのだ。祥子が出て行った部屋で、ラルクはアクリトに言った。
「これは、俺の推測だがちょっと聞いてほしい。今回、蒼学で起きてる様々な事件や噂……それを統合して考えてみたんだ」
 そのまま彼は、自身の予想をアクリトへと語り出した。
「もしかしたら、学長はどこかから恨まれてる、ってことはないか? さっき話にも出てたけど、学長には才能がある。それに嫉妬するヤツだっていないとは言いきれねぇ。一連の事件の犯人は、学長になりたくてもなれなかったヤツなんじゃないか、って俺は思うぜ」
「突拍子もない推測だな。それなら大学で事件を起こしそうなものだが」
「それなんだが、この大学は、中立って言っても蒼学……カンナの支援によって出来た大学ってところは否めない。もしそういったことが関係して、学長を選ぶ際に何かしらのゴタゴタがあったのなら、学長やここを支援した蒼学が恨まれてもおかしくない気がしてな」
 そこまでを一気に言うと、ラルクは「まあ、あくまで噂を聞いた俺の妄想だけどな」と軽くおどけてから、再び顔の筋肉を引き締めた。
「だが、これからあるタガザの講演会……それが、何か嫌な予感がするんだ」
 もちろんタガザが彼の言う「犯人」である証拠もなければ、根拠もない。しかし、ラルクはその胸に確かにざわつきを感じていた。
「だから頼む、学長、あんたを護衛させてくれ」
 ラルクのその言葉に乗るように、隣に座っていた司もアクリトに願い出る。
「同じく、もうしばらくの間引き続き護衛をさせて頂いても良いであろうか? 仕事の邪魔はせぬゆえ」
 ふたりに見つめられたアクリトは、数日前に会談があった日にも彼らが護衛をするためこうして頭を下げにきたことを思い起こしていた。
「少し前にも、同じような光景を見たな」
 アクリトとしては、別段咎めたつもりはなく、むしろからかいに近いニュアンスだった。が、司はその言葉に思いの外反応を示した。
「タ、タガザという美人のモデルに限ったことではないが、学長は何かと人と接する機会が多いだろうからな。これが危険を防ぐ一番の策だろうと思ったのでな。び、美人モデルと学長が会われることが危険と言っている訳ではないが念のため、そう、念のためだ」
 いつもの落ち着いた口調はややどもり気味で、無意識に左右へと動かした腕は、手首部分の白いカフスをひらりとはためかせた。彼女が着ている大きな丸襟のついた紺色のワンピースも相まって、その様はどこか乙女が恥じらっているように見えなくもない。
「うん……? うむ、済まない、否定をしたわけではない。護衛は許可する」
「うっし! ありがとな学長。俺の格闘術のすべてを使ってでも守るぜ」
 静かに礼をする司の横で、ラルクが拳を握って歯を覗かせていた。
「ところで学長、護衛以外で少し気になっていることがあるのだが……」
 呼吸を整え、すっかりいつもの口調に戻った司がアクリトに尋ねる。
「何かね」
「気になっている、というよりは疑問なのだが、センピースタウンに書き込まれた抗争の噂がどうも、な」
 司が口にしたそれは、先日「アクリトと山葉の抗争がもうすぐ始まる」と書かれたネット内の書き込みについてだった。両者の会談が行われる前にそれが噂されたこともあり、事実会談中も何名かの生徒が警戒していた。が、少なくとも会談中に抗争が始まることはなかった。ただ、この書き込みを誰がしたのか。結局それは分からないままであった。
「アレは、何者かが半分愉快犯として行ったことではないかと思えるのだ」
 自身の考えを告げる司。とその時、勢い良くバン、とドアが開いた。同時に、部屋へと体を入り込ませたのは湯島 茜(ゆしま・あかね)だった。
「学長! 大変ですっ!」
 突然現れた茜とその言葉に、アクリトだけでなく司やラルクもあっけにとられ、少しの間言葉を失う。数秒の沈黙の後、反応したのはアクリトだった。
「どうしたのかね、落ち着いて話しなさい」
「蒼空学園が、ううん、山葉 涼司(やまは・りょうじ)がピンチなんです!」