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The Sacrifice of Roses  第二回 タシガンの秘密

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The Sacrifice of Roses  第二回 タシガンの秘密

リアクション

2.


『自分の力はこんなもんじゃないって? 本当はただ、なにもできないくせに……』
『本心では認められたいんだ。でも努力はしたくない。傷つくのは嫌だ。なにもせずに、ただ愛されたいだけなんだろ……?』
 幻覚が囁く。それは、自分の顔をしていた。
「うるさい」
 アーヴィン・ヘイルブロナー(あーう゛ぃん・へいるぶろなー)は、きっぱりとそう答える。
 直接脳にイメージが流れ込むせいだろう。目を閉じても、嘲り笑う醜い自分の姿が見えた。おそらく耳を塞いだとて、その言葉は聞こえただろう。
 アーヴィンは、おそらく幻覚は、ヒキコモリ時代の自分についてだろうとは予想していた。過去のこととしていたつもりだが、やはり傷は心に残っていたのだろう。
『現実から逃げてるんだ。存在価値なんて無い。どこにも居場所なんてないんだ』
「違う」
 微かに胸は軋む。だがそれをはねのけ、アーヴィンは再度幻覚に抗じた。
 マーカス・スタイネム(まーかす・すたいねむ)という存在が、今のアーヴィンにはいる。
「俺様はもう迷わない、今だってこの命は既に俺様一人のものではない」
 今も洞窟の入り口で、アーヴィンの無事を案じているマーカスの存在は、近く感じられる。彼自身が、アーヴィンの胸の護りとなった。
 そして、なによりも。
「第一、ここで負けたら、……校長を守るためと皆川先輩が残っているというその状況の結果を知ることができないではないか! 皆川先輩といえば、イエニチェリでも屈指の子犬系、さらに眼鏡属性持ち! だが、校長を愛するラドゥさんが果たしてどうでるのか! 俺としては、校長の命令で絡む受二人というのも捨てがたいわけだ!」
『……………』
 あまりにもアレな妄想を繰り広げられ、さすがに幻覚すら押し黙る。
『だ、だが、それは所詮架空の……実際におまえはなにも……』
 なんとか立ち直ったかのように、再び呪詛にも似た言葉を囁く幻覚へと、さらにアーヴィンは言い放った。
「架空の世界の何が悪い! 俺様の心は、ゲーム内のことであろうと、たしかに喜びも悲しみも絶望も我がこととして感じたのだ。その『感情』は、たしかな現実だ! そしてカップリングとは、無限の空想、無限の可能性。つまり……この宇宙そのものだ! 俺は宇宙を愛し、宇宙とともに生きる。今更なんの躊躇いがあろうか!! ……退け!」
 彼の一喝に、視界を取り囲んでいた闇が薄くなる。どうやら、幻覚を打ち破ることに成功したようだ。
「精神面で俺様を負かそうなどとは、百年早いな。俺様の強靱な妄想力に勝てると思ったか」
 胸をはり、アーヴィンは不敵な笑みを浮かべた。……言っている内容は若干情けないが。
 しかし問題は、幻覚に捕らわれている間に、いつのまにか連れだっていた瑞江 響(みずえ・ひびき)
アイザック・スコット(あいざっく・すこっと)と離れてしまっていたことだ。
「いかんな、早く探さなくては」
 危険な目にあっていてはならない、という反面。
(あの二人のカップリングもなかなかだからな……幻覚を前にどうするのか、そんな美味しい場面を見逃すわけにいくものか!)
 ……ある意味、つくづく無敵の男である。



(昔の俺、か……)
 響の前に現れた幻覚は、幼い自分の姿だった。
 暗闇の中、ぽつんと。一人立ちつくす幼い少年が見える。
 笑いさざめく声。媚びもあらわな言葉。そんな、彼の家柄や財産目当てに近づくオトナたち全てに背を向け、ひたすらに心を閉じこめている。頑なな、孤独な、姿だ。
(暗い眸だ)
 響はそう感じる。
 あのときは、わかっていなかった。自分が果たして、どう人の目に映るのか。ただ、閉じこもるばかりでいた。
「…………」
 響は手を伸ばし、少年の頭を撫でる。その手を、少年は振り払った。幻だというのに、痛みはじんわりと肌に熱かった。
『触るな』
 誰のことも信じない。そんな頑なな瞳を向ける幼い自分に、響は微笑みかけた。
「……寂しいんだろう。本当は。俺は知ってる。信じられないから、誰にも信じて貰えず。心を開けないから、誰とも心を通じさせることが出来ないんだ」
 そうだ。今ならばわかる。
『お前じゃなきゃ駄目なんだ』。
 そう繰り返してくれた、吸血鬼がいた。初めて他人を信じさせてくれた存在が、いた。
「……アイザック」
 その名が、鍵だった。強く風が吹き、闇が振り払われる。
 消えていく幼い少年の姿に、響は背を向けた。
 孤独だった子供は、もうどこにもいないのだから。

 洞窟内で意識を取り戻した響は、すぐさまアイザックの姿を探す。傍らに倒れ、悪夢にうなされていた彼を見つけると、響はその身体を抱き起こし、頬を張った。
「しっかりしろ!」
「…………」
 痛みと響の声に、アイザックの意識がようやく覚醒する。
「ひびき……」
 弱々しく呟き、アイザックは戸惑いの眼差しを響に向けた。
「……本物?」
「そうだ。……俺の幻を見たのか?」
 頷いたアイザックは、目を伏せ、響の腕を掴む。抱きしめたいのを堪え、震える両手は、いまだ幻覚の恐怖をぬぐい去ってはいない様子だった。
「お前に捨てられたら俺様は……。俺様は…お前が居ないともう、駄目なんだ……」
 おそらく幻覚の響は、アイザックの存在を拒否し、別れを切り出したのだろう。激しく動揺するアイザックに、響は「馬鹿だな」と囁いた。そして、思い切って、自分からアイザックを抱きしめる。照れくささはあったが、なによりも伝えたいことがあった。
「響?」
「…俺はアイザックが居るから…今の俺で居られる。だから、俺はお前と離れる事はない。……傍に、居てくれ」
「……ああ。絶対だ」
 アイザックの口元に、笑みが戻る。長い両腕が、ようやくためらいなく伸ばされ、響を強く抱きしめた。
 その腕の力に、ほっとする。身体に、勇気が戻ってくる。
 『お前がいないとダメだ』なんて、依存に過ぎないのではないかという恐れもあった。だが、そうなってみれば、わかるのだ。これはそんなものではない。共に前を向くための懐刀。強く、熱い力だ。
「……行くぞ。ヘイルブロナーが心配だ」
 ややあって、響が立ち上がる。その手の甲に、不意に、そっとアイザックが口づけた。
「アイザック?」
「改めて、誓いのキスってやつだぜ。ちゃんとしたのは、帰ってからになるけどな」
「…………」
 ウインクをしたアイザックに、響は微かに頬を赤らめた。

(愛憎や切ない系もいいが、ブラブもいいものだな、うん)
 そう、アーヴィンが密かに物陰から満足げに見守っていたことは、秘密である。