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リアクション
「気をつけてくださいね、コハクくん。きっとまだなかに何人か残っているでしょうか」
ベアトリーチェ・アイブリンガー(べあとりーちぇ・あいぶりんがー)が注意を促す。
「うん、きっとね」
そしてきっと外の様子をうかがっている。あのブリザードはバーゲストの嗅覚を乱し、知覚能力を完全に狂わせるだろうし、ボウガンを持つやつらだってティーの子守歌に逆らうことができてもこちらを射ることはできないだろうが、なかのやつらは別だ。何の策もなく出て行けば格好の的だろう。
ただ、鉄心たちが受けていないということは、おそらく2階からの狙撃はないとみなしていいはずだ。
コハクはバーストダッシュを発動させ、一気に開けた地を横切って戸口へとたどり着くと勢いそのままに突き破り、なかへ転がり込んだ。
「なっ!?」
突然の乱入に目をむいて驚く男たちに向かい、間髪入れずシーリングランスをたたき込む。
「ほかには…」
身を起こし、ざっと見渡したときだった。
廊下の奥で、のそりと何かが動く気配を捉える。身構え、ぱっとそちらを向いても何もそれらしき人物は視界に入らない。その視線をずずずと下に下げて行くと。
つるんとして黒光りする丸くて平べったい生き物が、体の側面から生えた6本の足で床をカサカサ這っていた。
「!!」
一瞬巨大なGかとひるんでしまったが、違う。頭部らしき場所からは湾曲した対の角のようなものが生え、角には内向きに牙のようなトゲがいくつも飛び出している。クワガタだ。小型犬並に巨大な。
コハクが息を飲んで見守る前で、それは黒光りする背中を左右に開いて持ち上げた。下にしまい込んであった茶色の薄羽がブーンブーンと振動し、ふわりと真上に浮かび上がる。左右の角を青白い光が走り、先端の中央で1つになった。
「――はっ」
いやな予感に突き動かされ、コハクは左の部屋に飛び込んだ。直後、かかとをかすめるように稲妻が彼のいた場所を裂き走っていく。
「雷を使うのか、あのクワガタ!」
直撃を受け、真っ黒く焦げた壁を見て、厄介だと思う。しかし上への階段が廊下の先に見えた。この廊下を通る以外ない。
(何か、気をそらすものでも――)
ないか。手近を見回したときだった。
「コハク! 無事!?」
雷撃の光と音を聞いたのだろう、美羽が入口から息せき切って飛び込んできた。その結果、廊下の端と端でドンネルケーファーと真正面から向き合うことになってしまった。
高く持ち上げられた角を雷電の光が駆け上がる。
「美羽さん!」
すぐ後ろに続いていたベアトリーチェ・アイブリンガー(べあとりーちぇ・あいぶりんがー)が美羽の上着を引っ張って雷撃の進路からはずさせるのと同時に、ひざ立ちをした体勢で廊下に身を乗り出したコハクがアンダスローで日輪の槍を投擲した。槍はまっすぐ飛び、ドンネルケーファーを貫き天井へ串刺しにする。
だが倒したと思ったのもつかの間、コハクが槍を抜いていると、廊下の奥からブーンとまたあの羽音が聞こえてきた。だんだん音は大きくなって、近づいてきているのが分かる。3人が目を向けたとき、角を曲がって十数匹のドンネルケーファーが次々と姿を現した。
すでにすべての角が青白い光をまとっており、バチバチと火がはぜるような音をたてている。一斉に放たれた雷撃は空中で絡み合い、1本の巨大な雷撃の柱と化して彼らの視界を覆った。
「うわああっ!」
思わず悲鳴が口をついた。
それを聞いて、反射的そちらへ駆けつけようとしたルカルカの肩を、ダリル・ガイザック(だりる・がいざっく)が冷静に引き止めた。
「待て、ルカ。よく見ろ」
雷撃の塊は彼らを覆い尽くさんばかりの勢いで廊下を走った。しかし直撃する寸前、美羽が我が身の盾とするように伸ばした手の数十センチ先で不可視の壁に当たったかのごとく跳ね返され、あるいは左右の壁や天井、床に散っている。まるでそこから先には進めない、結界でも張られているように。
「対電フィールドだ。彼らは問題ない」
ふうと詰めていた息を吐くルカルカにダリルが説明をする。
「そうね。よかった」
ぶつかりあう雷撃と対電フィールドの間で起きる白光にまぎれるように、彼らは隣室へと身を隠した。
「エレノア、こっち」
布袋 佳奈子(ほてい・かなこ)の次、しんがりを務めていたエレノア・グランクルス(えれのあ・ぐらんくるす)がドアをくぐったところで、それを視界の隅で確認していた美羽は対電フィールドをサッと解いた。
「もうこれ以上もたない! 2人とも、逃げるよ!」
もちろん大うそである。
クワガタのドンネルケーファーが人間の言葉を解するかは不明だが、その後ろに隠れていて姿を見せないでいるビーストマスターたちには聞こえていただろう。きびすを返した彼らを追うドンネルケーファーたちの羽音がし、そのあとビーストマスターたちが前を通過する足音がした。
「……行った、かな?」
「ちょっと待って。見てみるから」
エレノアがドアの隙間を少し開けて、ドアの破壊された玄関の方を覗く。
外では美羽が再び対電フィールドを用いてドンネルケーファーの雷電攻撃をことごとく無効化していた。しかし空間が限定される室内と違って、開けた外ではすべてを防ぎ切るのは不可能だ。角の向き、角度から雷撃が来る場所を予測し、対電フィールドを張って防いでいるが、読み間違えばそこから一気に瓦解することもあり得る。劣勢においやられていることを自覚していてか、美羽の額はいつしか演技ではない、本物の汗が流れていた。
「美羽さん」
「待ってて、美羽。もう少し」
コハクはあせりにかられながらも玄関をにらむ。
もう外に出てくる気配はない。念のため、2階の張り出し窓を見たが、こちらを狙っているような人影はなさそうだった。
ビーストマスターは6人だ。
日輪の槍をかまえ、コハクは飛び出した。バーストダッシュでドンネルケーファーたちの間をくぐり抜け、ビーストマスターたちに肉薄する。
「きさま!」
あわて気味に取り出したナイフを槍ではじき飛ばし、くるりと槍を回転させ、石突きで相手のみぞおちを突く。一瞬動きの止まったコハクめがけ横手から突き込まれた刃先を紙一重でかわしたコハクは、今目の前を通り過ぎた腕を掴み、引き戻させないようにして肩からぶつかっていった。
ぐらりとバランスを崩したところでさらに引く力を強め、相手を引きずり倒す。
「はあっ!」
地に打ちつけるがごとく振り下ろされた槍の石突きが、仰向けになった男のやはりみぞおちを正確に突いた。くの字に身を折った男はちぎれるような息をこぼし、苦悶の表情を浮かべる間もなく先の男同様意識を失う。ひと息つく間もなく、2人が同時にコハクに挑みかかった。
他方では、使役するビーストマスターからの命令が途絶えたためか、一部のドンネルケーファーが雷撃をやめた。その場でホバリングはしているが、とまどっているように安定を失っている。
それを見て、ベアトリーチェの眼鏡がキラリと光を反射した。
つぶやくような声で裁きの光の詠唱を終えたベアトリーチェは、天に突き上げるかのように手のひらを振り上げる。それとともにまるで彼女の招請に応じたような天使たちの幻影が現れたと思うや、ドンネルケーファーたちに向かって光が降りそそいだ。
光は矢と化し、ドンネルケーファーの固い表皮も薄羽も突き破り、地をえぐる。またたく間にドンネルケーファーの大半が打ち落とされた。
「大丈夫みたいね」
一部のビーストマスターは自分のドンネルケーファーを呼び戻し、コハクに対抗していたが、どう見ても彼らを相手にビーストマスター側に勝ち目は薄い。
佳奈子やルカルカたちは廊下の先の階段へ向かい、人がいないのを確認した上でさらに用心しながら階上へ向かった。
「じゃあ予定どおり、手分けして捜しましょう」
「うん。まだ残っている人もいるはずだから、気をつけようね」
佳奈子とエレノアが右手へ向かったのを見て、ルカルカたちは反対側へ行く。
「ルカ」
とダリルが呼び止めた。
「気づいているだろうが、敵についたコントラクターがまだ姿を見せていない」
「アタシュルクの本拠地へ行って、ここにはいないという可能性も……まあ、それはないわね」
命をねらっていた相手をさらい、殺さずに置いているというのは大体においてなんらかの謀計があるものだ。
まあこの場合、単純に考えれば対話の儀式の妨害を阻むための分断策、
「加えて、あれから半日以上経過した。やつらがハリールに何もしていないというのは考えにくい」
「彼女に拷問でも加えてるって?
奥歯にものがはさまったような言い方しないで、はっきり言ったどう? 何を懸念してるの」
焦れて振り返ったルカルカに、ダリルはずばり言った。
「敵はハリールに催眠術や幻等で洗脳に近い状態にして操る可能性がある。助けに来た俺たちを欺き、ハリールに”何か”をさせるためにな」
「”何か”って何?」
質問に、ダリルは答えなかった。これ以上憶測を口にしたくないということなのだろう。憶測は憶測しか呼ばないのが常だ。
しかし現状、ダリルの言うとおりだったとして、それをどうしろというのか。もしも救助者に切りかかれと暗示をかけられているとして、それを解く方法があるのかといえば疑問だし、本人に問い詰めたところで「あたし、あなたたちを殺す暗示にかかってるの」としゃべるとは思えない。
「それじゃあどうしようもないじゃない」
ルカルカは肩をすくめて、この話は終わりだと示すと再び歩き出した。
ただ、注意を促してきたのはほかならぬダリルだから、気に留めておこうと思う。そして、ハリールを見つけても彼女を信じて背中を向けない方が無難かもしれない、と思った。
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