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【両国の絆】第一話「誘拐」

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【両国の絆】第一話「誘拐」

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【誘拐】


 イルミンスールでの事件発生から数分後。
 その数分の間に激しい応酬の行われている中、十六凪は未だ交渉の最中だった。

「これだけの手際の良さ。恐らく、帝国側でも事件を起こしているのでしょう?」

 その言葉に、先を促すように首を傾けるピュグマリオンは、この場では指揮官のような位置のはずだが、それにしては戦場を特に真剣に見やっている様子は無く、興味深げに十六凪の言葉に耳を傾けている。それだけ四人の実力を信頼しているのだろうか。あるいは、何かほかに奥の手を持っているのかもしれない、とそんな事を思いながら、世間話のように十六凪は続ける。
「例えば、セルウス君やヴァジラ君を追い込んで、シャンバラの契約者が政治に介入せざるをえないような……」
 探るようなその言葉に、ピュグマリオンは目を細めると、面白がるように「それで?」と口を開く。
「あなたが私に協力するとして、あなたに、何のメリットがあります? 二つの国の敵になってまで得るものは何です」
 声は笑っているが試すような空気に、十六凪はにっこりと笑った。
「二国を敵になど小さいことです。僕の征服すべき相手は、世界ですからね」
 そう言うと、ピュグマリオンは一瞬目を瞬かせると、最初は細かく、次第に大きく肩を揺らして「あははは」と笑い声を上げた。「
それはそれは!お見それしました。そうですか、それで協力なのですね……ふ、ふふ、いいでしょう」
 可笑しくてたまらないという様子でピュグマリオンは小さな身体を揺すりながら「ただし」と付け加えて十六凪をじっと見つめた。
「私の目的はあくまで両国に不和を蒔くこと、両者が相争い傷つけあうことそのもの。他には何も興味ありません。あなたが利用する分には構いませんが、協力する気もありません。それでも構いませんか?」
「ええ、此方としましては、その混乱こそ必要なので……ただ」
 頷いて応じていた十六凪が、不意に声を潜めた。
「教導団の氏無大尉……彼がいる限り、容易くはいかないと思いますが。ああ!ですがあなたなら、既に手は打っていますか」
 いくらか挑発的に言いながら、その表情が僅かに動いたのに、わざとらしく両手を上げて見せると、ピュグマリオンは薄い笑みに奇妙に目を輝かせると「勿論」と応じて少年の見た目に似合わない声音が続ける。
「既に事態は動いています。最早あの人だとて、止められはしない……この神経衰弱は、どちらが先に札をめくったかという時点で決まる。そういう勝負なのでね」
 その言い方に引っかかりを感じなくは無かったが、互いに別に足並みを揃える必要はないのだ。


 そんな中、ジブリールと共に戦闘からは一歩下がった、と言うよりピュグマリオンの傍でぽつねんと取り残された形になっていたのはベルクだ。戦闘が始まってすぐ、ローブの四人は飛び離れてしまったが、十六凪の特戦隊が壁になるように行く手を阻んでしまっている上、何よりどう出るか判らないピュグマリオンの傍では、迂闊に仕掛けるのもまずいと身動きが取れなくなってしまったのだ。戦っている契約者達とはある意味逆の視点で状況を見ながら、やれやれ、と溜息をついていた。
 退屈な授業を相手に真面目に立ち向かっていたところこれである。幸いにも、教室内にはディミトリアスの結界が張られているし、四人は随分な手練れのようだが、居合わせた契約者達もまた相応に戦い慣れた者ばかりだ。排除するだけなら問題ないだろう、とその点については心配していなかったベルクだが、耳に滑り込んできた十六凪たちの会話を聞くに、一抹の不安が過ぎっていた。
 ピュグマリオンは「シャンバラが帝国の生徒を脅かした事実があればいい」と言ったが、その肝心の帝国の生徒、が見当たらないのだ。今教室にいるのは、その振る舞いからして歌菜たち契約者と、ディミトリアス、そしてナナシだが、ナナシは生徒というわけではないようだ。と言うことは……
(俺達が迂闊に手を出す行為自体さえ、連中の思惑通り……ってことにならねぇか?)
 ディミトリアスは、ピュグマリオンのことを仮の姿だと言っていた。そこまで慎重をきした相手が、迂闊に目的を話すとは思えない。もしかすると、この状況そのものが、彼にとって狙いなのではないだろうか。

 と、そうしてそれぞれが戦いや、思考の中に意識を凝らして事態へ臨んでいる中、まったく別の方法でアプローチをしていたのがシーサイド ムーン(しーさいど・むーん)だ。
 今日も今日とて最早リカインに融合する勢いでカツライフ中なムーンは、ピュグマリオンに向けて直接テレパシーを飛ばしていたのだ。勿論、送られた方はまさかヅラよろしくリカインの頭に載っているとは気付こうはずもなく、始終笑みを崩さないピュグマリオンの表情が僅かに訝しげに変化し、何か不気味なものを探そうとするかのように視線を彷徨わせた。それもそのはずで、ムーンが送っていたのは「今日の天気」やら、出かける直前にリカインが読んでいた雑誌の端にあった占いのこと、昨日食べたもの、ととりとめもなくどうでもいいことばかりだったからだ。ムーンの方には、本当にただの異文化コミュニケーションという壮大な目的があってことだが、普通に考えれば、この状況でそんな言葉を一方的にかけられるのは、精神攻撃をけているのではないか、と疑うのも当然だ。ピュグマリオンがそのテレパシーの発生源を探すために、僅かに意識を逸らした、その時。
 その隙をつくように、飛び出したのはタマだ。攻撃のつもりで近づいたからではなかったからか、姿が猫であったからかは判らないが、一瞬反応が遅れたピュグマリオンにタマは飛び掛った。瞬間。サイコメトリで情報に触れようとした意識が、暗闇に押しつぶされてぐにゃりと歪むような錯覚に、反射的に恐怖が勝り。に飛び離れようとしたのと、ピュグマリオンの手が鬱陶しげに払われるのとが同時だった。ダメージこそないが、弾き飛ばされるようにしてタマが近くの机にぶつかった瞬間。まるでそれを合図にするように、硬直しかけていた前線が動いた。

 まず先手を取ったのは、細身の女だ。スピードにあかせて燕馬の懐へ飛び込むと、銃による攻撃をまず潰そうとしたのか、ひゅっと閃いた切っ先はその腕を狙って振り下ろされた。
「……ッ!」
 ざぐ、と嫌な音がして、皮膚に赤く切り目が入った、が。今の燕馬の体は、痛覚が極端に鈍くなっているのだ。自分の皮膚へ食い込んで、その動きが鈍った間に、その体へ向けて枷かけの銃の引き金を引いた。
「な……っ」
 なぶらが燕馬にグレーターヒールをかけてその傷を癒している間に、撃ち込まれた弾丸が、女の動きを鈍らせる。そして、その隙で十分だった。
「食らえ! 我輩の正義の一撃――ッ!」
 スピード勝負は今や完全に瑠璃が勝っているのだ。女が剣を振るより早くその腕は間合いに飛び込み、刀を持つ右肩を完全に粉砕したのだった。 

 そして、タイミングを同じくして――
 度重なる咆哮によって、小柄の男もついにその動きを乱しつつあった。死角に入り込んで隙をつこうにも北都の声が契約者達を指示し、望の銃口が移動の起点、攻撃のタイミングでそれらを牽制して乱させ、接近を許さない。そして、その援護を仕様とする細身の男の腕は、ルースの狙撃が確実に抉ってその精度を相当に落とさせていたのだ。二人の連携が、あと少しで崩れる、と察したノートは、今が好機とばかり、剣を構えなおすや否や、トンっと手近な机を足場代わりに、小柄な男へと飛び込んだ。
「行きますわよ……!」
 その侵攻を阻むワイヤーは、ルースの弾幕がそれをさせず、望の弾丸が既に動きの悪くなっていた腕へさらに止めを刺す中、ノートの煌剣レーヴァテインが、一閃、男の体を吹き飛ばしていた。
「…………」
 咄嗟に大柄の男がその体を受け止めたが、今や立場は契約者達が優勢となっている。四人はピュグマリオンに指示を求めるように振り向いた。その視線の意味を理解して、ピュグマリオンは頷いて仕方が無い、と言わんばかりに肩を竦めながら、しかしその口元をむしろ愉しげに笑みを浮かべる。

「流石に、やりますね。これは少々……殺す気で行かせてもらったほうがよさそうだ」

 途端、四人の雰囲気が殺気を纏い、空気がビリビリと重さと密度を増した。契約者達がそうであったように、彼らもまた極力殺さないようにしていたのだ。応じる契約者達からも、警戒によって刺すような気配が放たれ始めた、その時だ。
「ここまでにしておかないか」
 そう言って、両者の前へ出たのは呼雪だ。
(このままでは、決定的な犠牲が出る。そうなれば――真相を知るより先に事態が動いてしまう)
 呼雪もまた、ベルクやリカインと同じく、疑問を抱いていた一人だ。あっさりと口にされた言葉がどうしても真意とは取れず、その名前からずっと引っかかりを感じていたのだ。それを明らかにするには、傍に行くのがベストだろう。乗るなら今しかない、と呼雪はタマを庇うように後ろへと下がらせながら、一歩前へと踏み出した。
「俺はここで犠牲を出したくはないし、病み上がりでな……あまりこういった状況が長引くのは困る」
 その顔に、ヘルが(病み上がってもないくせに)と言いたげな顔をしていたが、幸い、呼雪に隠れてその表情は相手からは見えなかったようだ。とりあえず話は聞こうとしている様子で、ピュグマリオンが無言で先を促すのに「その手勢では、全員連れ帰れるとも思っていないだろう?」と呼雪は続ける。
「だから、足りない人数を俺が補おう」
「僕も付いてくからね? お世話する人が必要だから」
 置いてけぼりにされてはたまらないとばかり、ヘルもずいと前へ出たのに少し笑いながら、呼雪は目を細め、伺うようにピュグマリオンを見やった。
「代わりに必要以上に連れ去ったり傷付けたりしないでくれると有り難いんだが…」
 その言葉を面白がるように、ピュグマリオンはその口元に薄い笑いを浮かべる。が。
「傷つけるのは本意ではありませんし、人数が増えるのは歓迎です。が――まだ、役者が足りない気がいたしますね……?」
 瞬間。
 意は得たりとばかり飛び出したのはデメテール・テスモポリス(でめてーる・てすもぽりす)だ。するりと机を滑りぬけ、千里走りの術で一気にナナシまでの距離を詰めた。
「……!」
 瞬間、バチンッと光を弾けせたのは、クローディスの周りにロアの張っていたルーン空間結界だ。それが第一刀を防いだのだが、二撃目――クローディス、ロアの視線がその攻撃の方へと一瞬視線を奪われる間に、疾風迅雷の速さで、それがナナシへと迫る。痺れ粉の塗られた刀が、幼い少女の腕をめがけて伸びたが、そこへ割り込んだのは、ナナシのリボンへかけられていた禁猟区の反応を受けたクナイの腕だ。龍鱗化したその腕と、刀がぶつかり合って、高く硬い音が響いた、次の瞬間。クローディスの影へと潜んでいたフレンディスが飛び出していた。
 ガギンッと音を立て、二人の忍びが刀を一瞬合わせたが、忍者の仕事は「目的を果たすこと」であり、戦いはそのための手段だ。デメテールの横あいから、日本刀使いの女性が滑り込んでその切っ先が翻ろうとした、その一瞬より早く、そう思考を切り替えたフレンディスは、ナナシを抱えあげて教室を飛び出した。
 次の瞬間、舌打ちした女性はそのままその刀を横に振り切って、もう一人の少女、タマーラを狙う。エバーグリーンでの阻止も間に合わないその速度に、割り込んだのはクローディスだ。
「ぐ……ッ」
 もともと殺すつもりはなかったからだろう、峰打ちではあったがそれでも、生身では一般人程度の力しかないクローディスの一瞬動きを奪うには十分で、女の腕はその体を抱えて退がろうとした、その時だ。
「クローディスさん……!!」
 半分は演技も兼ねて歌菜とジェニファが飛び込み、望が禁忌の札を取り出した。
「どうなっても知りませんよコレ……!」
 若干自棄気味な望の台詞と同時、発動した札の無数の魔法の飛礫が、一斉にローブの女へ、そして更に飛び越えてピュグマリオンへ向けて弾けた、が。同時のその飛礫は、発動出せた本人へも襲い掛かったのだ。
(〜〜ッ、ね、狙ってとはいえ、キツ……!)
 一見、授業中の内職で作った札が暴発したかのように見えるが、それは望のフェイクだ。吹き飛ばされた体は、そのままピュグマリオンの傍までうまい具合に転がった、その時だ。
「……ふむ、時間をかけ過ぎましたか……ここが限界のようですね」
 ピュグマリオンは一人呟くと、ひたりとその足を倒れる望の方へと近付けさせた。
「待……」 
 危害を加えるのではないかと、呼雪とグラキエスが思わず踏み出し、その背をヘルが追った、次の瞬間。ヴォン、と空気が振動するのと同時、少年の周囲がぐにゃりと歪み始めた。
「転移魔法か!」
 ディミトリアスが声を上げ、僅かに眉を寄せた。
 果たして、ピュグマリオンはにこりと笑って見せると、手にした石をパキンと砕いた。次の瞬間、指すような光が、少年とその周囲を包み込み、段々と強くなる光が室内を覆い尽くしていく。やがて目も開けられない程ひ光が満ちると、パチンッと何かの弾けるような音が響いた。
「それではご機嫌よう、ディミトリアス先生」
 最後にそんな声を残して、ピュグマリオンとローブの四人は、来たときと同じようなあっけなさで、傍にいた契約者を巻き込む形で、光と共に忽然と消え去ったのだった。



「申し訳ありません、見失いました」

 光が完全に収まり、一瞬しんと静まり返った教室へ、危険の去ったことを察してナナシを連れて戻ってきたフレンディスに、ディミトリアスは「いや」と首を振った。
「その少女が攫われずに済んだのが何よりだ。ありがとう」
 そう言って教室を振り返り、ディミトリアスは続ける。
「君達も。とりあえず、目的は達せられた……感謝する」
 その言葉に、安堵とも疲労ともつかない複雑な溜息が方々で漏れる中、誰よりも複雑な顔で俯いていたディミトリアスに「ひとつ、聞くんですが」躊躇いがちになぶらが尋ねた。
「もしかして、わざと結界に穴を空けてたんです?」
 その言葉に、ディミトリアスは微妙な顔で頷いた。教室に防御結界を張れるぐらいなら、転送魔法のような繊細な魔法を阻めない筈がないのだ。物理的撤退をさせて無関係な者を巻き込むわけには行かないというのも理由のひとつだろうが、うっかり善意で彼らを倒されて手掛かりを失う危険を避けた、というのが正しいのだろう。ディミトリアスの表情はそれが原因か、と納得したものの、なぶらはどうしても言わずにおれずにとうとう「でも」と口を開いた。
「さっきの台詞、かなり棒読みというかわざとらしかったですよ」
 その言葉にぐさりと何かが刺さったような音がしたのは錯覚だろうか。本人も出来のいい演技だとは思ってはいなかったようで、深々と溜息を吐き出す。
「まぁでも、あちらも薄々分かってたみたいだから、演技力は気にしないでいいんじゃないか」
 羽純のなんとも言えないフォローを生暖かく受けながら、ディミトリアスは息を付く。
「……ともかく、幸い今の転移魔法の構築式は判った。次は阻害なり逆探知なり出来るだろう」
 ほう、とエルデネストが興味深そうに目を細めた。
「では貴方が捕まった場合はそれで?」
「そのつもりだったが……まぁ、彼女の方が俺より余程上手く立ち回るだろう……」
 大根役者と言われたのがまだ地味に響いているのか、ディミトリアス溜息をついた。クローディスと違い、ディミトリアスは氏無側の事情は良く知らない。あれほどの混乱の中で瞬きひとつしなかったナナシの異様さに過ぎる一抹の不安を頭を振って打ち消し、ディミトリアスは改めて教室の一同に頭を下げた。
「危険な目にあわせて、申し訳なかった」
 殆ど予定通りのことであり、相手に察知される危険から、事前に何も知らせていなかったのだ。大きな怪我人が出ていないことだけが幸いだが、ただし「今は」である。ディミトリアスの吐き出すため息は深い。心底申し訳ないと感じているのがその深く苦い声から伝わって、契約者達から咎める声はなく、切り替えるようにディミトリアスは首を小さく振た。
「この先は、クローディスと、氏無だったか? あの男が受け持つだろう。後は……この惨状をどうするかだな」
 最後は殆ど独り言のように、途方にくれたような声を漏らしたディミトリアスに、リカインはそっと目を逸らし、残された面々はぽん、とその肩を慰めるように叩いた。
「片付けは手伝うよ」
 北都たちが申し出るのをありがたく受け取りながら、ディミトリアスはそれ以上に自分に降りかかってくるだろう現実を思って、深くため息を吐き出したのだった。