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第五章 ドラゴン

 一時の静寂が大広間を支配したその直後、大仰な扉が重々しい音を響かせ開く。
 真っ赤な翼を持つ、ほぼ成体のドラゴンに近いドラゴニュートが、鼻先で扉を押し開け二足で立っていた。ドラゴニュートのたまはのしのしと大広間へ歩み入り、ヴラドの傍へと寄って行く。
「待っていましたよ、たま。……さあ、戦いを望まれる方は舞台へ!」
 何かを吹っ切るように殊更に声を張り上げ、ヴラドはたまを舞台の中央へと導いた。しかしそこで、ヴラドにとっては予想外の事態が生じる。
「な……何をしているのですか!」
 驚愕に声を上げるヴラドの視線の先で、鄭 紅龍(てい・こうりゅう)はたまを庇うように立ちながら、強くヴラドを睨み返した。その瞳には、深い憤りが宿っている。
「何をしているのか……だと? それはこちらの台詞だ!」
 怒りを露に荒げられる紅龍の声に、びくりとヴラドが肩を竦める。間髪をいれず、紅龍は更に糾弾を続けた。
「おまえを慕うそのドラゴンをパフォーマンスに使うとは……その行為こそ、美しさとは程遠いものと知れ!」
 その気迫に怯みながらも不満げ目を細めに見返すヴラドへ、宥めるように一匹のぬいぐるみが声を掛けた。
「ヴラド、怒らないでほしいアル。あれが鄭の生き方なのアル。……曲げられない信念、ヴラドは持っているアルか?」
「たま! いきなさい!」
 楊 熊猫(やん・しぇんまお)の言葉に音を立てて歯を噛み締めたヴラドが、静かに佇むたまへと指示を出した。高らかに咆哮を上げたたまは、しかし自分を庇うように立つ生徒達を戸惑ったように見下ろす。
「下がっていろ、たま。……たまと戦うのなら、まず私たちに勝利してからにしてもらおう!」
 たまの正面に立ち塞がったイレブン・オーヴィル(いれぶん・おーう゛ぃる)が宣言し、カッティ・スタードロップ(かってぃ・すたーどろっぷ)国頭 武尊(くにがみ・たける)シーリル・ハーマン(しーりる・はーまん)リアトリス・ウィリアムズ(りあとりす・うぃりあむず)パルマローザ・ローレンス(ぱるまろーざ・ろーれんす)が横一列に並ぶ。幾度も設けられた空白の時間を利用し、協力体制は既に整えられていた。そこに紅龍と熊猫を加え、たまを守ると意気込む面々は一斉に身構えた。
「な……っ」
 想定外の事態に理解が追い付かず、戸惑うたまの視線を受けたヴラドもまた言葉を失う。美しい戦闘を見たい、という希望自体はこのままでも叶えられるのだろう。しかし、何かが小骨のように喉に引っ掛かって離れない。
「おもしれえ。正々堂々と行こうぜ」
 豪快に笑い声を上げたラルク・クローディス(らるく・くろーでぃす)がこの状況を愉しむように頷き、傍らで腕組みをしたアイン・ディスガイス(あいん・でぃすがいす)が尾を揺らしながら頷く。その言葉を切っ掛けに、生徒たち同士の戦闘は幕を開けた。

「いっくよー!」
 カッティのパワーブレスがイレブンとリアトリスの体を包む。そのままたまから離れるように前方へと布陣を動かし、応えるように駆け寄る宮辺 九郎(みやべ・くろう)の振り下ろしたカルスノウトを、飛び出した紅龍のカルスノウトが受け流す。弾ける火花を抜けて、バーストダッシュで突っ込んできたリーズ・ディライド(りーず・でぃらいど)の振り下ろした刃は、パワーブレスを乗せたリアトリスの刃が弾き返した。一瞬の沈黙の中を、放たれた武尊の弾丸が走り抜ける。真っ直ぐに弾丸の向かう先、香華 ドク・ペッパー(こうか・どくぺっぱー)の体がふわりと宙に浮かび上がった。

「おーっと! ディ フィス(でぃ・ふぃす)選手、パートナーのドク・ペッパー選手を抱えて飛び上がったあ!」
 ばん、と机を叩き、マイクに向けて志位 大地(しい・だいち)は美声を張り上げた。「実況」の文字が書かれた即席の実況席には、もう一人シーラ・カンス(しーら・かんす)が腰を下ろしている。
 神妙な面持ちで戦闘を見詰めるヴラドに実況の許可を求め、上の空の彼から許可を得たのは他ならぬカンスだった。
「お互いに短期決戦を狙っているみたいだねぇ〜」
「ドク・ペッパー選手、その場で杖を振り回し始めました!」

 円を描いて振られるドク・ペッパーのワンドから、蛇のようにとぐろを巻いた炎が火花を散らし現れる。高度を持って真っ直ぐにたまへと向かうその火術が首を襲ったところでたまに余りダメージは無いものの、見た目の派手さもあってその意識を強く引き付ける。
 その時、不意に雷の爆ぜる音が響いた。フィスがぐらりと傾き、ドク・ペッパーと共に落下を始める。フィスの翼は、パルマローザの氷術によって凍り付いていた。
「ま、関わっちまった以上はしゃあないか……舞え! 炎よ!」
 大きく両腕を広げた七枷 陣(ななかせ・じん)の詠唱が響き渡り、放たれた炎はたまの顔面を狙う。鎌首をもたげたたまは呼吸を阻害するそれを首を振って振り払い、その隙に松平 岩造(まつだいら・がんぞう)とそのパートナーであるフェイト・シュタール(ふぇいと・しゅたーる)は左右に分かれ駆け出す。その後を追うように、真っ直ぐたまを狙うリュース・ティアーレ(りゅーす・てぃあーれ)はバーストダッシュで飛び出した。
 岩造のカルスノウトを受けた男装の麗人ことカッティが勢いを利用して飛び退き、その隙に岩造を狙い横薙ぎに刃を繰り出した紅龍の剣を反対側から駆け込んだフェイトのメイスが辛うじて受け流す。そこへ後方より放たれたアインの雷術が紅龍を貫くものの、歯を食い縛り岩造を見据える紅龍の体を熊猫のヒールが包み込む。
「無理しちゃ駄目アルよ〜、ヒールは三回しか出来ないアル〜」
 もこもこの黒い腕をぶんぶんと振り上げ、熊猫が叫ぶ。

「おっと。実況はわたくし、志位大地がお送りしております……いやー、攻守ともに一歩も譲りませんねぇ」
 実況用のスピーカーから、大地の声に続けてこぽこぽと心地良い水音が響く。音源を探す大地の視界には、いつの間にか実況席に腰掛け紅茶を淹れるティエリーティアの姿があった。その更に奥では、ティエリーティアの置いたお湯をすぐさま彼が倒してしまわない位置へと移動させるスヴェン・ミュラー(すう゛ぇん・みゅらー)の姿もある。
「えー……本日はゲストをお呼びしました。いかがでしょう、シュルツさん?」
 咄嗟に思考を切り替えた大地が淹れた紅茶を啜るティエリーティアへとマイクを差し出し、それに気付いたティエリーティアはゆったりと紅茶を置いて一言。
「うん、おいしいよ」
「違う!」
 のんびりとした感想に思わずと言った様子でツッコミを入れた大地は、ティエリーティアの表情にはっと息を呑む。
「ご、ごめんなさい!!」
「ティティに危害を加える者は許しませんよ!?」
 反射的に謝るティエリーティアの声を聞き留めたスヴェンが血相を変えてメイスを振り上げ、まあまあとカンスが宥める。その出来事は、マイクとスピーカーにより大広間中に響き渡った。
「……ごほん。おおーっ、宮辺選手のツインスラッシュが決まったぁ!」

 九郎の斬撃がカッティとイレブンを捉え、足を斬られた二人の体が傾く。しかし今度はその九郎の右足をパルマローザの雷術が射抜き、彼の追撃を封じた。
「教導団のプリーストをなめるなっ! まだまだいくよ!」
 熊猫のヒールを受け、カッティは勇猛にメイスを振るう。同じく脚の癒えたイレブンも、赤地に煌びやかな金の装飾を纏う闘牛士の格好を見せ付けるように剣を構えた。
 その隙に、岩造がフェイトをぐっと持ち上げた。
「これが、俺たちの」
「絆です!」
 フェイトが、その手を蹴って飛び上がる。直後に放たれた武尊の弾丸が真っ直ぐに岩造の脚を狙い、スウェーで掠める程度に留めながらも、軸の弱った岩造は後退を余儀なくされた。
 飛び上がった先、たまの胸元をフェイトのメイスが狙う。そのフェイトのメイスを、突然の弾が弾き飛ばした。
「当たりました!」
 光条兵器の銃を構えたシーリルが自分自身驚いたように声を上げ、傍らの武尊が満足げに頷く。
「その調子だ、シーリル」
「はい、武尊さんは私が必ず守ります!」
 不得手な銃を構え直し、武尊の一歩後ろに位置取りながら、シーリルは力強く頷き返した。
 前衛が乱れた隙をついて、俊敏な動きで後衛へ潜り込んだリーズの刃がパルマローザと熊猫の脚を立て続けに捉える。着ぐるみを裂かれた熊猫は愕然と身動きを止め、体勢を崩すパルマローザを、フラメンコドレスを身に纏うリアトリスが咄嗟に支える。
「楊!」
 紅龍が声を上げ、身軽に駆け回るリーズへ足払いを仕掛ける。前のめりに体勢を崩したリーズの姿に、陣は焦ったように短く舌打ちした。
「ったく、何をやってるんや……!」
 悪態をつきながらも焦燥に双眸を歪め、陣は素早く火術を放った。追撃を加えようとした紅龍の視界を遮るように炎が舞い、その隙に身を起こしたリーズが紅龍を狙うが、勘で振られた紅龍の剣先が浅くリーズの肩を捉えた。
「っ!」
 バーストダッシュで突っ込んだ陣が、素早く腕にリーズを抱え上げる。痛みに目を細めていたリーズは、後先を考えない陣の行動にぱちぱちと目を瞬かせた。
 更に剣を構えた紅龍の脚を、ラルクの放った弾丸が貫く。剣先を床について身を支えながらも、紅龍は後退する。
「今だ、リアトリス!」
「わかった!」
 今度は反対に相手の戦列が乱れた、その瞬間にイレブンが声を上げる。フラメンコを舞い踊るように剣を振るっていたリアトリスは、その声に頷くとイレブンの元へ駆け寄った。光条兵器のサーベルを抜き放ったイレブンと武器を仕舞ったリアトリスが、互いに頷き合う。

「打倒たまチームの選手たちが体勢を立て直す隙に、たま防衛チームの選手たちが何かを始めたようです!」
 大地の解説にも熱が入り、隣でカンスはぽつりと呟く。
「あれは……まさか……」

 イレブンのサーベルから伸びた紐を握り締め、ドラゴンアーツを発動したリアトリスが両腕でイレブンの両脚を抱え上げる。
「いくよ!」
 イレブンがサーベルをしっかりと握り締め、目配せを交わし合うと、リアトリスはそのままイレブンをジャイアントスイングし始めた。ぐるぐると回るイレブンは轟雷閃を使用し、紐を介して同じく発動されたリアトリスの轟雷閃と組み合わさり、イレブンのサーベルは雷の如き轟音を発する。
『波羅蜜多把履剣!!』
 二人の叫びが合わさり、サーベルを翳すイレブンをドラゴンアーツの力で振り回しながら、リアトリスは少しずつ前へと歩き始めた。アインの雷術は、爆ぜる電撃に弾かれる。バーストダッシュの勢いを乗せたリュースの一撃もその勢いを僅かに削るのみに留まり、伝わる電撃に耐え切れず武器を手放した。空から落下した衝撃や脚を取られたことで咄嗟の動きがままならない生徒達が、次々に雷撃に呑まれていく。
「あれは古代シャンバラ王国の騎士たちが編み出した幻の奥義、波羅蜜多把履剣(パラミタハリケーン)! 伝承者が生き残っていたとはっ! あっ! さらに轟雷閃を使って超電磁波羅蜜多把履剣にするとは! 二人の寿命が三日は縮んでしまうっ」
 何やら怪しい本を片手に驚きの声を上げたカッティは、ぐるぐると回り続ける二人の姿を眺めていた。あまりの威力に味方すら近寄ることは叶わず、打倒たま側の生徒達もじりじりと後退していく。
 そして疲労の溜まったリアトリスが緩やかにイレブンを床へ下ろした瞬間、二人は同時にその場に倒れ込んだ。ぐっと親指を立て合うも、目の回った二人はその場から起き上がることも叶わない。

「どっちも、被害は甚大みたいだね〜」
「さて、どうなるのかー……、ん?」
 実況の二人が声を上げた直後、不意に大広間の電気が落ちた。暗幕により窓の閉ざされたその空間は、一切の光を失う。膠着状態に陥った生徒達、それを観戦していた生徒達。そしてヴラドも状況を把握できず、声を上げる。
「な、何事ですか!」
 その声と同時、ヴラドの正面に位置する暗幕の前に、一人の影が浮かび上がった。わけがわからず相手の反応をうかがうヴラドは、いつまで経っても動こうとしない人影に痺れを切らして声を荒げる。
「これはあなたの仕業ですか!」
「……容姿は整った。そして心も入れ替わりつつある。しかし、お前にはまだ大切なものが足りていない」
 ヴラドの問いには答えず、男はおもむろに語り始める。不審なものを見るように細められたヴラドの紅眼を、その心の奥までを見通そうとするかのように真っ直ぐ見返す男の背後の暗幕が、不意に舞い上がる。窓の外から差し込む眩い太陽光が照らし出したのは、逆光に浮かび上がる変熊 仮面(へんくま・かめん)の裸体だった。
「おまえに足りないのは、自信! 自分に対する愛だ!」
 いっそ神々しい程に胸を反らし、ところどころで上がる悲鳴をものともせずに、変熊仮面は力強く言い放つ。
「うむ、変わったのう……」
 その背後で暗幕を捲り上げる巨熊 イオマンテ(きょぐま・いおまんて)は、しみじみと過去を回想しながら呟いた。美に対する自信を失い蹲る在りし日の変熊仮面の卑屈な様子が、まざまざと脳裏に浮かび上がる。美しいものがるだろうと説くイオマンテの言葉に自分自身の体だと答えた変熊仮面を焚きつけ、羞恥心を消して全裸の道を選ばせたのが、変熊仮面が変熊仮面となった始まりだった。
 ヴラドの指示を受けた真が広間の電気を付け直し、ヴラドへ歩み寄る全裸にマントの変熊仮面の姿がはっきりと見えるようになると、もはや悲鳴すら上がらなくなった。ちらほらと好奇の視線が向けられているのは、薔薇の学舎の生徒だろうか。
「顔を出せ! 精神を注入してやる!」
 ヴラドの正面へ迫り、そう言いながら腰を突き出した変熊仮面は、しかし次の瞬間弾かれたように背後を振り返った。
「待てーい!」
 変熊が先程立っていた場所に窓を割って現れたのは、吉永 竜司(よしなが・りゅうじ)だった。筋骨隆々の逞しい上体を晒し、ぐっと上腕二頭筋を見せ付けた竜司は、尚も声を上げる。
「身体の美しさというなら、鍛え抜かれた肉体美を忘れてもらっちゃあ困るぜ」
 屋敷から金目の物を奪ってやろうと侵入した竜司だが、変態仮面の言葉に黙っていられなくなったらしい。ずい、と一歩を踏み出す竜司を見据え、変熊仮面はじりじりとにじり寄って行く。
「良いだろう、見せてみろ!」
 すりすりすりすりと腕やら胸元やらを擦り合わせ始めた二人の様子を呆気に取られたヴラドが見守っていると、不意にたまが鳴き声を上げた。
「食うなら俺を食ってくれや! な、うまいで!」
 そうたまへ呼び掛けているのは、全身から異臭を漂わせた青空 幸兔(あおぞら・ゆきと)だった。屠殺場からくすねてきた牛の血液を頭からかぶり、全身を真っ赤に染め上げた幸兔の姿に、たまは戸惑ったように喉を鳴らす。
「……あなたは何をやっているんですか」
 疲れた様子のヴラドがおざなりに問い掛けると、幸兔はぐっと親指を立てて見せる。
「ま、気にすんなや……って、おわ!?」
 幸兔の間近へ鼻先を寄せたたまは、くんくんと鼻を動かすと、すぐにぷいっと顔を背けてしまった。
「申し訳ありませんが、……たまは魚派です」
「く……っ」
 悔しげに眉を寄せた幸兎は、お宝の眠ると伝え聞いたたまのお腹をじっと眺めていた。