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第11章 浜辺にて(1)


 巫女神楽が始まった。
 神美根神社の正式巫女5名に混じってレティシア、ミスティ、アリア・セレスティの臨時巫女3名が、千早と水干を身につけた緋袴姿で舞台に姿を現す。太鼓や銅拍子を操る人とともに、笛の役を藤乃が務めていた。
 レティシアがしゃんと鈴を鳴らすとミスティが榊を振る。アリアが扇を開いて前に出て、粛々と踊り始める。それを2人1組で順番につなげていく。
 パチパチとはぜるかがり火だけに照らされた踊りを、みんなが見つめていた。


 舞台やそれを見る人たちからは少し離れた岩崖近くの斜面から、霧雨 透乃(きりさめ・とうの)緋柱 陽子(ひばしら・ようこ)はその光景を見下ろしていた。
「巫女神楽は、別名八乎止女(やおとめ)舞とも言うんですって。8人の乙女が、それぞれ豊穣を表す鈴・扇・笹・榊・幣などを手にして、ああやって踊るのだそうですわ」
 神楽を見つめながら陽子が言う。
 だが透乃の方は、屋台で購入してきた食べ物を肴に早くから日本酒を飲んでいたため、すでにほろ酔いで、関心は巫女神楽よりももっぱら隣の陽子に向いているようだった。
(ああ、薄明かりの中の陽子ちゃんもきれいだなぁ…)
 うつぶせになって腕枕をしながら、陽子を盗み見る。
 じっと神楽に見入っている陽子は本当にきれいで、見ていてうれしかったけど、1つだけ気に入らないことがあった。
 つんつん、と上着の裾を引っ張る。
「透乃ちゃん?」
 呼ばれたと思って顔を近づける陽子を、さらにぐいと引っ張って、ぺろりと唇をなめた。
「!」
「あたし以外を見て、そんな顔しちゃ駄目」
 そう言う間にも、するりと両手が服の下へ侵入し、そっと胸を包む。
「あっ…」
 胸の中央を刺激され、陽子はがくりと透乃に覆いかぶさるかたちで肘をついた。
「陽子ちゃん、ここで……しよ?」
 唇で耳たぶをはさみ、熱い息を吹きかける。
「と、透乃ちゃん……あっ……ここでは…」
 かすかではあったものの、近くを歩く人の声と気配がした。2人のいる位置は、坂を下る道からそう離れておらず、目を凝らせばきっと見つかる距離にある。
「そうだね。見つかるかもしれないね、陽子ちゃんが声を出したりしたら」
 だが透乃に思いとどまる気はないらしい。そう言う間も、陽子のスカートのファスナーを下ろし、背をなで上げる。
「そんな…っ……透乃ちゃ…」
「声を出しちゃ駄目だってば。見つかっちゃうよ?」
「やっ……意地悪……こんなの……無理です…」
 肌をすべる透乃の指や唇はどこまでもソフトタッチで、はがゆくて、陽子の全身が熱くわななく。
 と、ピタッとそのすべてが止まった。
「透乃、ちゃん…?」
「うん、そうだね。やっぱりここだとまずいし。やめようか?」
 決めるのは陽子だと言いたげに、にやりと透乃が笑う。
 ここまでひとの体を燃えさせておいて…?
「――意地悪、です…」
 涙まじりに呟いて、陽子は透乃にキスをした。



「あっ、見て、霜月。奉納の舞が始まったわよ」
 右の岩崖で、クコがそう言って舞台を指した。
 舞台の上では面をつけた漁師役のアインが踊りを始める。出番を待つ(もしくは寝ている?)朱里は、腰を落として下座で伏せている。龍神役のティエンが中央で立ち、両肘を水平にして顔の高さまで上げ、袖で顔が見えないように覆っていた。
 踊りを見るクコの横顔を見て、霜月はついに告げる決意を固めた。
「クコ、聞いてほしいことがあるんだ」
「なに?」
 クコは霜月が自分を傷つけるとは思っていない、安心しきった信頼の目を向ける。霜月は、これから言うことが彼女を深く傷つけたりしませんようにと心から願いながら、その手をとった。
「クコ、愛しているよ」
「……やだ。なに? いきなり」
「きみをとても大切に想っている。だから訊くんだ。きみは、本当に赤ちゃんがほしいんだね?」
「そうよ、もちろんだわ。この前話したでしょう?」
 そう言っても、霜月の表情は晴れなかった。嫌な予感が、じわじわとクコの胸を締めつける。
「赤ちゃんができる、その意味をきみはどれだけ分かっているだろうか?
 もしきみに赤ちゃんができたら、自分は決して今までのように戦場にきみを連れて行かない。ううん、どんな所にもだ」
「やだ、何言ってるのよ、霜月。私たちはどんなときも一緒で――」
「妊娠したきみを少しでも危険な目に合わせるわけにはいかない。そのせいできみや赤ちゃんに何かあったら、自分は耐えられないから。
 愛しているよ、クコ。きみとの赤ちゃんができたら、どんなにうれしいか…。でも、考えて。決定権はきみにある」
 霜月は、これだけは譲れないと決意のまなざしで、クコを見つめた。



「どうした? ロートラウト。行きたくないのか?」
 浜に続く道をのぼりながら、エヴァルト・マルトリッツ(えう゛ぁると・まるとりっつ)は後ろのロートラウト・エッカート(ろーとらうと・えっかーと)を振り返った。
 さっきから、妙に彼女の足が重い。歩く速度が落ちて、今では亀にも負けそうなのろのろっぷりだ。
「そんなことないけど…」
 そう言う声にも張りがない。
 ふうと息をつき、エヴァルトは彼女の元まで戻った。
「どうしたというんだ。おまえ、このところ変だぞ」
「うん…」
「ほら、今も視線をはずしている。話をするときは、相手の顔を見てするのが礼儀だ」
 促され、ロートラウトはそらしていた顔をエヴァルトに向けた。
 真正面から彼を見て、かあっと頬を赤らめる。
「……駄目だ。ごめんっ」
 周囲は暗いから、顔が赤くなったなんて、エヴァルトには見えていない。そう思ったけど、やっぱり恥ずかしかった。
 2歩、3歩と後退し、距離をとる。
「ロートラウト?」
「そこ……そこにいて、お願いだから」
 ストップ、と手を上げた。
 エヴァルトには、彼女のとるそんな態度がサッパリ分からなかった。機晶姫として、かなり挙動不審に見える。
「おまえ、メンテナンス受けた方がいいんじゃないか?」
 最後に受けさせたのはいつだったかな? と考えたとき。ガバッとロートラウトが体勢を持ち直した。
「どこかおかしいわけじゃないんだ! メンテ受けてないからこうだなんて、絶対思わないで!」
「……わ、分かった…」
 気圧されたエヴァルトを見て、ロートラウトは溜飲を下げ……はーっと大きく息を吐いた。
「ロートラウト? 自覚ないかもしれんが、本当におまえ変だぞ?」
「自覚はあるよ…」
 ただ、どう伝えればいいか、ずっと困っていただけで。
 でももうこれ以上悩むのは、彼女だってうんざりだった。
「エヴァルト、あのね、うすうすあなたも気づいていたかもしれないけど、ボク、ちょっと前からあなたのこと、友達以上だと想ってたんだ…。それでこないだ、もし2人が甘々ラブラブだったらどうかな、って想像してみたんだけど…。
 似合わなさ過ぎて、ちょっと、っていうか、ものすごく笑っちゃった! 機晶姫には横隔膜とか無いけど、あったら今頃破れてるくらい!
 おかしいよね、あなたとボクがそんなのなんて。最近、あなたの顔を見ようとしなかったのはそれが原因なんだ。笑っちゃうから…」
 だから…。
「そんな理由か。
 というか、最近、ボーっとしてたらいきなり笑い出したりするのもそれか!?
 確かに俺が恋愛なんてこの上なく似合わないが、そんなに笑うことはないだろう!」
 エヴァルトはエヴァルトなりに考えて、茶化して場を明るく盛り上げようとしたのだろう。うまくいっているとは言えなかったが、それでも、それは彼なりのロートラウトへの気遣いだった。
 お互いどちらともなく黙り込み、しん、と静かになる。
 遠くで、わぁっと湧き上がる声がして、はじめて2人は舞のことを思い出した。
「……行くか?」
「うん」
 エヴァルトはポケットに手を突っ込んで歩き出す。だがすぐに足を止め、言った。
「俺は、その気持ちに応えることは、やはりできない。ただ、そうまで俺のことを考えてくれるおまえの存在はありがたいと思う。
 恋愛抜きにして、俺が今大切に思っている存在はおまえだ。おまえは俺の、かけがえのない相棒だ。それでは駄目か?」
「――ううん。それでいいよ。それがいい。やっぱりボクたちは『友達』って関係が一番いいね!」
「俺たちは無敵なんだろう?」
 肩越しに振り返ったエヴァルトが、にやりと笑う。
「うん! ボクたちは無敵だ!」
 ぱん、と手を打ち合わせる。
 2人は並んで、坂をくだっていった。



「キラキラしてる。きれーい」
 屋台で購入した水晶のブレスレットをかがり火で透かし見て、アリアは言った。
「気に入った?」
 岩場に浅く腰かけた正光が訊く。
「うんっ♪」
 さっそく右手にはめているところを見ると、本当に気に入っているらしい。
 シルバーの台座に水晶なので、若いアリアには地味な装飾品に思えたが、本人がいいならいいのだろう。
(本当なら、もっときれいに光る物になるはずだったのに…)

「あ、あれっ? おかしいですね、こんなはずは…」
 アクセサリーの屋台の店主・朔夜は本当に驚いていた。なにしろ、お客が手に乗せているのに、水晶に変化が現れなかったのだ。
「どうした?」
 同じ原理で光るプリザーブドフラワーを専門に売っていた冬月が騒ぎを聞きつけて寄ってくる。
「これ、色が変わらないんだ。不良品かな」
「ちゃんと発光してるから不良品じゃねぇよ。……ん? いや、変わってるぞ。微妙だが白い色がついてる」

 ようは、水晶に白い色がついて、すりガラスっぽくなっただけのことだった。
(というかさ、不純物まじりの安物の水晶っぽくない? これって。
 俺の力って一体…)
「あのさ、アリア。やっぱりあのお店の人にお願いして、別の色がついたブレスを買うことにしない? たとえば、店主の人とか。あのピンク、きれいだったよね」
「ううん、これがいい。だってお兄ちゃんのだもんっ」
 くるくると回転して、スキップする。
「でも…」
「お兄ちゃんはね、純粋で、とってもとっても心がきれいなの。だからこういう色なの」
「俺はっ! ……俺は、純粋でも、きれいでもないよ……全然」
 全然、そんなじゃない。
 キュッと拳を作る。
 アリアは駆け戻ってきてその拳を持ち上げると、その力を吸い取るように、そっとキスした。
「アリア…」
「はい、おにーちゃん、あーんして♪」
 と、思わず従ってしまった正光の口にアメ玉を放り込む。
 ちょこんと隣に腰かけ、肩に寄りかかってきた。
 そのまま、しばらく奉納の舞を見続ける。舞とか、そういう伝統芸能はよく分からなかったけど、話の意味は知っていたので、どのシーンを踊っているかは見当がついた。
「お祭り、楽しかったね」
 ぽつり、聞き逃してしまいそうな声で、独り言のようにアリアが言う。
「……うん」
「また、こうしてお兄ちゃんと一緒にお祭りに来たいな」
「うん」
「約束?」
「約束だ。また、一緒に来よう」
 身を起こしたアリアと、正面から顔を合わせて言う。
「約束」
 そう言うアリアの唇が、正光の唇と重なった。
「……ふふっ。あまーい」
 キスのあと、アリアはそう言って正光にしがみついた。



「ルナ、準備はできたか?」
 コンコンと、開いたドアで形だけのノックをして、セディが入ってくる。
 片膝を抱き寄せ、瞑想するように目を閉じていたルナティエールは、セディを見て緊張を解いた。
「セディ、もう時間?」
「今、例の地祇が浜辺中に花を舞わせているところだ」
「そう」
 立ち上がり、上着を脱ぐ。
「これはセシルからだそうだ」
 タコ焼きを、いかにも作りつけの鏡台に置いた。
「カイルが持ってきたそうだ。浜辺の綾夜経由で届いた」
 タコ焼きのパックにはひと言『これ食って頑張れよ!』とだけ書かれたメモがはさんであった。
「あの馬鹿。踊りの前に青ノリだらけになれとでも言うのかしら」
 そう呟きながらも、ルナティエールは優しくほほ笑んでいる。
「お礼を言っておいてくれた?」
「もちろん」
 セディの手が、そっとルナティエールのほほを包むように伸びる。
「祭りが終わったら、浜でタコ焼きパーティーだと言っていた。みんなで待っていると」
「ふふっ。下戸のくせに」
 楽しげに笑うルナティエールのほほが引き寄せられる。
「駄目、紅がとれちゃう…」
 だが、セディからの口づけを拒むことができるだろうか?
「なに?」
「……意地が悪い」
 確信犯だと笑うセディの目を見て、ぱし、と頬をはたいた。
「あなたに紅は似合わないわ」
 唇からぬぐって、その横を抜けた。
「行ってくる」



「えー、それでは皆さん。巫女神楽、奉納の舞と終わりましてあとは竜神神輿となりましたが、その前に。われらが天女、ルナティエール・玲姫・セレティの舞をご照覧ください!」
 リーレンの合図で、岩崖にセッティングされていたライトが一斉に点灯する。ライトは、岩崖と岩崖をつなぐように作られた長い廊下のような舞台を照らし、そこにしゃがんだルナティエールの姿を照らし出した。
 浜辺で演奏が始まり、スピーカーを通してルナティエールの元までも届く。
 まさしくリーレンの言う通り。
 天女が舞った。



 かけ声を張り上げながら進む白張たちの担ぐ神輿に乗って、ティエンが登場した。
 竜神の扮装として、金銀の豪華な衣装に身を包んだティエンは、うれしそうに周囲の人々に手を振っている。
 実際は、神輿は安定感がなくてすごく揺れるし、道も、石段を下ったり、上り坂だったり下り坂だったり、担ぎ手のほとんどは老人だったりで、おそらくジェットコースター並に怖い体験をしたとは思うが、それでもティエンは満面の笑顔を崩さなかった。
 やがて浜にたどりついた神輿は海へ入り、胸元近くまでつかりながら、ルナティエールが踊った舞台まで進む。
 そこから舞台へ移ったティエンは、舞台の真ん中に立ち、浜辺にいる人々に向かって両手を広げた。
「このたびの神事大儀であった。遠方の地より来られた者も、ようこの地まで尋ね参られた。並々のことではなかったであろう。そして我が宮の者よ、ようこの時まで参られた。この地この宮この時までそれを続け致せしこと、これすべて天帝の御許に届きし神業なれば、我がすべからく礼を言う。さらば我が民よ。よくとせまでいざさらば」
 そしてティエンはそのままの体勢で後ろに倒れていき、後ろに控えた白張たちが受け止める直前にライトが消える。
 こうして帰神祭は終了した。