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東カナンへ行こう! 2

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東カナンへ行こう! 2
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■アナト大荒野〜サンドアート展開催(8)

 交渉の末、ほかの馬たちの面倒を見ることを許された淵が笑み崩れた顔でかいがいしく馬の体をわらで拭いているのを見て、バァルはみんなの元へ戻ることにした。
 その帰り道、自分を呼ぶ子どもの声を聞いて、足を止める。
「バァル様ーーっ」
 何度も彼の名を呼びながら駆けてくる。それは、あの着ぐるみを着てサンドフラッグに参加していた少年・ティエンだった。
 バァルのように新しい服に着替えて、さっぱりとしている。
「もういいのか?」
「はい。助けていただきまして、ありがとうございました」
 ぺこっと頭を下げる。
「そうか」
 その頭に手をあて、なでるバァルを見上げて、ティエンは思い切って言った。
「それで……あの……あの…」
「うん?」
「…………ボク、バァル様のこと……おにいちゃんって呼ばせてもらってもいいですか?」
 その言葉。
 そして何よりも、まっすぐこちらの目を貫くように見つめる純真無垢な目に、バァルは喉を詰まらせた。

『兄さん――』
 バァルの胸に、エリヤとした最後のやりとりがよみがえる。
『兄さん。約束して。幸せになるって…』
『おまえがいなくなるのに、なれるはずないじゃないか…!』
 わたしに幸せになってほしいなら、いかないでくれ……そう懇願し、シーツに突っ伏したバァルの頭に、エリヤの手が乗った。
 骨と皮ばかりの力ない指が、そっと髪を梳く。
『なれるよ。僕や、セテカだけじゃなくて、いっぱい、大切なものができたら……兄さんは、幸せになれる…。
 だから、好きになること、怖がらないでね…。たくさん、好きになって、大切なものでいっぱいになって…。そうしたら、どんなにつらいことがあっても、苦しくても、兄さんは、きっと幸せになれるから…』

「バァル様……あの…」
 暗い目をしてずっと黙ったままのバァルに、ティエンの表情がみるみる沈んでいく。
「ご、ごめんなさい……無理なお願いでした…っ」
 あわてて下がろうとするティエンの小さな体を引き寄せ、バァルは抱き締めた。
「かまわない。全然、かまわないよ」
 耳元でつぶやかれた言葉に、ティエンはうれしくなって、背中に回した手でぎゅうっとしがみついたのだった。



「バァルさん! みんなでイベントの記念撮影をすることになったんですけど、ご一緒していただけませんか?」
 ティエンと手をつないで戻ってきたバァルに、リゼッタが駆け寄った。
 あの領主夫妻の像の前で、イベントにかかわった全員で。
 もちろん、これはうそではない。本当の企画だ。サンドアートにかかわった全員が、砂像の前で勢揃いしている。
 カメラマンは、カメラを持つ全員が入れかわり立ちかわり行っていく。その中には、もちろん要もいるわけで。
 彼の目的は当然、アナトとのツーショット撮影である。

「それじゃーいくよー。いーち、にー、さーんっ」

 要の合図で、前もって打ち合わせていた全員が、バァルとアナトを残してサッと左右に引く。
 2人が気づけていない一瞬を狙って、要のシャッターは切られた。

 ――カシャッ。




「皆さん、押さないでくださいねぇ。押す必要はありませんよぉ。ちゃーんと後ろからでも見えますから」
 イベント会場から少し離れた位置に張られた2本のロープ。
 そこから先に出る者がいないよう、遊馬 澪(あすま・みお)アレット・レオミュール(あれっと・れおみゅーる)は、ぱたぱた走り回っていた。
 なにしろ、今から何が起こるかお客さんたちは分かっていない。航空ショーと言っても、そもそもカナン人は「航空」の意味を知らないのだから、仕方がないのだ。
 飛行機も、飛空艇も、知らない人たちに、イコンのことを伝えるのは難しい。
 最初のうちは2人も一生懸命お客さんの質問に答えてこれから何が起こるか説明をしていたが、もうとっくにさじを投げていた。
「一体何が来るのかねぇ?」
 今また1人の女性が胸の高さで張られたロープを握って身を乗り出し、きょろきょろと左右に顔を振っている。
「危ないですから、ロープから先には出ないようにお願いしますね」
 にっこり笑ってアレットはそっとロープから手をはずさせた。
 こんなギリギリの所をイコンが通りすぎることはないが、それでもやはり身を乗り出していると危ない。爆風にあおられたとき――もちろん、これも影響が出るほど近距離をいくことはないよう打ち合わせずみだったが――バランスを崩して転んだりする可能性は、全くないとは言えないのだ。
 できるだけ普通に立っていてほしいから、アレットと澪は身を乗り出したり、ロープをくぐろうとする好奇心旺盛な子どもたちを見つけては、根気よく注意し続けた。

『皆さん、お待たせいたしました。本日のトリを飾るイベントはこちら!! イコン隊による航空ショーです!!』

 やがて、セファー・ラジエール(せふぁー・らじえーる)のアナウンスが流れた。
 全員が声の発せられた場所――柱の上のスピーカーを眺める。
 スピーカーから流れだしたのは、軽快な音楽。それにかぶさるように、爆音とともに低空編隊飛行のイコン【パーリシェニア】と【グレイゴースト】が現れる。

『上空、右側の白いイコン、イーグリットに搭乗しておりますは、メインパイロット刹那・アシュノッドです。そして左側のイコン、S−01に搭乗しておりますは、メイン・パイロットが佐野 和輝、サブ・パイロットがアニス・パラスです。皆さん、拍手をお願いいたします!』

 もちろん、拍手の音は上空のイコンには聞こえない。
 だがメインモニターでこちらの様子を見ているのは、分かっていた。



 刹那・アシュノッド(せつな・あしゅのっど)はコンソールの上で指を動かし、メインモニターのズームを変えた。
 地上では、初めて見るイコンの姿に大勢のカナンの人たちが驚きの表情で目を見開き、セファーに言われるまま、拍手していた。
 しかしやがてその表情は、徐々に期待に輝き始める。
 これから何が始まるのだろう、というワクワク感。手足が震え、ドキドキと胸が熱く脈打つ。
 それは刹那にもよく分かった。
 彼らの期待を決して裏切るまい――彼らにとって、これが初めて見るイコンであるのなら、なおさらに。

 イコンは戦争において武器ではあるけれど、それだけではないということを彼らに知っておいてほしかった。
 いつか、彼らはそのことを知り、憎しみや恐怖の目でイコンを見る日がくるかもしれない。
 けれど、それだけではない、彼らに喜びを与えることだってできる存在なのだと……いつか、今日という日を思い出して、そう思ってくれたなら、それでいい。

「さあ、いくわよ、パーリシェニア」
 地上の人々に負けないほどの希望と期待を胸に、刹那はイコンを加速させた。


 隣のパーリシェニアがこちらを追い抜いていくのを佐野 和輝(さの・かずき)は見送った。
 まず最初に、刹那のパーリシェニアが5分ほど単独飛行をする。その次が和輝たちのグレイゴーストだ。そうしないと、観客はどちらを見ればいいのか困ってしまうからだ。
 お互い、それぞれ考えたエアロバティックな飛行を披露して、それから10分程度の合同飛行に入る。
 イベント中は、夕方1回にする予定だったのだが、午前と午後で1回ずつすることになるかもしれない――パーリシェニアが見せる動き1つ1つに夢中になって、喜んだり、驚いたり、ハラハラしている人々の様子を見て、和輝はそう思った。
 きっとこのショーはうわさになって、明日はもっと観客が集まってくるだろう。
「――まるで、サーカスに初めてやって来た子どもみたいだな…」
 その豊かな表情は、見ているこちらの方まで楽しくなってくる。あんなふうにあけっぴろげに感情を表すおとなたちを、和輝は知らなかった。
 彼らだって感情を隠す術は知っているだろう。それを、初めて見るイコンという驚きが突き破ったのだ。そう思っても、それでも、彼らは根は純粋で、純朴な人々なのだと思わずにいられなかった。

『すごいねー、刹那さん。1人乗りだからイーグリットの性能を出し切ることはできないはずなのに、あんなに自在に操ってる』

 通信機からアニス・パラス(あにす・ぱらす)の感心する声が聞こえてきた。

「飛ばすだけならできるさ。索敵、火器管制といったことはできないが、今回は戦うわけじゃないから」
 彼女のエアロバティック・プランには目を通している。発煙機を使うだけなら問題ない。

 垂直上昇からのスイッチオフ、墜落と見せて地上ギリギリでの旋回飛行。
 そしてラスト1分に発煙機から色のついた煙を出して、空中に絵文字を描く。

「よし。そろそろ俺たちも行こう」
 発煙機から煙が出たのを見て、和輝はブースター弁を開こうとし――ふと、思いついて、サブモニターのスイッチを入れた。

『アニス』

「ん? どしたの、和輝」
 通信機だけでなくモニターのスイッチが入ったことにアニスはちょっと驚きつつもそちらを向く。

『アニスが、いつも頑張ってくれて助かってる。――ありがとう』

 サブモニターの中の和輝が、今まで一度も見せたことがないような真面目な顔で、つぶやいた。
 自分を見つめているのがモニターごしでもはっきりと分かる。
 いつになく、真剣な彼の眼差し。
 意識した途端、どきんと心臓が痛いぐらい打って――頭の中が、真っ白になった。
「な、何いきなりこんなとこで、そんな……や、やだもう、からかってるの? ショーの最中なんだから、冗談はなしにしてよねっ」
 なんだか落ち着かなくて、気持ちがふわふわして、おしりがもぞもぞそわそわして、困ってしまう。
 これが地上だったらどこかへ走っていったりとか、こう、わきゃわきゃできるのだが、イコンのコクピットにいてはそんなこともできない。
 このコクピットにいるのは自分だけなのに、妙に和輝を意識して……沈黙が気になって、アニスはもだえてしまった。
 と、じっとしていられずあちこち動かしていた手が、何かに触れる。
 パチン、とスイッチが入った音。
「……あれ? ――って、わぁ!? 花火の一斉発射ボタン押しちゃった!!」
 どーしよう? とあわてたところで今さらどうなるものでもない。
 ガシャガシャンッと音がして、ミサイルポッドの全射出口が開く。

   ピーーーーーッと笛のような甲高い音を立てて飛ぶ花火
   パパパパパッと小さな火花がはじけるような花火
   ドンッドンッと大きな音をたてて真っ赤な華を散らせる花火

『なんだ!? アニス、どうした!? 順番メチャメチャだぞ! というか、全部いっぺんにはじけてるぞ!?』

 通信機からパニックを起こした和輝の声がする。
 今、サブモニターに小さく映っている和輝は、いつもの和輝だ。あせって、どうにかしようとあわてている。さっきのような真剣な顔も、声も、していない。
 その姿に、自分でもびっくりするくらいホッとした。
「あ……あははっ! いーや! これはこれで楽しいし!」

『何がいいんだって!? くそーっ前言撤回! おまえ、全然助けになってないっ!!』
 なんであんなこと口走ってしまったんだろう!? 真剣に和輝は後悔していた。
 きっと、下のカナンの人々の純粋さにあてられてしまったんだ、そうに違いない! あんなの、気の迷いだ!!


「……あははははっ」
 加速を始めたグレイゴーストのサブコクピットの中、ホッとするあまり、あとは野となれ山となれ気分で、アニスは大声で笑った。



(……?)
 地上のスノー・クライム(すのー・くらいむ)は、ふとアニスの笑い声を聞いた気がして、空を振り仰いだ。
 もちろん聞こえるはずがない。
 花火の音がうるさいし、イコンは近くに見えるが実際はかなりの高度を飛んでいる。
 彼女の前、グレイゴーストは前方で赤く輪を描いた花火に向かい、加速した。あの輪を、ひねりを入れつつくぐるのだ。少なくとも最初の予定ではそうなっていた。
 花火が全部一度にはじけるのは予定になかったが、少しでもこのアクシデントからの仕切り直しを図っているのだろう。地上の観客たちに、失敗だと悟らせないように。
 それにしても。
「一体、何があったのかしら?」
 あんなことが起きるような整備を和輝はしていなかった。それは、横で見ていたから知っている。だからあれは、完全にアニスの失敗だ。また何かやらかしたのだ。例えば、袖にスイッチを引っ掛けてそのままオンに入れてしまったとか。
 そして和輝がアニスのドジをカバーしようとするのはいつものこと。

 だけど、今胸に感じたこれは――……

「――今回ばかりは、アニスに一歩、先を行かれたわね」
 地球でも言われてたそうだけど、やっぱり空は魔物が住んでいるわね。間違いないわ。
 スノーはそっと、背を向けた。



 赤い輪――華?――をくぐり抜けたそのロボットは、その先でキラキラはじける火花を避けるようにS字を切った。
 そして、カラフルな色雲を引きながら自由自在に飛行するイコンの位置まで上昇し、しばらく一緒に並んで飛んだあと、左右に分かれる。
 そんなイコンのショーを見上げたまま、かたまっている少年がいた。
 握り締めていたお菓子の袋から中身が全部こぼれ落ちていることにも気づかず、ぽかんと口を開けている。
「ねえ、お母さん! 僕もあれ、乗れるようになるかなぁ?」
 隣の母親のスカートを引っ張るが、母親も初めて見るアクロバットショーに釘付けで、気づけていない。
「ああやって、空を鳥みたいに飛べるかなぁ?」
 ひょいと少年を持ち上げ、肩車したのはセファーだった。
「ああ。きっとなれるさ。おまえが私くらい大きくなったときには」
 その言葉に、少年のつるつるの眉間にしわができる。信じていいものか、判断に困っている顔だ。
 だがセファーには確信があった。
 きっと、そのころにはカナンとシャンバラのつながりはもっと深くなっているはず。カナンからの技術留学生もどんどんシャンバラを訪れているはずだ。
 もちろん、パイロット候補生たちも。
「もしかしたら、あなたがカナンで初めてのイコン・パイロットになれるかもしれないわね?」
 いつの間にか横についていたスノーが、少年の手からカラになった袋を受け取りながら、にっこり笑った。